Capture2-1 対天使専門医師・第八支部
「ヤベぇ、朝じゃん」
「昼だな。どちらかといえば」
「てか、その羽どうなってんの? 収縮自在なのかよ!?」
「知らない。けど、パーカーが破れるよりはマシだろう」
「文句言ったつもりはないんだけどなー。まあ、確かに! 俺のパーカーが、破られて着れなくなったら大変だな」
「自分の心配かよ……」
運良く、ミカヅキが前まで着ていたグレーのパーカーに似たものをツバサが持っていたため、ツバサはそれを貸すことにした。ミカヅキがパーカーを脱いだ途端、ゴミのように、汚い布になり、ツバサもミカヅキも驚いたのは昨日の夜のこと。どういう仕組みなんだと、二人で顔を見合わせたが、その謎の現象は科学では照明がつかないと、一旦おいておくことにした。
そんなこともありつつ、嫌々ながらもミカヅキはツバサのパーカーをありがたく頂戴することにした。ミカヅキの背中に生えた羽は、衣類をいともたやすく突き抜けてしまうのだ。それでは、いくら服があっても足りないと、ツバサとミカヅキは口論になり、その結果かどうか、ミカヅキの羽は収縮できることが判明した。今は、背中から毛が生えたような小さな羽として収まっている。これなら、天使とバレる可能性も低くなり一石二鳥だとツバサは言ったが、ミカヅキ曰く、羽を畳むのはかなりストレスがかかり、むずむずするらしい。しかし、金欠ツバサが、パーカー突き破られ事件を多発させることを、よしとするわけもなく、我慢してろの一言で、ミカヅキはそれ以上口論になるのが面倒くさいと思ったのか受け入れることにした。また、天使特有の白い髪の毛は色を変えることは出来ないため、ツバサはミカヅキにフードを深く被っておくよう言った。
「――話はごろっと変わるけどさ、アンタも相当変な生き方してるんだね」
「変っつぅか、まず、普通とか変の定義から俺わかんねえんだけど」
「変は言い過ぎたかもしれない……ごめん」
「謝ることねえって。まあ、普通でも、変でもこれが俺? って感じ」
「どんな感じだよ」
「んー、変といわれれば、変な箇所はあるしなあ。それに、詳しいことは覚えんだよな。七年前のことだし」
昨晩、ツバサの家を彼に掃除させた後、ミカヅキはツバサ自身についてどんな人生を歩んできたのかと、堅苦しい質問を投げた。ツバサは、そんな堅苦しさとは無縁のような、おちゃらけた軽い口調で、ミカヅキに、自身の歩んできた人生を語った。だが、それはミカヅキは想像もしないほど重く、彼こそ『天使病』にかかっても可笑しくないのではないかと思った。
一言で言えば、ツバサは虐待、ネグレクトを受けていた子供だった。昨日出会ったこむぎの家庭のように、父親から虐待を受け、はじめこそ母親が守ってくれてはいたものの、母親が『天使病』にかかり、それから父親は家に帰ってこなくなった。そして、ツバサはまともに学校に行くことも出来ず、衰弱していく母親を見つめているしかなかったとか。母親が『天使病』によって息を引取ると、父親が車に跳ねられたとそんな知らせが入り、彼は天涯孤独のみとなった。そして、それから暫くして、ツバサが尊敬してやまない≪対天使専門医師≫に拾われたのだそうだが――
本来なら、憎悪を向ける相手として父親が適切なのだが、その父親すらも死んでしまったため、行き場を失った悲しみと、憎しみが、どういう形でか、天使に向いてしまったのではないかと、ミカヅキは考えた。だが、その憎しみが、ツバサをこの世に繋ぎとめる鎖となり、彼は天使への復讐という思いを抱き今ここにいると。天使への復讐心がなければ、そして、彼を拾ってくれた人がいなければきっと彼は――しかし、それを言ってしまうと、ツバサがどうなってしまうか分からないためミカヅキは口にしなかった。ツバサが弱い人間だと思っていなくとも。
自身もきっと、そんなふうに……天使になってしまったのだと。ツバサとは違い、復讐という感情を抱けなかったから、『死にたい』と天使になってしまったのだろうと。ミカヅキは、改めて自分が天使になる前の記憶、『死にたかった』そのわけを、ツバサの過去を通してより知りたくなった。
「ここ、ここ。ここが、≪対天使専門医師≫第八支部!」
「……ビル……? このビル全部が?」
「そうそう、地下もあるぞ。あんまりいかねぇけど。んじゃ、入ろーぜ」
話をしている内に、目的の場所に着いたらしく、ツバサは人目も気にせず声を上げる。ミカヅキは、周りの視線を気にしつつ、目の前にそびえ立つ、といってもそこまで高いとはいえないビルを、眩しいものを見るように見上げた。
「あ、ミカヅキ、フード深く被っておけよ」
「……分かってる」
ツバサは、ミカヅキのパーカーを深く被りなおさせつつ、ビルの中へと入っていくのだった。
