婚約なんてハキハキ破棄! ~公爵令嬢ですが政略結婚が嫌なので図書館に籠って司書になります~
「諸君、今日は我が息子の婚約記念パーティによく集まってくれた」
威厳ある声を響かせると、皇王は来客達の中央へと二人の若者を押し出した。
一人は皇太子、いずれ王位を継ぐべく育てられた金髪の青年は堂々とした足取りで先行する。
そこへ一歩引いた距離で続くのは麗しき令嬢、深い青の瞳を伏せながら、ゆっくりと・・・艶やかな漆黒の髪には銀の髪飾りが星のように煌めいた。
「まぁ、美しい方・・・」
「だけど、見覚えがないわ・・・どちらのご令嬢かしら?」
「貴女たち、知らないの? 公爵家のビブリーヌ様よ」
「滅多に人前に現れる事がないという、あの・・・」
「まさかこんなに美しい方だったなんて・・・公爵が隠したがるのも納得だわ」
皇太子の婚約発表の場でもあるこのパーティで、たちまち話題の中心となった漆黒の令嬢。
夜空の星々をイメージしたドレスを華麗に着こなし、どこか物憂げな表情を浮かべ、会場の隅に物静かに佇む。
近付き難い神秘的なオーラを放ち・・・なぜかその手には学者が読むような難しい書物があった。
彗星の如く社交界に現れた、公爵家の一人娘であるビブリーヌお嬢様は、容姿端麗にて才色兼備。
皇太子殿下とのご婚約も決まり・・・今や彼女は、誰もが憧れる未来の王妃様。
しかし、そんな彼女にも欠点があった。
それは・・・
「セバース、本は? 『極彩騎士団』の最新刊はまだ届かないのかしら?」
「本日中に届く、との事です・・・お嬢様、もうしばらくお待ちくださいませ」
「もうっ、まだかしら・・・続きが気になって、他の本が進まないのよ」
そう言いながらも、令嬢の手元に開かれた本はもう半分程読み進んでいる。
執事のセバースの知る限りでは、その本も昨日屋敷に届いたばかりの書物。
使用されている文字が古く、難読で知られる作品のはずだが・・・ほんの1時間前に読み始めたばかりだというのに。
入り口以外の3方向全てを本棚に囲まれた、まるで書斎のような部屋。
しかも、それらの本棚に入りきらないのか、書物が紙の塔となって、令嬢が寛ぐ椅子の前に積み上がっていた。
「積み本」・・・令嬢が読む『予定』の順で積み重ねられたそれらを前に、セバースは片付けてしまいたいという、執事の本能を抑え込む。
日に日に積み上がる本の塔は、見事なバランスを保って鎮座しているが・・・何事にも限度というものがある。
いつかは限界が訪れてしまうという事を、この老執事はよく理解していた。
だが・・・
(本を片付けよう、などという進言・・・お嬢様が聞き入れられた事など、過去に一度でもあろうか)
もちろん、一度もない。
せめて読まなくなった本くらいは・・・そう考えて過去に古い本棚を整理した時があったが・・・
令嬢は烈火のごとく怒り狂い、それはもう、手が付けられなくなったのだ。
「恐れながらお嬢様・・・このまま本を増やされますと、重みで床が抜けてしまう可能性がございます」
「まぁ・・・ではまた次のお部屋に移ろうかしら」
「・・・」
この部屋をそのままに、隣の客間を新たな私室にする。
そうやって、これまでも令嬢は客間を潰しては新たな自室にする、という行為を続けてきた。
建てられた当初は8つの客間を擁するこの屋敷だったが、もはや残る客間はあと2つ・・・
もし全てが埋まってしまったら、どうするつもりなのか・・・胃が痛くなる問題だ。
「かしこまりました、客間の改装の手配をいたします・・・」
(・・・お嬢様には、なるべくギリギリまでこの部屋を使って戴こう)
部屋の改装にはわざと時間をかけて、少しでも『その日』が来るを先延ばしにする・・・
セバースのこの判断が、後にあのような不幸をもたらすとは・・・この時は誰一人として知る由もなかったのだった。
「あなた、またビブリーヌがたくさんの本を・・・ああっ、10冊は積まれているわ」
「はははっ、いいじゃないか、変な遊びを覚えたわけでなし・・・勤勉な娘に育って何よりだよ」
度の過ぎたビブリーヌの愛読家ぶりは、母である公爵夫人の悩みの種。
今日もたくさんの本を乗せた馬車が入ってくるのを屋敷の窓から眺めて、ため息を吐く。
しかし公爵の方は彼女とは対照的に上機嫌なもので、もっと知的なレディに育てと娘が望むままに本を買い与え続けていた。
「けれど・・・このままでは屋敷が図書館になってしまうわ」
「なぁに、それも王宮に輿入れするまでの辛抱さ」
夫人の心配をよそに能天気に笑う公爵・・・それもそのはずで、ビブリーヌは皇太子との結婚を来月に控えていた。
『知的な女性を好む』という皇太子の好みに対して、読書家のビブリーヌはまさにうってつけだったのだ。
