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時が涯てても恋してる。  作者: トグサマリ
第二部  時涯てた後
22/41

    プオルスタヤ 一-2



 はるかはひとり、人間界へと還された。

「!」

 一瞬で闇一色の世界は切り開かれて、眩しい光に満たされる。両の目を射るあまりの光の強さに手を翳した、その袖は黒い。

 裾を引きずるドレスでは動きにくかろうと、冥王は神父のような恰好へとそれを変化させていた。

 襟の詰まった上衣は膝丈の長さがあり、両サイドの裾には動きやすいよう深いスリットが入っている。ズボンも漆黒。ヴェルフェンと同じように上からブーツを履いていたが、そのブーツも同じく漆黒。

 神父というよりも、

(悪魔みたい)

 髪も黒いから、余計にそう感じるのかもしれない。死神と言われる存在が白ずくめで、それに抵抗する存在が黒ずくめなんて、皮肉なものだ。

(抵抗する存在、か……)

 ―――プオルスタヤ。

 冥界でのやりとりが脳裏によみがえり、改めて背筋に震えが走った。

 新たに与えられた、自分の進む道。

 プオルスタヤは、ひとの命をヴァルドウから守る存在らしい。人間に向けられたヴァルドウの大鎌を奪い、魂の転生を先に延ばす―――つまるところ死期を延ばすのか。

 人間のすべての死にプオルスタヤが関わっているのなら、はるかが死を迎えたとき、プオルスタヤはヴェルフェンの大鎌を奪えなかったということになる。

 ひとの死の現場には必ずヴァルドウがいるけれど、プオルスタヤはそうでないのかもしれない。もしくは両者は対等ではなく、力の差が歴然とあるのだとしたら。だからこそ、はるかは、宣告されたとおりにひととしての生命を手放すしかなかった―――。

 力の差がヴァルドウとの間にあるのならば、自分のこの先に待ち受けるのは困難に他ならない。

(十年で、三三三回の奇跡、か……)

 できるのだろうか。これまでそんな存在など聞いたことがない。なにをどうすればいいのかも判らない。全くの無知からの出発だ。そんなことで、ちゃんと提示された条件をクリアできるのだろうか。

(それに)

 ヴァサなんとかの所持は認めないと冥王は言っていたが、なんのことだったのだろう。訊くタイミングを逃してしまったのは痛い。

 ものすごく大切なことかもしれないが、所持できないものを知ったところで、どうしようもないのも事実だ。

 冥王に言葉を返したときの、嘲笑を浮かべた眼差しが胸によみがえる。

 大きなことを言ってしまった。

 いまごろになって足が震えてくる。

 冥王の示した数字がプオルスタヤとして多いのか少ないのか判断はつかないものの、三三三回など、途方もない数字だとしか思えない。

 安請け合いできる数字ではなかったのかもしれない。

 沸き起こった不安が、はるかの決意を揺さぶりだす。

 冥界で隣に並んでいたヴェルフェンを想う。

 眉根をきつく寄せ、首を振る。

(―――ううん)

 唇をきりと噛み締める。

 できるできないではない。もう、動きだしているのだ。やらなければならない。

 まずは―――、ヴァルドウに狙われているひとを見つけなければ。

 目が慣れるまで閉じていたまぶたをゆっくりと上げる。

 眩しい光は、町を照りつける陽の光だった。

 一瞬、その強さに眉間が寄るも、目の前の光景をしっかりと捉える。

 飛び込んできた光景に、懐かしさと同時、強い疎外感を覚え、胸を突かれる。

 そこは、例の歩道橋だった。

 太陽は高く、ひと影はない。歩道橋の下を通る車もまばらだ。自分が流した血の跡はどこにもなかったが、踊り場には花が供えられていた。

 ここで、自分は命を落とした。

 雨が降っていた夜の名残りはどこにもなく、日常という名の時間が通り過ぎていく。向こうからやって来る自転車が、はるかに気付くことなくすぐそばをすり抜けた。

「あ……」

 気付かれない、自分。

 隔絶感に胸が締め上げられた。

(あたし、ホントに死んじゃったんだ……)

 はるかを思い、捧げられた献花。ときどき道の端でその光景を見たことはあったけれど、まさか自分のいた場所にもう捧げられているだなんて。

 想われていたのだと心があたたまる―――わけではなかった。

 もうお前はこの世の人間ではないのだと言われている気がした。供えられた花は、優しい花びらの色とは裏腹に、この世とあの世を分ける重たい杭だった。お前はこちらの住人ではない。死んだのだと、突き放される現実。供えられる花がこんなにも残酷なものだとは思ってもみなかった。誰かの優しさによって置かれた花で、自分の死を思い知らされるなんて。

 ここにいるのに、もう帰る場所は、ない。

(あたし、いるのに。ちゃんとここに、生きてるのに。生きてるよ……)

 わめきたい思いがある。

 でもわめいても、それで元に戻れるわけじゃない。

 判っている。

 自分は確かにヴェルフェンの刃を受けた。〝死〟を、通り抜けている。通り抜けて、自分の想いを貫こうとしている。

 動き出しているのだ。すべてが、ヴェルフェンへと向かって。

 はるかは目を閉じ、還りたいと求める気持ちを、頭を振って振り飛ばす。

 いまは、落ち込んでいる場合じゃない。

(やらなくちゃ……!)

