Capture8ー1 九死に一生
まばゆい光彩を放ち、その頭には、天使の輪のような王冠のようなものが浮いている。そして、明らかに他の天使と違うのは、屈強な羽が四つ生えていることだろう。その体は、十三歳ほどのまだ未発達状態の子供と変わらないのに、放つオーラは、圧倒的強者、畏怖の念を抱くほどだった。
「有栖、知り合いか?」
「……え、ああ、この間ぶつかった、子供……でも、髪の色ちがくね?」
この間ぶつかった子供とうり二つの見た目をしているが、髪の色はあの時確かにピンクだったはずだ。フードを目深にかぶっていても、その独特なピンクを忘れるはずもなく、また声も背丈も一緒。だが、違うのは目の前の子供が人間ではなく天使であるということ。
ツバサは、自分の記憶違いか? と頭を悩ませたが、ミカヅキが、服についた砂を払いながら「あってる」と一言いうと、その子供の天使を睨みつけた。子供が放つようなオーラではない、恐怖心など抱かないはずなのに、足が震えているのが分かった。自分よりも上位の存在、人間らしさを感じない、神聖な姿に、平伏したくなるほどに。
「この間、僕がなんであの場から逃げたか分かる?」
「トイレ行きたかったからじゃねえの?」
「なわけないだろう。本能的に危険だって思ったからだよ。あの子供、普通の子供と違った。天使の勘? って言ったらいいの? あの時から、おかしいなって思ってたんだ。それが、こう……」
と、ミカヅキは自信なさげに言うと視線を下に落とした。
珠埜はその少ない情報から、相手を理解し、顎を引き、ぐっと宙に浮かぶ天使の姿を見た。
「戻れるんだったら、お二人さん。現実世界に戻れよ」
「え、何で。ちは兄は?」
「天使協会の話、聞いてただろ。名を名乗る天使の話……ちと、思い出したことがあってな。お前、『ミカエル』だろ」
剣を構え、珠埜がそう、天使に向かって言うと、天使はニッと口を三日月形に開き笑った。
「ピンポンピンポンピンポーン! さっすが。珠埜千颯! だてに、何年も≪対天使専門医師≫やってるだけあるにゃ」
「オレ有名人かよ……」
「直接は、戦ったことにゃいけどー話は聞いてる! ――相棒に庇われ、助かった≪対天使専門医師≫……また、相棒に庇われて、自分だけ生き延びるんじゃにゃいの?」
と、珠埜を煽るように『ミカエル』はケタケタと笑う。
珠埜しか知らないその話に、ツバサはもちろん、ミカヅキもついていけなかったが、≪黎明の剣≫を握る手が震えていた。
「相棒殺し。そもそも、セラフィムに勝てるわけにゃいのに。逃げる選択肢を選ばなかった愚者」
「ちは兄?」
「何でも知ってるような、口きくじゃねえか……ミカエル…………そんなに、オレを煽って楽しいか?」
「楽しいに決まってるにゃー! にゃっはー! 人が傷つくことだーい好きだもん、ボク♡」
ケタケタ、げらげらとミカエルは空中で腹を抱えながら笑う。天使の美しさはあるが、その所業は悪魔そのものにも見えた。ツバサたちには、珠埜が過去に何があったか知らない。『相棒殺し』というのも、初耳だった。知っているのは、珠埜の相棒が死んだという話だけ。だが、もし、それに関係することなら――
珠埜が冷静さを失っていることに、ミカヅキはまずいなと唇をかむ。ツバサと≪合体≫したところで、目の前の天使・ミカエルに勝てる保証はない。それどころか、珠埜ですら、勝てるかもわからないのだ。ツバサがどこまで、名を名乗る天使の脅威に気づいているが知らないが、確実に、六人の精神世界がつながったあの時の天使よりもはるかに強いのは確かだった。
珠埜の言う通り、今のうちに逃げるのが吉なのだが――
「まーまあまあ、今回は、そっちの黒頭ツンツンにちょっかいかけに来たんじゃにゃくて、そっちの赤髪! 有栖おにーさんに、用があってきたんだよ」