これも幼い頃から本を買い与え続けた教育方針の成果・・・少なくとも公爵はそう考えていた。
「おやおや、噂をすれば・・・あれは王宮の馬車ではないかな?」
「まぁ、皇太子殿下が尋ねていらしたのね・・・出迎えの用意をしないと」
本を積んだ馬車を追い越すような勢いで、白地に金の装飾が施された優美な馬車が駆けてくる。
皇族用に仕立てられた特別製の馬車・・・もちろんその中には皇太子が乗っている。
慌てて歓迎の用意をしようとする夫人を、公爵はそっと遮った。
「いやいや、殿下はビブリーヌに会いに来たのだから、我々が出ていくのは無粋というもの」
「それもそうね・・・若い二人の邪魔をしてはいけないわ」
「セバース、私達は出掛けるとしよう、ただちに支度を・・・そうだな、湖の別荘にでも行くか」
「かしこまりました、皇太子殿下にはそれとなく、お伝えいたします」
若い恋人達の邪魔をせぬように・・・
公爵はそんな配慮をしつつ、愛する妻に手を差し伸べた。
「まぁ、懐かしい・・・私があなたと出会った場所ね」
「気分だけでもあの頃に戻って・・・お付き合いいただけますかな、レディ?」
「ふふふ・・・喜んで」
芝居がかった仕草で、かつてのやり取りを楽しみながら。
公爵夫妻は別荘へ旅立っていった。
娘と皇太子が、自分達のように仲睦まじく過ごすと信じて・・・
そして、運命の時はやって来る___
「ビブリーヌ! 会いに来たぞ、我が麗しの姫よ!」
「・・・」
「び、ビブリー・・・ヌ?」
ビブリーヌの部屋の前で思いの丈を叫びながら、扉を叩いた皇太子・・・だが返事はなかった。
おかしい・・・執事の話では、ビブリーヌはこの私室で待っているはずだ。
部屋を間違えた? そんなはずはない・・・だが万に一つという事もある。
確かめるように、そっとドアノブに手を掛けると・・・鍵は掛かっておらず、よく手入れのされた扉は音もなく開いた。
「・・・なんだ、そこにいるじゃないか・・・私を試したのかな、ビブリーヌ?」
「・・・」
本棚に囲まれた部屋の真ん中で、椅子を揺らしながら・・・なんと、貴族にあるまじき貧乏揺すり。
部屋に入ってきた皇太子にも気付かぬ様子で、ビブリーヌは手に持った分厚い本にその視線を巡らせていた。
実際の所、ビブリーヌは何も気付いていなかった・・・極度の集中状態、完全に本の世界に入り込んでいるのだ。
「・・・なんと、美しい」
椅子に寛ぐビブリーヌは、皇太子の来訪など知る由もなく・・・普段通りの部屋着姿。
素肌の上に着心地の良さだけで選ばれたタオル地のガウン、それも着崩れて・・・片方の肩が露出していた。
一見煽情的とも言える姿だが、持ち前のスタイルの良さと本を読む真剣な表情が相まって卑猥さを感じない・・・さながら宗教画のごとき雰囲気に、皇太子は息を飲んだ。
「・・・ハッ?!」
皇太子は彼女に見蕩れたまま、いつまでも鑑賞してしまう所だったが・・・危うく我に返った。
王宮から半日ほどの距離を、わざわざ馬車に揺られて・・・彼は決して美術品を鑑賞しに来たのではないのだ。
(そうだ・・・私は今日こそ、この美しき婚約者と・・・甘いひと時を・・・)
皇太子は奮起した。
今日こそは、今日こそは必ずやこの婚約者と良い雰囲気になると・・・
公爵の粋な計らいにより、今この屋敷には自分達以外に誰もいないはず・・・それが彼を普段よりも大胆にさせる。
「び、ビブリーヌ!」
「?!」
意を決して、皇太子は麗しの婚約者に駆け寄り・・・その手を取った。
その時になってようやくビブリーヌは皇太子に気付いたのだが・・・今の皇太子にそれを察する事は出来なかった。
そのまま、勢いのままに彼女を壁際・・・本棚まで押しやった。
「で、殿下?・・・な、なぜ・・・」
「やっと私を見てくれたか・・・その知性溢れる瞳で」
皇太子にとって、ビブリーヌが初恋であった。
海の底のように深い青色・・・『吸い込まれるような美しさ』という表現があるが、初めてその瞳を見た時から彼の魂はそこに吸い込まれてしまっていたのだろう。
しかしその瞳はいつも本ばかりを見ていて・・・それが今、まっすぐに自分の顔を写している。
「は、離してください!」
ビブリーヌはその手を掴まれながらも、さっきまで読んでいた本だけは手放す事無く。
身を捩って皇太子から逃れようとする・・・しかし皇太子は怯むことなく、空いたもう一方の手を振り上げて・・・
「・・・?!」
女性を壁に追いやった後に、逃げ場を塞ぐようにドーンと手をつく。
・・・それが皇太子が父王から教わった、数少ない恋愛の手管だった。
(・・・これで落ちぬ女はいなかった)
そう得意げに語る父王の言葉を砂粒ほども疑う事無く、皇太子は渾身の力を込め・・・その手を振り下ろした。
ドーン!
