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DARK SCENE  作者: 鵫弥
Secret
11/19

『 Secret 』part.4

幻視(visual hallucination)

・視覚性の幻覚。実在しないものがみえるものである。単純な要素的なものから複雑で具体的なものまで程度は様々である。




―――もうどれくらい走っているだろう。



息が切れてきた。




今...何処へ向かっているのか。



...自分でも分からない。




このまま俺は何処へ向かうのか。



何から逃げているのか。



今はそれを知ってしまうのが怖い。




何もかもを忘れ去るように走っても...



この鼓動が脈打つ度に、その恐れを確かなものにさせてしまう。



必死に走れば走るほど追い詰められていく。



それでも今は.....落ち着いて立ち止まってはいられなかった。















―――










「夏樹~、この後用事ある?」



放課後のチャイムが鳴り響く教室。



鞄に教科書を入れ下校の準備をしていると、友達からそう聞かれた。



特に何の予定も無いと思い、答える。



「何も無いけど...どうして?」



「ちょっとテニス部、見に行かない?」



そう聞かれ、少しの戸惑いを生みながらも頷く。



「...ちょっとだけなら...」



クラスメイトのその背中を追いながら、私は校庭へと向かう。



...今日も。




「あ、翼君いた!もうみんな集まってるー」



晴れている、とは言い難い曇りがちな空の下、校庭のテニスコートで部活動の準備をしているテニス部と...



その傍らで楽しげに談笑している女子生徒が数人。



もう見慣れた光景だ。



「翼くーん!準備終わったらこっち来て話そー!」



女子の一人がそう呼びかける。



翼はただ笑顔で手を上げていた。



「翼君ホント格好良いよねぇ~、笑った顔可愛いし!」



そんな事を言って話している。



他の部員もいるのに。



「あ、夏樹たちも来た!準備終わったら翼君、来てくれるって~!」



...翼の所属している、テニス部の準備中の光景。



翼のことを目当てに数人の女子生徒が集まる。



その理由はそれぞれなのかもしれないが、殆どが彼の家柄に珍しさを感じているからだろう。



世間一般から見れば裕福な彼と親しくなりたいとか、恐らくそんな理由で。



そのことを彼本人はどう思っているか分からない。



どう感じているのか...



「今日は打ってる所見たいな~、このまま顧問の先生来なきゃいいのに!」



...ついこの前まで好ましくなかったこんな光景も、もう慣れてしまった。



友達に誘われる度に、こうやって放課後のテニスコートの入り口近くで集まる。



何故一緒にこんな事をしているのか...



そう疑問に思いながらもこの女子たちと一緒になってここへ来ている私も、きっと同じ目で見られているだろう。



準備をしている翼は気にもかけていない様子で他の部員と話しているが、内心どう思っているのか心配だ。



もし嫌ならそう言えばいいのにと、いつもただただ笑顔でいる彼に思う。



少なくとも、私は翼に会いたいからこうやって来ているわけでもない...。



...私は友達に連れられて来ているだけだし...それに...



昨日の事を思うと、なぜか余計に翼には話しかけ辛い。



真っ直ぐ顔を見れないというか...



