Capture2-3 イレギュラー
「病院……なんか、嫌いなんだよな」
「んなーこったいってぇ。『天使病』の患者をいち早く発見できるのは、病院だろ? 未来の≪対天使専門医師≫がいいのかあ?」
「いや、何ていうか。嫌い! 薬の匂いとか、嫌いなんだよな……いや、仕事としてならいくけど。うーん、いや、頑張る! 俺、やる気だけはある!」
「そうそう、有栖はそうでなくっちゃな」
試験が始まり、五日が経過しようとしていた。しかし、その間、『天使病』の患者を見つけても、ミカヅキがいないためツバサは治療ができず、珠埜と、珠埜の相棒である≪誘導隊員≫・伊鶴一葉によって治療が行われていた。初めてではないが、やはり二人一組で行動する≪対天使専門医師≫の姿は格好良く、ツバサはそれを見ていつか自分も……と期待を膨らませていた。だが、肝心の相棒であり天使のミカヅキはその間姿を現さず行方不明で、刻一刻と迫る時間にツバサは焦るしかなかった。
家に帰っている様子はあるが、鉢合わせることはなく、避けられているのだけは分かった。完全に信頼しきって合い鍵を渡したのが運の尽きだろう。天使は、飲み食いせずとも不老で、第二の生を受けたとも言われるほど、人間とは違う生き物らしい。だからこそ、謎があり研究対象ではあるのだが――
「てか、ちあ兄の≪対天使専門医師≫の服、久しぶりに見た気がする。ザ・仕事人って感じでめっちゃ格好いい!」
「だろだろ~有栖も小さい頃、オレの服着て≪対天使専門医師≫ごっこしてたもんなあ」
「特別って感じがする」
「『特別』……か。確かにそうかもな。選ばれたものしか着ることが許されない服でもあるし。うん、有栖のいうとおりだ」
と、珠埜は感慨深く頷く。
≪対天使専門医師≫は、黒い制服に、白衣のような形をした、色は真逆の漆黒の黒衣……コートのようなものを着ている。倒すべき天使を象徴とする白と真逆の色彩構成になっており、ぱっとみ不審者に見えなくもないが、知る人ぞ知る≪対天使専門医師≫の正装なのだ。公務員まではいかずとも、その名と職業はここ十三年間でかなり広く浸透した。
「俺も、早く本物着てえ」
「もし、合格できたらオレのお下がりやるからな。有栖」
「えぇ、ちは兄のちょっとタバコ臭いだろー」
そんな和気あいあいと喋りながら、二人は歩く。ウィーンと自動ドアが開き、小さな市立病院の中に入る珠埜。後から、伊鶴と合流するらしく、連絡を取っているようだった。ツバサも、ミカヅキと連絡を取り合えるような仲であれば……いや、ミカヅキは連絡を返しそうにない、既読スルーされるだろうな、とツバサは想像しつつ珠埜の後に続く。
「≪対天使専門医師≫、≪救護隊員≫の珠埜千颯です。こちらの病院で入院している『天使病』患者についてお聞きしたいのですが……」
珠埜は慣れたように、受付に声をかけて≪対天使専門医師≫である免許証を見せた。受付の女性は、珠埜の顔と証明書を確認しているようで少し戸惑ったような、目を泳がせ、確認できました、と静かに会釈した。
「もうちょっとしたら、通れると思うからな。つっても、ミカヅキがいねえと、有栖は治療できないんだっけな」
「ちは兄、嫌味?」
「まー伊鶴と合流できたら、オレは、ちゃっちゃと治療するから、その間にミカヅキが戻ってきたら、有栖の手柄にすりゃいいし」
「偽装工作――」
「あーってことで、ちょっと待ってろよな!」
と、珠埜はわざとらしく声を上げた。
珠埜の優しさに甘えつつも、これがバレたら珠埜も煙岡に怒られるのではないかと、ツバサは申し訳なさに心を痛めていた。それにしても、先ほどの受付の女性の様子が少し可笑しかったような、と視線を珠埜から女性に向け、ツバサは女性を監視する。受付の女性は電話を手にすると、病院に繋ぎ電話の向こう側と会話を始めた。何もおかしくない動作だが、怪しく見え、ツバサはピンと糸が張ったような、鼻腔を何かがくすぐったような感覚を覚え、無意識に足を進めていた。
「おい、どこに行くんだよ。有栖」
「なんか、臭う。ちは兄、この病院、多分――っ、こっち」
「おいおい、持ち場は慣れたらって……しょうがないな、有栖は」
