Capture7-5 朝飯前だぜ
「アンタ、幸せそうだな」
「んーだって、ネガウの連絡先手に入れたんだぜ!? そりゃ、幸せだろー」
「で、連絡してんの?」
「既読はつく!」
「返信かえってこないんだな……かわいそうに」
「何だ、何だー有栖に春が来たのか~!?」
「ちは兄、聞いてよ! 俺さあ!」
雨の日の一件から早数日がたった。その数日の間、ミカヅキが知らぬ間にネガウの連絡先を手に入れたツバサは、今度はそれを毎日のように自慢し、なんて返信すればいいかなどしつこくミカヅキに訪ね、ややノイローゼになっていたミカヅキは、また始まった、とため息をこぼした。
今日は、『天使病』の患者の治療。牡丹の一件から、久しぶりの治療であり、あの四人一組制がとられ、ツバサ、ミカヅキ、珠埜、伊鶴の四人で患者のもとに向かっていた。
ツバサの兄貴分的存在である珠埜は、上機嫌なツバサを見て嬉しそうに、肩を組み何があったんだよーと調子よく聞く。ツバサは、デレデレとネガウと連絡を交換できたことや、ネガウが好きということさえも何のためらいもなく吐き出し、「ネガウ、好きだー」と最後には、泣き声のように連呼していた。
「ああ、あの白兎ちゃんか。確かに美人だもなあ」
「だろ!? マジで、可愛いし、かっこいいし、強いし……でも、この間俺を頼ってくれて。あと意外と、ありがとうって感謝の言葉もくれて」
「……それが普通だろう、馬鹿バサ」
「ぞっこんだなあ。有栖」
珠埜はうんうん、と感慨深げに腕を組みうなずいていた。またここに、ツバサ全肯定マンが現れた、とミカヅキは飽き飽きしつつも、ネガウは珠埜のことを知っているんだよな、とふとした疑問を思い出した。珠埜は、ベテランともいわれるほど、長いこと≪対天使専門医師≫として活動している。その間に、相棒交代もありと、かなりの死線を潜り抜けてきたのだろう。そんな珠埜がいる、今回の治療は簡単に済みそうだ、とミカヅキは自分が楽することを考えていた。珠埜と、ツバサの経験の差と力差は圧倒的で、誰が見てもその差は歴然としている。それでも、制度が制度のため、四人で患者のもとに向かわなければならないというのが億劫だった。
「でも、白兎かあ……」
「ちは兄も、もしかして好きな感じ?」
「いーや、そうじゃなくて。まあ、んー」
「だって、白兎は――」
「ストーップ! ミカヅキくん! それは、しー!」
と、わざとらしく声を上げた珠埜に、人差し指を唇にあてられ、ミカヅキはその場で硬直する。
ツバサは「何だ、何だ?」と理解していないように、のぞき込もうとしたが、珠埜はすぐにツバサの方を向いて「もっと、お互いに知ってから付き合った方がいいんじゃないかって話だよ。な、ミカヅキくん?」と、ミカヅキに同調を求めた。
ああ、この人も知っている口なのか、とミカヅキはツバサに申し訳なさを少し感じつつも、「確かに、珠埜先輩の言う通りだ」とツバサに告げる。
「二人して酷いって~。付き合って、互いを知ってくってパターンもあるだろう!」
「……ただでさえ、まだ白兎の傷がいえてないんだからさ。そういうのに漬け込むの、ちょっとせこいとか思わないの?」
「……ぐ、確かに、ミカヅキの言う通りかも。これ、天使とやり口一緒だ」
「でしょ? 多分これからも付き合っていく関係なんだから、ゆっくりでいいだろ。別に、あっちに気が0とかいうわけでもないだろうし」
「好感度、この間のであがったよな!」
「好感度とか言ってる時点で、先が思いやられるけど」
燃えてきたぞーと、一人盛り上がっているツバサに、哀れな目を向け、ミカヅキは再度、珠埜の方を見た。彼はまっすぐとツバサを見ていたが、その目は、煙岡がツバサに向けるものと似ていて、本当の弟を見ているような、そんな大人の瞳をしていた。宵色の瞳は、天の川のようにきらめき、強い闘志が燃えている。
「ミカヅキ、ありがとな」
「何が? 珠埜先輩」
「黙っててくれたこと。まー分かるよな、お前は」
「……この話って、ツバサ以外知ってるの?」
「さあ。まあ、有名な話ではあるけど、上層部……煙岡さんとか、帽子さんは知ってるかなって感じ。オレは、まあ、付き合い長いし……大抵のことは」
「そう……まあ、僕には関係ないことだから。黙ってろっていうんだったら、黙ってるけど」
「そうしてくれると、助かる。ああ、あと、有栖の事ありがとな」
「……ん? 別に、好きで付き合ってるわけじゃないけど、危なっかしいし……」
「いやあ、兄貴として、これでもう心配いらないってか。まあ、今も心配なんだけど」
と、珠埜は独り言のように言うと、少し足を速め、目的地である病院へと入っていく。先に手続きを済ませるようで、珠埜はちょっと待ってろよーと元気よく走っていった。
