無能力と蔑まれた令嬢、目覚めた加護は結界の守護者
イレーネ、貴様との婚約は今日で終わりだ!」
卒業の夜会で、クラウス様は嘲るように言い放った。
「炎の加護に目覚めたクロディアと違い、貴様はいまだ無能力のままだろう。侯爵家の嫁として、これ以上恥をさらすな」
隣に立つ妹のクロディアが、勝ち誇った顔で私を見下ろす。生まれつき炎の加護を宿し、幼い頃から神童と讃えられてきた妹と、十八になっても何の力も目覚めない私。比べられるたび、家族の失望が募っていくのを感じていた。
物心ついた頃から、加護の兆候を探る儀式のたび、神官は困惑した顔で首を振った。「反応なし」。そのたびに父は舌打ちし、母はため息をついた。妹が褒められる隣で、私はいつも空気のような存在だった。
十二歳の頃、一度だけ父に「私にも、いつか力は目覚めますか」と尋ねたことがある。父は面倒くさそうに「さあな」とだけ答えて、それきり話を打ち切った。以来、期待することをやめ、婚約者としての務めと、家のための礼儀作法だけを、黙々とこなす日々が続いた。
「クラウス様、お褒めいただき光栄ですわ」
クロディアが、見せつけるように掌に炎を灯した。会場がどよめき、称賛の声が上がる。
「見ての通りだ。無能力の貴様に用はない。クロディアこそ、私にふさわしい」
分かっていたことだ。侯爵家の娘という理由だけで婚約者になった私に、彼が興味を持ったことなど一度もなかった。この八年、褒められもせず、労われもせず、それでも婚約者の務めだけは果たしてきたつもりだった。
「――今日をもって、婚約破棄だ」
その一言と同時に、クロディアの掌の炎が、突然膨れ上がった。
「きゃあっ……!? な、なぜ、制御が」
炎は瞬く間に暴走し、天井近くまで燃え広がる。会場中が悲鳴に包まれた。招待客たちが我先にと出口へ殺到し、将棋倒しになりかけている者もいた。
「逃げろ、下がれ!」
クラウス様が叫ぶが、出口には人が殺到し、身動きが取れない。炎はさらに勢いを増し、シャンデリアが焼け落ちようとしていた。誰かの悲鳴が、耳をつんざく。
その瞬間、私の中で何かが弾けた。
「――止まって」
気づけば、両手が淡い光を帯びていた。光は瞬時に会場全体を包む半球状の膜となり、暴走する炎を内側から押し留める。ぱちん、と何かが弾ける音がして、炎は嘘のように鎮まった。
「……これは」
誰かが、呆然と呟いた。会場は静まり返り、全員の視線が私に集まっている。
「結界の、加護……?」
クラウス様の声が、震えていた。
「十八年、何も目覚めなかった私の加護は、結界だったようです」
自分でも驚くほど冷静に、私はそう答えた。長年蓋をされていた力が、今この瞬間に噴き出したのだと、なぜか確信できた。
「た、たまたまだ。まぐれで――」
「まぐれで、国宝級の結界を張れるものか」
会場の隅から、涼やかな声が響いた。近衛騎士団長のロウェル様が、悠然と歩み出てくる。
「結界の加護は、百年に一人現れるかどうかの希少種だ。しかも、あの規模を無詠唱で展開した。……見事だ」
ロウェル様は、片膝をついて私の前に跪いた。
「イレーネ嬢。この場にいる全員の命は、あなたに救われた。近衛騎士団長として、深く感謝する」
会場がどよめく。先ほどまで遠巻きに私を見ていた貴族たちが、次々と頭を垂れ始めた。誰も、私が結界を張った瞬間の光景を見逃してはいなかった。あの刹那、確かに全員が、無能力だと蔑んでいた娘に命を救われたのだ。
クラウス様は、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「な、なぜ結界の加護持ちが、無能力扱いされていたんだ……」
「加護の質によっては、覚醒が極端に遅いことがある。むしろ、遅咲きの加護ほど規模が大きいとも言われている」
ロウェル様の説明に、会場中がざわめいた。先ほどまで私を蔑んでいた視線が、今は驚きと羨望に変わっている。
「クラウス様。あなたが破棄したのは、国が喉から手が出るほど欲しがる加護持ちの婚約だ。……惜しいことをしたな」