「さぁ、ビブリーヌ・・・私と・・・」
(息子よ、『壁ドーン』の次は『顎クイッ』だ・・・)
(はい、父上・・・今こそ・・・)
父王の教えの通りに、皇太子はビブリーヌを掴んでいた手を、その顎へと伸ばし・・・
・・・不幸に見舞われた。
整理されていない本棚に、雑に収められた本の数々はとてもバランスが悪かったのだ。
皇国に生育する数千種の植物を納めた『皇国植物大図鑑』3080ページが脳天に直撃。
続いて『こちら皇国中央公園前詰め所』全78巻が雨のように降り注ぐ。
「う、げ、つ?!」
そして・・・負担重量ギリギリで支えていた床板が、その時の衝撃でついに最後の時を迎えようとしていた。
衝撃に意識が朦朧とする皇太子の足元からはミシミシと軋む音が・・・メリメリ、バリバリに変わっていき・・・
一瞬の無重力感・・・床が抜けて階下へと真っ逆さまに落ちていく・・・
頭部打撲・・・右足骨折・・・全身に打ち身、裂傷多数・・・全治1年半。
しかも皇太子を襲った不幸は、これだけでは終わらなかった。
「う・・・うぅ・・・」
全身を襲う痛みに蹲る皇太子に対して、頭上に開いた穴の上から・・・
非常に聞き取りやすい、ハキハキとした声で・・・ビブリーヌが告げる。
張り付けたような笑顔で、それでいてこめかみにしっかりと青筋を浮かべて。
「殿下との、婚約は、破棄します」
「そ・・・そんな・・・ガクッ」
これが後に『本棚に壁ドーンしてはいけない』と皇国に数百年伝わる事になる故事である。
「ホント信じられないわ!」
私こと、公爵令嬢ビブリーヌは激怒した。
バカ皇太子・・・よりにもよって、希少本を集めた本棚を叩くなんて。
あの中には古い本も多くて、取り扱いには気をつけないといけないのに・・・
皇太子と共に階下まで落ちた本は、そのほとんどが破損して修復もままならない有様だった。
この世に2つとない図鑑は見るも無残にバラバラになって、どれがどのページかもわからない。
美品でコンプリートした『こち皇』も少なくない巻数が欠けてしまった、もう2度と揃える事は出来ないだろう。
しかし失われた物に涙するような時間は、私には与えられなかった。
物音を聞きつけて階下にやってきた執事のセバースが惨状を目撃したのだ。
大きく空いた穴から、セバースは信じられない物を見たような顔でこちらを見上げて来る・・・セバース程の執事であればこの本の損害額が一瞬にして算出されているに違いない。
「お嬢様、なんという事を・・・」
「ええ、とんでもない被害だわ・・・」
「皇太子殿下を暗殺しようとなさるなど・・・大罪でございますぞ」
「えっ」
今・・・なんて・・・暗殺?!
あっ、状況だけ見たら・・・私が皇太子を殺害しようとしたように見える・・・かも知れない。
セバースはこれまでに見た事のない険しい顔をして、こちらの様子を伺うと・・・
「殿下との婚約に不服そうな顔をなされておりましたが・・・よもや、ここまで思い詰めていらっしゃったとは」
「セバース?・・・ち、違・・・」
「ただちに衛兵を呼んでまいります・・・決して、そこから逃れようなどと思いませぬように」
「?!」
そんな事を言われて、おとなしく部屋で待っている人間なんているだろうか?
いや、いないに決まってる。
私はこれ以上ない速さで服を着替え、雑に手荷物を纏めると・・・生まれ育ったこの屋敷を後にした。
貴族の屋敷には、いざという時の隠し通路というのがあって・・・我が家の場合は中庭の小さな礼拝堂にある。
もちろん血族だけの秘密だ、さすがのセバースもこれは知らされていない。
台座の窪みに公爵家の紋章を押し当てながら、台座を時計回りに・・・う、重い・・・
お屋敷暮らしの令嬢の細腕では、台座はごく僅かに・・・本当にゆっくりとしか動かない。
こんな場所でモタモタしていては気付かれてしまう・・・こんな事なら、もっと筋トレの本を読んでおくべきだった。
『航海は準備なしには出来ない』とは言うけれど、さすがにこの時ばかりは私も痛感せずにいられない。
遠くの方から足音が響いて来る・・・セバースが衛兵を連れてきたんだ。
はやく・・・はやくしないと・・・
台座が半分程回った所で、地下に通じる入り口が見えてきた・・・もう時間がない、全部開き切るのを待たずに私は飛び込んだ。
ビリ…無理して通ったせいで引っ掛かったのか・・・
服のどこかが裂ける嫌な音に顔をしかめながら、私は気にせず地下道に潜り込む。
頭上では低い音を立てて台座が元の向きに戻っていく所だ・・・完全に入り口が閉じ切ってしまう前に、私は明かりとなるランタンを探して火を灯した。
非常用の隠し通路だけあって、地下道はもう何十年も使われておらず・・・石壁は所々崩れていて歩きにくい。
通路もだいぶ細くなっている所があって・・・きっとこれではお父様は通れないだろう、そして鎧を着た衛兵たちも。
