『 Same 』part.2
――――この音楽はなんだろう。
静かなこの時間の中に、静かに流れてくる旋律。
よく分らないけれど....どこか心地良い。
その音色と共に微かな冷風が肌を撫でる。
....窓際からは外の景色が見える。
目線より少し下にある道路には通り過ぎる車のヘッドライトが行き来する。
それを目で追いながら、そのまま空を見上げた。
暗い夜空からは、相変わらず雨が降っている。
強く響いているであろう雨音は、ここには聞こえてこない。
勢いは緩まることなく降り注いでいる。
―――流れていた音楽が鳴り止み違う曲調のものが流れ出した。
それと同じくらいのタイミングで聞こえてきた足音。
静かなこの店内に、その声が響いた。
「ブラックでよかったよねー?」
両手にカップを持って歩いてきた彼は言った。
...まだ....出会ってから一時間ほどしか経っていない...
「あ...ああ...」
「いやー雨、止まないね。この調子だと夜通し降るかな~」
...一体何者なんだ.....?
「はいどうぞ、よくブラックなんか飲めるね~、うわー苦そ...!」
「あ....ありがとう...」
近付いて...改めてその顔を見ると...
.....やはりまだ俺は生きた心地がしない...。
「ん?僕の顔になんか付いてる?」
「い...!いや、何も....」
透き通るような白い肌は、まるで生気を感じない。
人の肌でここまで白いのは見たことが無いかもしれない。
そしてなにより、その髪色なのだけれど...
「.....な...なぁ....周りの人が...」
「んー?どしたの?...てかコーヒーあっつ!」
周囲を歩く客や、座っている近くの人の視線が、窓際のカウンターにいる俺たちの所へピンポイントに集中している気がする...。
「....みんな...見てるんだが....」
「え、そう?...あ、本当だ」
俺たち二人が振り返ると視線を向けていた人たちは途端にその視線を逸らし始める。
やはり....珍しいのだろう...。その気持ちはすごく分かる....。
「.....ほんとに...」
「白いからね~!」
そう言って彼は自分の髪を払う。
肩辺りまで長く伸ばされたその髪は、驚くほど白い。
白さを帯びた金でもなく、ただただ白い。
その白さは彼のその肌にも劣らないほど。
まさに雪のように白い。
「....地毛...なのか....?」
「そりゃそうだよ~!夏で暑いのにカツラなんて被っていられないでしょ~?」
それもそうだと、妙に納得した気になりながら、見事なまでの白いその髪を眺めた。
「....染めたってわけでも...?」
「...それはどうだろうね?その辺はまぁ今のところは企業秘密ってことで」
彼はそう言ってコーヒーを啜ると、静かにカップを置いてこちらを見る。
...その目は嫌に澄んでいる。
「そう言う黒乃君こそ、ほんと綺麗な黒髪をしてるよね。つやつやしててさ...なでなでしたくなっちゃうよ」
おどけた様にそう言って笑う彼の目は、ずっと形を変えずに、どこか無機質に感じる。
「....そ..そうか...」
「...でも....少し拭いたほうが良さそうだよ」
彼は突然、鞄の様なものからタオルを取り出し、俺の頭の上に置いた。
タオルを手にとって自分の髪に触れると、予想以上に濡れていたことに気付く。
まだ...全然乾いてはいなかった。
「あ....ありがとう」
彼は足元に鞄のようなものを置きながら、小さく微笑んだ。
その表情が、それまでの表情には無かった雰囲気を帯びていて、何故かどこか懐かしい気持ちになった。
渡されたタオルで濡れた髪を拭く。
今になって、やっと少し落ち着いてきたように感じる。
手に取った柔らかな感触から、まるで馴染みのあるような香りがするように感じた。
「....落ち着いた?」
俺の心を見透かしたように彼は言った。
礼を言ってタオルを返し、未だ理解できない疑問に触れる。
「....さっきも聞いたことだが」
隣にいる、その浮世離れした姿を見つめる。
まだ自分の中でそれは幻にも等しい存在だった。
「どうして俺を...?」
その言葉さえも予想していたような表情で彼は口を開く。
「偶然そこを通りがかった、からさ」
そう言って、先程から手に持っていた小さい手帳のようなものを静かに広げ、話を続ける。
「.....というのは冗談だと言うことくらい...君は分かってるだろうけど」
俺は静かに頷く。
今からほんの一時間ほど前、忘れるはずもない。
彼は橋から飛び降りようとした俺の手を掴み、今に至らしめている。
本当に今でも信じられないが...
左腕にはまだ微かに残る痛み。
信じられないけれど、俺は命を救われた。
投げ捨てようとした命を。
「.....」
「もし本当に通りがかっていただけなら、君の手を掴んではいなかった。気付かないフリをしてそのまま去っていたと思うよ」
何かを探すようにページをめくり続ける。
と同時に、冷静な声は続ける。
「あの姿を見て、止めるほうが悪いように思うし」
「......」
雨が打ちつけるあの時を思い返す。
...俺は本当にあそこから.....
