Capture7-3 引越し終了
「引越ししゅーりょー! 新しい新居!」
「新しいって、新居なんだから、新しいだろ。馬鹿」
「はい、馬鹿っていったー。馬鹿カウントつけるからな。馬鹿って言った回数溜まったら、ペナルティな!」
「じゃあ、言われないように頑張れば?」
荷物という荷物の移動は全くなく、段ボール箱、三箱分ぐらいでおさまった。もちろん、ミカヅキの荷物は何もなく、ほとんどツバサの荷物だった。それにしても、家具も何も持ってこなくてもいいと言われたため、衣類や教科書くらいで、後は社食を使えばいいだの、風呂も、シャワールームも完備しているため必要ないなど言われ、ほんとうに引越しとは思えない荷物の量を持ってきた。
新しい部屋は、ボロアパートよりは広いが、二人で住むには少し狭いと感じる空間で、これまでは布団生活だったのが、二段ベッドに変わり、ちゃぶ台が備え付けの机に変わったくらいの変化だった。あとは、畳がフローリングになったくらいか。
「なんか、ホテルっぽいよな」
「ホテルに泊まったことあるの?」
「中学の修学旅行で……だった気がする」
「だから、何でアンタも記憶があいまいなんだよ」
「面白くないことは忘れる!」
「まあ、分からないでもないけど……まあいいや。部屋に、トイレと風呂はあるし。備え付けのIHコンロと、冷蔵庫……洗濯機は一階だっけ」
「まだ、ちゃんと見てないからわかんねえ! ミカヅキ、そういうの任せた!」
「おい、人任せに……同居なんだか、分担を」
≪対天使専門医師≫はシンクロ率を高めるために、男女でなければ基本的に同室にさせられる。男女であっても、お互いの同意が取れた場合は同室になる。
ツバサと離れられるかと思っていたが、予想通り、離れることはできず、少し広くなった部屋で同居することとなった。もう慣れてしまったからいいが、二段ベッドの上は確実に抑えなければ、と睨みつける。
「この箱何入れたっけー? なんか、福袋みたいでいいよな。こういうの」
「覚えてろよ。一応、何を入れたかって、ガムテープに印付けてたと思うけど……ってびりびりに!」
ツバサはミカヅキに手伝ってもらいながら段ボール箱を開けていく。中には、学校の制服と教科書がぎっしりと詰まっていた。
「使わねえのに」
「学校行けよ。また、さぼり?」
「んー今は、本当の休学中! 煙岡さんに危険だって、仕方ないから休学って言われた」
「ほんと、あの人甘いし、過保護だし……」
持ってきた空の段ボール箱をつぶしながらミカヅキは小言を言う。
「てか、なんか疲れたし、社食食いに行こうぜ」
「あれ、タダ何だっけ?」
「≪対天使専門医師≫はタダ。研究職とか、事務の人はお金いる」
「まあ、≪対天使専門医師≫は命を危険にさらす職業だし、それくらいが、妥当か」
最後の段ボールをつぶし終え、ひもでくくると、ミカヅキはそれを壁側に寄せた。
社員寮は、第八支部と密接しており、第八支部から社員寮へつながる通路が存在する。家と、会社がつながっている感覚を不思議がりつつも、社員、および≪対天使専門医師≫なら、会社の設備は使い放題、おまけに社食も食べ放題ともなれば、かなりいい待遇だ。
「片付け終わったら行くぞー」
「もう終わってる。てか、アンタ方向音痴なんだから、勝手に行くなよ。迷ったら困る」
「大丈夫だって、俺、第八支部のことはなんとなく分かるし。第二の家?」
「はあ……社食は逃げないから、ゆっくり行くぞ」
「りょーかい!」
返事だけいいツバサを見て、いつも通りだな、と安心しつつ、ミカヅキは靴を履く。牡丹の死から、一週間が経過し、簡易的だが、第八支部内でもお別れ会のようなものが行われた。牡丹は、まだ第八支部に移動してきてからそこまで時間はたっていないが、内向的な性格の彼女は、彼女なりに努力し、周りの人間と人間関係を構築していたようで、多くの人が涙を流していた。もし自分が死んだとき、そんなふうに悲しんでもらえるのか……天使にも死の概念は存在する。死ぬのが怖くないだけで、存在する死を、ミカヅキは理解していた。≪対天使専門医師≫という死に近いところにいる職業柄、いつ死ぬか分からないこの現状。最も、ツバサの方が、そこに近いところにいるのは事実であり、自分よりも、ツバサが死んだ方が悲しまれるんだろうなと考えていた。
牡丹が残したものというのは、ミカヅキにとって、改めて人間としてのミカヅキを考えさせられることで、これを機に、記憶や人間らしい器官が戻ればいいなとも思った。今のところ、まったくその予兆は感じられないが。
第八支部に繋がる白い廊下を歩き、社員食堂へ階段を使って上がればそのフロアに上がった瞬間、中華や、イタリアンといった様々な国の料理の匂いがまじりあう空間にツバサの腹はぐぅと鳴った。
「すげええ!」