・・・私は肉付きの少ない細身の身体に感謝した。
確か、この通路の先は町外れの丘のあたりに通じているはず。
周囲には特に何もないけれど、街道が分岐する場所から近く、逃走経路にはうってつけだ。
問題は・・・その街道をどちらへ向かうか、だけれど。
私が向かいそうな場所など、セバースなら全て把握しているはず。
そもそも、屋敷に引き籠っている事が多かった私だ・・・行くあてなんて限られていた。
母の実家がある商業都市か・・・従姉妹のいる辺境領か・・・迷っていると前方に光が差し込んでいるのが見えてきた・・・出口だ。
「げほっ、げほっ・・・」
ずっと使われていなかっただけあって出口は地面に半ば埋まっており・・・抜け出す際に砂を被ってしまった。
口の中がじゃりじゃりする・・・うぅ・・・砂は目にも入ったみたいだ。
チクチクと痛む目をこすりつつ、周辺を見渡す・・・もし先回りしてきた衛兵なんていたらひとたまりもない。
「・・・ふぅ」
幸いな事に人の気配はなく、ホッとひと息つくと・・・私は近くを通る街道まで出てきた。
とりあえず分岐点まで行ってみて、そこから考えよう。
そんな風に考えていた矢先・・・私の視界にそれは飛び込んできた。
「こんな所に・・・なんで・・・」
目の前には街道の分岐点・・・左右へ直角に分岐して、綺麗なT字を描いている。
だけど問題はそこじゃない、そのT字の前に大きな建物が建っていたのだ。
貴族の屋敷のような優美さはない、無骨な造りだ・・・レンガ造りの四角い大きな建物。
入り口と思われる門だけはすごく立派で・・・白と黒の2色でなにやら前衛的な模様が描かれていた、用途不明にも程がある。
いったい、いつ建てられたのか・・・こんな建物が古くからあるなら、知らないはずもないのだけど・・・
「・・・?!」
この不気味な建物を遠巻きに伺っていた私の目に、それは飛び込んできた。
等間隔に並ぶ窓の向こう・・・カーテン越しにうっすらと見えた本棚らしき影。
同じ装丁の本が綺麗に並べられた、私と違って几帳面さを感じる本の並び・・・その本だ。
「・・・グリ・・・モア物語?・・・シリーズ?」
遠目にかろうじて読めたそれは、見た事も聞いた事もないタイトルだった。
ドクンと、私の胸が高鳴るのを感じた。
世の中に入手が困難な本は数あれど・・・この私が、タイトルすら知らない本があるなんて・・・それも本棚いっぱいに。
いったいどんな内容なのか・・・読んでみたい。
まるで、蝶が花の香りに吸い寄せられるかのように。
気付いた時には私はもう、その不思議な建物の門を叩いていた。
「いらっしゃいませ、アインマール図書館へようこそ」
「・・・図書・・・館・・・」
立派な門がゆっくりと開くと・・・中から現れたのは屋敷で働くメイドのような服装の少女。
鋭角的に切り揃えられた髪型と、硬い発音に、張り付けたかのような無表情・・・以前物語で読んだ『自動人形』が思い浮かんだ。
けれど、そんな事よりも私が気になったのは彼女の発した言葉・・・『図書館』間違いなくそう言った、聞き間違えじゃない。
「ここは・・・図書館なの?」
「はい、肯定します」
こんな何もない辺鄙な所に・・・図書館が?
にわかに信じ難い話だけれど、視界に入ってくる本棚の数々が何よりも雄弁に語っている。
ここは図書館だと・・・それも、ただの図書館ではないと・・・
「『猫と天球儀』『クモの巣の秘密』『海底3200万M』・・・私の知らない本ばかりだわ・・・」
この入り口付近の本棚を見ただけでも、私の知っている本が1冊も見当たらない。
まさに未知の世界、未知との遭遇・・・子供のように心が弾む・・・ワクワクと期待に胸が膨らむのを感じた。
まさか領内に、屋敷からそう遠くもない場所に、こんな場所があっただなんて・・・
「初めてのお客様ですね、ご案内いたします」
表情ひとつ変える事無いまま、メイドはそう告げると歩き出した。
案内など不要、自由に見て回りたい・・・そう言いたい所だけれど、今の私は逃走中の身である事を思い出す。
下手に騒いで目立つのはよろしくない、それに無表情ながらも案内を買って出たこのメイドの厚意を無下にするのも悪いと思った。
「こちらは『地理』のコーナーです」
「『ウルタール地方』『トトゥーリア砂丘』・・・聞いた事もない土地・・・これらは実在しているの?」
「申し訳ございません、私は本を読めませんので、内容に関する質問はお答えいたしかねます」
本を読めない・・・そう聞いた時、私は特に疑問に感じる事もなかった。
庶民の中には、文字を読めない者も珍しくないというから・・・このメイドもそうなのだろうと。
「お客様は、地理にご興味がおありですか?」
「いえ、次に進んで貰えるかしら」
「・・・かしこまりました」
微妙に間をおいて、メイドが再び歩き出した。