「俺?」
「ほら、ほら、この間約束したんじゃん! 遊ぶって。遊んでくれるって約束」
「俺は、お前が普通の子供だからって……」
「でも約束は約束だにゃ? それとも、ヒーローが約束破るのかにゃ?」
ミカエルは、標的をツバサに変え、小さな指でツバサをさし、どうなんだ? と問いかけてきた。ツバサは、馬鹿正直に答えるが、”ヒーロー”という言葉に反応し、動きを止めた。
「ツバサ、耳を貸すな。こいつには、勝てない」
「あーそっちの、天使のおにーさん。今は、ボクと、アリスがしゃべってるの! 邪魔しにゃーい!」
そういうと、ミカエルは、ミカヅキに向かいブンと手を振り上げた。すると、その瞬間、見えない風の刃がミカヅキに向かって飛んでくる。
「ぐっ!」
「珠埜先輩……」
「ミカヅキ、大丈夫か」
「……せん、ぱいの、おかげで」
カキン! と金属音を鳴らし、珠埜の≪黎明の剣≫がその攻撃を防ぐ。しかし、かなり重たい攻撃だったのか、それを受け止めた珠埜の足元には、後ろに下がった形跡が見受けられた。
やはり≪合体≫しなければ、何もできないと、ツバサに駆け寄り、手を伸ばす。ここから脱出が一番望ましいが、ある程度、注意を轢かなければそのすきも作れないだろう。
「ツバサ、≪合体≫――!」
「お、おう!」
パシンと手を取り合い、光に包まれ、白い大剣の姿に変化する。ミカエルはそれを見て、興味津々に縦長瞳孔の目を輝かせ、「おぉ~」と感嘆の声を漏らす。
「やっと、遊んでくれるきににゃったのかにゃ?」
「お前が、名を名乗る天使? ミカエルか知らねえけど、治療した後のこの世界で暴れられたらこっちも困るからな。やってやる」
「んふ、ほんと聞いてた通りの面白い人間。よし、じゃあ、始めようか。お遊戯を!」
ミカエルがパッと両手を開くと、先ほど倒したはずの砂の天使が、ズボボボボと音をたて、砂浜から飛び出した。それも、あの主よりも大きなサイズで、それらが十三体、ツバサと珠埜を囲う。
「さっき倒した天使が、何で?」
『名を名乗る天使……多分予想だけど、他の天使とは違う力を持ってる。僕の≪合体≫なんかと比べられないほど、≪権能≫というべきか……』
「何か分かんねえけど、天使も増やせるし、ミカエル自体も強いってことだよな」
『……まあ、そうなる。隙を作って、前線から離脱するからな、ツバサ』
「ふーん、ただの『自我持ち』かと思ってたけど、ボクらの下位互換……か。いいね、ミカヅキおにーさんにも興味がわいたにゃ。にゃにゃにゃ! 天使どもやっちゃえー!」
楽しそうにミカエルが叫ぶと、揺らめいていた天使が一気にツバサたちに襲い掛かる。先ほどとは比べ物にならない速さで向かってくる天使は巨体ということもあり、その圧だけでも押されそうになる。ツバサは、剣を構え迎え撃つ――が……
「――っと、かてえ!? つか、重たっ。攻撃!」
襲い掛かってきた砂の天使の拳を受け止めるが、先ほどのように簡単には切断できず、それどころかつばぜり合いにまでなり、ズズズ、と後ろに押されていく。場所が砂浜ということもあり、足がとられ、踏ん張ることが出来ない。また、まるで、コンクリートのような硬さと重量に、ツバサは攻撃を弾こうと力を入れるが、自分が押し負ける未来しか見えない。
「くっそ……なんだこれ、こいつ!」
『ツバサ!』
ミカヅキの声にはっとすれば、背後から気配を察知し、振り返った時には遅かった。砂の天使の拳は、まっすぐにツバサに向かって振りかざしており、それを大剣で受け止めることは間に合いそうもない。反射的に目をつむった時だった。ガキン! と大きな金属音が響いたと思えば、ふわっと暖かい風が横を通り過ぎた。
「ちは兄!」
「撤退! ミカヅキは≪強制帰還≫使って、有栖と一緒に現実世界に帰れ! ここは、オレが引き受ける」
