Capture6ー5 伝えられる時に
「ええなあ……二人とも、めっちゃ距離縮まってるやん」
「そう? いつも通りじゃない。有栖が馬鹿みたいに絡んで、それに絡まれているミカヅキ……いつも通りよ」
「いやいやいや、ネガウちゃん、それは違うで! ぜーったいに、何かあったに違いないんよ! 河原で殴り合いとかしたんかなあ。青春やな」
「……はあ、どんな発想よ」
先日、ツバサとミカヅキから『天使病』が進化しているのでは? という報告を受け、それに伴い、新たに可能性として浮上してきた『天使病』の発症条件や、天使協会の活動、その他数々の新たな情報を共有するために、ネガウと牡丹は呼び出されていた。
牡丹は、ツバサとミカヅキが互いに名前で呼び合っている(ミカヅキは苗字がないので変わらないが)ところを目撃し、これは何かあったな、とこの間あった時とは違う二人の雰囲気に微笑ましいという感情を胸に抱いた。相棒として一皮むけた二人は、より親密になっており、先ほど受けたシンクロ率を確認するテストでも、かなりの高数値をたたき出していた。
ネガウは、目を輝かせ、馬鹿をやっている二人を見ている牡丹に呆れながら、割れた自身の爪を見ていた。
「うちらも、あんなふうになれるんかな……」
「牡丹」
「ひっ、今のきいてたん?」
「ばっちりね」
「ご、ごめん。そんなつもりやなくて……この間、買い物に誘ってくれたこと、ものすっごく嬉しかったで!」
「問題をすり替えないで。それに、年が離れているわけでもないんだから……あまり、謝られると気分がよくないわ」
「じゃ、でも……」
「謝るようなことは何もしていないってことよ」
と、ネガウがいうとパッと牡丹は顔に花を咲かせる。少々、誤解を生む発言をするネガウだが、一応は相棒である牡丹のことを思っての発言だ。十七になる牡丹と、十八のネガウ。
牡丹が、ツバサやミカヅキを微笑ましく思っている理由は、もちろん、仲がいい、ただそれだけのことであり、自分は、ネガウとまだどこか距離があると感じていた。そもそも、牡丹自身が、自ら行動を起こせるようなタイプでもなく、ネガウが漂わせる美と知にあふれたオーラを前にすると、足がすくんでしまうのだ。自分が、隣に、相棒として並ぶにふさわしいか人間かどうか。不安になって仕方がない。ネガウの心が読めたら、もっと気が楽になるだろうかと、何度考えたことか。
そんな牡丹の心中を察したのか、ネガウは小さなカバンからあるものを取り出し、牡丹に見せつけた。
「こ、これって!」
「この間、貴方と一緒に買い物に行ったときに買ったものよ。大切に持っているわ」
「ね、ネガウちゃん!」
ネガウが取り出したのは、牡蠣のキャラクターキーホルダー。くりくりとした目に、おしゃぶり、ひらひらとした白い前掛けをかけた、肌の色がピンク色の子供の牡蠣のキーホルダーだ。キーホルダーにしては少し大きめで、ぬいぐるみであるため、汚れがつくといけないと、ネガウはカバンの中にしまっていた。この間、ツバサとデートの帰りに、牡丹とお揃いで買ったやつだ。
牡丹は慌てたように、ショルダーバッグから財布を取り出すと、そこに着けている前掛けが黄色い牡蠣のキーホルダーを指した。
「お揃いで買ったやつやね! 持っててくれるなんて、思ってなくて、うち、めっちゃ嬉しい!」
「……初めて、友達と買ったものだもの。わ、私だって、大切にするわよ」
と、ネガウが顔を赤らめて言うので、、牡丹はきゅんと胸が締め付けられ、ネガウに抱き着く。
ちょっと、とネガウは口にするが、まんざらでもなく、無理やり彼女を離そうとはしなかった。口にしないだけで、ネガウも牡丹のことは気に入っていて、自分が気兼ねなく話せる相手の一人だった。しかし、これまで人とのかかわりを避けてきたネガウにとって、会話を続けるといのは、かなりレベルの高いものだった。ネガウもまた、自分から話しかけることができず、話す内容も浮かばず、かといって、話しかけられたらそっけなく返してしまうことが多かった。それを悟られたくなくて、また、プライドから、自ら会話の輪に入ることを拒み続けた。
でも、そんな牡丹は、臆病ながらもネガウに話しかけてきた存在であり、ネガウの横に並んでも恥ずかしくない相棒になろうと努力している。その姿を、ネガウは知らないわけではなかった。だからこそ、気負う必要はない、とネガウなりの言葉をかけるのだが、牡丹はそれでも――と、自分を謙遜してしまう。二人の間にある壁というのは、お互いのすれ違いによって生まれた、透明な板なのだ。