ツバサはテンションを上げてミカヅキを引っ張りながら足を運んだ。食券で、料理を注文するようになっており、今日のおすすめメニューは、黒板にデフォルメタッチで描かれており、その多くは中華だった。ツバサはとんかつ定食、ミカヅキは回鍋肉とミニ炒飯を頼んだ。食券を、カウンターのお姉さんに渡し、数分待っていれば、大盛りのご飯に千切りキャベツ、分厚いとんかつが持っていたトレーに置かれる。ミカヅキのは少し時間がかかったのか、ツバサが席を選んでいる間にトレーにのせられた。フロアの半分ほどを使った社員食堂は広く、席にまばらに人が座っている程度で、かなり空席が目立った。何処に座っても同じなのだが、ツバサは、テレビが見える席の前ですでに料理に手を付けており、待っていられないのか、とあきれながらミカヅキは隣に席を下ろす。
「一枚いる? 交換で」
「交換しないし。自分の食べなよ」
箸で一番端っこのかつをつまみ、ミカヅキにひょいひょいと見せてきたツバサは、物々交換をしようとねだってきた。ミカヅキはその提案をひとけりし、黙々と回鍋肉を食べる。その様子を、よだれを垂らしながらじっと見つめてくるツバサの視線に耐えかね、ミカヅキは、一口だけだからな、とツバサのとんかつを横からスッととり、自分の回鍋肉をわたした。とんかつは見た目通り分厚く、サクサクの衣に、中まで熱々な豚肉、そして岩塩がアクセントになり、口の中で肉汁があふれてきた。
(今度、これたのも……)
と、ミカヅキは噛みしめつつ、一口と言いながら、三口ほど食べているツバサの背中を叩いた。
「てか、あんま人いないよな」
「まだ十時だからね。これから増えるんじゃない?」
時間帯によっては、多くなるだろう、とミカヅキは口にしつつ、目の前のテレビに視線を向ける。そこで流れていたニュースは『天使病』患者の増加についてで、この間話していた『天使病』を発見した医師であり、現研究職についている鳥谷峯挑夢の紹介とともに、『天使病』に関する歴史や、今後どうなっていくかといった話が繰り広げられたいた。
(鳥谷峯挑夢……ね。めっちゃ、頑固そう)
テレビに映っている鳥谷峯挑夢という男は、白衣を着、刻まれたシワはその渋い顔をさらに恐ろしく引き立て、その迫力にミカヅキは、なんとなく苦手意識を持ってしまう。
「このおじさんが『天使病』を発見した人? かおこえー」
と、口にものを詰めながらツバサが割り込み、ミカヅキは眉間にしわを寄せた。
また、鳥谷峯は、『天使病』がさらに進化する恐れがあると主張したうえで、『天使病』に効く薬の開発に力を入れているとも述べていた。変わって、政治の話になり、ミカヅキは興味をなくし、残っていた米粒を集め口に運び、合掌する。
天使協会が狙うべきは、こういう『天使病』を治そうとしている人間なのではないか。こういう人たちの護衛はしないのか、など様々な考えが頭に浮かんでは消えていく。何にしても、専門外であり、気になってもどうこうできる問題ではなかった。
ツバサもごちそうさま、と鼓膜に響くぐらいの大きさで合唱し、食べ終わったトレーを運んでいく。
「この後どうする? あ、第八支部ってジムもあるから、そこで汗水たらすってのもありじゃね? ほら、外雨降ってるし」
「僕、運動苦手なんだけど」
「じゃあ、克服するチャンスじゃね? 付き合ってやるからさ――っ」
「付き合うって、アンタがいきたいだけじゃ……どうした?」
「ネガウ」
「ネガウ?」
ほら、とツバサは指をさし、ミカヅキはその指の方向を見る。するとそこには確かに、あの亜麻色の髪を腰まで垂らした美少女が歩いていた。社員食堂や、ツバサたちには目もくれず、エレベーターに一人乗りこんでいく。
ネガウとは、牡丹が死んでから一週間ほど顔を合わせておらず、第八支部内で目撃した、という情報は入手していたが、すれ違うこともなく久しぶりにその姿を見た。牡丹のことで、何か力になれることはないかと思っていたツバサは、その話を毎日二三回ほど、ミカヅキに話しては煙たがられていた。相棒を失った人間に欠ける言葉など、ミカヅキが考えられるはずもなく、今はそっとしておく方がいいと言ったのだが、ツバサは、こういう時こそ何かしてあげなければと思っているようだった。
ミカヅキからしたら、それはかえって悪手な気がし、時間が解決してくれることもあるだろうとツバサにいったのだが、やはり聞く耳を持ってもらえなかった。今回のことはかわいそうだな、と思いつつも、そこまでネガウに興味のないミカヅキは勝手にしろと思っていた。その余計な善意が、ネガウの神経を逆なでないことを願うしかなかった。
「俺、話しかけてくる」
「何回も言うけどさ、本当に今はそっとしておいた方がいいんじゃない?」
「……ミカヅキの意見も一理あるってちゃんと理解したうえでだよ。『天使病』にかからないって、ネガウは強いって思ってるけど、こういうときに天使って漬け込んでくるもんなんだよ!」
「白兎は、大丈夫だろ……」
「わかんねえし! 話せば楽になるってことあるじゃんかよ。俺、行ってくる」
「……馬鹿ヒーロー」
タッと、走り出したツバサを、ミカヅキは眺めていることしかできなかった。ただ、間違いを犯したとき、それを止められるのも自分だけだと感じ、めんどくさいと思いながらもツバサの後を追う。外は、雨が降っており、もしかしたら……と、ミカヅキは、非常階段を昇る前に、ご自由にお使いくださいと書かれていたビニール傘を手に取り、長く続く非常階段を駆け上がった。




