『 Secret 』part.3
6月の晴れた日曜日。
約束のその日に友人の翼と共に、夏樹は彼の家に向かう。
一つの不安を抱えながらも翼と楽しげに交わす会話の中で彼が言った言葉が、
彼女が抱いていたその不安と強く絡まり合った。
―――強い日差しが照り続ける、日曜の朝。
その日差しに瑞々しい初夏の香りを感じながら、なだらかな下り坂を下る。
漕いでいた足を止め、ゆっくりと細かく自転車にブレーキをかける。
...肌を撫でる風が心地良い。
半袖のシャツの上に薄い長袖のカーディガンを羽織ってきたけれど、
この暑さに少し後悔した。
けれどこの長袖のおかげで腕の日焼けは免れるだろう。
とはいえ腕から手の指先まで、日焼け止めのクリームを必要以上に塗っておいたので、
あまり日焼けの心配はないと.....そう思いたい。
交差点の赤信号で立ち止まる。
携帯電話を取り出し画面を付けると、もうすぐ10時だった。
「少し急がないと...」
私は約束の時間を思い出す。
図書館の前辺りに、翼と二人で合うことになっている。
そしてそこから翼の自宅へと向かう。
...誰かの家....それも男の子の家になんて、自分の記憶のある限りでは...行った覚えがないくらいだから。
...とても緊張する。
翼と合うのはもう慣れているけれど、家に行くとなると気持ちが落ち着かない。
翼や、彼の家族が住んで、生活しているその場所に。
初めての部屋に...。
(....この服装でよかったかな)
交差点を曲がっていく車の窓に映った自分の姿を目で追う。
普段とは明らかに違う自分の服装に少し違和感を覚える。
金曜日に着ていたような...もう少し地味目な服の方が良かったかもしれない。
翼はどう思うだろう...。
反対車線の車の流れが止まり、目の前の信号は青へと変わった。
少し急いで横断歩道を渡る。
いつも通りで、いればいいか。
昨日の...あの深夜の事も.....
何も言わずに...。
...そんなことは、無かったことにして。
「...普段通りでいよう」
私は小さく呟きながら、集合場所への道を急いだ。
多くの店が立ち並ぶ大通り近くの住宅街を抜けて、図書館の前にたどり着いた。
丸く大きな銀色のオブジェの前で、翼は待っていた。
「...お待たせ.....!」
私に気付いた翼は笑顔で手を振っていた。
いつもより、翼の格好がカジュアルで驚いた。
「おはよう夏樹さん!僕も今着いたところだよ!」
「そうだったの?ならよかった...」
少し待たせてしまったかと思っていたけれど心配なかった。
まだ着いてなかったら少しだけ心の準備をしようと思っていたけれど...。
「...今日はこの前と感じが違うね!」
翼は私の姿を見ながらそう言った。
私がいつもと違う服装で意気込んで来た事を見抜いているような視線...。
「...ずっと着てなかった服だったから....たまには着てみようかなって...」
私は少しだけ視線を逸らしてそう言ったけれど、翼はこの心をも見透かすように微笑んでいる。
「あはは、似合ってるよ!夏樹さん」
「...あ..ありがと.....」
やっぱり恥ずかしいけれど...翼がいつも通りでよかった。
彼の笑顔を見ることが出来て、私の迷いも杞憂に終わる。
...私がどんな思いを抱えていても、翼の様子はいつも通り。
それが今の私には救いだった。
「それじゃ、行こっか」
私と翼は再び自転車に乗り翼の家に向かった。
...ここから翼の家までの距離は短い。
私の家の場所とは違い街中にある。
多くの店や家が立ち並ぶ住宅街の中にある、まだ築年数の新しいマンション。
そこに翼は住んでいる。
ついこの前までは見たこともなかったから、本当に最近建ったのだろう。
そこから高校までの距離はそう遠くなく、通いやすい距離でもある。
今日の図書館や、その他の施設やスポットへの道程もかなり分かりやすい。
とてもいい環境だと思う。
翼は昨年末辺りに引っ越してきたこともあり、タイミングが本当に良かった。
翼も、翼の家族もこの町を気に入っているみたいだから、叶うならずっと翼にはこの町に居てほしい。
...翼の親の仕事上、それも難しいのだろうけど。
「そういえば夏樹さん知ってた?」
翼は何かを思い出したように私に聞いた。
「え、何が?」
翼は、立ち並ぶ大通り沿いの店や建物を眺めながら言う。
「昔はこの辺りも何もなくて、道路一本通っているだけの田んぼ道だったんだよ」
「え....ここが?」
私は目の前に広がる景色を見る。
今のこの様子からは想像が出来なかった。
この町で最も栄えていると言っても過言ではないくらいの大通りだ。
「昔って...どれくらい前なの?」
「僕らがまだ産まれてなくて....僕の父さんが二十代前半の頃かな。今はこんなに栄えているから考えられないけどね」
私と同じ視線の方向を向いてそう言った。
思えば、翼は東北から引っ越してきたにも関わらずこの町のことが随分詳しい。
二日前の夜も、地元の私が知らないような喫茶店のことも教えてくれた。
...どうして、こんなに詳しいんだろう。
あまりそういうことを調べるような性格じゃないと思っていたけど。
.....それか、ただ単に私が知らなさ過ぎるだけかもしれない。
その節も十分ある...。
だから無闇になんでそんなに詳しいの?なんて...