だから今日は余計に落ち着かない。




「翼君準備終わったのー?こっち来て話そー!」



コートのネットを張り終えてボールの入ったカゴを持った翼が戻って来ていた。



彼は迷惑そうな表情をすることもなくこっちを向いて笑いかけている。



今から練習だというのに....気の毒だ。



「はーい、今から練習始めるからなー、ほらお前たちは邪魔するなよ!」



すると何処からともなく現れた顧問の先生に私たちは一蹴される。



翼を待ちわびていた女子数人はふてくされたように渋々その場を後にした。



不意の助け舟に私はほっと胸を撫で下ろしながら、去り際に練習を始めようとする翼の方を見た。



...いつもと何も変わらない健やかなその姿が翼らしかった。














―――




「雨.....?」




グランドに滲み始めた小さな雫。



曇って澱んでいた空は静かに雨を降らし始めた。



...午後からの雨天。



朝の天気予報通りだ。



用意して持ってきていたシンプルなビニール傘をさし、私は足早にグランドを歩く。



本格的に降って来る前に早く帰ったほうがいいだろう。



まだ緩やかにぽつぽつと傘を叩く小粒の雨を眺めながらそう思っていると、ふと翼の事が気にかかった。



「....翼、傘持ってきてるのかな....?」



この天候だと、もう練習も中断しているだろうし、翼が傘をちゃんと持ってきているか心配になった。



下駄箱の傘立てにある傘の数の少なさを思うと、彼も恐らく持ってきていない。



「....まだコートにいるかな.....」



私は足早に帰ろうとしていた道を引き返し、翼がいたテニスコートへと向かった。






「.....あ...あれ?」



一人テニスコートへ来たものの、もう練習は終わっていたのか誰の姿もなかった。



けれど入り口の門は開いたままだった。



「もうみんな帰ったのかな...?」



空は薄暗さを増し始め、次第に雨も降り始めてきた。



一通りコート内を見渡しても、誰も居ない。



もちろん翼も。



「...開けっ放し...にはしないはずだけど.....」



開け放たれたままのコートの大きい網目の門を見ていると、視界の隅で何かが動いたのが見えた。




―――?




「...翼?」




コート内の奥にある小さい部室の扉を開けて誰かが出てきた。



そのままこちらを見ることもなく部室から出て歩き始めた。



その姿ははっきりは見えないものの、翼だと分かった。



もしかしたら最後の戸締りを任されていたのかもしれない。




...まだ帰ってなくてよかった。



そう思って私は空いたままのテニスコートの中へ入ろうとした時、すぐ後ろから聞き慣れた声が聞こえた。



「あれ?夏樹さん、どうしたの?」



「え?」




振り向くと、そこには翼がいた。



少し驚いている様な表情で立ち尽くしている。




けれど、彼よりも驚いているのは私だった。



「え?....つ...翼?......翼、だよね...?」



間違いなどないはずなのに、私はそんなことを聞いた。



彼はきょとんとした顔で私を眺めている。



間違いない、翼だ。



.....じゃあさっきのは...!?




私は咄嗟に振り返ってコートの方を見た。



...誰もいない。



間違いない。



この目でちゃんと.....




「夏樹さん?もしかして僕を探しに来てたの?」



すぐ後ろで彼はそう聞いてきた。



その声に何の違和感もなく、翼のものであることは確かだ。



「そ...そう....!探してたっ!雨降ってきたから...!」



私は焦りながらも、彼の目を真っ直ぐ見ながらそう告げた。



私もおかしくないし、翼だって、いつもと何も変わらない...。



.....さっき見えたのは...なんだったのか....分からないけど。



「え....あはは、やだなぁ夏樹さん、雨が降ることくらい僕も分かってたよー?」



笑いながら言った翼の手には、恐らく部室の鍵とコートの鍵、そして自転車の鍵がぶら下がっている。



彼は自転車の鍵を小刻みにチラつかせながら微笑んだ。



「雨合羽もって来ててよかったー!」



「え...?.....あ」



その瞬間、早とちりが過ぎる自分が嫌になった...。



...自転車で帰るんだから、傘じゃなくて雨合羽を着るのは普通の事。



余計な心配が行き過ぎていた。




「でも驚いたなぁ、夏樹さんが心配して探してくれてたなんて」



部室の扉を施錠しながら翼は言う。



慣れた様子で鍵を回して抜いた。



鍵がかかったことを確認して私たちはその場を離れた。



「...昨日はご馳走してもらったし、プレゼントも貰ったし....なんか悪いなって思って...」



「あれは僕が勝手にしたことだからさ。全然いいよ」



翼の笑う横顔を見ると、それは紛れもなく彼の表情で、今までも見てきたものと何ら変わらない。



いつもの彼のものだった。




....それじゃあ、あの姿はなんだったんだろう。



私の勘違いかもしれないし気のせいかもしれない。



門の所で声をかけられた時、見失った人影はなんだったのだろう。



私はてっきり翼だと思っていたけれど違った。



声をかけてきた翼は紛れもなく本人だと確信できる。



翼でしかないはず。



じゃあ...あれは私の幻覚.....?



