第2話
夜の帳が、静かに竹林を包んでいた。
草庵の内、灯火は小さく揺れ、影が壁に淡く伸びている。
「先ほどの話だが...」
諸葛亮孔明は、炉端に視線を落としたまま言った。
「そなたの望みは、学でも、仕官でもない。それでいて、軽くもない」
ラビィは背筋を正す。
「はい。私は…あなたの知と志を、形として留めたいのです。ここではない、遠き地で」
未来の言葉は使わない。
だが、真意は偽らない。
「あなた自身を奪うことも、運命を変えることもありません。ただ、学ばせてほしいのです」
孔明はしばらく黙していた。
竹が風に擦れ、乾いた音を立てる。
「……知を持つ者は、使い方を誤れば災いを生む」
「承知しています。だからこそ、答えを急がず、問い続けます」
その言葉に、孔明はわずかに口元を緩めた。
「よかろう。そなたの願い、許そう」
孔明の許しを得たラビィは懐から小さな装置を取り出し孔明へと向ける。
目に見えぬ何かが、孔明から静かに流れ込む。
思考の癖、言葉の選び方、迷いと決断の重み。
初めての抽出は完了した。
「……感謝します」
「礼には及ばぬ。どう使うかは、そなた次第だ」
夜も更けていた。
「この時刻に、若い女性を外へ出すわけにもいかぬ」
孔明は淡々と言う。
「ここに泊まるがよい」
ラビィは一瞬戸惑い、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その夜、二人は語った。
天下の行く末、民の苦しみ、己の未熟さ。
英雄の言葉ではない。
ひとりの人が、考え、悩み、選び続ける声だった。
炉の火が落ち、静寂が訪れる頃、
ラビィは思う。
この人は、伝説になる前から、確かに“孔明”だった。
翌朝。
薄い霧が草庵を包み、鳥の声が近い。
簡素な食事を終え、旅支度を整えたラビィに、
孔明は一つの品を差し出した。
細長い、古びた竹簡。
「昔、書き損じたものだ」
孔明は肩をすくめる。
「推敲する前に、思考が先へ進んでしまってな」
刻まれているのは、未完成の考察。
整えられてはいない。
だが、確かに孔明の思索の痕跡だった。
「完成しておらぬ。だからこそ、そなたが考えよ」
ラビィは、両手で受け取った。
「ありがとうございます……大切にします」
「持つだけでは意味がない。知は、使われてこそ生きる」
別れの時は、あっけないほど静かだった。
孔明は見送らず、草庵の前に立つだけ。
ラビィは振り返らず、歩き出す。
背に、風の音だけを感じながら。
人目のない場所で、ラビィは遡行装置を起動した。
世界が歪み、色が溶ける。
次に目を開いた時、
そこは再び――月面都市ルナ=アルカディア。
白い光、整然とした街並み。
過去と未来の落差に、ラビィは一瞬、息を詰める。
抽出データを確認する。
そこにあるのは、確かな存在感。
そして、手元には一本の竹簡。
時を越えてきた、未完の知。
「……次は、誰に会おうか」
ラビィは小さく微笑んだ。
これは、まだ始まりに過ぎない。
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