聞けない...。
「あ、あそこを右に曲がってちょっと行ったら着くよ!」
翼は曲がり角を指差す。
気付けばもう翼の家の近くにまで来ていた。
舗装されたばかりの綺麗な道をしばらく進むと、真新しい建物が見えた。
とても綺麗なマンションだった。
正面のロビーの右奥の駐輪所に私たちは自転車を停めた。
ロビーに入ると翼は鍵穴に鍵を挿し込み見慣れない機械に番号を打ち、エレベーターへのドアが開いた。
エレベーターに乗ると翼は8階のボタンを押す。
最上階に住んでいるというのは前から聞いていたけど、8階から見える景色はどんな感じなんだろう。
期待を膨らませているとすぐに8階へと到着した。
扉が開いて足を踏み入れると、長い廊下が続いていた。
しばらく廊下を歩き、自宅の扉前に着くと翼は足を止めた。
「ここだよ。今日は他に誰もいないからゆっくりしてってね!」
そう言って鍵を開けて玄関扉が開く。
翼に続いて私は玄関へと入った。
「...お邪魔します」
まだ新しい匂いのする室内はとても綺麗で、建築されて数ヶ月しか経っていないというのが容易に分かった。
翼の後をついていくと、そこはリビングだった。
広いそのリビングは大きい窓を備え、明るい陽の光を取り入れている。
天井には四方に設置されたダウンライトの中心に緩やかに回るシーリングファンが設置されていた。
整頓されたデッキの側にある空気清浄機からは静かな音が鳴っている。
壁には大きい液晶テレビが取り付けられ、立派なスピーカーがその左右に置かれていた。
その前には小奇麗な白と黒のソファーが並べられている。
(...すごい.....)
とても裕福な家庭を思わせる佇まいだ。
それもそのはず、翼の父は名の知れたアクセサリーメーカーの代表取締役で、次々と新しい事業に手腕を揮っているという。
たまにニュースでも、その名を聞くことがある。
....正直、初めて翼に逢った時は、そんな事は微塵にも想像していなかったけど...
一緒に話していくうちに露になっていった、翼の家庭の事。
学校でもそれは噂となって、たくさんの生徒たちが翼と関わろうとしていた。
家での生活を聞く人もいれば、東北の実家での暮らしを聞いたりする人もいた。
翼はそんな周りの生徒たちに嫌な顔をすることもなく対応していたけれど。
私は、そんな周りと同じでような目で見られるのが嫌で、学校では翼に対して話しかけ辛い。
...けれど、翼はそんな私に自ら声をかけてきてくれる。
いつも翼の方から。
...それが何故なのか私には分からない。
何故翼は、私に笑顔で関わってきてくれているのか...。
分からない。
「お昼、さっそく作るね」
すると奥のキッチンの方から翼の声が響いた。
見ると手馴れた様子で冷蔵庫から食材を取り出し並べている翼の姿があった。
そういえば、昼食を一緒に食べると言っていたっけ。
「もう作るの?」
「うん、時間かかるからね!」
そう言って透明のラップに包まれた野菜を取り出し、水で素早く手短に洗う。
その様子は本当に手馴れていた。
「...私も何か手伝おうか?」
「いいよいいよ!夏樹さんはゆっくりしてて!テレビでも観る?」
そう言われて私はふと、この大きな窓の外の景色が気になった。
「ベランダ....出てもいい?」
「いいよ~!」
私は窓の鍵を開け、陽射しに照らされたベランダへと足を踏み入れた。
「.....す....すごい...」
そこから見えた景色に圧倒された。
晴れ渡る空がどこまでも広がっている。
ずっと向こうにある大通りが小さく見え、そこを走る車や、住宅地の家の屋根、歩いている人...
