Capture8ー2 悪い夢
「――うわあああ!? は、はあ……あ、はあ……はあ、くっ」
「おそよー。うなされてたけど大丈夫?」
「みか、づき……いや、うん。まあ……てか、今何時?」
「九時ぐらい?」
「うわ、マジか……そんな時間」
二段ベッドの下で飛び起きたツバサは、ぐっしょりと濡れた前髪をかき上げて、はあ……と安堵したようにため息を漏らす。
「てか、ほんと大丈夫?」
「ミカヅキが俺のこと心配するなんて。明日、槍でも降んのかなー」
「……真面目に答えろ。心配していってるのに」
「サンキュー、サンキュー……いやあ、マジで怖い夢見ててさあ」
ツバサはそう言いながら、起き上がり、ベッドサイドに腰を掛ける。
洗濯物をたたみながら、ミカヅキはツバサの話に耳を傾けた。
「どんな?」
「……あの、病院の。拍手してる人間が、俺が寝てるベッド囲んで……あんときみたいに、拍手してんだよ。おめでとう、おめでとうって」
「……気味悪」
「だよな! 何もおめでたくねえし! で、身体動かねえんだよ。なんか、麻酔打たれたみたいな? そんで、目だけは動かせてみてみれば、その拍手してるやつらの隙間から、ちは兄とか、お前とか、ネガウとか……ベッドに死んだように眠ってんだよ。顔に白い布掛けられてさ」
「死んでんじゃん……それ、最悪だな」
正夢にならなければいい、正夢になってほしくない――と、自分が夢の中で死んでしまった話を聞かされ、ミカヅキも気分が悪かった。けれど、一番気分が悪いのはツバサの方で、そんな死んだ大切な人たちを見ながら、動けず、おめでとうとひたすら笑いながら拍手してくる人たちに囲まれている状況に絶望を感じただろう。
「あの日の事さ、第八支部の方に伝えに行ったじゃん。てか、ちは兄が全部やってくれたんだけどさ……ちは兄、体調悪かったみたいで。連絡しようとかも考えたけど、邪魔になりそうで辞めたんだよ」
「確かに……僕たちを逃がしてくれた後も戦ってたんだろうね。いつもよりも精神世界に長くいて、ダメージを食らったせいで、現実世界の身体にも支障が出てたんだろう」
「あの時……ちは兄が戻ってきたからよかったけどさ、戻ってこなかったらって考えたら、怖くて。そんで、こんな夢見て、俺――」
と、ツバサは珍しくうつむき、手を組んだ。指を何度も組み換え、ああでもない、こうでもないと、頭の中にある言葉を言語化しようと必死になっているようで、ミカヅキは手を止めてツバサの方によった。
「詰めて」
「え、何を?」
「僕も座るから、そっち詰めてって言ってんの」
「あ、ああ……どうぞ」
「何、他人行儀」
ススっと横によけたツバサの隣にミカヅキは腰を下ろし、顔を合わせるわけでもなく目の前のクローゼットを見つめる。
「牡丹のこともあって、そんで、この間のあれ……ちは兄曰く、天使協会がらみだって言ってたけど、俺らには詳しいこと回って来てないじゃん。これからどうなるのかなあって……ちょっと、不安かも」
「珍しい。ヒーローが」
「ヒーローでも! 不安になることぐらいあるだろ! ミカヅキは、どうなんだよ」
「僕? 僕は……」
天使だから、不安を抱くということはない。ただ、今起こっていることが、ミカヅキにとって不利益になることであることは理解していた。ツバサが死ねば、自分がどうなるか。また、天使である自分の居場所がなくなるのではないか。
天使協会という天使を信仰し、『天使病』患者を擁護する団体と相反する存在である、≪対天使専門医師≫。時間の問題ではあるが、衝突は免れないだろうと。どちらの方が世間的に知られているかにもよるが、天使協会は敵対する≪対天使専門医師≫に対してあたりが強いだけであり、他の人間には無害なのだ。また、苦しんでいる人に寄り添う『天使病』患者への対応も他とは違う。十三年前までは、安楽死は認められなかった。死にたいと願っていても、生を選ぶ権利しかなかったところに、その病にかかったら安楽死できるという、生きることが辛い人間にとって救世主ともいえる病が見つかった。医者は、死なせてくれと嘆く患者を殺すことはできない。それが認められていないから。だが、『天使病』は普通の医者には治せず、死にたいと思った人間は『天使病』にかかり死んでいく。また、奇跡的に命が助かったとして、天使化に成功すれば、自身が辛かった記憶も、身体の苦痛からも解放されるという辛い人間にとっては、これ以上ないまでの祝福である。
――そう、『天使病』は神が人間に与えた祝福なのだ。
(じゃあ、≪対天使専門医師≫の存在意義は?)