翼を探し焦る中で見えた幻覚だったのだろうか。



幻覚なんて見るほど、心身共に疲れきっているわけじゃない。



でも私が見たものは今姿を消して、何処にもいない。



部室の中も翼が施錠する前に見て、誰もいないことは確かだったし。



...部室から出てきて...何処へ消えた......?






「もう梅雨入りかな~?案外早いね」



自転車を押しながらゆっくり帰路をたどる私と翼は薄暗い空を見た。



昨日とは真逆の空の色に寂しげな違和感を感じる。



降り注ぐ雨を見上げながら話し続ける翼の様子はいつも通り。




何も変わらない。



「僕、雨は好きなんだけど、今日みたいに練習出来なくなるとショックなんだよね~...」



「....今日もコートに集まってたけど....その...ごめんね」



「あははは、いや、夏樹さんが謝ることじゃないよ!みんなに無理矢理連れてこられてることは知ってるし、まだみんなも僕みたいな人が珍しいんじゃない?」



「うん....そうだと思う...。なるべくやめておくように言ってるんだけど...」



雨は勢いを増すことも失くすこともないまま、静かに降り続いている。



二人の足音と自転車から鳴る細かな音が雨音と絡まり合う。



「何も気にしてないよ、それにみんな優しいしね。部活のみんなもクラスのみんなも」



彼は変わらず穏やかな口調で答える。



それと同時に平等な感覚で鳴っていたその足音が微かにずれ始める。



私は変な違和感にふと隣を見ても、いつもの翼が歩いているだけだった。




冷たく響く雨音が耳を支配した午後の世界は、まるで私と翼しかそこに生きていないと感じさせるような気持ちにさせた。



日常の中に居るのに、その日常からどこか遠く離れた場所に居るような感覚。



この感覚を、翼は感じているかな。



この胸にそっと灯された感覚。



なんだかよく分からないけど....




「...さっき雨が好きって言ってたけど.....私も雨は嫌いじゃないかな...」



気付けばそんなことを言っていた。



雨音が包む世界の中、二人しか居ない帰路の道中で。



心地良い感覚に包まれる。



「雨は...心を洗ってくれるんじゃないかな.....」



そして、そんなことを呟いてしまう。



隣を歩く翼はどんな表情でそれを聞いたか分からないけど...



きっとその微笑みが優しく受け止めてくれていた。



僕もそう思う、と優しい口調で答えた翼の足音が再び調和に添う。



零れ落ちた言葉をそんな風に拾ってくれた暖かい温度に、私は心を委ねたくなる。



...雨の降る午後。



私はほんの少し翼との距離を縮めた。



持っている傘の位置を上げて彼の背丈に合わせる。



「...夏樹さん?」



「フードしてると暑いでしょ。外したら...」



近付けた傘を見つめた後、被っていた雨合羽のフードを脱いで傘の中に入った。



お互い自転車を押しながらの、相合傘。



当然ながら先程よりも二人の距離は縮まる。



「...ありがと....夏樹さん。...なんだかちょっと照れるなぁ.....」



...この姿をクラスメイトにでも見られたら思うと恐ろしいけれど....今は翼との暖かい温度に寄り添っていたい。



冷えがちな私の身体に静かに灯された熱。



きっと二人だけのこの時間だから許された感覚。



普段の学校生活の中では感じられない。



だから私は、この瞬間を刻み込むようにこの熱を感じ続ける。



消えないように。消されないように。



もう、どこにも消えてしまわないように...