色んなものが見える。
「8階って、こんなに高いんだ...」
「いつもと違う町の景色も悪くないでしょ?」
部屋の中から翼がそう言った。
...本当に、いつもよく見る町の景色が、ここからだとまるで別世界だった。
昼前の爽やかな風が涼しくて心地良い。
こんな景色が毎日見られる翼が少し羨ましくなった。
私はしばらくの間、ベランダから見える景色を眺め続けていた。
「もうすぐ梅雨が来ちゃうからね。僕も今のうちに晴れた空を拝んどかないとなぁ~」
翼は静かに私の隣に来て言った。
遠い景色の向こうを見ながら軽く放心状態だった私は我に帰る。
「あ、翼...」
「...この景色、気に入ってもらえたようで嬉しいよ」
空を見て笑いながら彼は言った。
...また、あの表情をしてる...。
どこか、空の遠くに何かを探すような...
澄んだ眼差し。
どこかにあって、どこにもない何かを、探しているような視線。
けれどもう、諦めているような瞳。
一つの定めを静かに見透かすような表情。
今にも彼がどこかに消えてしまいそうで、こんな表情を見せられるたびに私は、
翼を繋ぎとめようと、掴んでしまいそうになる。
その手を...。
「翼...」
その時、無意識の内に私の手は彼の二の腕に触れていた。
本当に...無意識に。
「...夏樹さん.....?」
翼が不思議そうな顔をしていると、部屋の奥から細やかな電子音が鳴り響いた。
「....あ!パスタ、茹で上がったね」
思い出したような表情になって、翼は部屋の中へと戻った。
「後は盛り付けるだけ~!食べよ、夏樹さん!」
....さっき、私は何をしようとしてたんだろう。
あの音が鳴ってくれなかったら...
そう考えると、私のしたことは恐ろしく無意識すぎて。
それは昔...私が兄さんにしていたことと同じ...
どうして...今.....
身勝手な自分が怖くなった。
そんな考えも、その行動も、振り払い忘れるように私は部屋へと戻った。
リビングに戻ると出来上がったばかりの料理の匂いが広がっていた。
テーブルには翼が作ってくれた昼食が並んでいた。
「これ最近覚えたんだ、アボガドのパスタ!あとコーンスープね、バジルはお好みで!」
予想以上の完成度で驚いた。
翼にこんな料理の腕前があったなんて知らなかった。
「おいしそう...いただきます」
私はパスタを絡め取り口へと運ぶ。
それを見つめながら翼も食べ始めた。
「....これ.....ほんとに翼が作ったの?...おいしい.....!」
「あははは、僕が作ってるとこちゃんと見てたでしょ~、当たり前じゃないか~」
翼は、少し照れたように笑っていた。
私は再び翼の料理を食べる。
やっぱり信じられないくらい美味しかった。
正直、自分が作る料理より断然美味。
味付けはもちろん、細かな具材のチョイスも鮮やかで見た目に関しても美しい。
同年代の男子に料理という分野で明らかに劣っているという現実に打ちひしがれながらも、その味の虜になってしまった。
「...いつもこうやって、作ってるの?」
「いやぁー、たまにだけどね。でもやっぱり、料理は好きかな」
料理が好きということなんて今日始めて知ったほどだ。
それでいて翼の多趣味というか多彩さには驚く。
...食卓近くの棚には、なにやら表彰状や表彰メダルのようなものが何個も並んでいる。
その幾つかに翼の名前がある。
出会ってからしばらく経っているが、合うたびに彼の新たな一面を発見している気がする。
「翼って.....意外と何でもできるよね」
「そっ...そんなことないよ!?苦手なことの方が多いよ...!」
照れ隠しなのか、そう言いながら手元のコップを取ってお茶を一息に飲んだ。
「勉強も...夏樹さんの方ができるだろうし...」
コップを置いてから少し小声で言った。
謙遜というよりは負い目を感じているような表情で。
「そうかな...?翼も出来てるほうだと思うけど」
学校での翼の姿を思い出す。
成績も悪くないし友達も多い翼。
そんな彼が、どうして私と仲良くしようとしてくれているんだろう。
何故、出会ったあの日から......?