ビルの中に入ると、まず目に入ったのは受付だった。≪対天使専門医師≫の支部、というくらいだから、病院かと想像していたが、普通のオフィスのような感じでミカヅキは拍子抜けをする。ツバサが受付の女性に、「煙岡さんいますか?」と声をかけると、女性はツバサを上から下まで見ると困ったように笑い、受話器を手に取りその煙岡という人物に電話をつなぎ、直でくるようツバサに伝えた。ツバサはすぐに戻ってくると「すぐ会えるってさ」と嬉しそうにミカヅキの手を引いた。
そして、エレベーターが開くのを待つ間に少し話をするのだが――
「なあ……」
「ん? ああ、緊張してる感じ? 煙岡さんっていうんだけど、ここの支部長。ああ、俺の恩人で、親父代わりで……」
「じゃなくて、本当に大丈夫なんだろうな。いきなり、僕殺されたりとか――」
「ないだろー。煙岡さんだし。それに、オフィス汚れるじゃん。目の前で首ちょっぱーんとか。ないない。さすがにそれは銃刀法違反だし」
「アンタのは、信用ならない」
ポーンとやってきたエレベーターに、ツバサは迷いなく乗り込み、ミカヅキも慌てて後に続く。が、フードを深く被りすぎて視界が狭くなっており、柱に激突してしまう。
「何やってんだよ」
「アンタが、フード被ってろって言ったんだろう」
「俺のせいかよ」
と、苦笑しつつも、ツバサは八階のボタンを押し、エレベーターが閉まる。エレベーターは、問題なく運行し、少しの時間が流れると扉が開き、ミカヅキは口元を抑えつつ外気を求めるように外に出た。
すると、目の前には、白く長い廊下が延びており、まるでSFの研究室にでも迷い込んだような気になる。
「ミカヅキ、こっち」
「あ、ああ……うん」
ツバサに声をかけられ、ミカヅキは我を取り戻して彼の後をついていく。カツンカツンと足音が廊下に反響し、真っ直ぐにのびる廊下を進んでいくと、一つの扉が現れる。その扉をノックし、内側から返事が返ってくる前にツバサは重厚な扉を開けた。おい、と言うまもなく、ツバサは、扉の向こうにかけだしていき、仕方ないな、という感じでミカヅキも後に続く。
部屋の中は、いかにも偉い人がいます、といったように広く、その真ん中には大きな机と、それを挟むように二脚の椅子が置かれていた。
「おっ、有栖じゃねえか。最近顔みてねえなって思ってたら。このぉ~連絡ぐらいよこせよ」
「あははっ、ちょっと、忙しくて。千颯さんも元気そうで、何よりっす」
「んな、変な敬語いらねえって。オレのこと兄貴だって思ってくれていいっていっただろう~」
「んじゃ、ちは兄~」
「おーいいぞ、いいぞ。ちは兄って新鮮だな!」
と、部屋にいた背の高いつんつん黒髪の男が、ツバサに気づくと、勢いよくハグをし、ツバサの頭を優しく撫でつける。ツバサも嬉しそうに受け入れているところから、彼等の仲の良さがうかがえた。
しかし、何が何だか状況が理解できないミカヅキは、ポカンと一人取り残され、彼らの仲の良さを目の前で浴びる羽目になってしまった。ミカヅキ自身、陽と言うよりも陰寄りの人間で、ツバサの性格すら眩しくて受け入れがたいのに、さらにその上をいく誰とでも仲良くできそうな黒髪の男に少しの畏怖と嫉妬を憶える。男と、ツバサの親密感から、兄弟という関係が連想され、ミカヅキはふと視線を外した。
「――っと、で、有栖。あいつは誰だ? 知り合い? なんだよな。連れてきたってことは――まさか?」
そういうと、千颯と呼ばれた黒髪の男は、ミカヅキに近付いてき、角度を変え、ミカヅキを頭の先からつま先まで眺めていく。それは、ミカヅキにとっては恐怖でしか無く、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られるが、蛇に睨まれたカエルのごとく動けなかった。ミカヅキはこの男が、自分の天敵であると認識したからだ。
やがて、千男は一通りミカヅキを眺め終えると満足したのか頷いてみせる。
「フード被ってるんじゃあ、顔よく見えねえな。恥ずかしがり屋かぁ? あ、オレ、千颯。珠埜千颯。よろしくなー。んまあ、有栖の知り合いっつぅなら悪いやつじゃないだろうし、ほーら、顔みせろって」
「まっ――」
「は?」
意気揚々と、珠埜はミカヅキのフードを脱がせたが、その後ろで、ツバサが「あっ」と口にしたのを聞いてしまった。しかし、その時既に遅く、ミカヅキのフードはとられ、彼の真っ白な天使特有の髪の毛が露わになってしまう。
それまで陽のオーラ全開だった珠埜の顔も、一気に険しいものとなり、深い皺が額に刻まれる。
「てん……し?」
「ちは兄話を――っ」
「その必要はない」
と、珠埜と、ツバサの話を遮ったのは、全くの第三者で、後ろからポンと、ミカヅキは肩を叩かれ硬直する。後ろに熊でもいるような、また先ほどよりも鋭く恐ろしい殺気で、ミカヅキは動けなくなる。しかし、珠埜の後ろにいるツバサだけは、目を輝かせ「煙岡さん……」と呟く。ミカヅキはそこでようやく、自分の後ろにいる人物が今日の目的の人物だと察した。
「煙岡さん、俺、相棒を見つけて――!」
「有栖」
「はい!」
「天使の相棒は駄目だ。認められない」
低く地響くような声から発せられた言葉は、ツバサの心を折るような、冷たく決定づけられたものだった。