ツバサの行動に、驚きつつも、珠埜はツバサが度々こういった第六感を働かせ、危機を――天使に関わる情報を嗅ぎつけたことがあることを知っていたため、黙ってツバサについて行くことにした。ツバサ自身、自覚があるのかないのか、天使を引き寄せる、天使を見つけることができる才能があった。それを見越してか、煙岡はツバサに現実世界で天使を捕まえる仕事を任せていたのだ。ツバサは、自分の演技力で天使を騙したといっていたが、その真実は、彼の特異体質にあった。珠埜は、それをツバサに伝えてはいない。
ツバサは、病院の階段を駆け下り、地下に辿り着いた。そこには、大きな鉄の扉があり、そこに触れると、固く閉ざされていた扉が開き、エレベーターのような箱が現われる。
「こんなとこに、エレベーター? 妙だな」
「ちは兄……? いや、病院にも地下……いや、ここ、この下!」
「……ちょい待ち……いや、入るか。このエレベーター使ってたどり着いた先に、何かあるんだろ?」
「あ、ああ、うん。多分、俺の第六感」
「なら、あの受付の人に見つかる前に済ませるぞ」
「伊鶴さんは?」
「すぐ合流できると思うぜ。あいつは優秀だ。何ていったって、オレの相棒だからな」
と、珠埜は、ツバサにいう。
「ちは兄」
「何だ?」
「……やっぱ、何でもねぇ」
「そ。じゃあ、まあ降りるとすっか」
ツバサが言葉を濁すと、珠埜は怪訝そうな表情を浮かべた。しかし、今はそれよりも病院の中に潜む、何かを調査するのが先だと珠埜は、扉を閉める。
エレベーターの中は、一階や二階というボタンはなく、B6と書かれたボタンだけが存在していた。珠埜は迷わずそのボタンを押し、オレンジ色の光がつくと、ガコン、とエレベーターの鉄の箱はゆっくりと下に降りていく。
そのB6になにかがある。天使がいるのは間違いないと、ツバサは感じつつも、自分はミカヅキがいなければ何も出来ない無力だと感じていた。対する珠埜も、精神世界に入る際に必要な相棒≪誘導隊員≫がいなければ、治療はできない。一刻も早く相棒と合流し、合流した方から治療を開始しなければ――
ポーンと、エレベーターが止まり、扉が開く。そのすぐ目の前には、青白く発光した扉が待ち構えており、珠埜が触れるとすぐにもその扉が開いた。扉の先には、ベッドが円状に六つ並べられており、その上に死んだように白い成人もいっていない男女が寝ていた。また、ベッドには幾つものコードが絡まり、接続されているようでそれが、赤く発光している。
「なんだよ……これ」
ツバサが震えた声で呟くと、珠埜は目を伏せるだけだった。
「ちは兄!」
「チッ、実験施設かよ。趣味悪ぃ」
そして、隣の部屋に視線を向ける。そこには大きなガラス窓があり、その向こうにいる白衣を着た男達が手元の資料を確認しつつ何か打ち込んでいる光景が見受けられた。一体何が起こっているのか分からず、ツバサと珠埜はただ茫然と見つめている。男達は、ツバサ達に気づくと、慌てたようにこちら側の部屋に入ってこようとした。しかし、珠埜が≪対天使専門医師≫の免許証を見せると、彼らの動きは止り、顔を見合わせた。
「かっけー警察官みたいだな」
「まあ、一応歴とした資格でもあるわけだしな、この免許証。事情はよく分からねえけど、ここに眠っているヤツらは『天使病』の患者で間違いないし、それも、かなり進行が進んでいる……」
そう珠埜がいうと、タイミングよく、彼の相棒である伊鶴一葉が部屋に入ってきた。
黒ぶちの眼鏡をかけた伊鶴はクイッと眼鏡をあげ、ツバサには目もくれず、珠埜と合流すると状況を瞬時に把握し、ベッドが並べられている中心へと座ると、患者の手を掴み、もう片方の手を珠埜にむかって差し伸べた。
「千颯先輩、異分子かも知れませんけど、治療を」
「ああ――つことで、有栖いってくるわ。≪対天使専門医師≫の仕事場に」
「ちは兄……」
じゃっ、と片手で挨拶をし、珠埜は伊鶴の手を取った。パシンと、乾いた音と共に、二人の声がハモる。
「≪接続≫――ッ!」