 再びまぶたを開けたはるかの眼には、強い決意が浮かんでいた。



 ―――そう決意したのは、気がつけばもう二ヵ月も前のこと。この二ヵ月で、さまざまなことを学んだ。

 冥界から戻ってきたときには自分の死から三年以上が経っていたこと、自分が人間には見えない存在であること、壁や天井、車や人間ですら通り抜けてしまう身体であること、宙に浮かび、空を移動できることなどだ。

 けれど、それだけだった。

 ただのひとりも、ひとを助けていなかった。

 十年で三三三人の命を助けるということは、十日にひとりのペースでヴァルドウから大鎌を奪い、絆―――おそらくはあの(つる)を断ち切ればいいということ。

 頭では判ってはいたが、現実は、そう簡単にはいかない。

 想像以上に、壁は高く立ちふさがっていた。

 ヴァルドウを見かけても追いかけることは禁じられていたし、病院ならば、老人介護施設ならばと足を向けても、どの施設にも既に紺色の上衣に身を包んだプオルスタヤらしき姿があった。彼らとの接触が禁じられている以上、近付くことができない。そういった施設に行けばなんとかなると思っていたが、甘かったようだ。

 近くにヴァルドウがいるというのに、手出しのできない自分。歯痒かった。チャンスを見つけることすらできず、摑めたと思っても、手放さなくてはならない。こんな状態では、さすがに楽観できなくなる。

 募る焦りに、はるかは救いを請うように自宅に足を向ける。打ちのめされるだけだと判ってはいても、せずにはいられなかった。

 はるかの死から、既に三年以上が経っている。それでも母は、毎日娘の部屋を訪れては机に触れ、ベッドに腰をかけ、枕をそっと撫でていく。眼差しはもう帰らない娘を探し、恋うようにほろほろと涙を流す母の姿。

 父も兄も、ひとりの時間を見つけては、こっそりはるかの部屋を訪れていた。そうして、切なく溜息をつく。

 初めてその姿を目にしたとき、愕然とした。

 悲しんでくれるだろうとは思っていた。泣いてくれるのだろうとも。けれど静かに悲嘆に暮れる現実を目の当たりにすると、言葉はかき消えたかのように喉の先へと出ない。家族のうちひしがれる姿は、胸の内をずたずたに引き裂いた。怒られることはあったけれど、父も母も、いつも笑顔でどっしり構えていて。あんなふうに消えそうな姿は、見たことなんかない。

 見たくなかった。

 あたしはここにいる。ここにいるよ、目の前に!

 どれだけ叫んだだろう。どれだけ強くその腕を摑んだだろう。

 けれど、伸ばした指先は腕をすり抜け、触れることができない。声を届けることすら叶わない。なにかの映画のワンシーンのように、強く念を込めれば触れられるかもと頑張ってはみたが、どれだけ強い念を込めても、気配を感じてもらうことすらできなかった。

 ヴェルフェンがしてくれたように、触れられなくともそっと抱き寄せることが精いっぱいだった。

 自分の中ではある程度納得のできた死、踏ん切りのついた生だった。

 けれどなにも知らずに残された者たちは、唐突に消えてしまった彼女に戸惑い、抑えきれない悲しみに身を委ねていくしかなかったのだ。

 喪失に沈む家族の姿はあまりにも酷だった。身勝手だった自分に、罪悪感に駆られ―――なにもできない自分の無力さを嘆くことしかできない。ごめんなさいとどれだけ謝っても、自分は幸福だったと懸命に訴えても、時間を取り戻すことは叶わず、彼らの悲しみを癒すことはできるはずもない。

 気持ちを、思いを伝える手段は、なにひとつなかった。

 家中が、悲しみに沈んでいた。

 突然の喪失から抜け出せずにいる。

 もう三年。まだ、三年。

 重苦しい澱が溜まっていく。

 家族のそんな姿を見るたび苦しくなるのに、それでも帰らずにはいられない。そうして辛い思いはどんどん重なり合い、更に身を苛んでいく。

 ―――逢いたかった。

 ヴェルフェンに逢いたくてならなかった。

 人間界に戻ってから、一度もヴェルフェンに逢っていない。

 壊れそうなほど、彼に逢いたくてたまらなかった。


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