他者の関係はどうでもよかったが、牡丹との関係は――と、ネガウもどうすればいいか困った。ツバサとミカヅキが変わった理由を聞けばいいのか、だが、そんなことはしたくない、とプライドが邪魔をする。そして、今日も、冷たい人間として、牡丹にそっけなくしてしまうのだ。
「午後から、『天使病』の患者の治療やんな! 今日も、頑張ろうな。ネガウちゃん」
「ええ」
牡丹の花が咲いたような笑みに、ぎこちなくも笑顔で返しつつ、彼女の優しさに甘えているな、とネガウはひしひしと感じていた。変わりたいし、かかわりを持ちたい。けれど、プライドと臆病さから、歩み寄ることが出来なかった。第八支部に来てから、目に見えた変わった相棒に、少し遅れを感じつつもある。自分は、≪対天使専門医師≫としては優秀な方で、その強さは、煙岡にも認められるほどだ。しかし、対人関係スキルは皆無に等しく、牡丹の優しさに甘えてしまっている。このままでもいいと、心のどこかで思ってしまっているのだ。
それから、ネガウ含めた四人は、『天使病』に関する新たな資料や、その他支給品を貰い、午後の治療に備え、場所を移動した。その間、牡丹が必死になって話しかけてくれているのに対し、ネガウは「ええ」、「そうね」しか返せず、次第に牡丹の口数も減っていった。
――このままではいけない。
以前牡丹に「自分といても楽しくない?」と言われたことがあった。その時は、否定したが、もしかしたらまだそれを引きずっているのかもしれないと。
「牡丹は……私と、私に話しかけてくれるけど。私なんかと一緒にいて楽しいの?」
「え? 何? その質問?」
牡丹は立ち止まって、それから振り返る。丸い瞳が、ネガウに向けられ、その純粋な瞳に自分が写っていることに安堵しつつも、質問を続けた。
「以前、貴方は私に『一緒にいて楽しくない?』って聞いたことがあったわよね。それなんだけど、私なんかと一緒にいて楽しい? って、今度はこっちから聞きたくなって」
「もしかして、ネガウちゃん不安?」
「不安?」
「大丈夫やで。うちは、ネガウちゃんのこと好きやから」
「私は――」
――こんな自分と一緒にいても楽しくない。
その言葉をぐっと飲みこんで、自分の手をそっと取った牡丹の方を再度見る。
どう対応すればいい? と、誰かに助けを求めたい。けれど、目の前の彼女を前にして、ネガウはそこまで気負わなくてもいい、と自分が彼女に言ったように、自分に声をかける。
「うちも、不安やったよ。ネガウちゃん、強い≪救護隊員≫やってきいて、経験が浅いうちなんかが、って。あとあと、ネガウちゃんめっちゃ、美人さんで、見てるだけでも緊張するっていうか、高嶺の花っていうか……とにかく、そんな人の相棒になれるんかなって、いっつも不安やったんよ。でも、ネガウちゃんも普通の女の子やって、最近分かってきて」
「うん」
「今はもう大丈夫やで! めっちゃ、楽しんどる! ネガウちゃんの相棒でよかった」
「……そう」
牡丹はにかっと笑い、ネガウの手をさらに強く握った。これが相棒としての答えなんだと言わんばかりの包容力を見せつけられ、ネガウは自分の悩んでいたことがいかにちっぽけなことかと実感した。そして同時に、自分の臆病さに嫌気がさす。
この治療が終わったら、また牡丹とお出かけをしたいと自分から誘おうと決める。今じゃない、この後で。そう思いながら、今日の患者の眠るアパートへと出向く。『天使病』の患者は、やはりと言っていいのか、孤独な人間、一人で住んでいるような人間が多い。自分の苦しみを誰かに打ち明けることなく、死んでいく。孤独死と変わらないものではないかと。ただ、孤独死のように、痛いが腐敗することもなければ、ごみがそこら辺に散乱するわけでもない。きれいな状態で天使になれずに息を引き取る。そういったケースが多いのだ。
今日もまた、一人暮らしの成人男性の患者の治療。依頼してきたのは、患者の友人を名乗る人物で、患者が合鍵を渡していたらしく、学校にこなくなった患者を心配して訪れると――という発見だったらしい。
ネガウと牡丹は縦になって並び、その依頼主から借りた合鍵で、アパートの一室の扉を開ける。中は、人の気配がしない静かな空間が広がっており、生活感のない部屋が広がっていた。