その言葉と共に、珠埜はがくんと力が抜けたように気を失った。≪対天使専門医師≫、≪救護隊員≫として精神世界に無事は入り込めたということだろう。その傍らで、死んでも珠埜の手を離さないと≪誘導隊員≫の伊鶴が手を握っている。≪誘導隊員≫は、精神世界に入り込んだ≪救護隊員≫を現実世界と繋ぐ役割を担っている。手を離したら最後、≪救護隊員≫は自力で精神世界から帰って来れなくなる。だからこそ、二人一組、精神世界には入れる≪救護隊員≫と、精神世界と現実世界を繋ぐ≪誘導隊員≫、相棒が必要なのだ。
「伊鶴さん」
「あんま、話しかけないでくれるかな。有栖くん。気が散る」
「いや、でも、手……繋いでるだけだし」
「あのさあ、≪誘導隊員≫の仕事がそれだけだって思ってる? ≪誘導隊員≫ってのは、千颯先輩達が、帰ってこれるようにするだけじゃなくて、あっちで受けた痛みを引き受けてんの。外傷はないけど、内側からチクチク刺されるような痛みを」
「……す、すんません」
「分かってんなら、ヒーロー気取りの無力くんは引っ込んでなよ」
伊鶴はそういって、ツバサを突っぱねると、死んだように眠る『天使病』の患者をぐるりと見渡した。『天使病』が深刻化すればするほど、精神世界に現われる天使の数は多くなる。いくら、珠埜が長いこと≪救護隊員≫として戦ってきたとしても、一人で天使を――
「――やっぱり、お邪魔虫扱いされてんじゃん。アンタ」
「ミカヅキ!?」
ファサッ、と目の前に白い天使の羽が落ちてきたかと思えば、聞き慣れた声に、ツバサは振返る。するとそこには、行方不明になっていたミカヅキが羽を折りたたみ、ツバサの傍に降り立った。ミカヅキが戻ってきたことに対する安堵に、思わず飛びつこうとしたが、それよりも先に伊鶴が叫んだ。
「天使……っ? あ、ああ、千颯先輩がいってた……君も、天使のくせにヒーロー気取ってるんでしょ」
「は? 誰こいつ」
ミカヅキは眉間に皺寄せつつも、また面倒事に巻き込まれたとツバサを睨む。
「ちあ兄の、相棒で≪誘導隊員≫の伊鶴一葉さん。俺の二つ上……って、お前、ほんとどこに行ってたんだよ」
「……どこでもいいだろ」
ミカヅキはそう吐き捨てると、ベッドに眠る『天使病』の患者を見て目を細めた。一瞬で、これが異常な状況であると見抜き、また大きくため息をつく。
「あの人が、どれだけ強くても、一人じゃ無理だろ」
「はあ!? ちは兄は強いぞ! 俺が出会ってきた≪救護隊員≫の中でも――」
「数が多すぎる」
「……そこの天使。いい目、してる。数が多い。尋常じゃないね」
「大方、その六人全員の精神が繋がってるんだろう。どういう方法でそうなったか知らないけど、六人の重症患者を一人でなんて、無理。諦めて、帰還させたら?」
「……」
「なあ、さっきから何の話して……」
「有栖くん!」
伊鶴は切羽詰まったようにツバサを見る。そこで、ようやく、いつもは察しの悪いツバサが状況を把握した。また、期待に満ちた目で、伊鶴をみるが、伊鶴はそれが気にくわないというように目を細め、ミカヅキの方を見た。
「そこの天使となら、君も戦えるんでしょ。≪救護隊員≫して。ほんと、支部長のお気に入り何だか知らないけど、こっちは毎回毎回現場を荒らされてるんだ。少しは役に立ってくれよ……天使に力を貸して貰うなんて癪だけど、今は一刻を争う事態だ。やってくれるよね」
「まっかせて下さい。な、ミカヅキ」
と、ツバサは意気揚々とミカヅキに片手を差し出す。しかし、ミカヅキは、ツバサの手を握らず、伊鶴を睨み付けた。
「なんで、僕が力を貸さなきゃいけないの」
「ハッ、天使の分際で。処分されたくなければ、今すぐ有栖くんと精神世界にいって千颯先輩のサポートをしろ。ただでさえ、≪対天使専門医師≫は少ないっていうのに、ベテランの千颯先輩まで失ったら……」
「はあ……処分されるのは嫌だし。有栖」
「おっ、やる気になったか?」
「……ヒーローごっこじゃない。多分、これからむかう戦場は、この間よりも酷い」
「酷いって何で分かるんだ?」
「……天使のかん」
ミカヅキは、ツバサの手を握る。ツバサは気づかなかったが、ミカヅキは自身の手が震えているのに気づいた。鮮明に見えるわけではないが、少なくとも、この六人の精神世界が繋がっているというイレギュラーな状況に、恐怖を覚えているのだ。悪化した患者ということも――
縁の外側から、ミカヅキは、『天使病』の患者に触れ、ツバサの手を握り込む。
「≪接続≫――!」