「でも、ちは兄は!」
「大丈夫――っと。オレは、ベテランの≪救護隊員≫だからな」
ツバサが受け止めるので精一杯だった攻撃を珠埜は、いとも簡単にはじき返した。だが、やはり切断までには至らず、巨体な砂の天使は珠埜から距離をとる。
「えー逃げるのかにゃー遊んでくれるって約束したのにー」
「いいから、いけ。有栖、ミカヅキ!」
「ちは――」
『ツバサ、帰るぞ』
「でも、ちは兄、一人じゃ」
ツバサの慌てた声とは逆に、珠埜の声は冷静でいつものおちゃらけたようなトーンではなかった。それが余計に、ミカヅキに≪強制帰還≫を使わせることをためらわせたが、ミカヅキは強く頷き、ツバサの手を取ると白い光に包まれる。それに気づいたミカエルは、焦ったように頬を膨らました。
「約束破る悪い子は、痛い目みるからにゃ!」
『知るか、クソ猫――≪強制帰還≫!』
珠埜が天使の注意を引いたその一瞬の隙に、ミカヅキは≪合体≫を解除し、≪強制帰還≫を唱える。最後まで、不満げなミカエルの声が響いたが、ミカヅキは気にすることなくツバサの手を握った。ツバサは、最後まで珠埜の心配をしていたが、心配なのはミカヅキも一緒で、どうやって帰ってくるつもりだろうか、と意識が途切れるその瞬間まで、彼の寂しい背中を見守った。
「――は、っ、はあ……はあ……ここ、病院。もど、ってきた……?」
「……てっきり、≪強制帰還≫をキャンセルさせる何かを使ってくると思ってたんだけど。意外と簡単に戻れた、けど――」
「な……ん、でぇ、君たち……帰ってきたの? 千颯先輩は? 患者は?」
「伊鶴……さん」
苦しげな声に耳を傾ければ、珠埜の手を握り、額に汗を浮かべた伊鶴が、戻ってきたツバサたちを睨みつけていた。その顔は、青白く今にも倒れてしまいそうなほど、悪かった。
「伊鶴さん、ちは兄は!?」
「アンタ≪強制帰還≫使わないの?」
「試してるに決まってるだろ! でも、戻ってこないんだ……千颯先輩……」
自分たちの時は≪強制帰還≫を妨害されなかった。しかし、珠埜は違うのだろうか。それとも、ミカヅキが天使だから、天使の≪強制帰還≫と、≪誘導隊員≫が使う≪強制帰還≫は違うのだろうか。
必死で、≪強制帰還≫を唱える伊鶴を前に、ツバサも焦ったように顔色を悪くしていた。伊鶴が手をつなぐその先には、意識を取り戻さない珠埜がいる。
「兄さんも失って、千颯先輩まで失ったら、僕どうすれば……」
伊鶴の本音が口から洩れる。心配なのは、彼ら二人だけではなく、ミカヅキもで、自分たちが帰る隙を与えてくれた珠埜を思うと、動悸が激しくなる気がした。しかし、自身の心臓は、正常に動いているという矛盾に、ミカヅキはまたクッと唇をかみしめる。
精神世界での時間と、現実世界での時間の流れが違えど、ここで待っている数秒、数分さえも苦痛に感じる。それを≪誘導隊員≫の人はこれまで経験してきたということだ。自分たちから目に見えない世界で、死と隣り合わせで戦う≪救護隊員≫《セイヴァー》を、必ず戻ってきてくれと願いながら待つこの時間。それは、≪救護隊員≫が死と生のはざまに立たされるほどつらいことなのだ。
「ちは兄、俺のせいで――」
負い目を感じ、ツバサは珠埜に手を伸ばす。すると、鼓膜を突き破る勢いで、伊鶴が叫ぶ。
「触るなッ!」
「――っ」
「千颯先輩に触るな……君が、君なんかが。この疫病神!」
「アンタ、それは言いすぎなんじゃ――」
「――ふああ、マジで、あぶねえ。てか、体中いてえ」
「ちは兄!?」
「千颯先輩!?」
伊鶴の言い方はさすがにひどすぎるだろ、とミカヅキが反論しようとすると、ふああ……など、抜けたようなあくびをしながら、先刻まで意識を失っていた珠埜が目を覚ます。こき、こき……と体の関節を鳴らしながら、終始「痛てぇ」と口にし、後ろへ大きく伸びた。
