Capture1-3 復讐者
「――おーい、起きろ。起きろって」
「ふがぁっ!?」
鼻の頭をギュッと抓まれ、ツバサの意識は覚醒する。確かな痛みと、息苦しさに目を覚ませば、サラリとした白髪のカーテンが視界いっぱいに広がっていた。綺麗な白髪、一瞬美人に押し倒されているのかと思いきや、そういえば……と、ツバサはむず痒い鼻頭を押さえつつ目を擦る。先ほどの美人は、むすくれた表情の少年に変わり、白い瞳孔がギラリと光っていた。少年は、ツバサが目を覚ますまで待っていたようだ。かなり、長いこと意識を失っていたらしく、ツバサは少年に悪ぃ、と謝りつつ立ち上がる。
「本当に耐性があるのか? 見たところ、初めて精神世界にきたみたいだけど」
「お前も初めてだろ! あるっていわれた! 俺は≪救護隊員≫の適性あるっていわれた!」
「子供みたいだな……はあ、全く、どうして僕がこんなヒーロー気取りのやつに」
「ともかく、お前のおかげで、無事精神世界には入れたことだし、これから天使をバンバンやっつけて治療して現実世界に戻ろうぜ」
「勝手にしろ。僕は、精神世界に連れて行くことは約束したが、手を貸すとはいっていない」
と、少年は、バツが悪そうにし、居心地悪そうに視線を泳がす。
「あっそ。俺だけでも、天使倒せるし。まっ、高みの見物でもしておいてくれ」
ツバサはそういうと、スクワットをはじめ、準備体操をし始めた。
これから、天使を倒すつもりらしいが、精神世界は現実世界とは似て非なるもので勝手が違う。似ているところをあげるとするなら、五感はしっかり機能しているということ。現実世界に戻ったとき、精神世界で受けた傷をそのまま持ち帰ってくることはないが、精神的ダメージは受けるため、攻撃を喰らいすぎれば精神疾患、鬱病や、幻覚症状が現われることもあるそうだ。また、精神世界においても、”死”という概念は存在し、精神世界においての”死”は現実世界同様――精神世界においての”死”は、現実世界の”死”と同義なのだ。
ただ、精神世界というだけあって、相違点もあり、現実離れした動きが精神世界では可能である。傷を負うことはあるが、普通なら大けがものの攻撃を喰らったとしても、無事な場合もあるとか。勝手が違う、というのはツバサも理解しているようで、目の前に広がる黄金の小麦畑を見て、ふぅ……と息を吐いていた。
一面に広がる黄金の小麦。空も、黄金色に染まり、悠々と雲が漂っている。風の匂いもリアルに感じ、現実との区別がつかなくなる。それでも、ここが幻想郷であることはなんとなく理解していた。
「んで、天使はどこに――っ!?」
ツバサは、さっそく天使を探そうと、準備運動を済ませ目を凝らすと、目の前にふらりと白い人間のようなものが二体どこから智泣く現われた。背中に羽を生やし、真っ白な肌に、真っ白な髪、一枚の布で身体を覆い、男とも女とも取れないそれ――天使はツバサに明らかな殺意を持って、その手に握った剣を振りかざした。
「うおっ」
間一髪、天使の攻撃を受け流すことができたが、天使が攻撃した地面はえぐり取られ、クレーターが出来上がっている。一撃でも喰らえば致命傷になりかねない。天使は、ツバサが攻撃を避けたと同時に距離を置き、また攻撃の構えをとる。連続攻撃はできないようだった。様子を見ているのかも知れない、とツバサは考えあたりをもう一度見渡した。しかし、武器になるようなものはなく、生身一つで、天使二体と対峙するという状況に陥ってしまう。
「≪救護隊員≫は、武器持って戦ってるっていってたよ……っ、なあっ!」
ツバサは、教えて貰っていたことと違い、戸惑っていた。攻撃をかわすしかなく、次々に繰り出される、鋭利な剣の攻撃に翻弄されていた。
