Capture7-2 悪魔で死神で
「――冗談……」
「これが冗談に思える?」
「いえ……すんません」
事実が受け入れられないツバサは、帽子が冗談を言っている、というように片付けようとしたが、すぐさま、冗談ではない、と帽子にさされ、うつむいた。しかし、まだ現実を受け止められないのか、ツバサは「何で……殺されたってなんだよ……」と呟いている。ミカヅキも、ツバサと同じく、衝撃を受けなかったわけでもない。昨日まで、もっと言えば、午前中まで話していた友達が、いきなり死んだと聞かされて驚かない人はいないだろう。自分に優しくしてくれた人だったからなおさらミカヅキも受け入れられなかった。
ぎゅっと、胸元を掴み、現実を受け入れようと必死に飲み込もうとするが、飲み込めず、吐き出してしまいそうだった。それよりも、ミカヅキはそんな友達が死んだという事実に対し、驚きは覚えど、悲しいという感情を抱けなかった。まだ、現実が呑み込めていないから――という理由ではなく、現実を飲み込んだうえで、悲しくなかったのだ。
(何で……こんな、薄情…………人間じゃない)
そこで、自分が天使だということを改めて思い知らされ、胸に爪を立てる勢いで、服を掴み、痛くないはずの胸が、痛いと思うよう、思い込むよう必死に願った。しかし、いつまでたっても、望む痛みも、悲しみも訪れず、ミカヅキは奥歯を鳴らす。
「その、天使協会って……気を付けるべきは、名を名乗る天使じゃなかったんすか」
「そうよ。その天使に殺された≪対天使専門医師≫は近年増えてきているわ。それと、同時に、直接≪対天使専門医師≫を手にかけようとする過激派が増えてきているのもまた事実。でも、こうして襲撃を受けたのは初めてよ」
「話……詳しく聞かせてもらえますか。ネガウは、ネガウは無事なんですか」
「……無事よ。牡丹さんのおかげでね。白兎さんは、別室でカウンセリングを受けているわ。でも、今は会えない」
「そう、すか」
牡丹が殺されたということは、必然的にネガウの安否が気になる。ツバサは、ネガウも……と、恐れていたことを直球に聞くと、帽子は「牡丹さんのおかげで」と前置きしたうえで、今は会えないと首を横に振った。ひとまず、ネガウは無事――しかし、牡丹が死んだのは事実であり、どういった状況でそうなったのか、誰が殺したのか、問い詰めたいところだった。だが、状況から察するに、詳しいことはまだ何もわかっていないような感じもした。
「青吾……支部長は、家族に会いに行っているわ」
「煙岡さん……が」
「ええ。警察も動いているけれど、足取りは今のところ……」
起きて間もない事件だからか。今は、情報を一つでも多く集めることが必要だと、帽子は言った。そう話したうえで、第八支部内の会議室内で待機、と言われツバサとミカヅキは重い足取りで、いつもの会議室へと足を運んだ。
ウィーンと音を立てて開く、会議室の扉。その向こうには、いつも最初に挨拶してくれる牡丹の姿も白兎の姿もなかった。代わりに、珠埜と伊鶴が座っており、ツバサとミカヅキに気づいた珠埜が一目散に駆け寄ってきた。
「有栖、ミカヅキ、お前らは無事か!?」
「あ、ああ、ちは兄……俺たちは。でも、どうなってんだよ。牡丹が殺されたって……!」
「詳しいことはまだ何も……ひとまず、お前らが無事でよかった」
と、珠埜は、ツバサとミカヅキを抱きしめる。ツバサは、目に涙をためていたが、決して泣くことはなく、珠埜の胸に顔を埋めた。
ミカヅキも無事でよかった、と言われ、自身の心配をしてくれている珠埜の温かさに触れつつも、やはり悲しめない自分にいらけがさし、それどころではなく、素直に喜ぶことが出来なかった。
「ちは兄たちは……?」
「オレたちも、今のところは無事。呼び出されたときは何事かって思ってけどな……有栖たち、仲が良かったんだろ」
「う、うん……だから、いまいち、現実みっつうか、現実を受け入れられなくて」
