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時が涯てても恋してる。  作者: トグサマリ
第一部  時の涯てる前
13/41

    死の足音 三



 なにかをしなければ。

 そうは思うものの、すべきことが見つからない。無為に時間ばかりが過ぎていく。追いかけても腕を伸ばしても、時間は指の間からすり抜ける。


 ヴェルフェンにキスをされてから、数日。

 あれ以来、彼は姿を見せない。

 遠くから見ているのかもしれなかったが、少なくとも、はるかの前に現れることはなかった。

 彼に言われたこともあのキスも、すべてなにかの間違いではないのか。長い夢を見ているだけで、死など訪れないのでは―――。

 だが目をそらそうとするたび、あの仔猫の(むご)たらしい最期が脳裏によみがえり、身体の芯まで凍った恐怖に苦しめられる。

 死神との遭遇は現実のことで、一年で命を奪うと宣言されたのもまた、現実だ。死期を死神に告げられたのは変えようもない事実。

 夢でも幻でもない。

 一年後、死は確実にやって来る。それまでに、後悔のない人生を送らなければならない。

 なのに。

 見つからない。

 ヴェルフェンだって、それを望んでいる。少しでも後悔をして欲しくないと。だからこそ死期を教えてくれたのだ。

 全部、なにもかもすべてが夢だったらいいのに。

 そうすれば、こんな悩みに苦しめられなくても済むのに。

 けれど、すべてを夢だと逃げるには、はるかにとって死は身近になりすぎていた。

 直面する現実と逃避したい感情に、一瞬ごと右に左にと振りまわされる。

 なにをすればいいのかいまだに判らなくて、なのに嘲笑うかのように時間は無情に過ぎていく。もがいてももがいても止められない。

 すべてが、世界のすべてが無駄に思えてしまう。意味などないのだと。だから時間は無為に流れていくのだと。

「ヴェルフェン……」

 砂を噛むような無意味な授業後の補習も終わり、帰宅途中、はるかはひとり死神の名を口にする。

 こんなことでいいのだろうか―――いいわけがない。こんな状態で、人生を満たす選択なんてありえない。

 振り返ったすぐ後ろに、道の向こうに、夕暮れる前の青い空に、ヴェルフェンの白い色を探す。

 なにか、ヒントになる言葉が欲しかった。死神の彼なら、なにか知っているかもしれないから。

 どうすべきか、どの道を選んでいけばいいのか。

 これでいいのか。このままで大丈夫なのか。

 こんなこと、誰にも相談できない。かといって独りで恐ろしさに堪えるのは、あまりにも辛い。

 なにが正解か。せめてその方向だけでも教えて欲しかった。

「ヴェルフェン」

 けれど、どこを探しても、名を呼んでも、彼が現れることはなかった。



 そうこうしているうちに期末試験が終わり、保護者と教師、本人による三者面談も終わった。

 勉強が手につかない状態のはるか。当然、今回の試験結果は思わしくなく、教師や母親から「なにかあったの?」と柔らかに問い詰められた。

 来年の春に死んでしまうからなどと言えるはずもなく、ただ黙って唇を引き結ぶことしかできない。


 三者面談から更に数日が経ったこの日も、母親のもの言いたげな態度を避けるように、夕食後、はるかは自室に戻っていく。

 勉強する気になどなれなかった。早紀から借りたコミックをベッドに寝転がりながら手にするものの、集中できない。

 なにかが、なにかが違う。

 本当にしたいのは、コミックを読むことではなく―――そうではなく、もっとなにかが、なにかもっとたくさんの重要なことをすべきなのに。

 重要なことを。

 大切なことを!

