Capture1-5 ミカヅキ
「はあ~すげえ、やりきった感! な!」
「……」
「しっかし、ほんとどういう仕組みだよ。てか、俺≪救護隊員≫みたいだった? 本物の≪救護隊員≫みたいだったよな!?」
「…………煩い」
「ほんっと、いいことした感。まっ、一銭の価値にもなってねえけど、それでも――」
「おい」
「何だよ」
夕暮染まるアスファルトの上を二人は歩いていた。前を歩くツバサにむかって、少年は声を張り上げると、ツバサは振返ることなく足を止めた。後ろに伸びる影は、揺れていて、ツバサの精神状態を表しているようにも思えた。
少年の手には、もう手錠ははめられていなかったが、少年はそんな危ういツバサから離れようとは思わなかった。逃げようと思えば、その羽でどこまでもとんでいけるのに。足が地面にくっついたように動けなかった。
「――アンタ、よかったのか」
「何が? 俺は、こむぎちゃんのヒーローだっただろ」
「そうじゃなくて。いや、こむぎ……ちゃんは、喜んでたと思うけど。お母さん戻ってきて。でも、アンタ聞いただろ。あの精神世界で。あの母親は、あのまま死にたがっていた」
「だから?」
「だからって……『天使病』が不治の病って言われているもう一つの原因。それが何か分かるか?」
と、少年はツバサにむかって問うた。ツバサの顔は逆光になっていて表情が読みづらい。しかし、答えないところを見ると、知らないのか、若しくは答えたくないのか。少年は、ふぅと息を吐いてから自身の白い手のひらを見た。自分は天使化に成功した天使だが、きっとあの母親はそうはならなかったのだろうと。何となく、そんな気がしてならなかった。
「『天使病』は≪対天使専門医師≫たちの力によって、治療することができる。でも、あくまで治療だ。完治までには至らない。どうしてか分かるか?」
「知らねえよ」
「……知ってて、目を背けるんだな。アンタは。『天使病』の天使ウイルスを殺したとしても、その患者の『死にたい』っていう感情までは取り除けない。だから、またそいつが『死にたい』って思ったら、『天使病』に感染する。アンタのやってることは、寿命をほんのちょっと延ばしただけに過ぎない。根本的な解決にはなっていない。はっきり言って無意味だ」
「無意味なんかじゃねえ」
「『天使病』を治せる≪対天使専門医師≫はそりゃ立派だと思う。けど、それまでだ。『天使病』にかかった患者のその後のカウンセリングはしない。そこが重要だと分かってるくせにな。それか、あれか? 金稼ぎ――」
「煩い、黙れッ」
ツバサは堪えていたものが爆発したように、拳を振るわせ叫んだ。
ツバサだって分かっている。『天使病』を、天使ウイルスを取り除くことはできても、その患者の『死にたい』という感情、思いまでは取り除けないことを。やっているのは、あくまでウイルスの除去であり、病気を治したに過ぎない。≪対天使専門医師≫はその後のカウンセリングを行わない……いや、行う余裕がないのだ。だから、少年のいう金稼ぎという目的は的外れだ。もちろん、一度『天使病』を直した患者が再発して、また治療を依頼されることもあると聞く。『天使病』というのは一種の精神病のようなものだ。だからこそ、『死にたい』と思う前に、その人間に救いの手を差し伸べなければならない。だが、人間とは、それらの感情をふさぎ込み、自分の内にとどめてしまう生き物なのだ。気づくころには――
少年は、ツバサを真っ直ぐな目で見つめていた。
「それでも、アンタは≪対天使専門医師≫……ヒーローでありたいのか?」
「……ああ、それでもヒーローでありたい」
「自分の母親が『天使病』によって亡くなったからか? 同じ思いをする人間を減らすためか?」
「……それも、そうだ、な。でも、お前のいうとおり、俺は『天使病』の患者には寄り添えない。かかる前に、どうにかできないから、治療って荒療治を行う。そいつらにとってのヒーローにはなれない。言えば、ヴィランだ。けど、こむぎや、『天使病』の患者に生きて欲しいって願ってる人間のヒーローにはなれる」
「それ、さっきも言ってたな。アンタ、それ……復讐者みたいだな」
「そうだな、復讐者かもな。ただ、天使を殺す……それで、ヴィランって言われても、ヒーローって言われても……俺がヒーローだって、思ってるうちは、俺はヒーローだろ」
「暴論だな」