『美術』『鉱物』『天文』『料理』『詩歌』『絵本』・・・この図書館に収蔵されたジャンルは多岐に渡る。
それら全てにおいて、私の知らない本ばかり・・・どの本も私の興味を掻き立てて・・・つい毎回立ち止まってしまう。
「・・・にご興味がおありですか?」
その度にいちいちそう聞いて来るメイドに、多少のじれったさを感じた。
けれど職務に忠実なだけの彼女に文句を言うのは筋違いというもの・・・むしろ立ち止まってしまう自分に反省して、先を促していった。
広さの割に管理が行き届いているのか、各本棚は綺麗に同じジャンル、同じシリーズで纏められている。
・・・かと思えば、作者もジャンルもバラバラといった棚もあった。
「こちらは『ミンメイ書房』のコーナーです」
「ミンメイ・・・書房?」
「本の内容に関する質問はお答えいたしかねます」
「そう・・・だったわね」
これまた聞き覚えのない単語・・・たしかにその棚の本達には、共通してその言葉が記されている。
いったいどんなジャンルなのかは判別出来ないけれど・・・かなりの数があるのは確かだった。
「お客様は、ミンメイ書房にご興味がおありですか?」
「い、いえ・・・」
何度目かのやり取りを、また繰り返して。
やがて、私達は見覚えのある場所に辿り着いた・・・最初の入り口のあたり・・・図書館を一周し終えたようだ。
「・・・お客様は、どの棚の本も読めるのですね」
「ええ、素晴らしい品揃えでしたわ」
「ありがとうございます、それではごゆっくりどうぞ」
メイドは最後にそう言い残し正確な動きで一礼すると、立ち去ってしまった。
『関係者以外立ち入り禁止』・・・そう書かれた扉の向こうへ。
・・・一人残された私は、どうしたものか。
幸いな事に外は静かで、追手の気配はなく・・・目の前には魅力的な本の数々。
まだ少しくらいなら余裕がある・・・そう、1冊だけなら・・・1冊だけ・・・
私はとりあえず、といった気持ちで・・・手近な本棚に手を伸ばした。
「・・・その本、面白いですか?」
本を読んでいる私に、誰かが話し掛けてきた。
私の読書の時間の邪魔をするなんて、なんと礼儀知らずな・・・そう思いかけて、ここが謎の図書館だった事を思い出す。
他の来客だろうか・・・中世的な顔立ちに仕立ての良い衣服を着た男性・・・一瞬どこかの貴族かとも思ったけれど、見覚えはなかった。
「失礼・・・随分熱心に読まれているご様子なので・・・さぞかし面白いのだろうな、と」
まさかナンパ? いやここは図書館、純粋に本が好きな人なのかもしれない。
言われた通りこの本は面白い、とても練り上げられた文章力で独創的な世界観を描き出していて・・・これまで読んできた本の中でも上位に入る。
1冊だけのつもりが、思わずもう1冊・・・もう1冊と、3巻に手を出していた程だ。
「ええ、とても面白いです、貴方も読まれますか?」
既に読み終えている1巻を差し出して勧めてみると、男性は肩をすくめて見せた。
「それはぜひ・・・と言いたい所ですが、その本は私には読めないのですよ」
「?」
先程のメイドと違って、目の前の男性は文字が読めないような身分には見えないのだけど。
ひょっとして、からかわれている? やはりナンパ目的?
一気に警戒心を高める私に、男性は慌てて弁解した。
「勘違いしないでください、この図書館の本は人を選ぶと言うか・・・誰にでも読めるわけではないのです」
「??」
読んだ人間によって良し悪しの評価が大きく分かれる『人を選ぶ本』
そう呼ばれる作品はいくつか読んだ事があるけれど・・・今読んでいる本の内容はそこまででもないような。
そういった言葉はもっとこう・・・癖の強い作品に使うべき言葉ではないかしら。
「ここでたくさんの本を読める貴女は、きっと本に愛されているのでしょう」
「はぁ・・・」
この人が何を言いたいのかさっぱりわからないけれど・・・『本に愛されている』というのは悪い気がしない。
私も本を愛している・・・たくさんの本が並ぶこの図書館はとても居心地が良い。
出来る事ならここで暮らしたいくらい・・・けれど、そろそろ追手を気にするべきか・・・本が面白かったせいでつい長居し過ぎてしまったけれど、これ以上ここに留まるのは危険に思える。
「そんな貴女にお願いがあるのですが・・・この図書館で働いてみませんか?」
「あの、私そろそろ・・・えっ?」
「申し遅れました、私はこのアインマール図書館の館長ブッコフと申します」
この図書館の館長?!・・・まさかいきなり勧誘されるなんて。
「実は未分類になっている本が書庫の方に10万冊ほど貯まってまして・・・当面は書庫での分類業務をお願いしたく」
「じゅ、じゅうまん・・・冊?!」
私の聞き間違えだろうか・・・今、10万冊って・・・
今本棚に並んでいる本の他に、そんなにたくさんの本が書庫に?!