「うわー今回病院かよ」
「何? 病院苦手なの?」
「んーまあ、病院。苦手っていうか、薬の匂い嫌いだし。注射も苦手」
「子供か……」
「てかさあ、さっきちは兄と何話してたの?」
「世間話」
「うわ、教えてくれないやつだな。これ……まあいいけどさあ。俺の方が、ちは兄と仲いいんだからな!」
「どこで張り合ってるの……」
気にしていないようで何より、とミカヅキは楽観的な相棒をみつつ、帰ってきた珠埜に手招きされたため、ツバサとともに病院の中に入る。
エレベーターホールで待っていた珠埜と合流し、エレベーターに乗り込み、五階のボタンを押す。
「ちゃっちゃと治療すんぞ~あ、治療が早く済んだら。オレが、三人の昼飯奢ってやるからな」
「マジ!? ファミレス行きたい!」
「そこは、高いの頼むところじゃないの? ぶっちゃけどこでもいいけど」
さすがは珠埜。度量の大きさが違う。しかし、相棒の伊鶴は、大学生になったばかりで忙しいのでごめんなさい、と謝ったうえで、メガネをくいっと上に持ち上げた。伊鶴は、珠埜とは違い積極的に絡んでくるタイプでもなく、話しかけてくるタイプでもないため、空気になっていた。ツバサが話しかけようとすれば「近寄らないでくれるかな?」と鋭い眼光で睨みつけるなど、半径一メートル以内に人を入れようとしなかった。エレベーターの中でも端によって、まるでツバサたちを病原菌か何かと思っているような態度をとる。だが、相棒である珠埜の問いかけにはそれなりに応じ、自ら話しかけに行く様子もうかがえ、やはり相棒は違うなと思わざる終えなかった。
チーンと、五階についたツバサたちは、珠埜の誘導で患者の病室の前まで行き、ゆっくりとその扉を開く。中は、一人部屋の用で、広く、窓際のベッドに患者が死んだように横たわっている。見舞いの品が近くに置かれており、花瓶にはマリーゴールドがいけられていた。
「ちは兄、依頼主は?」
「今日は用事があるって、治療終わったころに連絡入れるようにするわ。あんま、病室の中入れたら……な? この間の二の舞にならないよう四人一組にしてるけど、心配だからな」
「さっすが、ちは兄!」
「何かあったら、伊鶴。頼んだぞ」
「は、はい。千颯先輩!」
「いい返事だ。けど、お前の安全もしっかり確保しろよ。それが、最優先」
珠埜はそう言って、準備に取り掛かる伊鶴を見、ツバサとミカヅキの方を振り返った。
「お二人さんも準備しろよーちゃっちゃと、治療して飯食いに行こうぜ」
珠埜はそう言って、準備が出来た伊鶴の手を取った。ツバサとミカヅキはワンテンポ遅れながらも、患者の手を取り、目配せする。
「「≪接続≫――!」」
四人の声はお互いにぶつかるような形で、ハモリ、ツバサ含め≪救護隊員≫の意識は遠のいていった。
「――さっきの患者さ。そこまで深刻な状況じゃなかったみたいだったし、今回は早く終わりそうだな」
「気を抜いて、この間みたいなことにならないでよね」
意識が覚醒し、ツバサはよっこらしょ、と年寄りのような言葉を漏らしながら立ち上がる。足がとられて少し立ち上がりにくいな、とあたりを見わたせば、そこに広がっていたのは、白い砂浜だった。
「また、海……」
「この間みたいに荒れてないし、穏やかじゃない?」
「つってもなあ~また海かあ」
「治療したら帰れるんだから、早くしろ」
「はいはい、せかすなよー相棒」
「≪合体≫」
手を合わせれば、ミカヅキの身体はたちまち剣の形に変形し、ツバサはそれを横に二三度振って、動きを確かめる。相変わらず、羽のように軽いそれは、天使を切る時、一瞬だけ、本来の重みに戻る変わった剣だ。
「おー、様になってんなあ。有栖」
「ちは兄!」
ツバサたちを探していた、珠埜は黒い剣≪黎明の剣≫を背中に背負っていた。彼は、ツバサがミカヅキを構えているのを見ると、様になってる、と拍手を送る。
「結構慣れてきただろ、有栖?」
「うん。ちは兄みたいな≪救護隊員≫になれるよう、努力してるからな!」
「おう、その調子で頑張れよー」
「ちは兄、ちは兄! いつか、手合わせしてほしい!」
と、ツバサは憧れの人に褒められたことで気分をよくし、珠埜に詰め寄る。珠埜は、よしよし、とツバサの髪を撫でるが、ピクリと何かを感じ取ったように、剣を引き抜くと、ツバサに目で合図を送った。
「天使のお出ましだな。気ぃ引き締めていくぞ。有栖」
「ああ!」
ズボッと、砂浜から生えた天使は、白い砂を振るい落としながら、ツバサと珠埜を囲うようにゆらゆらと動き回る。その動きはまるで、かごめかごめをしているようで、同じリズムで、均等に感覚を取りながら揺らめいている。しかし、動きは単調で、こちらの出を窺っているらしく、簡単に倒せるだろうと、珠埜が、切りこんだ。