「天使を殺す。この世界から『天使病』をなくすまで、俺は戦うヒーローになる」
「ほんと、どれだけ、天使のこと嫌ってんだよ。なのに、僕を……」
だから――と、ツバサは少年の手を掴んだ。予想もしなかったタイミングで手を捕まれたことに動揺し、少年は目を丸くする。そこには、先ほどくらい顔をしていたツバサはおらず、少年らしい清々しい笑顔のツバサがいた。
夕日よりも赤い、彼の鮮やかな赤髪が風で揺れる。
「俺が天使を殺すためには、相棒が必要なわけ。だから、お前の力がこれからも必要! よろしくな、相棒!」
「……はあ、あれ一回きりだと思ってたのに。天使嫌いなくせに、僕はいいのか」
「相棒だし。まあ、天使が相棒ってあれかもだけど。あ、んで、お前の名前考えたんだけど」
「話をすり替えるな」
ツバサは、ルンルンと鼻歌でも歌いだしそうな勢いのまま、少年を見た。切り替えが早すぎる。だが、馬鹿馬鹿しく思いつつも、少年はツバサをみる。
「んーと……な、さっきお前が剣の姿になったとき、刻まれていたエンブレム? みたいなのが、三日月型だったから、『ミカヅキ』! で、どうだ? 『ミカヅキ』! お前は今日からミカヅキな!」
「安直……でも、名前がないよりかはマシか。ミカヅキ……ミカヅキか……」
「なっ! いい名前だろ。ミカヅキ」
「平凡、普通、凡庸」
「まあ、そういうなって。ミカヅキ! って感じだろ!?」
「どんな……まあ、好きに呼びなよ」
「今、照れたのか? 照れたんだな~ミカヅキ!」
「おい、絡むな、馬鹿!」
うりうりと、からかうツバサをミカヅキはどつく。しかし、そこに一切の殺意も悪意もないことを感じとって、ツバサは幸せそうに笑う。
「――てか、これからどうするのさ。ずっと気になってたんだけど、アンタ、≪対天使専門医師≫じゃないんだろ? でも、知識は……いや、知識も大分危ういけどさ」
「まあ、俺の憧れの人? 親父代わり? が、≪対天使専門医師≫の支部長で、現役の≪救護隊員≫なんだよ。んで、俺はその人に素質あるぞ! って言われて、ずっと、≪救護隊員≫目指してたわけ」
ツバサはスマホで誰かと連絡を取りながら歩く。画面を覗こうという趣味はないため、ミカヅキは何も言わなかったが、電柱に何度もぶつかりそうなツバサを見て、呆れてものも言えなかった。
「……分かった。で、今どこに向かってる?」
「俺んち。今日はもう遅いし、明日の朝にでも、その人に会いにいこうって思って。その人にさ、相棒が見つかったら≪救護隊員≫として認めてやる! って言われてんだよ。まあ、その相棒が天使だったのは予想外だけど。でも、初戦闘で、あれだけ戦えたら、合格もんだろ。やっぱ俺って素質あるんじゃ」
「待て、僕をそんな≪対天使専門医師≫の巣窟に連れて行くつもりなのか!?」
「だって、相棒じゃんか」
「……明日が命日になるんじゃ」
先ほどまで、少し弾んでいた足はだんだんと重くなり、背中に生えている羽もしおしおと畳まれていく。そんなことを気にする様子もなく、ツバサは歩き、隣に空き地のある古いアパートまでつくと、赤くさびれた鉄骨むき出しの階段を駆け上がっていく。どうやら、ここが家らしいと、ミカヅキは顔を上げるが、見る限り、今にも崩れそうなボロアパートだった。潔癖症というわけではないが、絶対に部屋は狭いし、汚いだろうなという想像がつき、ミカヅキは頬を引きつらせる。
「早くこいって。ほら、お前一応天使だからさ、見つかったらヤバくね?」
「……はあ、もう、なんでもいいや」
ミカヅキは諦めたように階段を上り、一番端の部屋で待っていたツバサと合流する。
明らかに、ドアノブも錆び付いており、ツバサも鍵を開けるのに苦労していた。そして、ガチャリと鍵がまわる音が聞えると、外れそうなドアノブを捻って扉を開ける。中から、カップ麵やら食べかけの弁当やらの臭いがし、これはまずいと鼻をつまむ。
中に入れば、予想通り、足の低いテーブルの周りにそれらのゴミが散乱していた。
そして、チュウと、ミカヅキの足下にネズミが這う。ゾワゾワッと羽まで震え、ミカヅキは堪えていた怒りを爆発させた。
「足の踏み場ねえけど」
「有栖……」
「何んだよ。顔怖えけど」
「片付けろ――今すぐにッ!」
ミカヅキは、鬼の形相でそう言うと、ツバサはひえっ、と小さく悲鳴を上げ、すぐさま大きなゴミ袋を持って片付けを始めた。