 コミックを読みたいわけじゃない。

 なにかをしなければ。

 なにかをしたい。

 でも。

 それは、なに? 自分は、いったいなにがしたいのか。

 何日経っても、どれだけ時間が過ぎてもまったく判らない。

(こんなの、こんなのやだよ! あたし全然)

「全然なんにもできてないじゃない……」

 呟いたとき、気配を感じた。すぐに死神だと判るが、振り返る気は起らなかった。

 はるかの波立った思いが伝わったのか、ヴェルフェンは声をかけるでもなく、ただ彼女に視線をとめている。

 そんなヴェルフェンが、恨めしく思えた。

 あのとき、あのときヴェルフェンがあんなことを言わなければ。

「―――勝手にそうして来るくせに、こっちが呼んでも来てくれないのね」

 声に険が混じるのを止めることはできなかった。

「呼んだ……? おれを?」

「そうよ」

「仕事で、ここにはいなかった」

「その大鎌で人間を斬るわけ? ひとを狩るって、どんな気持ち?」

 ひと斬りにとり憑かれたサムライのように、我を忘れ、血に酔い気持ちは昂ぶるのか。大鎌でひとの命を奪うごと、恍惚となって虚ろにすべてを忘れられるのか。

 背に担ぐ大鎌を顎で指すはるかに、ヴェルフェンも視線をちらりと背中へ流す。言葉はなにも、返ってこなかった。

「楽しいの? ストレス解消になるわけ? ひと殺しがそんなにも!」

「―――はるか」

 言い聞かすようなその柔らかな声音に、はるかの目に、涙が一気に溢れてきた。

「成績が下がったわ。先生やお母さんに怒られた。どうして成績下がったのって。なんにも言えないじゃない。誰が信じるっていうのよ、来年には死んじゃって、だから勉強なんて手につかないんだって!」

「そうだな」

「なんのために勉強するの。第一志望に合格したって死んじゃうのよ、意味ないじゃない。そのぶん時間をなにかに使ったほうが有意義でしょ? そうでしょう? そうなんでしょう?」

 問い詰めるはるかに、ヴェルフェンはただ、唇を閉ざす。

「教えてよ。どうすればいいの、なにすればいいの。全然判んない。ヤだよ、こんなの。このまま、結局はなにもできないまま死んじゃうんでしょう? 答えなんて……なにしたって、意味ないんでしょう」

「おれは、なにも言えない。決めるのは、おれじゃない、はるかだ」

「簡単に言うけど!」

「大丈夫だ。はるかなら、答えを見つけられる」

「見つけられても、その日に死んじゃったら意味ないのよ!」

「そうとも限らない」

「楽観的すぎるよ! ―――そうよね、死ぬのはあたしでヴェルフェンじゃないもの! 結局他人事だわ、綺麗事言わないで! もうイヤ、ヴェルフェンのせいで、全部、全部人生めちゃくちゃ! 責任とってよ。あたしの人生、返してよ!」

 ヴェルフェンの言うことは抽象的で理想論だ。欲しい言葉はたったひとつなのに、どうして言ってくれないのか。

 お前は死なないんだと。

 たったひとこと、それだけでいいのに。

 それだけで。

 自分の勝手な都合で、死期を告げたヴェルフェン。そして振りまわされてばかりの自分。

 怒りは渦巻き、(ほむら)のように湧き起こるばかりの苛立ち。

 止められない。

「あんたになんか会わなきゃよかった。振りまわされるのはもう嫌。疲れた。もうやだ。名前呼ばれても、振り返るんじゃなかった」

 ヴェルフェンの表情がさっと曇った。

「出てって」

 きつい言い方だったかもしれない。それでも、撤回する気にはなれなかった。これ以上口を開けば、もっともっと汚い言葉でヴェルフェンを罵ってしまいそうだった。

 はらりと、まぶたの縁にとどまっていた涙の粒が頬に落ちる。

 頬の涙をすくおうとヴェルフェンの指が伸びるが、はるかは顔をそらした。

 はるかの腕に、こぼれた涙が落ちる。

「―――ごめん。悪かった……」

 苦いものを(こら)えるような声。

 言い訳でも場を誤魔化すためでもない純粋な謝罪の声が、胸に突き刺さる。

 思い詰めたその声音にやばいと思ったときには、もう既に彼の姿はかき消えていた。



 そうしてそれきり、ヴェルフェンははるかの前に現れなくなった。



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