...ふと、棚の上に置かれていた一つの写真が目に入った。
木目のフォトフレームに入っているその写真には、両脇の恐らく両親である二人に挟まれて幸せそうに笑う、幼い頃の翼の姿があった。
「あの翼...かわいいね」
私は写真を指差して言った。
「あっ.....あはは、そうかな?」
翼はまた恥ずかしそうに笑っている。
普段見ることのないその様子が面白かった。
「...ああいう顔の子は....こうなるのか.....」
私はわざとらしく写真を見た後に翼の顔をまじまじと眺めた。
「やっ...やめて夏樹さん、恥ずかしいから...!」
彼はあからさまに照れていた。
それを隠そうとするかのように、テーブル端に置かれていたテレビのリモコンに手を伸ばしていた。
「テっ....テレビでも...見よっか」
焦るかのように翼はテレビの電源を入れた。
静かに起動し映像が映ると僅かに遅れてスピーカーから音声が流れ出した。
「大きいよね、テレビ」
「そう?設置の都合で予定より小さいものにしたらしいけど」
リモコンで音量を下げつつチャンネルを切り替える翼。
切り替わったチャンネルには昼時のニュース番組が流れていた。
ニュースには、この夏新設される某所のショッピングモールのことが大々的に告知されていた。
画面には、大きな敷地の中建設されている建物の一部分が映っている。
もう完成も間近なのだろう。
「すぐお隣さんの所だよねコレ、こういう所にも買い物行きたいんだよねぇ~」
「翼って買い物好きだよね」
「うん、好きだねぇ。昨日も泊のデパートに買い物行ってたけど、やっぱりこういう大型ショッピングモールには憧れが...」
そこまで言いかけた翼は、ふと何かを思い出したように目を丸くした。
「そうそう!そういえば昨日ね、デパートの屋上でドッペルゲンガーに遭ったんだ!」
........!!
「......なにそれ?」
私が聞き返すと翼はわざとらしく椅子から転げ落ちた。
絶対、わざとだった。
「...怪我するよ?」
「いやいや、今のはそういう転び方じゃないから....夏樹さんも分かってるでしょ...」
うん、分かってた。
それで....ドッペルゲンガーとは...?
「...えっとね、ドッペルゲンガーとは、自分自身にそっくりな姿を見てしまうという現象で、一般的には自分とそっくりな姿をした人物を見た時にそう言うね」
「へぇー.....」
自分の知らない知識に触れて感心しながらその話を聞いていた時...
記憶の奥で何かが引っかかった。
自分と...そっくり.....
翼と.....
そっくり......!?
「いやぁー、最初見たときはホントびっくりしてね、話しかけるかどうか躊躇ってたんだけど...」
一つの情景が頭の中で蘇る。
翼に.....そっくりな....
翼にしか見えなかった姿。
「話しかけてみたら普通に赤の他人でさ!こんな偶然あるのかって思ってたんだよねぇ!」
翼と喫茶店で別れてから自宅へ帰る途中の...
涼香川で見つけた.....あの姿。
「ほんっと似てたなぁー僕に!でも普通にいい人で安心したよー.....って、夏樹さん?」
あの姿と.....何か関係が.....!?
「おーい、夏樹さーん?」
「え....?」
いけない....また.....
心の中で.....
「あーびっくりした!!この話をしちゃったことで夏樹さんの時間を止めてしまったかと思ったよ!怖かったー」
「え.....わ...私......止まってた?」
一瞬の内に心を駆け巡った思いに翻弄され、何も聞こえてなかった。
また.....まただ。
もう.....
心に自分を沈めるのは...
やめなきゃいけないのに.....
「でも安心して夏樹さん、その人はドッペルゲンガーじゃなかったんだよ。そっくりだったけど、鈴蘭高校の一年生で、名前は確か....あれ?」
翼は何も変わらないトーンで話している。
よかった.....何も........