「その・・・お給料は少ないんですけど・・・住み込みで3食の食事は付きますし」
「3食昼寝付き本読み放題ですって?!」
「え・・・いや、そこまでは・・・いってな」
「館長様、よろしくお願いしますわ!」
あまりにも魅力的過ぎる条件に、私は検討の余地もなく飛びついてしまった。
当面は書庫での作業と言っていたし、書庫に籠っている間に追手もやり過ごせるに違いない。
「では・・・よ、よろしくお願いします・・・ええと、お名前は?」
「ビブリー・・・ビブリア、ですわ」
つい正直に本名を名乗ってしまいそうになったけど、何とか修正した。
今から私はビブリーヌではなくビブリア・・・司書見習いのビブリアだ。
「ではビブリアさん、これから制服を支給しますので、合うサイズを選んでもらって・・・それからお部屋に案内します」
例の『関係者以外立ち入り禁止』の扉をくぐり、従業員の領域へ足を踏み入れる。
支給された制服は、あのメイドの着ていた服と同じ物だった。
メイドなら屋敷にもいたけれど・・・この服はメイドの服よりもだいぶ上質な生地が使われていて、着心地は悪くない。
部屋も別に屋根裏とかではなく、普通の個室・・・少し狭いけれど不足はない。
私にとって大事なのはそこじゃなくて、書庫なのだから。
「ふふふ・・・この先に10万冊の本が・・・」
「お、お仕事ですからね? ビブリアさん? 業務は忘れないでくださいね?」
「ええ、わかってましてよ」
さっそく制服に着替えた私は、館長に案内されて地下に降りる階段を下っていく。
一見真っ直ぐなようで、微妙に曲がった階段は思った以上に長く、先の方は暗くてよく見えなかった。
「随分と・・・長い階段ですのね」
「ですよね・・・一度どこかで休憩を挟みますか?」
「いえ、結構です」
大量の本が私を待っているというのに、休憩だなんてとんでもない。
一息に駆け下りてしまいたくなる気持ちを抑えながら、先を行く館長の後ろについていく・・・けれど・・・やはり階段が長い。
なんでも図書館の真下に大きな地下洞窟があって・・・そこをそのまま書庫にしているのだとか。
「・・・この階段を、これから毎日昇り降りしないといけないのね」
「すいません・・・本だけでしたら、運べるリフトがあるんですが・・・こればかりは、がんばってください、としか」
今降りている分には特に苦もないけれど・・・逆に昇る時の事を考えると・・・これは、なかなか。
図書館に籠もる生活でも運動不足にならないで済む・・・せいぜいそう思うしかなさそうだ。
「そろそろ着きますよ、大きな扉が見えてきたでしょう?」
「・・・え」
階段を下りた先は、ごつごつした岩に覆われた空間・・・たしかに自然の洞窟といった趣。
その洞窟の形に合わせたのだろう・・・少し不格好に歪んだ形の大きな金属の扉がそこにあった。
近くまで来るとその巨大さたるや・・・まるでお城を護る城門のような・・・でも、とても開けられるような大きさでは・・・
「ビブリアさん、こっちですよ」
扉の大きさに呆気に取られていると、館長が手招きしてきた。
よく見ると、大きな扉の中に人の身長程度の小さな扉が付いていて・・・普段はそこを開けて出入りするようだ。
「これがここの鍵です、貴女にお預けしますね」
「あ、はい・・・」
扉と同じ色の、無骨な金属製の鍵・・・それを鍵穴に差し込んで回すと、カチャリと・・・思ったよりも軽い音がした。
「この向こうに・・・たくさんの本が・・・」
小さくてもまだ充分に重いその扉に手を掛け・・・私は期待に胸を膨らませた。
「あれはいったい・・・なんですか?」
天然洞窟を利用した広大な書庫の内部・・・そこには大きな『山々』がそびえ立っており・・・
「え、ええと・・・本・・・ですけど・・・」
「そういう事を言っているんじゃありません!」
私こと、公爵令嬢ビブリーヌ改め、見習い司書ビブリアは激怒した。
貴重な本に対する、あまりの扱いの酷さに。
この館長・・・たしかブッコフとか言いましたけど・・・本当にやる気があるのだろうか。
10万冊もの本・・・そう聞いて、たくさんの本が山のように積み上がっている・・・そんな光景は想像していた。
けれど、それはあくまで閉じられた本が何冊も積み重ねられた・・・『四角い山』のはずだ。
しかし今目の前の現実はそうではなかった。
無造作に積み上げられた本の山・・・それはもう本当に無造作に。
中途半端に開いた状態の本が、何冊も積み重なって出来た『山の形の』本の山・・・
いったいどうしたらこうなるのか・・・ゴミを捨てるかのように本を放り投げ続けた? ありえない。
「ああ・・・折り目が付いちゃってる・・・酷い・・・」
本の山の中にそれを見つけて、私は思わず駆け寄ってしまった。
中途半端に開いた本のページが、上に積み重なった本の重さによってプレスされて・・・見るも痛々しい有様に。
いったい誰がこんな酷い事を・・・いや、それはもうわかり切っている。
「・・・館長、ここの本達を、各ジャンルごとに仕分ければ良いのですね?」
「は、はい・・・」
英雄物語などでは、『邪眼』という力を持つ魔物が度々登場する。
もしもその力が私にあったなら、このバ館長はとっくに石になっているんじゃないだろうか。
それくらいの意思を込めた視線で睨みつけながら、私は業務内容を確認した。
そして・・・
「本棚が必要です、手配してください」
「え・・・本棚でしたら、上に空の物がたくさん・・・」
「ここに!本棚が!必要です!・・・持って来てください、今すぐに!」
「は、はひ・・・」
有無を言わせぬ私の剣幕に、バ館長が慌てて駆けだして行った。
速やかに上から本棚を持って来てくれる事を期待するけれど・・・あの長い階段を思うと、時間が掛かるかも知れない。
その間に、私に出来る事をやっておかないと。
「可哀そうに・・・すぐ助けるわ」
まずは山の上の方から、無事な本をより分ける。
出来るだけ丈夫そうな装丁の本を下にして、『四角い山』を積み上げる。
痛んでしまった本も、状態毎に分けて置いておく・・・出来る限り修復は試みるつもりだ。
私が、救わないといけない。
この劣悪極まりない環境から、この子達を。
・・・そして1週間の時が流れた。
「いや~、まさか、こんなに早く片付いてしまうなんて」
書庫に入ってくるなり、バ館長は能天気な声を上げた。
たしかに乱雑に積み上げられた山々はもうここにはない。
あるのは本で埋まった一時置き用の本棚が5つと、私が積み直した四角い本の山脈が8ヶ所ほど・・・『片付いた』と言うには、まだまだ遠いのだけれど。
「貴女を雇って正解でした、ありがとうございます」
「そんな・・・この程度ではまだまだ、全然・・・」
「なんて謙虚な・・・」
私の返事を最後まで聞かずに、バ館長は感嘆の吐息を漏らした。
・・・何か勘違いされているけれど、それをわざわざ指摘するのも面倒くさい。
作業の進捗を確認しに来たのなら、もう用はないはず・・・早く出ていってくれないかしら。
「ああ、そうでした! 今日は貴女に別のお仕事があるんです」
「別の・・・お仕事?」
更なる雑用を押し付けに来たんだろうか・・・今度は上の図書館部分が散らかってるとか?