「ちは兄!」
「おー、ただいま、ただいま~」
と、気の抜けるような挨拶を珠埜はすると、ぐーぱーぐーぱーと、手を閉じたり開いたりを繰り返していた。
ツバサは感極まって、珠埜に抱き着くが、伊鶴は、放心状態の用で、阿鼻叫喚、それぞれ違った反応をしていた。だが、珠埜が戻ってきたことは、三人とも共通で、奇跡のように信じられないことであり、また、安堵で胸がいっぱいになっていた。
「有栖―痛いぞ~」
「だって、ちは兄、戻ってこないと思ってたから」
「戻るって約束しただろ? あと、ほんと、マジ、いてえから。ちょい、離れてくれ」
珠埜は、いたがるそぶりを見せ、ツバサはしぶしぶ珠埜から離れた。無事に戻ってきたとは言い難いな、とミカヅキは勘づいており、きっと伊鶴もそれに気が付いているのだろう。戻ってこれただけで、十分奇跡である――と。
「てか、患者は――!?」
治療はした、だが、ミカエルの襲撃を受けたせいで、もしかしたら患者の容態が悪化したのではないかと、ツバサは患者の方を見る。患者は、先ほどまでは、髪の色素が抜け始めたくらいだったのにかかわらず、その髪の毛は真っ白く染まり、肌も病的なまでに白くなっていた。進行が進んだ『天使病』患者そのもので、ツバサは絶句する。一瞬にして、人間の姿形が変わったのだから、驚かないはずがない。
「は、どうなって……!?」
むやみやたらに、患者に近づくものではない。だが、天使化の進んだ患者を前に、動揺を隠せないのは仕方がなく、ツバサが患者に近づいた瞬間、病室の扉が開いた。
パチパチパチパチ――と笑顔を張り付けた医者や、看護師が拍手をしながら部屋の中に入ってくる。
「ああ、天使様のご加護のたまものです。彼は、もうじき、人間の身体を脱ぎ捨て神聖な魂として生まれ変わるでしょう――」
「は? アンタら、何言ってんの?」
白衣を着た医者らしき男は素晴らしいと、両手を広げる。絶えず響き続ける拍手の音は、夏のセミのように鬱陶しく、耳にこびりつく。ミカヅキや、伊鶴の怪訝な顔をみても、その笑みを絶やすことなく、集団で拍手を続け、『天使病』の患者に祝福を送る。その異常な光景に、ツバサも気味が悪くなったようで、眉をひそめていた。
医師という人間を病から救う職業の人間が、『天使病』を歓迎している。喜ばしいことだと、涙を流そうとしている。異様で、異常なその光景に≪対天使専門医師≫四人は、吐き気さえ覚えたほどだった。
「お前ら、医者だろ! 看護師だろ! 『天使病』によって、患者が死ぬかもしれないんだぞ! 何拍手してんだよ! やめろよ! 今すぐやめろ!」
「ツバサ……」
「天使になるのです。苦しみから救ってくれるのです」
「意味わかんねえよ! お前ら頭おかしいんじゃ――」
「有栖、やめろ」
殴りかかる勢いで立ち上がったツバサを珠埜が制止し、首を横に振る。
「ち、ちは兄。おかしいだろ、こんなの!」
「……いったん、第八支部に戻るぞ。煙岡さんに報告だ」
「で、でも、患者が――」
「お前らの命の方が最優先だ。こいつらは、危害は加えてこないだろう……天使の温厚な部分しか見ていないのならな」
と、珠埜はぐっとツバサの手を握ると、ミカヅキと伊鶴にも帰るぞ、と声をかけ手を引っ張る。その間も、拍手を続ける医者と看護師の間を縫うように、珠埜はツバサを引っ張ると、病室の扉を足で開けて出ていく。白い廊下に出れば、珠埜は右左と確認し、エレベーターに向かって歩いていく。
病室の扉はしまった音がしたのに、あの拍手の音が耳から離れなかった。
ツバサは、ふと後ろを振り返り誰かいないか確認するが、そこには誰もおらず、白い廊下が永遠と伸びているだけだった。
「…………」