何も話さないほうが....いい....。
私からは......
「名前、なんだったっけ?...確かに聞いたはずなんだけどなぁ~....忘れちゃった....」
「そ.....そうなんだ......」
私は動揺を隠せず曖昧な返答しか出来ていない気がする。
これじゃ....
「変わった名前だったんだ....なんか....昔の...長ったらしい名前みたいな...」
もっと.....違う返答をしなきゃ....
動揺してたら駄目だ....
「な...長ったらしい名前....?」
「そうそう...なんかナンチャラカンチャラ....ナントカの...ナントカみたいな.....」
「な....なんちゃら....カンチャラ.....ナントカ.....の...ナントカ.....?」
動揺を紛らわすために、翼と共に懸命に何かを考える。
「ほんとに...そんな感じの.....ナンチャラ兵衛の...ナントカノ助、ナンチャラ座衛門....」
「な....なるほど.....ナンチャラザエモン.....ナンチャラザエモン.....」
何を考えているのか.....次第に分からなくなってきた。
「あ!そうそう.....ナンチャラザエモン!.....そんな感じ!.......だったかなぁ....」
「な、なるほどなるほど...!ナンチャラザエモン.......ザエモン.....」
「いや、ザエモンっていうか、もっと身近な感じ...?っていうの?」
「身近な.....?....た....太郎....的な.....?」
「あ!それだ!!太郎太郎!.....タロウ.....いや...ザエモン.......タロウ、ザエモン.....タロウ・ザエモン?」
.....あれ、何を考えていたんだろう....
タロウ...?ザエモン.....?
.....名前?
名前、そう.....名前。
「そ.....その人、太郎だったんじゃない!?ほんとに!」
「え...?」
「ほ.....ほら!簡単過ぎて、一週回って難しく覚えてたんだよ!きっと!」
自分が何を言ってるのか、よく分からなかったけど...
とにかくこのループを断ち切らないといけない.....そんな気がした.....。
「.....そうか...!きっとそうだっ!彼は太郎だったんだ....!ようやく思い出せたよ、夏樹さん!」
.....翼が純粋で良かった....。
私はコップのお茶を一口飲んで一息ついた。
我に帰ったような感覚で翼と向き合う。
「で.....その...太郎さんは....そんなに似てたの...?」
私は変に恐る恐るそう聞いた。
それが今の私にとって重要な質問だから。
「うん、とにかく似てた。その人も僕を見て驚いていたようだったし」
それに、と続けて彼はそのデパートであった事を話し始める。
「屋上の自販機に飲み物を買いに行った時に、ふと景色を観ようと外に出たら居たんだ。あの時屋上へ行かず普通にスーパーで買っていたらと思うと、ホントに凄い偶然だなぁと思って...」
どうやら、本当にそっくりだったみたいだ。
そんなにそっくりな人がいるのかと、普通ならそう思って聞いているだけだっただろう。
...けれど、あの時...あの姿を目撃してしまった私には...とても他人事だとは思えなかった。
あの翼のような男.....
もしかしたら、翼が遭ったその人と...同一人物かもしれない。
それならそれで、地元にそんなそっくりさんがいたんだ、と。
そう思って終わりなんだろうけど...。
今でも忘れられない...あの不審な動き...
誰かを背負いながら、周囲を警戒するような動き。
もし翼が出遭った人があの男なら....
そう考えると恐ろしくて、私はずっと何も言えなかった。
「...そうだ、コーヒー飲む?」
不意に翼が聞いた。
昼食もほとんど食べ終え、空いた食器がテーブルの上に並んでいる状態。
食後と言うことで気を利かせてくれているのだろう。
「ありがと...貰うわ」
.....ただ、仮にあの男が翼の前に現れていたとしても...
翼の身に危険が及んでいなくて良かった。
...そしてなにより.....あの姿が翼ではないという...小さな確信が得られた。
その点では、少し安心した。
テーブルに置かれた白いコーヒーカップ。
小さなそのカップからは暖かな湯気が立ち上がっている。
私が夏でも、ホットコーヒーを好んで飲むということも、彼はもう分かってくれていた。
「.....なんか、こうやって話すのも、新鮮でいいね」
改まったような表情で翼は言った。
「いつもはさ、学校とかで普通に話してるけど...こういう所でしか話せないことって...あるじゃん」
「え...う、うん.....」
さっきの話...?