≪対天使専門医師≫の≪救護隊員≫は、精神世界に入り込むと、その人物の精神の安定、強さに応じて一つだけ武器が生成され、それを用いて天使と戦う。だが、ツバサは、一般的な精神世界に入るための手順、接続を踏んでいないためにバグが起こっているようだった。天使の少年はそれを知っていたが、ツバサに伝えなかった。≪救護隊員≫には、精神世界と、現実世界を繋ぐ、≪誘導隊員≫が必要不可欠であることを。元から、知っていると思っていたが、目先のことに囚われすぎた馬鹿だ、と少年はツバサを呆れたように見下ろす。
「お、おい! お前も、どうにかしろよ」
「さっきも言ったけどさあ、僕は戦う気なんてないよ」
少年は、ふぁあ、と欠伸をして、呑気に小麦畑にそびえる木の上で昼寝をしている。ツバサは、小麦を薙ぎ払いながら天使の攻撃をかわすが、地面に突き刺さる剣先をみて、これは時間の問題だと感じ、少年の方を見る。少年はいわんこっちゃない、と目を細めていた。
「ヒーロー気取りもいいところだよ。誰に、適性があるなんていわれたか知らないけど、アンタは何にもできない。現実世界に戻してあげるからさ、戻ってさっきの少女に頭下げなよ。治療できませんって」
「んな、格好悪いことしたくねえ」
「悪足掻きも大概にしておいた方がいいぞ。アンタ、そのままじゃ死ぬぞ、本当に」
少年の言葉がツバサに鋭く刺さる。
ツバサは、理解していた。自分が非力であることを。≪救護隊員≫でもなければ、ただのヒーロー気取りの凡人だと。本物の≪対天使専門医師≫ではなくて、現実世界で、天使を捕まえることでしか、人の役に立てない人間だと。分かっていた。そんなのヒーローじゃないって。だからこそ、ツバサには、本物の≪救護隊員≫になるための相棒が必要だった。
「があっ」
天使の振るった剣の風圧にツバサは巻き込まれ、少年が寝ていた木の根元に叩き付けられる。背中から伝わってくる痛みは、現実のものと変わらずリアルで、息が荒くなる。
「はぁ、はっ、なあっ! お前が戦いたくないならそれでいいさ。でもなあ、こむぎ……あいつ、お前の事もちゃんと見てたぞ。忌むべき天使だって分かってたけど、母親を助けてくれるかもって、お前に期待してた」
「だから、何?」
「天使でも、ヒーローになれるさ……だから、手ぇかせ」
「やだね。面倒事は嫌いだ」
「……」
「てか、なんで、アンタ。そんなヒーロー目指してんの? 子供じゃないんだし、現実見ろよ。≪対天使専門医師≫じゃなきゃ、天使は倒せない。アンタは特別でも何でもない。選ばれた人間じゃないんだよ。自分が無力で非力だって、分かってるだろ? なのに、ヒーロー……? 馬鹿馬鹿しい。捨てちまえよ、もっと酷い絶望味わう前に、死にたくなる前にさあ、そんな夢」
「――やだ」
「あぁ?」
「やだっていってんだよ! 俺は、ヒーローだッ」
ツバサは立ち上がりつつ、叫ぶ。背中は痛みで痺れるが、それが生きている証であり、確かにここにあるものだと感じた。自分が憧れていた仕事――しかし、それは、想像より過酷で、生死のかかったものであると、ツバサはそう実感した。
少年は、ツバサが何故頑にそこまでヒーローという存在であろうとすることに固執するのか分からなかった。しかし、彼の青い瞳に浮かんだそれは、ヒーローが持つ正義の色ではなく、復讐に染まったヴィランのような禍々しいものだった。
「夢……昔っから、ヒーローに憧れてたのは事実。無力なのは、今も昔も変わらない――こむぎと一緒さ。俺も、父親に虐待されてた。母親は庇ってくれてたけど、限界が来て、『死にたい』って口にするようになった。そんで、すぐ『天使病』発症して、死んだ。天使が、母親を殺した」
「それは――」
「分かってるよ。人間は弱い。周りのヤツらが、弱いヤツらを死に追いやることも。変わるべきは、周りの人間だってことも。でも、でもな、簡単に『死にたい』が叶うようになっちまった世界で、忌むべきは……恨むべきは天使だろう。死にたくても、死ねなかった十三年前とは違う。死にたいと思えば、死ねる世界になっちまった。簡単に『死にたい』って口にできるような、そんな世界になっちまったんだよ。そんな世界にした天使が俺は憎い――ッ!」
「……」
「俺は、天使によって殺される人間を減らしたい」
