Capture8ー3 歓迎
街中で、会いたくない敵と相対した時、どう行動するのがベストだろうか。
「ミカエル――!」
「こっちの世界では、猫羽ネロって呼んでほしいにゃん」
「いっちょ前に、人間の名前名乗ってんじゃねえよ! 天使の分際で! ミカヅキ、支部に連絡――!」
「わ、分かった……っ!?」
「はいはーい、そういうのよくにゃーい」
ミカエルが何か仕掛けてくる前に、とツバサはミカヅキに第八支部の方に連絡をと指示を出したが、いつの間にか背後に白いローブを羽織った人間がたっており、背中に硬い何かを当てられる。ひんやりとしたそれは、すぐに拳銃だと見抜き、ツバサもミカヅキも身動きが取れなくなる。
牡丹が殺されたときのことがフラッシュバックし、二人とも、喉からひゅっと息が漏れるだけで、言葉を発することもできなくなった。
「うんうん、下手に動かない方がいいにゃ。ドーンして、バーンで、ドビュー! って血がでるにゃ」
「な……なにが目的だよ。人気のないとこ連れてって、殺そうって魂胆か?」
「ええ~アリス、なんか勘違いしてるにゃ。天使はそんなひっどいことしないにゃ」
「なら、精神世界で攻撃してきたわけは?」
「精神世界と、こっちを同じにしないでほしいにゃ。天使は、こっちではすごーっく温厚にゃんだにゃー! ま、あっちは現実世界の法もルールも、なーんも存在しにゃいし、好き勝手出来る。殺しだって、しても怒られない。殺しても問題にゃいだろ?」
「……」
ふざけた口調で、淡々と話すミカエル――猫羽は、その場でくるくると回ると、ツバサの方へ二三歩近づき、ぽん、と手の見えないぶかぶかな袖からパンチを繰り出した。音も、ぽふっ、と何とも可愛らしい音で、痛みも何も感じない。
「こっちでの天使は非力なんだにゃ。だから、天使協会の力が必要。天使は人間に新たな選択肢と可能性を与え、導く代わりに、人間に守ってもらわにゃきゃいけない存在。ボクらと、天使協会は相互関係にあるんだにゃ」
「……だから何だよ」
「天使協会の思想、ボクらがなそうとしていることを少しでも知ったら、≪対天使専門医師≫のお前らも、少しは考えを改めるはずだにゃ」
そういうと、パンパンと手を鳴らし、猫羽は後ろにいる天使協会の人間に指示を出し、拳銃をさらにぐっと二人の背中に押し当て、歩くよう先導する。
「なあ、ミカエル」
「猫羽ネロにゃ」
「……ネロ。これ、目立つだろ。逃げねえから、やめてくれるよう言ってくんね?」
「んー確かに、アリスの言う通り目立つにゃね。本当に逃げにゃい?」
「逃げれると思ってんのか?」
「はは~ん、アリス、馬鹿だけど飲み込みだけはいいにゃね。そういうとこスキ」
猫羽の指示で、すぐに拳銃が下ろされる。だが、ツバサの言う通り、逃げることなどできないようで、周りから何人もの視線がツバサたちを囲み、監視しているような感覚にミカヅキは顔をしかめる。どういった経緯で、自分たちの動きを予想し、先回りしたのかは分からないが、用意周到な、猫羽の行動に、ミカヅキはどうあがいても、対策のしようがなかったと肩を落とす。
団体で動いていればこうはならなかったのか、いや、なっただろうという根拠なき確証を持つ程度には、この事態を避けられなかったと、ミカヅキは悔しがっていた。
なんとか、第八支部の方に状況を伝えられればいいのだが、下手に行動すれば、彼らの持つ武器で、殺されかねない。ここは、大人しく従っているのがいいと、ミカヅキは、ツバサから目を離さないよう後をついていく。
「て、てかさ、ネロ。一個、何個か質問いいか?」
「んー答えられる範囲でにゃー」
「ネロは、男なのか? 女なのか?」
「……ツバサ、何質問してんの?」
もっとためになる質問しろよ、名を名乗る天使に関わる情報とか、天使協会の情報とかさ……と、ミカヅキは突っ込もうと思ったが、それらの質問に対し、猫羽が答えてくれる確率は低いと、本当にごく普通で、役に立たないかもしれない情報でもいいから聞き出せと、ミカヅキは圧を送る。