胡乱げな視線を向ける私に、館長は妙に真面目な視線を返してきた。
「ええ、貴女にはそろそろ・・・ここの司書のお仕事をやって頂こうと思いまして」
「司書の・・・お仕事」
私としては今の作業でも不満はないのだけれど・・・司書の仕事と言われると興味がある。
「ここはこのままで良いので、ついて来てください」
「・・・はい」
言われるまま、館長の後ろについて行く。
長い階段を昇って、図書館部分・・・私が入ってきた入り口の方に向かっているようだ。
ということは受付の業務だろうか・・・私を案内してくれた無表情なメイドの姿が思い出される。
「あの・・・館長、司書の仕事というのは・・・」
「うーん、ちょっと説明するのが難しいですね・・・やってみてもらうのが早いと思うんですが」
「??」
歩きながら館長に仕事内容を聞いてみたけれど、その返事は要領を得ない。
やってみるのが早い?
ちょっと嫌な予感がしてきたけれど、逃げ出すような余裕は私にはなかった。
「お客様、お待たせしました・・・ここからはうちの司書がご案内致します」
「え」
図書館の入り口のあたりで私を待っていたのは、例の無表情メイドではなく・・・お客様?!
研修とかなしに、いきなり接客対応?!
「ここからはうちの司書が~」そう言いながらお客様の方に私の背中を押すと・・・バ館長はそそくさと立ち去ってしまった。
「あんたがここの司書か・・・よろしく頼む」
「い、一応・・・見習いですが・・・はい、よろしくお願いします」
物珍しそうにまじまじと視線を向けてくる『お客様』に、緊張しながら礼をする。
その『お客様』は、立派な髭を生やした身体の大きな男性で・・・図書館の客にしては粗野な雰囲気だ。
けど・・・あれ・・・どこかで見たような気が。
「その・・・お客様、本日はどのような・・・」
いきなりの実戦でも、任された司書の仕事だ。
なんとかこなそうと・・・勇気を出して声を掛けると、とんでもない言葉が返ってきた。
「いや、陛下が俺に本を読めってしつこくてな・・・何か適当に読み易いのを頼む」
「!?」
陛下ってまさか皇帝陛下?! それも、そんな親しげに言葉を交わす間柄。
・・・もう一度よく相手の顔を見て、私は驚かずにいられなかった。
なぜなら、その『お客様』は・・・
「あの、ひょっとして・・・アモウ様ですか?・・・騎士団長の」
「こんな嬢ちゃんでも知ってるのか・・・この俺も有名になったもんだ」
そう言いながら、『お客様』は豪快な笑みを浮かべた。
皇国騎士団長、アモウ様。
たしか昨年に武闘大会3連覇を果たしたばかり・・・誰もが認める国一番の武勇で知られる人物だ。
「陛下のご命令ですか?・・・本を読め、と」
「いや、命令ってわけじゃないけどよ・・・なんか、強いだけじゃダメなんだと」
「・・・」
それを聞いて、私はアモウ様にまつわる噂話を思い出した。
アモウ様はまごう事なき最強の戦士・・・なのだけれど、頭脳の方はその・・・はっきり言って、馬鹿なのだと。
実際、アモウ様とは陛下と共にお城で何回かお会いした事があるのだけれど、私の事に全然気付く様子がないあたり・・・やっぱり噂通りの人物なんだろう。
「城にある本を読もうとも思ったんだが・・・アレはダメだ、すぐ眠くなっちまっていかん」
「・・・」
戦場では突撃をこよなく愛し・・・というか、突撃以外知らないんじゃないかと言われている。
いくら無双の豪傑とはいえ・・・これではさすがの陛下も不安だろう。
つまり・・・今、私に求められている司書の仕事はこうだ。
『馬鹿でも読める本』・・・それも軍人に役立つような内容の本。
それをアモウ様にご案内する事・・・場合によっては国の命運も左右しかねない。
(そんな都合の良い本なんて・・・ど、どうすれば・・・)
助けを求めるように周囲を見回しても、図書館には他に誰もいなかった。
まさか司書として最初のお仕事が、こんな責任重大なものになるなんて・・・
「そんな身構えるなって・・・ただ嬢ちゃんのお勧めを1冊貸してくれれば良いからよ」
「あ・・・あはは・・・」
事態の重さを自覚することもなく、あっけらかんと言い放つアモウ様。
私はただ、自分の乾いた笑いが図書館に響くのを感じていた。
「はっーはっはっ!」
あれからしばらくして・・・
次にアモウ様が図書館に訪れた時、彼は豪快な笑い声を伴っていた。
「いや~、釣れた釣れた! 大漁だったぞ!」
「あのアモウ様・・・図書館ではお静かに・・・」
狩りや釣りは貴族男性の趣味としては珍しくないけれど、この騎士団長も嗜んでいるらしい。
それが大層上手くいったのか、なにやら興奮した様子。
けれどここは図書館だ、そんな大きな声で騒がれるのは困る・・・それに、私に釣りの話などされても・・・
「すまんすまん、今日は礼を言いに来たのだ」
「お礼、ですか??」
「ああ、先日借りたこの本が役に立ったのでな」
そう言いながらアモウ様が得意げに取り出したのは、表紙に異国の鎧を身に纏った戦士の姿が描かれた一冊の本。
と言っても本と呼ぶにはごく薄く、絵がふんだんに使われたそれは絵本に近い。
『マンガでも読む面白戦国史・東洋編1』
それは先日、軍記物のコーナーから見つけてアモウ様に貸し出した本だ。
子供向けの絵本のような見た目なので、きっとアモウ様でも読めるに違いないと・・・本を渡す時、馬鹿にするなと怒られるんじゃないかとヒヤヒヤしたのを覚えてる。
アモウ様のこの様子では、どうやらお気に召したようだけれど・・・役に、立った?