ミカヅキは、そこまで考えて、≪対天使専門医師≫が存在する理由、活動し続ける理由が、天使協会の動きによって阻害され、最悪迫害されるのではないかと思った。言ってしまえば、≪対天使専門医師≫は、死にたい人を無理やり生きさせる仕事をしているのだから。でも、ツバサの言う通り、その人に生きてほしいという人の願いをかなえる職業でもあるのだ。
必要とされれば、そこにいていい理由になる。だが、反感の声が大きくなれば、理由があれど、声にかき消されるのだ。
「ツバサは、≪対天使専門医師≫を続けていくのか?」
「はあ? 何言ってんだよ。続けるに決まってるだろ! ただでさえ、人数も少ないんだし……」
「そうじゃなくて……そうじゃなくて。この間も、牡丹のこともあって、≪対天使専門医師≫で居続けたら、殺される可能性だってある。それは、現実世界でも、精神世界でも一緒だ。≪対天使専門医師≫は少し前までは、『天使病』を治せる唯一のヒーローだった。でも、今は……」
そこで、ミカヅキは言葉を区切った。
芯の強く、まっすぐなツバサにこんなことをいっても響かないと意見を胸の中にぐっととどめる。別に、≪対天使専門医師≫が悪いわけではない。ただ、ミカヅキが、心配するのは、ツバサがこのまま≪対天使専門医師≫を続け、大勢の人間に恨まれ、殺されないかということだ。存在そのものが悪とされ、≪対天使専門医師≫の黒衣に身を包んでいるだけでも危険だ。
「ミカヅキが、心配してくれてるのは嬉しいけどさ。俺はやめるきなんてさらさらないぞ。ようやく、ここまで来たし、なりたかった、憧れだった≪対天使専門医師≫になれたんだ。夢を途中であきらめる位なら、その夢と心中する覚悟だってある」
「ツバサ……」
「だから、俺が死ぬまで、俺の相棒でいてくれよ。ミカヅキ」
差し出された手は、大きくて、それでもその顔には少しの不安と、これからの期待が浮かんでいた。
鮮血の髪に、青の瞳――ミカヅキは、ツバサの手を取って「仕方ないな」と呆れたように言うと笑って見せた。この馬鹿が死ぬまで付き合う。でも、死なせないと、口にはしなかったが心の中でそう誓った。天使の自分の居場所を、ツバサが作ってくれていることには変わりない。そして、ツバサがいなくなったときは、自分の居場所がなくなる時だとミカヅキは思う。
「てか、怖い夢見たからめっちゃ腹減った。なんか食いに行こうぜ」
「社食?」
「んー豪華に、ファミレス!」
「ファミレスは豪華なのか……まあいいけど、服着替えてからね」
「あったりまえだろ! さすがの俺でも、パジャマのまま出歩かないって」
「下がパジャマだった時はあったけどな」
「うっさい、忘れろし」
ミカヅキは立ち上がると、クローゼットから適当に服を選んでツバサに投げると部屋から出ていく。ミカヅキが投げた服をキャッチしたツバサは、そのパーカーを見て眉をひそめた。きっとミカヅキのことだから何も考えずに選んだのだろうと、渡された白いパーカーを文句も言わずそれに着替える。
「ふーん、白も似合うじゃん」
「いや、俺、白に合わないし。ミカヅキのほうが似合うだろ」
「天使だからな」
「天使ジョーク」
「つまんない。2点」
「何点満点中?」
「百点満点中」
「ひっくう!」
いつ買ったか分からない白いパーカーに身を包んだツバサは、落ち着かない色にそわそわしながらミカヅキの後ろをついていく。
社員寮から出て、第八支部を仰ぎながら、大通りに出る。平日の九時過ぎ、人はまばらで、車の通りも少なかった。
「何食べたいの?」
「ハンバーグ! グリンピースが横についてないヤツ」
「子供か」
「そんなこといって、ミカヅキはニンジン残すだろ~? 兎の癖に」
「兎じゃないし、いつから兎になったんだ。別に、見た目が好きじゃないだけ……天使だから、嫌いなものとかない、はずなんだけどな」
「人間らしさを取り戻してきたってこと?」
「さあ……? てか、天使化した人間って、元に戻れるのか」
「今のところ、前例ないけどな。ミカヅキがなったらいいんじゃね?」
「さすがに無理がある」
と、ミカヅキは、ツバサの言葉に対し、現実味がないと苦言を呈す。それでもツバサは「無理って言ったら、無理だぞー」と一歩大きく踏み出すと、ミカヅキの隣に並んだ。
「最近、依頼も慎重に選別してるみたいだし、仕事なくて体なまってるんだよなー」
「さっき、あんなに焦ってた人間とは思えない発言だけど?」
「帰り、第八支部よって帰ろうぜ。ジム! 汗を流す!」
「はいはい。僕は見てるだけだから。ご自由に」
「ミカヅキ細いんだから、筋肉つけよーぜ。マッチョ天使!」
「いやだよ。飛べなくなる」
「とんだとこ見たことねえけど?」
軽口をたたきながら、ファミレスの帰りどうするかと、普通の友達と会話するノリで会話を弾ませる。初めこそ、こんなに会話が続くようになるとは思わなかった。ツバサが話しかけても、岩に衝突して、その言葉が地面に落ちるような一方通行だったのが、短く冷たくも返事が返ってくるようになった。それだけ、ツバサとミカヅキの仲は深まったということだろう。
それに気づいているのは、ミカヅキだけだったが、それをわざわざ口にして言うこともなく、いつも通り、ツバサの幼稚な会話に付き合っていた。
「この角曲がって、信号越えたらファミレスで――」
「どうした? ツバサ」
「はーい! おにーさんたち、お久しぶりーにゃ!」
曲がり角からひょこりと顔を出したのは、ピンク色の猫。
ツバサは、瞬間的に立ち止まり、ミカヅキがそれ以上前に出ないように片手を横に出した。
「――ミカエル……」
「にゃんにゃーん」
ぴょこぴょこと、そのピンク色の猫耳フードを揺らした、子供は、ゲームで敵を追い詰めたような笑みを浮かべ、ツバサとミカヅキに満月のような黄金の瞳を向けた。