「そりゃそうだろう。身近な人が死んだんだ。誰だって、受け入れられなくて当然だ」
珠埜はそういうと、誰よりも苦しそうな顔で、宵色の瞳を震わせていた。まるで、誰かを失った悲しみを知っているようなその表情に、ツバサは、珠埜が以前、相棒を失ったことを思い出し、ああ……と心の中でつぶやき、珠埜の胸から離れた。
「天使協会……てか、これって普通に殺人だろ!? 犯人、捕まらないのかよ!」
「もしかしたら、って――煙岡さんいってたけど。ここだけの話な? そもそも、今日、白兎たちに依頼してきた依頼主と連絡取れなくて。初めから、仕組まれていた……計画的犯行だったのかもしれない」
「『天使病』にかかった友達を治してくれっていう、依頼だったんだよな。お金も事前に振り込まれてるわけだし……それ自体が、≪対天使専門医師≫をおびき寄せる罠だってことかよ。ちは兄」
こくりと珠埜はうなずいた。
ツバサは、ぐしゃぐしゃと鮮血の髪をかきむしって、どうすりゃいいんだよ、と地団太を踏んだ。依頼内容が嘘――ではなくとも≪対天使専門医師≫をおびき寄せるための罠だったとしたら、うかつに依頼が受けられなくなる。そうすると、『天使病』を治療できなくなり、死者、天使化によって天使になる人間が増えていってしまう。≪対天使専門医師≫は基本、依頼を受けてからではないと治療できないため、存続も危うくなる。
天使協会からすれば、『天使病』の患者は放っておいた方がいいわけで、治療されると、天使になるかもしれない人間が減ることに繋がるので、治療は阻止したい……と。その過程で邪魔となる≪対天使専門医師≫を始末しようと。
「天使協会は≪対天使専門医師≫のことを、敵としてみてるってことかよ。ちは兄……」
「そーだな。天使を殺す、悪魔、死神とでも思っているんだろう。その証拠に、≪誘導隊員≫牡丹いろはに打ち込まれた弾丸は、銀製のものだった」
「でもそれって、フィクションの話じゃない? それも、悪魔じゃなくて、吸血鬼を撃退するって」
「ミカヅキ?」
「そうそう。まあ、そこは、解釈の問題。オレたちを敵だって、悪だってみなしているのは、これでわかりきったってこった。手の込んだことをしてまで、天使協会は、天使を信仰し、≪対天使専門医師≫を敵視している……こりゃ、動きづらくなるな」
と、ミカヅキの言葉に対し、答えを出した珠埜は、はあ、と大きなため息をついた。
「――座って。現在分かっている情報の整理と、今後の方針について話すわ」
ウィーンと開いた会議室の扉から入ってきたのは帽子で、手に持っていた資料を、一人一人に配った。
「珠埜くん、松扉くんと針ヶ谷くんは?」
「連絡つかないんすよ。あいつらのこと、探してきましょっか?」
「……いいわ。あの二人には、後から厳しく言うから。今いるメンバーだけでも聞いてほしい」
帽子は真剣な面持ちでそういうと、早く席に着くようにと四人をせかした。
「ツバサ」
「何だよ。ミカヅキ」
「松扉と針ヶ谷って誰だ?」
「あ、ああ……ちは兄の同期……? いや、一個下か。第八支部の≪対天使専門医師≫。めっちゃ仲良くて、海外旅行とかよくいってる。もしかしたら、海外行ってるのかもな」
「……一応、仕事だろ。≪対天使専門医師≫って」
本来ならいるはずのメンバーがいない、とネガウ、牡丹コンビが、珠埜と伊鶴に変わっただけと、ミカヅキは思いながらツバサの隣に座る。四人が着席したところで、帽子は話を始めた。
「連絡は言っている通り、≪対天使専門医師≫・≪誘導隊員≫の牡丹いろはさんが、天使協会の人間によって殺害されたわ。犯人は未だ逃亡中。使用されたのは、拳銃――銀の弾丸。天使協会が初めて人間を手にかけた例として、今回は不本意ながら上げさせてもらうわ」