「それは、アンタのエゴだろう」
「ああ、そうだな。エゴッエゴだな。死にたがりは、勝手に死なせといてやれよって、そう言われるかもな」
「理解してるんだ」
少年は、自分と重ねるようにいう。自分がどんな理由で、『死にたい』と思って天使になったのか。けれど、『死にたい』と思っていたのは事実であると。そして今、ツバサが恨む天使であることに、少年は恐怖と、そして何処か賞賛の気持ちを抱いていた。
その姿はヒーローとはほど遠い、復讐者なのに。それでも何故か、ツバサが輝いて見えたから。
「でも――例え、『天使病』にかかったヤツが、死にたいっていったとしても、周りの『生きて欲しい』って願うヤツの思いを叶えるヒーローに俺はなりたいッ!」
復讐は希望に――それを体現したような、ツバサに、少年の心はドクンと、息を吹き返したように動かされた。
馬鹿だと思う。馬鹿で、言っていることはエゴ丸出しのエゴイスト。筋が通っていないわけでもないが、何処か普通とは外れた少年。自身とは、年齢も大差ないはずなのに、彼は自分の母親が『天使病』によって、天使によって殺されても、『死にたい』と思わず、復讐という生きる道を選んだ。彼は弱者じゃない、強い人間なのだ。
「――馬鹿だな」
「うああっ!」
再び天使によって巻き起こされた突風に巻き込まれ、今度は風の刃がツバサの身体を引き裂く。確かな痛みと共に、血が流れ、ツバサは苦痛に顔を歪める。
精神世界の天使は、現実世界の天使とは違い、活発で好戦的だ。まるで、免疫細胞が、外から入ってきたウイルスを排除しようとするような勢いで襲い掛かってくる。ウイルスは、天使であるはずなのに、宿主を幸せにするのは自分たちだと主張するように。
顔のない天使は、ツバサを標的に二体だったのが、三体、四体と増え、囲んでいく。二体でも、丸腰で攻撃の宛てがないのに、さらに増えた天使をどう相手取るのか。ツバサは険しい表情で天使を睨みつける。
「万事休す……だな?」
「は、はあ!? ちげぇし、ここから起死回生をだな!」
上から声がふってきたかと思うと、少年が座っていた木の上から飛び降りてきた。背中の真っ白な羽を広げ、そして、小麦色の草原に着地する。ふわりと、それこそ、羽が舞うように。天使たちは、その少年の姿を見て、顔を見合わせる。
「こ、攻撃がやんだ?」
「天使は……天使同士は殺し合えない。一応、仲間として認識されてるしな。てか、ほんと無知すぎない?」
「助けてくれたってことか……?」
「違う。でも、僕じゃこの天使は殺せない。いや、このままの状態の僕じゃ殺せないと言った方が正しいか」
「さっきから何一人、ぶつくさと――え?」
ツバサが、何のために口を挟んだんだ、といぶかしげに見ていれば、少年は先ほどと同じように、ツバサに真っ白な手を差し伸べていた。ツバサは彼の手と、顔を交互に見る。
「ヒーローになるんだろ?」
「なる……けど、え、何を?」
「力を貸してやる。でも、対価は重いぞ」
と、少年は、コクリと頷いた。そこでようやくツバサは、彼が自分に手を貸してくれると理解し、少年に手を伸ばす。何が起るかさっぱり分からないが、彼の手を掴めば、何とかなりそうだと思ったのだ。ここから巻き返せる、起死回生を。
「対価? 何払えばいいんだよ」
「簡単だ――僕を殺さないこと。そして、僕が人間だった頃の記憶、『死にたくなるような』理由を思い出させること。ただそれだけだ」
「二つあるじゃん。まあ、いいや。その話乗った!」
パシンと手と手が触れ合う乾いた音が鳴る。それと同時に、温かな白い光が小麦色の草原に広がり、少年の身体は発光し、その姿を変える。
≪合体≫――!!
ツバサが目を開く頃には、彼の手に馴染んだ、大きな剣になっていた。それは、本物の≪対天使専門医師≫の≪救護隊員≫が持つ唯一無二の武器のように。
「すっげぇ……」
銀白に光る刀身に、黄金色の柄、三日月型のエンブレムが刻まれた英雄の大剣に、ツバサは大きく目を見開いた。