「んーアリスはどっちだと思うにゃ?」
「……お、女?」
「ピンポンピンポンピンポーン! ペンポーン! 正解にゃ!」
「はあ~よかった。外したら殺されるかと思った」
「どんな心配だよ……」
ほっと胸をなでおろしているツバサの隣では、あてられたことを嬉しそうにしている猫羽の姿がある。その姿が、天使というよりも猫にしか見えず、ミカヅキは呆れたように息を吐いた。
「ふーん、意外とビビりなんだにゃ。アリスは」
「ビビりじゃねえし。てか、女……の子。何歳、なんだよ」
「アリスばっかり、質問ずるいにゃ! ボクも、質問したーい」
と、猫羽は手をパタパタと動かす。
ツバサはちらりと、ミカヅキの方を見たが、ミカヅキはなぜこっちを見るんだと睨み返した。確かにフェアじゃないのは、そうだが、下手したら殺される状況で、情報を吐く――質問に答えるなど、尋問ではないかとすら思えてきた。しかし、能天気なツバサは先ほど拳銃を突き付けられたことなど忘れているようで、「俺の何が聞きたいんだよ」と、敵に対しても分け隔てなく……ではないが、同じ調子で口を尖らす。
「簡単な質問だよ。ツバサは、本当の父親の顔覚えてるにゃ?」
「……ツバサ?」
「本当の、父親?」
「にゃ」
猫羽は意地悪そうに口を開くと、くしし、と口元に手を当てて笑う。
そこまで、調子のよかったツバサはその場で立ち止まり、ツバサの背中にとんとぶつかるミカヅキ。いったいどうしたのだろうかと、顔を覗こうとしたが、猫羽の顔が先に飛び込んでき、その異様な笑みに言葉を失った。
「おい、ツバサ」
「な、なんだよ。今、思い出してるとこなんだけど」
「辛い記憶なら、思い出す必要ないだろ。ミカエル、僕が、答える。質問を僕に投げろ」
「ルール違反にゃ。それに、お前は何も思い出せにゃいだろ?」
「……っ、……」
猫羽にそう刺され、ミカヅキも言葉を失った。ツバサの過去については、ツバサの口からきいたことがある。しかし、ツバサの記憶は、天使ではないはずなのに、あいまいで、いやな記憶をごっそりと自身の中から消しているようだった。それほどつらい記憶なのか。口では、虐待、ネグレクトと言ったが、それらを受けた子供の脳が正常に機能するわけもなく、幼いころより、虐待やネグレクトを受けていたら今のツバサのようになるのかもしれない。だが、鬱というわけでもなく、本当にごっそりと記憶を削除したような、持っているのは、そういう情報だけで――
「どうしたんだにゃ? アリス――答えられないんだにゃ?」
「いや、怖くて、あんま顔見てなかったかもしんねえなって。思い出せなくって」
「じゃあ、母親は?」
「母親も」
「かわいそうなやつにゃ。親の顔も思い出せないにゃんて」
「……ツバサの両親は、ツバサを」
「ミカヅキ、いい」
「……確かに、僕がいうことじゃないかもしれないけど――!」
「そうじゃない。多分、ネロは知ってる。俺の両親の事」
「はあ? なんで」
また、ツバサの顔つきが変わる。大人のような、すべてを悟って、言わなくても理解しているというような顔を、ミカヅキは横顔だったが見た。青い瞳はまっすぐと猫羽を捉えており、後ろから吹いてきた風に鮮血の髪が揺れる。ミカヅキは、ツバサのこの顔を見たのは一度か二度だったが、個の顔を見るたび、いつものツバサが本物なのか偽物なのか分からなくなる。馬鹿を演じているだけ――にしては、本当に馬鹿なのだ。ツバサにそんなことが出来る芸当はないと、また二重人格という説も否定できる。
(なんなんだよ、こいつ――こいつら)
明らかに何かを知っている猫羽と、それを察したツバサ。彼らはまだ出会って三回目なのに、妙に互いのことをわかっているようだった。だとしたら、ツバサが質問をした意味が分からなくなるのだが。
「答えた……答えになってねえかもだけど、今度俺の番。ネロは何歳なんだ?」
「ツバサ、合コンじゃないんだから、もっと核心に迫る……天使協会のこととか」