それとも....
「夏樹さんと出会ってからしばらく経つけど、日々色々なことが知れて嬉しいし、もっと夏樹さんのことが知りたいな」
「翼....」
すると立ち上がり食器をキッチンへ運びながら翼は言った。
「この後、僕の部屋に行こっか」
えっ――――!?
その言葉に驚きを隠せなかった。
跳ね上がる心臓。
翼の言った台詞が頭の中で何度も反芻される。
(.....部屋......翼の.....部屋.....)
まだ.....準備が.....
どうしよう.....どうしよう.....!
そんな私に構わず、私の食べ終わった食器も持ち上げ流し台へ持っていった。
私は心臓を高鳴らせたまま、精一杯の声を振り絞る。
「っ.....ご、ご馳走様.....その.....すごくおいしかった...」
「...ありがとう.....喜んでもらえて嬉しいよ」
静かな眼差しで私を見つめながら言っていた。
視界が変にぐるぐる回って、ちゃんと翼のことを見れているのかさえ分からなかった。
―――――
彼の部屋は思いのほか綺麗だった。
二つ置かれた小さめの本棚にはいくつもの本が並び、その隣には机がある。
机の上は何枚ものノートや教科書が置かれているものの、散乱しているといった印象はない。
白いフローリングの上には薄いカーペットが中心に敷かれてあり、そこに小さめのテーブルがある。
奥の隅にはシングルベッドがあり、布団が綺麗に畳まれている。
想像していた、年頃の男子の部屋とは一線を画していた。
「案外、綺麗だね.....翼の部屋」
「あはは、そうかな?小さい頃から整理整頓はうるさく言われてきたからね」
さすがは育ちがいいと思った。
きっと彼の両親もいい人たちなんだろう。
今日は用事で、二人とも家にはいないみたいだけれど。
「はいどうぞ、ここ座って」
彼はどこからともなく、ふわふわした見た目の座布団を置いてくれた。
「わ...ありがと.....すごい、こんなふかふかの持ってるんだね...」
「これも昨日デパートで買ったんだ!女の子をこの家に呼ぶのは初めてでさ....選ぶのも迷っちゃったよー」
「え...そうだったんだ.....」
意外だった。
私が男の子の家に行くのが、ほぼ始めての試みであったように...
翼も、異性を家に呼ぶということは初めてだったんだろうか。
いや、だとしても引っ越してくる前は....地元ではそんなことなかったんじゃないだろうか...?
色んな思いが渦巻く中、私は翼のことを眺めていると、彼は机の引き出しの中を探り始めた。
...何かを見つけて取り出し、私の前の小さいテーブルの上にそれを置いた。
「金曜日に、見せたいものがあるって言ったでしょ?」
「あ...うん、言ってたよね」
私はテーブルに置かれた、細長い箱を見る。
...自分の感覚がおかしくなければ....それはとても高価な...今ここにあるのが不相応にも見えるケースだった。
もしかして.....翼の言っていた...
「見せたいものって、」
「そう、それだよ」
翼は頷く。
青く細長いそのケースは、閉じている。
閉じていて中身は見えないが、その中にある物の持つ風格は庶民の私でも想像できる。
「開けてみて、夏樹さん」
そう言われて、私はゆっくりとそのケースを開ける。
上部の蓋を取り外すと、そこにある物は私の予想を遥かに上回っていた。
部屋の照明の明かりを受けたそれは、その光を吸い込み眩く独特な輝きを放つ。
「これ.....すごい.....」
私はその輝きに魅せられていた。
見たいこともない輝きを持つそれは、妖艶な風格を纏った黒いペンダントだった。
翼は満足そうに私の様子を見ながら口を開いた。
「それ、夏樹さんへのプレゼント」
え.....?
私に......?
「.....どっ...どうし.....て」
翼は、遠くの空を見るときの、あの時のような表情で静かに言った。
「...もうすぐ誕生日でしょ?...誕生日プレゼントってことで....さ」
そう言われてふと思い出す。
自分でさえ忘れてた、私の誕生日...。
6月10日が、もう目の前で来ていた。
でも.....私の誕生日...
翼に教えたこと.....あったっけ.....?