「おりゃああっ!」
珠埜の≪黎明の剣≫は、空中で揺らめく天使を切り落とし、光の粒子に変えていく。珠埜の攻撃を受け、天使の標的は珠埜に映る。手を針のように鋭くとがらせ、珠埜に突き立てようとするが、その針はツバサによって弾かれ、天使の羽をもぐように剣で切り落とした。
「ちは兄! 」
「さすがだなあ、有栖」
「いや、それほどでも……来る!」
「あいよ!」
ツバサが、天使の攻撃を防いでいると、珠埜は≪黎明の剣≫を横なぎに振り払い、天使は消滅していく。天使の数は、そこまで多くはなく、砂浜から生えてきては、攻撃をしてくるといった単調なもので、すぐに数を減らすことが出来た。だが、主となる天使を見つけなければ、天使は無限に湧いてくるので、そいつをみつけなければならない。
そんな時、ズボボボボと、大きな音を立てて、砂をまき散らし先ほどよりも大きな天使が姿を表す。ツバサも珠埜もその天使こそが、今回も主であると認識し、剣を構え直す。天使の身体は砂のようにさらさらとしており、絶えず白い砂を体から噴き出している。大きさ的に、まだ育っておらずこれまで戦ってきた天使より弱いと考えられる。『天使病』患者の容態を見るに、進行が進んでいないため、この程度の天使なのだろうと分析をする。患者の進行具合により、天使の数と、強さは変わってくるのだ。
「さあさあ、今日のメインディッシュのお出ましだ!」
「ちは兄、俺たちにやらせてよ」
「ん? 有栖がかっこいいとこ見せてくれんのか? いいぜ、じゃあ、任せた。んじゃ、オレは、囮役!」
と、珠埜は無鉄砲に砂の天使に突っ込むと天使の右足めがけて、剣を振りかざす。サラリと、砂を切ったような感覚に、珠埜は驚きつつも、続けざまに天使の左足に攻撃をくらわす。すると、今度はダメージが入ったようで、ぱらぱらと砂になって足が消えていく。悲鳴と認識できない声を上げ、天使が攻撃を振りかざすが、珠埜はそれを華麗に避ける。天使が、珠埜に気を取られているすきに、ツバサは天使の後ろ側に入り込み、砂を踏みしめ飛躍し、天使の首めがけて剣を振り下ろした。
「はああああっ!」
ツバサの剣は、天使の首をあっさり切り落とし、光の粒子に変える。そして、首を失った身体はバランスを崩したようにして倒れ、砂の海に沈んだ。
「はーい、お二人さんお疲れい!」
剣を背中にしまった珠埜は、ハイターッチと、二人に駆け寄ってき、≪合体≫を解除したミカヅキと、ツバサの手を叩く。叩かれた手は、パンと、いい音をたてる。
「ちは兄もお疲れ。やっぱ、ちは兄かっこいいよ!」
「んーそれほどでもあるな! 有栖も、ミカヅキも連携すっげえよかったぞ」
と、珠埜は二人同時に褒め、二人の頭をわしゃわしゃと撫でた。ツバサはもー、と口にしつつもその顔は嬉しそうで、ミカヅキも撫でられてまんざらでもない顔をしていた。
主の天使を倒したため、精神世界は崩壊を迎えるはずなのだが、波の音と、潮風が吹きつけ、晴れたはずの空は、だんだんと暗く鈍色に変わっていく。それに気づいたのは、ミカヅキで、何かがおかしいと珠埜に伝えようとしたとき、「伏せろ!」と珠埜に背中を押され、砂浜に顔面から突っ込むことになった。
「……ってえ。珠埜、先輩?」
いきなり、何だと抗議の声を上げようとしたが、その前に、自身の白い髪の毛に、ボタリと生暖かい何かが付着したことで、ミカヅキは目を見開いた。
珠埜の左頬には鋭利な何かで切り付けられたような傷が出来ており、そこから血が流れだしていた。珠埜は大丈夫か? と、ツバサとミカヅキにいつもとは違う真剣な表情でいい、二人の無事が確認できると、よかった、と消えるようにつぶやいた。
「いったいなんだよ……――!?」
ツバサは、ワンテンポ遅れ、何が起こったのか理解できず顔を上げれば、目の前に降り立った白い光を見て言葉を失った。
天から舞い降りた白い球体の光は、その姿をあらわにし、大きな羽を広げ君臨する。天使の背後からまばゆい光彩がはなたれ目がくらむ。真っ白なローブに身を包んだ、その天使は、これまで対峙した天使と違い、顔を顔として認識できた。否、人間の顔、それも一度見たことのある人のものだった。
「お前は――……」
手が見えないほどぶかぶかな袖の服で、フードをとれば、さらにはっきりと、その顔があらわになる。
「赤毛のおにーさん。遊ぶ約束、してたよにゃ?」
ふふん、と口を曲げ、楽しそうに笑った子供は、あの時とは違う白い猫のような髪型に、黄金の瞳を持った、美しい天使の姿でツバサたちに微笑んだ。