「十三! 永遠の十三歳だにゃ!」
「……」
まるでそこに、ミカヅキがいないように、二人は会話のキャッチボールをする。
十三歳と名乗った猫羽だが、確かにその見た目は十三歳の少女だ。ゴスロリちっくな服に、ピンク色のボーダーのぶかぶか猫耳パーカーと不思議な服装をしている、言葉遣いも子供っぽい、風変わりな少女だ。また、精神世界の神々しいまでに白い髪や肌とは違い、ピンク色の髪の毛をしている、変わった少女――だからこそ、ミカヅキは引っ掛かりを覚えた。
「それ、本当にその年なの?」
「ん~ミカヅキくんは、何でそう思うのかにゃ?」
「アンタ、天使の中でも変わった部類だろ……自分の事上位の存在だとか言ってた。人間の時の記憶があるのも、変だ」
「た、確かにそうだな!」
「……アンタたちはいったい」
「まあまあ、それも含め後々話してあげるからにゃー今はちょーっとおちつこうにゃ」
と、十三歳の少女になだめられるミカヅキ。話す気はない、そういわれているようでならず、猫羽を睨みつける。
名を名乗る天使の情報は少ない。もし何か知っていることがあるのなら、第八支部に今すぐに聞きに行きたいところだがそれもできない。黙ってついていくしかできない状況で、ミカヅキは歯がゆさを覚えることしかできなかった。
自分と同じ天使で、『自我持ち』――しかし、猫羽は、人間の時の名前と、天使の名前を持っている。彼女がいう、上位の存在は、『自我持ち』の上に、人間の時の記憶もあるのか。また、他にも変わった性質を持つのではないかと。
猫羽は、ミカヅキの質問に対しては答える様子はなく、ツバサばかりを見ていた。いわゆる、お気に入りというやつなのだろうが、目的が分からない以上、ツバサを猫羽に近づけるのは危険だと、本能が叫ぶ。
そんな歯がゆい状況のまま、歩かされ、電車を乗り継ぎ、天ケ丘市の最北端にくると見えてきたのは真っ白いビルだった。シミ一つないそのビルは、ただ高いだけではなく、吸い込まれそうな純白で、それでいて高圧的見下ろされている感覚に陥る。
警備が一人おり、猫羽を見るとすぐにエレベーターを案内した。大きな造りのエレベーターは、鏡張りになっていて、内装も細かいところの飾りにまでこだわっているのが分かる。そしていたるところに、天使の羽のような金の装飾が施されていた。
ゆっくりと上がっていくエレベーター内で猫羽はにこにこと笑っているだけで何も言わない。ツバサたちは無言のままだった。先ほどの、誰かに見られている感覚が、よりいっそ強くなったからだ。
「心霊スポットってこんな感じなんだろーな」
「は? 何言ってんの?」
「いやさあ、ミカヅキも感じるだろ? 視線? なんか見られてる感覚……てか、こんな建物初めて見たかも」
「まだ、建って数年しかたってにゃいからね」
「うおっ、そ、そうなんだ。支部と真逆の色してたから、正直ビビったつうか……対抗して建てられた、建物なのか?」
「天使のイメージカラーは白だからにゃ。ついたにゃ」
エレベーターがチンという音と共に最上階に着くまで、重苦しい沈黙が流れる。
エレベーターから降り、長い廊下を歩いていくと、大きな扉が目の前に現れる。猫羽が扉の前に立つと後ろにいたローブの男たちが扉を開ける。それはもう、金庫でも開けるように丁寧に。重厚なつくりの扉は、ゆっくりと開き、中から差し込む光に目を細める。
「――っ」
扉の先に広がっていたのは教会のような空間。並べられた木製の長椅子に、奥には、白い天使の銅像と、シンクの絨毯が敷かれたその先には、ステンドグラスの光を浴び、輝いている床があった。
「――ようこそ、天使協会へ。歓迎するにゃ」
猫羽はそういうと、自らのフードを脱ぎ、先ほどまでピンク色に染まっていた髪が一気に純白へ変わり、その背中には天使の象徴である大きな羽が生えた。そして、天使とは思えぬほど邪悪な笑みを浮かべ、ツバサたちを歓迎するよう手を広げると、再度くししと笑った。