「なんで...知ってたの?.....私の誕生日」
翼は突然何かを思い出したような表情でまばたきを繰り返していた。
「....クラスの...友達に教えてもらったことがあって...その時から知ってた...」
「あ.....そうだったんだ」
言ってくれれば教えたのに...という台詞は敢えて言わなかった。
それはきっと、翼なりの考えがあっての事なんだろう。
「...それ、持ってごらん」
そう促され、私はペンダントをそっと手に取る。
その見た目からは想像出来ない重さを手にとって感じた。
「す...すごい重量感だね.....」
「そうでしょ?...ねえ、付けてみてよ」
私はそのペンダントを首に回す。
後ろ手で輪をかけようとすると、無言で翼は私の背後へ歩み寄った。
そして静かに、それを留めてくれた。
「....なんだか....すごい....この感じ...」
首に飾られたペンダントの持つ重みがこの身体を包んだ。
ぶら下がるそのシルエットは丸みを帯びた逆三角形で、どこか盾を思わせる形をしている。
だからだろうか、何かに護られているような.....錯覚だけれどそんな気持ちになった。
翼は手鏡を私の前で広げる。
そこに映ったのは、不相応にしか見えないほどの存在感を持つ黒く妖艶なペンダントと...
それを付けた私だった。
「とても.....とっても似合ってるよ、夏樹さん」
彼は心底嬉しそうにそう言ってくれた。
その声色はどこか、悲願を達成したかのような、喜びに満ちた様子だった。
「...ありがとう翼....こんな素敵な誕生日プレゼント......は...初めてだよ...」
そこまで言うと急にとても恥ずかしくなり、恥ずかしさと嬉しさでどうかしてしまいそうだった。
―――それから、私たちは翼の部屋で他愛もない話を続けていた。
まだ話したことがなかった過去の話、最近興味があることや、勉強のことだったり。
楽しい時間はすぐ過ぎるもので、話に夢中になっている頃には17時を過ぎていた。
...私が心配していた展開は.....何も無かったけれど...。
翼が翼らしくて、それはそれでよかった。
そして、また少しだけ翼のそっくりさんの話もした。
もし次遭ったりしたら、あまり無闇に近付かないほうがいいよ、と。
冗談めかしくだが、私はそう告げた。
...翼に何かあったら怖いし...なによりドッペル...なんとかだったとしたら本当に怖いから...。
私はこれからも翼には変わらず笑顔でいてほしい。
変わらず――――
「今日は楽しかったね夏樹さん、帰り一人で大丈夫...?」
マンションのロビーまで私を見送るために来てくれた翼は心配そうに聞いてきた。
けれど、何故か私はこの時、一人で帰らなければならないと....そう感じた。
「うん、大丈夫。...ありがとうね翼、お昼までご馳走になって....こんなに高価なプレゼントまで貰っちゃって」
私は首にぶら下がるペンダントを見る。
黒と銀の二色のチェーンに取り付けられた漆黒のシルエットは、薄暗い外でもその存在感を強く放っていた。
「.....気に入ってもらえたみたいで嬉しいよ!...でもごめんね!まだ誕生日まで8日もあるのに」
「そんなの、全然いいよ。私だって忘れてたくらいだし....。翼に言われるまで気付かなかったと思う」
そっか、と彼は呟いて微笑みを見せた。
また明日学校で、と手を振り合って私は翼に背を向け自転車を漕いだ。
「...10日の日も、楽しみにしといて...夏樹さん.....」
ん.....?なにか言った...?
と、聞き返そうと振り返ったけれど、翼は手を振っていただけだった。
「夏樹さん気を付けてね~」
私も笑顔で手を振り返していた。
―――――
『...頼む.....二人だけの間で秘密にしといてくれないか....?』
『.....それなりの恩義は...尽くす.....』
『何も.....出来ないワケじゃない.......何かは...出来る.....』
『あれは.....アンタが.....勝手に.....!』
『いや......なんでもない.......すまない....』
『アンタには.....命を拾われてるからな.....』
『......だからせめて....そうだな......恩返しさせてくれ....?』
『........なんでも.....する...。だから...』
『あの事は......秘密にしておいてほしい...』
to be continued...
*
今回、文章間のスペースを今までよりも狭めてみました.....
どちらが、読み易いのでしょうか......




