Capture7-1 曲がり角、猫とぶつかる
雨が降りそうな、鈍色の空。折り畳みの傘など、持ち歩くなんていう考えは、はなっからなく、目的地に着ければいいとその精神で、ツバサとミカヅキは走っていた。
「おい、雨降りそうなんだけど」
「いいって、もう少しでつくから」
「そうじゃなくて、帰りの話! これ、絶対、長引く……」
「通り雨じゃね? 天気予報見てねけど」
「雨って書いてあった、馬鹿バサ!」
「へいへい、帰りにコンビニでビニール傘でも買おうぜ」
「お金がもったいないだろ。もう……」
「あー! てか、なんだよ。馬鹿バサって!」
「突っ込みが遅い……」
計画性のない相棒に呆れつつ、もう慣れた、とミカヅキは雨に降られるのは嫌なくせに傘を忘れたツバサの背中を追って走った。
午前に、新たな情報として『天使病』にまつわる資料や、天使協会に関する資料をもらったばかりなのだが、緊急だと電話を貰い、第八支部に向かっていた。一日に、嫌いなところに二度行くなんて、とミカヅキはげんなりしつつも、電話口の帽子の声がやけに焦っているようにも聞こえ、いやな胸騒ぎを感じつつ、徒歩で向かっていた。ツバサと住むボロアパートから、少し距離のある所にある第八支部は、バスを使ったら、十分程度なのだが、もちろん、そんなお金はなく、走るしかなかった。≪対天使専門医師≫の給料といっても、ごっそりもらえるわけではない。節約して何とかやっていけている状況であり、無駄な失費は出せない。高校生に、質素倹約、節約、と似合わない言葉かもしれないが、それほど生活にかかるお金ではなく、かけるお金がそもそもなかった。煙岡や、珠埜からの援助はあれど。
また、ミカヅキは、天使だから食べ物はいらないといったのだが、ツバサが人間の生活をしていたら記憶戻るだろう、と言い出したため、同じように飲み食いして、睡眠をとっている。でも、それはすべて人間の真似事でしかなかった。
「走って、コケるなよ」
「大丈夫、大丈夫――って、うわあぁ!?」
「言ったそばから……」
勢い余って曲がり角を曲がり切れなかったのか、それとも電柱にでもぶつかったのか。痛そうな音が響き、言わんこっちゃない、とミカヅキは、しりもちをついているツバサのもとに駆け寄った。
「ツバサ。立て、る……――?」
「いたたた……ちょっとーお兄さん、前向いて走ってよー! ボクころんじゃったじゃにゃいか!」
ツバサに手を差し伸べようとしたとき、視界に入った、ピンクの小さい何かに、ミカヅキは目を奪われた。
ツバサがぶつかった相手は、自分たちよりも数十センチ小さい子供のようで、薄いピンクと、赤紫のボーダーの猫耳パーカーに、丈の短い黒のミニスカートと白黒ボーダーのハイソックスと、なんともゴスロリチックな服装を着こなしていた。くしくし、と猫が毛づくろいするように、だぼだぼに余った萌え袖で前髪を整えていた。ぶつかって、痛いという割には、どこも痛そうにいていなかったため、ツバサの方が痛いのではないかと、はじかれたように、相棒に意識を戻す。
「ツバサ、手」
「ん? 何? ≪合体≫? ≪接続≫?」
「頭ぶつけてないのに、馬鹿になったのか」
「冗談だって。ほんと、固いなーミカヅキは。あ、手、ありがとな」
ぐっと引っ張られ、その力に自身も倒れそうになったのを何とか踏ん張り、ツバサを持ち上げた。ツバサは、立ち上がると、腰が、と両手で腰に手を回し、身体をくの字に曲げ痛みを訴えていた。
「てか、謝ったら? ぶつかったって、言っている」
「だ、誰に?」
「ほら、目の前の」
と、ミカヅキは指をさす。すると、目の前の少女? 少年? は、指をさすな! とぷんすこ怒り出した。
ツバサもそこでようやく、自分が何にぶつかったのか理解し、目の前のピンク色の猫の装いの子供を見た。
「あーえっと、悪かった。前見てなかった。お兄さん、が悪かった」
「ほんとだよ。もー、痛かったんだからにゃ!」
そのわざとらしい演技が鼻につくと、ミカヅキは怪訝な顔をしたが、ツバサは「どうしたら、許してくれる?」と交渉を持ちかけていた。子供相手に、それでいいのかとまたあきれるが、明らかに小さな子供にぶつかったツバサに非があるため、ミカヅキは口を噤んで成り行きを見ていた。
「じゃーボクと遊んでほしいにゃ」
「遊ぶって。ごめん、お兄さんたち、今から行かないといけないとこあって」
「えー、だったら、お兄さんに誘拐されそうになったって今ここでわめきちらかしてもいいんだけど」
「いや、それは勘弁……けど、ほんと緊急の用事で」
「その黒衣≪対天使専門医師≫なんだよね。お兄さんたち」