からかうような口調に、クラウス様は言葉を失っていた。クロディアは、暴走した加護の責任を問われ、青ざめた顔で司祭に連れられていった。
「妬んでいたのなら、素直にそう言えばよかったのに。まさか自分の加護を暴走させるとはな」
『そ、そんなつもりでは……』
言い訳しようとするクロディアの声は、誰にも届かなかった。妹の華やかさの陰で、これまで積み重ねてきた無数の我慢が、静かに報われていくのを感じた。周囲の貴族たちは口々に、これまでの態度を恥じるように目を伏せている。かつて陰で「無能力の姉」と嘲笑っていた者たちの視線が、今は気まずそうに逸れていくのが分かった。
「私、ですか」
「ああ。ついでに言うと、私はずっと、あなたを気にかけていた」
ロウェル様は、立ち上がりながら、悪びれもせずそう言った。
「気にかけていた、とは」
「加護のあるなしに関係なく、あなたの立ち居振る舞いは、いつも誰かのことを考えていた。そういう人間の方が、私は信用に値すると思っている」
思いがけない言葉に、頬が熱くなった。
「それに、結界の加護持ちを放っておく手はない。私が、あなたを口説く権利を、真っ先にもらいたい」
軽い口調の裏に、確かな熱を感じた。周囲がくすくすと笑う中、私は思わず噴き出してしまった。
「団長様は、いつもそう軽々しいのですか」
「軽くはない。本気だ」
まっすぐに見つめられて、今度は言葉に詰まる番だった。
その後、負傷者の手当てや会場の後片付けに追われる中、ロウェル様は率先して指揮を執っていた。てきぱきと兵士に指示を出す横顔は、先ほどの軽い口調とは打って変わって頼もしかった。
「見かけによらず、働き者なんですね」
「見かけで判断されるのは心外だな。もっとも、あなたの見かけも、随分と誤解されていたようだが」
ロウェル様は、瓦礫の中から誰かの忘れ物の扇子を拾い上げながら、そう言った。
「無能力と呼ばれていた頃の私を、見損なわないでいただけて光栄です」
「見損なうも何も、最初から見ていなかった連中の方がおかしい。私は、婚約者選びの夜会であなたが誰よりも早く高齢の使用人を気にかけていたのを、ちゃんと覚えている」
覚えていないはずの些細な出来事を、彼はさらりと口にした。誰も見ていないと思っていた瞬間が、実はずっと見られていたのだと知り、頬が熱くなった。
翌日、屋敷に届いた求婚状の山を前に、父と母は態度を一変させていた。
「イレーネ、お前の加護がこれほどとは……我が家にとっても、これほどの誉れはない」
「今さら、何でしょうか」
父の慌てぶりに、いっそ笑いたくなった。長年見向きもされなかった娘が、一夜にして「誉れ」に変わる様は、あまりに滑稽だった。だが、もう実家に未練はなかった。母が差し出してきた新しい縁談の数々にも、心は少しも動かなかった。
数日後、ロウェル様から届いた花束には、正式な求婚の手紙が添えられていた。あの夜会で全てを失ったはずの私に、今は誰よりも真っ直ぐな想いが向けられている。
「本当に、私でいいのですか。加護のことがなければ、あなたは私に見向きもしなかったでしょうに」
「加護のためじゃない。夜会の後、あなたが真っ先に周りの無事を確かめに走ったのを見た。あれが、あなたの本質だろう」
思いがけない言葉に、目の奥が熱くなった。誰も見ていないと思っていた、あの瞬間を、彼はちゃんと見ていた。
「あなただから、隣にいてほしい」
その一言に、これまでの十八年間の孤独が、静かに溶けていくのを感じた。
結婚の儀は、王都の大聖堂で執り行われた。かつて「無能力の令嬢」と陰口を叩かれていた私が、今は国一番の加護持ちとして、多くの人に祝福されている。クロディアは加護の暴走を招いた責任を問われ、しばらく謹慎処分となったが、風の噂では、少しずつ己の慢心と向き合い始めているらしい。クラウス様がその後どうなったかは、もう気にする気も起きなかった。
十八年間、無能力と蔑まれてきた日々は、決して無駄ではなかったのだと、今なら思える。
窓の外には、穏やかな朝の光が差し込んでいた。婚約破棄されたあの夜から、私の人生は確かに変わったのだ。
完