「この本の中に『籠城した敵の目の前で酒盛りをして敵を誘い出す』というのがあってな・・・同じ事をやってみたのだ」
「やったんですか・・・戦場で、酒盛りを・・・」
語りながら、アモウ様は実際にそのページを開いて見せてくれた。
虎のような髭を蓄えた人物が敵城の前で大きな酒樽を抱えて飲み干す所が描かれている・・・アモウ様もこれをやったと。
「もちろん中身は水だぞ? 本当に酔っていては戦いにならんからな・・・だが相手の方はすっかり信じ込んでくれたわ」
「まぁ・・・それは、そうでしょうね」
『騎士団長アモウは頭が悪い』という噂はしっかり敵国にも伝わっている。
そんな人物が戦場で酒を飲んでいたら・・・単に油断していると思ったに違いない。
相手が酔っぱらっている隙に攻め込んでしまおう・・・そう考えるのはごく自然な流れだ。
「ああ・・・釣れたって、そういう・・・」
「うむ、だから俺は敵を蹴散らして言ってやったのだ・・・『この俺は酒を飲むほど強くなる』ってな・・・それを聞いたあいつらの反応と来たら・・・いや、面白かった!」
たしか酔拳だったか・・・どこかの国には、そういう武術もあるらしいけれど。
きっと、命からがら逃げおおせた敵の兵士達の間で噂になっている事であろう。
「嬢ちゃんに頼んで正解だった・・・というわけで、もう一冊頼む、いや一冊などと言わず、たくさんあっても良いな」
「は、はい・・・」
ならば、と・・・同じシリーズの本をひと通り貸し出す事にした。
一冊あたりは薄い本でも、たくさんあると結構な量・・・運ぶのはなかなか大変だった。
けれど、アモウ様はそれらを大きな革袋に入れると、ひょいと摘まみ上げてしまった。
「うむ、これだけあれば『読みごたえ充分』だな、はっはっは」
「・・・またのお越しをお待ちしております」
また大きな声で豪快に笑いながら、アモウ様は帰っていった。
それからしばらく経って・・・
「久しぶりだな嬢ちゃん、船で山を越えてきたぞ」
「船で?山を?」
しばらくぶりにあったアモウ様は、相変わらずの大きな声で、実に妙な事を・・・
私が首を傾げていると、彼は本のページを開いて見せてくれた。
そこには山道の上に丸太を並べて、大勢の人が船を運んでいる姿が描かれており・・・そこで私はなんとなく話の流れを察した。
「これを・・・やったんですね?」
「おう、なかなか大変だったぞ!」
封鎖された湾岸部を山越えで迂回した船団による・・・背後からの強襲。
常識外れの戦法に不意を突かれた敵は、アモウ様の武勇になす術もなく瞬く間に敗走していったのだという。
「本を読むたびに思ったが、世の中には面白い事を思いつく者がたくさんいるんだな」
「そうですね、それは私も同感です」
様々な奇策を編み出して戦った軍人達。
多くの魅力的な物語を描き出してきた作家達。
そのどれもが、きっと常人には無い才能の持ち主なんだろう。
「いや、俄然興味が湧いてきた・・・今度はもっと詳しく書かれた本を貸して貰えるだろうか」
「・・・」
そう言って頭を下げてきたアモウ様の瞳に、以前とは違う知性の輝きを見た気がした。
そんな彼の為に、私は少し難しい本を貸し出した。
これまでとは違う、文字ばかりの分厚い本だ・・・けれどきっと今の彼なら読んでいて眠くなる事はないだろう。
「これは・・・そこらの敵兵よりも手強そうだな」
重々しい装丁の分厚い本を手に・・・アモウ様は冗談めかした笑みを浮かべて見せた。
わずか一冊・・・重量では先日の本達に及ばないそれを、アモウ様は緊張した面持ちで受け取ると大事そうに抱え込んだ。
「ご健闘を、お祈りしております」
「うむ・・・必ず読破して参る」
まるでこれから戦場に赴くような足取りで図書館を去っていく。
そんな騎士団長の後姿に、私も生還を祈るかのように見送るのだった。
『アモウ騎士団長率いる皇国軍が、大陸を横断する大遠征を成し遂げたらしい』
私がそんな噂を耳にしたのは、その数年後の話である。