「....あ.....夏樹さんっ」




鳴り響いていた雨の音を瞬時に止めたその声は、咄嗟に私を突き動かした。



「危ないっ!」



「えっ」




ほんの僅かな瞬間の無音。




全ての音が止まったかのようなその間を、一つの声が切り裂いた。




「うわっ...!」



声と共に地面に鳴る音。



転げて倒れる自転車、カタカタと空回りするタイヤ。



...私が避けたそこに倒れ込む、誰か。



それは、私たちと同じ泊高校のジャージを着た、同い年くらいの男子だった。




黒髪で細身のその姿は、とても初めて見るような姿ではなかった。



「っ......大丈夫....ですか....?」



倒れ込むその人に駆け寄る翼。



歩いていた私とぶつかりそうになったようだった。



そのまま避けようとしたものの倒れてしまった。



自転車は相変わらずカタカタと音を立てて地面に倒れたまま。



突然のことに驚いているのは確かだけれど、私が驚いているのはそんなことじゃない。



目の前の、翼が駆け寄った、その人。




「あれ...?...もしかして」



その時、翼が何かを思い出したように言った。



「苗薔薇さん....ですよね!?」



「っ.....!」



翼が駆け寄ったその人が...。




翼にしか見えなかった。




「苗薔薇さん!お久しぶりで...ってあれ?」



するとその人は目にも留まらぬ勢いで倒れた自転車を起こし走り去って行った。



「あ....行っちゃった.....」



まるで、何かから逃げるように立ち去ってゆく。



その後ろ姿も.....



「翼.....知り合い....?」



恐る恐る私はそう聞いてみる。



「あの人が土曜にデパートの屋上で会った人だよ!ね、似てたでしょ?」




突然の事でよく理解できないけれど...。




今、私の中で一つだけ、小さな確信があった。



....あの時...涼香川で見かけた人物...。



やはりあの姿は、翼が会ったという彼に瓜二つの人物....そのものだろう。



.....確かな証拠があるわけではない......。



けれど、あの必死に立ち去る姿を見れば....



「翼.....あの人が本当に.....?」



「うん、間違いないよ。彼が苗薔薇黒乃君だ」



翼が土曜の夕方会ったとされるその人物は...



私があの日目撃した人物と....同じ人物だと察しがついた...。



確証は無いものの、目の前に現れたその姿を見たことで、それはあの時暗闇の中にいたあの男でしかないと。



恐ろしく不可思議に夜を動く、翼に見えた姿。



...ずっと蟠っていた思いが解けていくような気がした。



「いやぁ~....彼、やっぱり僕に似てるよねぇ~!」



ただ....一つだけ救われたこと。



...あそこに居たのが....翼じゃなくて...良かった。



僅かにでも、彼を疑った自分を恨んだ。



.....翼があんな所にいるはずなかった。





「....そうだね。本当に似てた...」



そう、確信を得たのに...。



何故だかまだ、あの時見た光景の事を、翼には言えない。



私はまだ、そこまで踏み出せない...。




翼が屋上であの人物と出会ったのが偶然で...



私があの姿を目撃したのも偶然...。



そして今日また、その偶然が目の前で起きた。



私と翼...二人の目の前で.....



そうなると、次があるんじゃないだろうか...。



あの人物が再び二人の前に、或いはどちらかだけの前に...



現れる可能性が...。




その時は......



その時は...どうなる.....?




「もう本当に双子レベルだよねぇ~、また会うなんてすごいなぁ....でも、なんで逃げるように行っちゃったんだろう...?」



翼がふと口にした言葉に引っかかった。



双子....



「...ねぇ....翼って兄弟いないよね?」



私がそう問いかけると、当然のように彼は頷く。



「いないよ?ましてや双子なんて!結構憧れはあるけどね~」



一瞬過ぎった考えを打ち消した。



双子.....そんなわけないか。



でも....あの人が仮に翼の双子だとしても....通用するだろう。



それほどに似ていたのだから。



「でも苗薔薇君、なんで泊高校のジャージを着てたんだろう...誰かに借りたのかな...?」



その言葉に私も確かに、と頷く。



翼から聞いた話だと鈴蘭高校の生徒なのに。



その存在に謎は深まるばかりで、この胸の内は密かな不安を生んでいる。



やっぱり...さっきのコートにいた時から.....



何かがおかしかったんだ。



「あー驚いた、苗薔薇君も行っちゃったし...雨も収まらないし....僕らも行こっか」



「うん...。......って翼、あの人の名前さ...」



そう言えば...。



今、ふと思った...



「ん?どしたの?」



「太郎じゃなかったの...?」




「あ.....」






.....。













――――






.....降り続ける雨の音。




冷たさに打たれ息を切らしながら自転車を走らせる。




身に沁みる雨の冷たさが、あの時との違い。



...まだ変わらない恐れに揺り動かされながら.....



か細い鼓動を刻み続けた。










A different story somewhere in this world.



―――2011/06/03







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