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時が涯てても恋してる。  作者: トグサマリ
第二部  時涯てた後
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    プオルスタヤ 四-2



 ―――絶望が、はるかからあらゆる気力を奪っていた。

「やってくれるじゃねぇか」

 頭上から、グァルディの乾いた声が降りてくる。なにを言われてるのか、よく、判らない。

 意味もなく喘いでしまう自分の息に翻弄されて、指の先すら動かすことができない。

 膝をついて床に崩れるはるかの目の前には、魂を奪われたばかりの動かない祖父の姿があった。

 助けられなかった。

 空虚な穴が、胸の底に穿たれている。目の前の現実から突きつけられる絶望と己の無力さが、まさかという思いを押し流し、音もなく、けれど抗うことのできない勢いで流れ落ちていく。

 祖父が動かない。

 これは現実? 本当に起きたこと?

 信じたくなかった。

 ただ眠っているだけだと、―――息をしていると。

「おじいさん、しっかりして、いま、救急車が来るから……」

 弱々しい祖母の声が、はるかの耳を打つ。

 血の気のない、祖父の顔。

「おじいさん、ねえ、おじいさん……!」

 恐々と祖父に触れた祖母の声に、悲鳴が混じりだす。

 救急車を呼び終え、あとはなにをすればいいのか混乱している伯父たち。心臓マッサージをすればいいんじゃないか。どうやるの。知らんわそんなの。人工呼吸とかは? やり方知っとんのか。鼻をつまむんだっけ? でも心臓なのよ、発作なのよ、息とかじゃないし。それよりも動かしても大丈夫なの? なんだよもう、じゃあどうしろってんだ! ちょっと怒鳴らないで―――。

 英介を間にして、伯父たちはうろたえるばかりだった。まるで、遠い世界の出来事のようだ。そうで、あって欲しい。

(おじいちゃん……)

 ぎゅっと、はるかの眉根がつくほどに寄せられる。

 夢でもなんでもない。

 ここにあるのは、自分の、為せなかった結果だ。

 いまのいままで生きていた。この手に大鎌を摑んでいたのに。なにも、なにひとつできなかった。

 生きていけなかった―――。

 苦しみにもがきながら死んでいくだなんて。

 あんな最期。

 まだまだ生きていなければならないのに。

 すべてが手遅れとなったいま、はるかはただ、抜け殻となった祖父の身体を虚ろに見つめることしかできない。

「生意気なんだよ」

 真っ白に燃え尽きた彼女にグァルディは悪態をつく。けれど、いつものような憎悪は、その声音には感じられない。

「人間上がりのプオルスタヤのくせに、しつこいんだよ、お前は」

「―――」

 グァルディの口から漏れた『プオルスタヤ』という言葉が、精も魂も果てたはるかの意識にかつんと触れた。

 ぼんやりとグァルディを眼差しだけで見上げる。彼は相変わらず傲岸にはるかを見下ろしていた。莫迦にするように、その口元が歪む。

「口も利けないってか。半人前が」

 息は荒く喉を焼き、身体は痛みよりも、ただ鉛のようにひたすら重たい。それでも確かに、彼の言葉に触発されて、胸の内にほんのりと(とも)るものがあった。

「半人前らしく、潰れちまえばよかったんだ」

 毒々しい口ぶりは、何故かいたわりの響きを秘めていた。グァルディは大鎌の柄で、はるかの肩を軽く小突く。なすすべもなく、そのままごろんと背中から倒れ込む。

「お前を怖いと思ったのは初めてだよ。悔しいけど」

 表情を変えずに言ったその言葉の意味をはかりかね、はるかは怪訝な目を返す。

「本物のプオルスタヤに鉢合ったのかと思った」

「!」

 彼の静かな言葉に、はるかははっと息を呑む。

 頭を、強く殴られた気がした。

 唐突に突きつけられたのは、―――答えだ。

 顔をこわばらせて目を瞠るはるかを、グァルディはじっと見据えていた。ややして、どこか投げやりな吐息をひとつ、グァルディは落とす。

「……おれも、どうにかしちまったのかもな」

 失言と思ったのか、思い詰めた眼差しで付け足すようにそう言うと、彼は壁の向こうに消えてしまった。

 はるかは目を瞠ったまま、動くことができないでいた。

 グァルディの言葉は、まさに雷のような威力を持ってはるかのすべてを貫いていた。

 あまりの衝撃になにもかもが真っ白になり、身体が激しく震えだす。

 言葉にならない悲鳴が喉を駆け上がる。

 ―――プオルスタヤ!

(ああぁ……!)