と、そこまで触れてこなかった、≪対天使専門医師≫の制服・黒衣について子供は触れてきた。まあ、これだけ黒ければ、目立つに決まっている。そんな黒づくめの自分よりも何倍も大きな人間にぶつかられて、怖くないはずがないのに、子供は、痛みだけを訴えて、何の不信感も抱かずに、ツバサたちに話しかけてきた。
ただ≪対天使専門医師≫の制服を知っていただけかもしれないが、ころりと話を変えた、子供の鋭さや、頭の回転にミカヅキは、ツバサよりも頭がいいんじゃないかとすら思えてきた。
「そう! 俺たちは≪対天使専門医師≫! 『天使病』から、皆を救うヒーローだ」
「ヒーロー言ってるのは、アンタだけだけどな」
≪対天使専門医師≫の話になると、すぐこれだ、とミカヅキは肩をすくめる。
ヒーローなどと口にしているのは、支部の中でもツバサだけであり、ツバサしか言っていない。たまに、珠埜も併せてなのか、ヒーローというが、自らをヒーローとは名乗らない。
そんなツバサの説明に、子供は目を輝かせて、くししっと笑った。
「ヒーローなんだ。お兄さんたち」
「そうだぞ。天使と戦うヒーローなんだ。君も、≪対天使専門医師≫に憧れてるの?」
「ううん。べっつにー」
と、子供は期待を裏切るように言うと、またくししっと笑う。ツバサはその一言でダメージを食らったのか、カクンと肩を落としていた。ほら、こうなる、と予想していて、ミカヅキはため息をつくしかなかった。そして、スッと子供の方を見ると、そこまで目を閉じて笑っていた子供の満月のような瞳とばっちりと目が合った。白くも、黄金にも見えるその目は猫のように瞳孔が縦長で、見つめられると、心の奥まで見透かされているような気になった。
「でも、『天使病』を治すのは、ヒーローじゃなくて、お医者さんだよね」
「ま、まあ、医者……なのか?」
「ボクね、≪対天使専門医師≫にあったことあるよ。お兄さんたちとおんなじ、真っ黒い悪魔みたいな服着てたにゃ」
「悪魔みたい……確かに、天使と対になるようにって――」
「だから? 何?」
そう言葉を重ねたのは、ミカヅキだった。いきなり、話に割り込んできたことに、ツバサは驚いたのか、ミカヅキの方を見る。彼は、ツバサの肩をひいて、後ろに下がらせると、子供の前に立ちふさがった。
「なーに? お兄さん」
「アンタ、≪対天使専門医師≫に恨みでもあんの?」
「は!? なんで、そうなるんだよ。ミカヅキ! ただ、気になっただけだろ」
「興味ないって言われたじゃん、さっき。まあ、別にそれはいいけど」
「お兄さん顔こわーいにゃ」
くしくし、と笑いながら、ミカヅキを見、横に揺れる子供。
すべてがわざとらしい演技だと、ミカヅキは見抜いたうえで、この子供から漂う危険なオーラを、どう馬鹿なツバサに伝えようか考えていた。
(……なんか、いやな感じする)
「ツバサ、もう行こう。どうせ、遊べないし、僕たちも時間ないんだからさ」
「え、お……でも」
「いいから!」
「えー遊んでくれないのー遊んでよー、お兄さんたち」
「ええっと、じゃあ、名前だけでも聞いて。また、そのうち遊んでやるから! あ、俺は有栖ツバサ! こっちは、ミカヅキ!」
「おい!」
「有栖おにーさんと、ミカヅキおにーさんね。ボクは、猫羽ネロ! また、遊ぼうね、お兄さんたち」
ミカヅキは、ツバサの手を引いて子供から離れる。その間も、後ろから猫羽と名乗った子供は、ツバサとミカヅキに手を振り続けていた。気味の悪い笑みで見つめられている気がして、ミカヅキは一刻も早くその視線から逃れたい一心で走った。
「どうしたんだよ、ミカヅキ」
「……あの子、変だった」
「変って、まあ、変わってるっていう意味なら……」
「違う。確証……ないけど、その」
「……まあ、なんでもいいや。第八支部ついたし、入ろうぜ」
「話を最後まで――」
ツバサの、話を最後まで聞かない癖は、今始まったことではない。ミカヅキは、またかとため息をつきつつ第八支部の自動ドアが開くのを待っていた。すると、フロントにいた、帽子が二人を待っていたように走ってきた。高いヒールを履いているのに、そんなに走ったら……とミカヅキは不安げに見つめるが、それよりも、必死な帽子の顔に、違和感を覚えた。
「有栖くん、ミカヅキくん、遅かったわね」
「ああ、ちょっといろいろあって。で、緊急の用って何なんですか?」
と、ツバサはいつもの調子で聞く。
そんなツバサとは対照的に、深刻そうな表情で帽子は視線を外した後、意を決したように口を開いた。
「――牡丹さんが。牡丹いろはさんが、殺されたわ。天使協会の人間の手によって」