「だから君には悪いことをしたよね...謝るよ。ごめん...」
「...いや、いいんだ。別にそれは....」
...本当にあそこから...飛ぼうとしたのか。飛んでしまったのか。
掴まれた手、繋ぎとめられたこの体。
ゆっくりと両手を見つめ、それを実感する。
...何故。
何故あの場所から飛び降りようとしたのか。
その行為が未遂に終わった今の自分に降りかかるであろう、その疑問。
しかしその言葉は、彼の口からは出なかった。
「それでも...」
めくり続けるページを止め、探していた何かを読み上げるようにして告げる。
「...君に大事な用があってね.....」
――――大事な用。
この店...初めて訪れたこの喫茶店に来るまでの間にも、彼から言われていた。
その大事な用とは、何なのか。
それが今から明かされるのだろうか。
「...よく分からないけど....俺じゃなきゃ駄目なこと...なのか.....?」
「.....そうだね」
ページを開いたまま、ゆっくりと視線をこちらに向ける。
その視線を向けたまま....彼は開いていたページをゆっくりと閉じた。
「紹介が遅れたね。僕の名は桜華。今の君についてはよく知っているよ....と言うか、粗方調べさせてもらった」
「そ...それはどういう」
「そうだよね....こんなことを急に言われたら誰だって戸惑うに決まってる」
小さく笑いながら告げる彼の言葉通り、戸惑いを隠せない。
何故...そんなことになっているんだ....?
「そこで黒乃君に聞きたいことがあるんだ。別に尋問でもなんでもないから、もっと落ち着いてくれていいよ。何せ僕は警察じゃないしさ」
今彼が言ったその言葉に、嫌に鼓動が高鳴る。
警察....?
ちょっと待て...
俺は...まさか忘れたつもりでいたんじゃないのか。
――――忘れてなんかいない....
思い出してしまう光景。
忘れられるはずが.....
「今日君と初めて逢ったあの橋...あそこは涼香川だよね。君の住んでる所のすぐ近所だろ?」
俺はただ静かに頷く。
「だから君もよくあそこを通ると思うんだ。どこかに行く時、例えば通学する時にさ」
「.....そう..だな。確かに...通っていた...」
「あ、別に橋を渡って行くだけじゃなくても、あの辺は結構綺麗にされてるから川沿いに下りたりとかしてる人もいるよね」
俺はまたも無言で頷く。
「今はすっかり夏になったし、夜なんかに辺りを散歩するのも気持ちいいよね~。ま、最近は雨降ってて残念だけど」
「...確かに....あの川はすごく....居心地が良いな...」
「そうだよね~。で、つい先日の夜中に僕も行ったんだよね。あの川に...」
......!!
「そ....そうか.....」
嫌な鼓動の高鳴りは勢いを増す。
張り裂けてしまいそうなほどに...
「...ほんと真っ暗だったなぁ」
「.....」
「そうだよね...?黒乃君...」
「ッ!!」
心臓が跳ね上がる。
頭の中が真っ白になった。
「....な.....」
「...率直に言うとね、黒乃君。君の姿を見ているんだ...。あの日...にね」
「.....!」
紡ぎ出される言葉の連続に、何も考えられなくなる。
「つい先日...6月の始まり。あの場所で、君と...そしてもう一人を。...君とその友人が、一緒にいるところを僕は見てる」
.....どうして...
「君にとっては驚きと疑問でいっぱいだろうけど、そのことについては後にちゃんと話すとしよう」
「.....」
彼と目を合わせることができないまま、俯き続けることしかできない。
...あの時....あの場所に....居た。
そして見ていた...
「....嘘...だろ.....」
彼は小さく首を振り、カウンターテーブル上に置かれてあるガムシロップを一つ取る。
ビニールの蓋を剥がし、手元のコーヒーにそれを注ぎながら言う。
「...君は一度、その命を捨てようとした...」
注がれるガムシロップの最後の一滴が、小さくカップの中のコーヒーに落ちた。
透明なそれは跡形も無くそこに薄まってゆく。
「そのことに、間違いはない...よね....?」
静かに、けれどはっきりとした声で。
その問い掛けは響く。
「.....」
「...あれは君自身の本当の意思だったのかい。本当に終わらせてしまってたら....それで良かったの?」
「....ああ...少なくとも、あの瞬間は....」
「....そうかい」
突然、彼は静かに立ち上がった。
先程までより、何故か少し穏やかな表情をしていた。
「コーヒーのおかわりをしてくるよ。....ほら...黒乃君も飲まないと冷めちゃうよ?」
「あ....ああ」
そう言うと入り口近くのカウンターの方へ歩いて行った。
何も考えの纏まらない思考を抱えたまま、俺は手元のコーヒーを飲んだ。
(.....苦い)
―――――――
「.....で、これが僕の番号ね。これで連絡先の交換は完了っ!」
開いた携帯電話。その画面には登録されたばかりの彼の....桜華の電話番号が表示されている。
見慣れないその番号を、彼の名前で上書きする。
けして多くはない連絡先の中に新しく...その名前が増える。
登録したことを確認し画面を閉じようとする時、いくつもの通知が来ていたことに気付いた。
不在着信やメール。
今は...そのどれもに目を通すことが出来ない....