 何故、どうしていままで―――。

 どうしていままで、こんな根本的なことを失念していたのか。

 プオルスタヤが存在している、その、意味を。

 部屋が騒々しくなった。首をめぐらせ目を転じると、駆けつけた救急隊員の姿があった。肉体がまだ生きている名残りを宿しているせいで、救急隊員は英介の脈や呼吸の確認を取っていく。

「おじいちゃん……?」

 きびきびと動く救急隊員の姿に思わず身を起こそうとして、すぐに現実を思い出す。

 ときどき、魂を奪われたあとも生の証を刻む肉体がある。最初の頃は驚いたその神秘も、いざそれが自分の肉親の身に起こると、奇跡から見放された現実を嘲笑う残酷さに、神や仏を―――自分自身を怨みたくなる。

 目の前で魂がグァルディの宝珠へと吸い込まれていったのに、生命反応だけを遺していった祖父。

 いまだ手に残る大鎌の感触に、いやでも思い知らされる。

 自分は、抵抗できなかったのだ、と。

 命を、守りきることができなかったのだ、と。

 プオルスタヤという立場にいるのに。

「おじいちゃん、しっかり……!」

 涙声の伯母が、英介を励ましていく。

 なにも知らない彼らは望みを繋ぎ、祖父を病院へと運んでいく。

 どれだけ身体が温かくても、脈が残っていたとしても、すべてが手遅れだ。

 奇跡が起こる機会は、もうすべて逸してしまったのだから。

 はるかが、負けてしまったから。

 生きたいという思い。願い。希望のすべてを、この手が潰してしまった。

 自分は、なにを見ていたのか。なにをやっていたのか。

 ヴァルドウに狙われるその意味を、知らないわけでもないのに。

 祖父がグァルディに狙われたと知ったあのとき、ただがむしゃらに立ち向かった。決してその命を取られてはなるものかと、絶対に死なせはしないと、それだけしかなかった。

 祖父に代わって抵抗してやる。死神など、追い返してみせると。

 あの瞬間、確かにはるかと英介は、ひとつになっていた。

 英介として、はるかはグァルディと戦っていた。

 プオルスタヤとは、そういうことなのだ。

 ヴァルドウに狙われた本人となって、戦い抜く。

 生きていたい。死にたくない、その思い。

 それは誰でもないはるか自身、痛感した思いだ。

 死を恐れ、身を引き裂かれそうなほどに恐怖した記憶。

 どうして、その思いを忘れてしまっていたのか。

 あの日、愛するヴェルフェンの大鎌に貫かれるあのときですら、自分は助かるのだと頭のどこかで信じ続けていた。

 もしもあのときプオルスタヤがいたら、こぼれ落ちた時間の流れに身を任せ、きっと人間としてあるべき幸せを手にしていたかもしれない。平凡でも、たとえヴェルフェンと離れることになったとしても、人間として確かな営みをあの瞬間を過ぎても送っていたかもしれない。

 それを自分が受け入れられる、受け入れられないは判らないけれど、人間として失ったはずの時間を、早紀やエリのように受けることができていた。

 あのとき、プオルスタヤがいれば。

 人間は、死に抵抗できない。

 有無を言わさず無に還される恐怖。この世界にしがみつきたいという根源的な願望。

 傲慢なまでに助かりたいと足掻く無様さ。

 その想い。

 生への渇望。

 叶えられない希望。

 自分が、失くしたもの。

 すべてがこの手にかかっていた。

 たったひとつしかない、ひ弱な命が。

 この手に。

 生き抜きたいという願いを叶えられるのは、ヴァルドウに唯一抵抗できるプオルスタヤだけ。最後の砦だ。この存在だけに、すべてがかかっていた。

 死神の宣告に抵抗する手段がないことを歯痒く、恨めしく思っていたのは、かつての自分自身。

 死にたくないと、生を知るはるかだからこそ、彼らの思いを叶えなければならなかった。彼らに代わって、戦わなければならなかったのだ。

 それなのに、ヴェルフェンと一緒になりたい、それしかなかった。あと何人という数字にばかり囚われていた。残された家族が悲しむからという綺麗事しかなかった。

 莫迦だ。

 恥ずかしかった。

 なんにも判っていなかった。

 なんという傲慢。愚かすぎて、情けなくて涙すら出ない。

(罰なんだ)

 祖父を死なせてしまったのは、プオルスタヤの意味に気付けなかった、罰。

 こんなにも重たい役割を、冥界の王に授けられていたというのに。

 人間としての生を知るはるかだからこそ、死の恐怖を知るはるかだからこそ。

 いつだったかの、あの幼児の眼差しが脳裏によみがえる。

 失わなくてもいい命が、たくさん、たくさんあったはず。どれほどの思いを、数字ばかりを追うことで指の間からこぼしてきたのだろう。

 自らの手で、助かる運命の人々を死へと追いやっていただなんて。

 魂を奪われた者が生の名残りを肉体に宿すのは、プオルスタヤへの最期の訴えなのかもしれない。

 どうして生かしてくれなかったのか。どうして負けてしまったのか。

 どうして、死ななければならないのか。

 ―――生きたかった、と。

(この手が―――)

 はるかは自分の両手を見つめた。

 祖父の命と引き換えに、ようやく気付いたプオルスタヤの意味。

 しんと静まりかえった中、ただ消し忘れたテレビの音だけが居間に響き渡っていた。

「あたしは……」

 自分に与えられたプオルスタヤという立場の重さ。

 いまさらになって、はるかはやっと理解できたのだった。



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