名を名乗る天使に気をつけろと言われたばかりなのに、これか――とみな、深刻な面持ちで視線を落とす。≪対天使専門医師≫という職業が、そもそも歓迎されていない、患者にも依頼人にも嫌われる存在だというのに、さらに恨みを買ったのかと、誰もがそう思いながら、渡された資料を見た。
「基本中の基本、≪対天使専門医師≫は、≪救護隊員≫と≪誘導隊員≫の二人一組で行動するわね。でも、≪救護隊員≫が治療している最中、≪誘導隊員≫はその場を動けない。≪救護隊員≫の安全を確保しつつ、自身はその場から動けなくなるの。これは、≪対天使専門医師≫の決定的な弱点となるわ」
「今回、そこを狙われたってことだよな。帽子さん」
「ええ、珠埜くんの言う通り。だから……という言い方もおかしいし、この方法は、何の解決にもならないかもしれないけれど、二人一組で行動していたところを、これからは四人一組で行動してもらうことにしたわ。治療に向かうときは、四人そろわないと、治療は行えない。そういう方針でこれからはいこうと思っているわ。すでに、支部長会議でも案が通っている」
と、帽子はいうと一息吐いた。
ベテランの≪対天使専門医師≫になると、二人一組でどの状態の『天使病』患者でも治療することが出来ていた。しかし、ベテランであれど、これからは四人一組で行動しなければならないとなると、『天使病』の患者を治療できるスピードが落ちるのではないかと。二人で一つの依頼を受けていたところが四人一組になれば、それだけ依頼をこなせなくなる。
「第八支部の≪対天使専門医師≫は少ないわ。でも、≪対天使専門医師≫の命の安全が最優先。だから、この方向で行かせてもらう予定よ。もちろん、他の支部にも応援を頼んだんだけど、どこも今パニック状態でね。異動なんていろいろと手続きがいるから、難しいらしいの」
「じゃあ、今いる四組……でって。ネガウは、どうなるんだよ」
「新しい相棒が見つかるまでは待機ね。それから、≪対天使専門医師≫の安全確保のために、全員、社員寮に引越しをしてもらうことになったわ。強制じゃないけれど、なるべくね。学生の伊鶴くんは、親御さんと話し合ってからどうするか決めて」
「はい」
「ツバサは?」
「……有栖くんと、ミカヅキくんは、強制的に…………と、支部長が言ってたわ」
「……過保護か」
強制の言葉を受け、ミカヅキはすぐに煙岡の顔が浮かんだ。まあ、あのボロアパートじゃ、いつ襲撃されても逃げようがないし、発見されることもないだろうから。
ツバサは、「引越しかあ……」と少し悲しそうな顔をしていた。何気に、あのボロアパートに思い入れがあるんだろう。
それにしても、ネガウという強力な≪救護隊員≫が治療に向かえないというのはかなり痛手ではないか。また、他の支部に応援要請をかけても、移動して貰えないという状況をみるに、日本全国の支部で、同じような襲撃にあっているのではないか。襲撃とはいかずとも、それに似た何かが。
天使協会というばかげた名前ながらも、その実態は、自分たちが思っている以上に危険なものなのだと再確認した。
「話は以上よ。珠埜くんは、少し手伝ってもらいたいことがあるから残るように。あとは、みんな気をつけて帰りなさい」
「牡丹の、葬式は?」
「……家族だけで行うそうよ。私たちはいかなくていいわ。他に何か用があるかしら、有栖くん」
「い、いえ……そう、すか」
最後に、牡丹の顔を――と思ったが、それもかなわないらしい。珠埜は、用事があるからと手をひらひらと降って、机の上に腰を掛けた。
伊鶴は、社員寮に引っ越すかの相談をすると足早に会議室を出ていき、ツバサとミカヅキは互いにどうするかと顔を見合わせた。
「とりあえず帰ろう。ツバサ……荷物まとめておこう」
「そう、だな……じゃあ、ちは兄、また」
「おう、気をつけて帰れよー」
気を使ってか、珠埜は笑顔で二人を見送った。そんな笑顔に押されるように、二人は会議室を出ると、無言のままエレベーターにゆっくりと乗り込んだ。