「....でも...どうして連絡先を?」
同じように携帯を見ている桜華に問い掛ける。
「ん?君に協力してもらうためだよ」
....協力...?
「.....何の...協力?」
「....探し物をしていてね」
桜華は携帯を閉じ、改まってこちらに向き直った。
その表情は真剣そのもの、に見えたのだが。
「...現金数千万円の入った....アタッシュケースをね.....」
「.....。」
いかにもな様子で口角を上げる彼の、見え透いた冗談への対応が出来ないまま...
その口から出る次なる言葉に真意を求めるしかできない。
「華麗にスルーしてくれたね~。待っていても、答えというものは見つからないよ?」
そう言うと細いズボンの右のポケットから何かを取り出し、指に引っ掛けてそれを見せつけた。
「.....鍵?」
「そう...鍵だよ。僕が探しているのは」
「.....?」
その意味深な言い方にどこか違和感を覚えながらも、その手元にある鍵であろう物を、ただ眺めた。
「あ、これは僕の家の鍵だよ。探しているのはこんな鍵らしい鍵じゃないしさ」
広げていた手を勢い良く閉じて、その鍵を再びポケットへしまった。
そしてまた、こちらへ向き直る。
「今は詳しいことは言えない。それでも君には協力してもらう」
「.....」
「こう言っちゃあれだけど、君に選択の余地は無いよ」
「.....?」
「...君は今や籠の鳥さ。僕はその全てを握っている」
その目を鋭くして俺を見据える。
冷たく鋭い視線に、何も言えないまま。
「.......」
「......」
「....俺じゃなければ...駄目なのか?」
「君じゃなければいけない」
「.....出来ない...と言ったら」
「君の全てを知っていると言ったでしょ。その身を脅かすことになるよ黒乃君」
「.....俺は...これからどうなるんだ?」
「だから、君を悪いようにはしないって。別に人質に取るわけでもない」
「......」
「それに...そう酷使はしないさ....安心して」
最後に小さくそう言うと、桜華は窓の外を眺めた。
「あ、意外ともう雨が上がったようだね」
見ると、あんなに強く降っていた雨もすっかり上がっていた。
「そろそろこの店も閉まるし、一先ず出ようか」
「....ああ...」
その言葉に導かれるように立ち上がる。
未だ謎めいたその存在...彼の背を、膨らむ疑惑を抱えながら見つめた。
人の疎らな店の中は、時間の経過を静かに物語っていた。
――――強く降り続いていた雨も上がり、生温い風が吹いていた。
外套が照るだけの暗い深夜。
訪れたこの場所はよく通りがかったことのある所ではあるものの....
この暗い景色に染められ現実味を帯びていない。
幻でも見ているような気がする。
俺は今、本当に現実に居るのだろうか...
「早速、来週ある人に会いに行くんだけど、君に同行願いたい」
「.....来週」
店を出て突然そう言われ少し戸惑いかけたが、恐らく何も予定は無いだろう。
それに...今の俺に否定の余地は無いに等しい。
「ああ、分かった」
「土曜なら君も学校は休みだろうからね」
どうなってしまうのか、分からないけれど。
この命は、投げ捨ててしまったのも同然だ。
「さて、帰るとしようか。家は確かここから近かったよね...?」
「そうだな....さっきの橋のすぐ向こうだから」
「僕は街の方に住んでて真逆だけど、あの橋までは見送るとしよう。...少し心配だしね」
「.....ああ...」
――――――
しばらく歩いているとすぐに橋までたどり着いた。
見えてきた景色は....慣れ親しんだ景色ではあるものの、そこに理解できない恐れを感じてしまう。
そこはかとなく感じるこの思いは、この先の....
橋の向こう側....その場所に感じているのだろうか。
「それじゃまた今度ね、黒乃君」
「もう...行くのか?」
「そうだよ?まぁ今日はこの辺でタクシーでも拾うだろうけど」
この先は一人...
自宅までの道を行くことになる。
...その当たり前のことが....恐ろしくて仕方が無かった。
「...もう日を跨いで日曜だ。今日はゆっくり休みなよ」
「待ってくれ!....桜華」
「ん?なーに?」
「....まだ何も...分からない.....」
不意に零れ出てしまった言葉。
いくつも入り混じった感情が静かに吐き出される。
「...君はこの世界に生まれた時、多くを知っていたかい?」
「...?...いや.....」
彼は橋の遠く下に流れる川辺を指差して言った。
「...君はここで命を落とし、そしてまた再び生まれた.....」
「.....」
「今の君が何も分からないのは、当然のこと」
そう言うと彼は、会った時と同じフードのようなものを頭に被り、静かに口元だけで笑って見せた。
「もう飛んだりしたら駄目だよ....」
あの時のような謎めいた様子でそう言った。
...to be continued