「患者は……ネガウちゃん、あそこや」
「……症状を見るに、五、六週間程度かしら」
「応援読んだ方がええかな」
「大丈夫、私一人で治せるわ」
「さすが、ネガウちゃん!」
ベッドに横たわっている男性は、すでに白くなっており、床には、何枚もの羽が散乱している。天使化がかなり進行しており、このままでは命に係わるだろうと。
ネガウと牡丹は、患者に近づき、容態を一通り見てから、その場に座り込む。
病気の進行が進んでいる患者の精神世界での天使の活動は、かなり活発で、量も多い。ネガウ一人で行かせるのは……と牡丹は、心配そうに彼女を見るが、ネガウは、一人の方がいいといって死んだように眠る患者を見つめる。ベテランの≪対天使専門医師≫であれば、一人でも大丈夫だが、まだネガウは十八だ。確かに、経験や、その実力は認められているが、相棒からしたらそれでも不安は残る。一人で、精神世界に……いざとなれば、強制帰還はできるが、そうなった場合、治療が失敗ということで、依頼人や、患者の家族に顔が向けられない。
しかし、ここでうだうだと考えていても、患者の命が危険にさらされ続けるだけで何の解決にもならない、と牡丹は、患者のそばに行き、白くやせ細った患者の手をそっと取って、もう片方の手をネガウに差し出した。
「……ネガウちゃん」
「何? 牡丹」
「絶対、帰ってくるんやで」
「何よ、それ。大丈夫よ。私は強いから……それと」
ネガウは、牡丹の手を掴み、その場で正座をする。言いたいことはあったが、やはり、今じゃなくていいと目を閉じ、そのオパールの瞳を安心させるつもりで牡丹に向けた。
「ううん、なんでもないわ。必ず帰ってくるから。待っていて」
「うん。待っとるよ。ずっと、ずっと!」
「ええ――≪接続≫!」
ネガウと牡丹は互いに手を握り締め、息継ぎのタイミングもぴったりに、≪接続≫と口にする。その瞬間、ネガウの身体はカクンとこと切れたように前に倒れ、牡丹はそれを、手を握りながらどうにか支えた。
精神世界の状況は分からないし見えない。自分にできることは、ここで≪救護隊員≫の帰りを待ち、精神世界と、現実世界をつなぐ橋となることだけ。精神世界での時間はこちらとは違う流れであり、数分で戻ってくることもあれば、数十分かかることもある。その間、絶対に手を離してはいけない。離したら、彼女たちは元の世界に戻ってくるすべを失うから。
「さっき、ネガウちゃんなんて言おうとしたんやろ」
亜麻色の髪が、さらりと揺れる。ベッドに横たわる男性の手を、牡丹は祈るようにギュッと握ると、大きく息を吐いた。この患者はどんな理由があって『天使病』にかかったのだろうか。何があって死にたいと思ったのだろうか。それが分かれば、そうなる前に、何かできれば――と牡丹は悔やむ。自分たちにできることは限られており、それは専門外だと。
隣で、患者の精神世界で戦っている相棒を待つこの時間は孤独だった。つながっているはずなのに、一人取り残された感覚になる。けれど、ネガウが戻ってきて、一番にお帰りというのは自分だと、牡丹は心を強く持った。
「うちも、ネガウちゃんの隣で戦えたらな……」
そう牡丹がいったとき、ガチャリと、部屋を開ける音が聞こえた。合鍵は自分たちが持っているため、誰かが入ってくることなんてありえないと思った。いや、他に合鍵を持っている人間がいるのかもしれない。しかし、入ってきた人間が、自分たちの見方ではないような気がし、牡丹は
立ち上がろうとするが、手を離したらいけないと、その場に踏みとどまる。そして、こちらに近づいてくる足音に耳を立てれば、その足音が、ばらばらと、二つあることに気づいた。
(だ、誰や……?)
大家か、それとも、患者の親せきか。いや、この感じは違う、と牡丹は汗ばむ手がすり抜けないようにと握りこむ。そうして、リビングに入ってきたのは、白いローブを身にまとった男性二人組で、その顔の半分も白いマスクでおおわれていた。全身白装束の男二人の胸元には、金色の天使の形をとったバッチが輝いている。
「……あ、あんたら、誰や。何しに来たん!?」
「――≪対天使専門医師≫……≪誘導隊員≫か」
「始末の対象は?」
「≪誘導隊員≫だけでいい。無駄な殺傷はするな。≪誘導隊員≫が死んだ時点で、≪救護隊員≫は現実に帰ってこれなくなる」
と、男たちは二人で話を進め、意見が合致したように頷いた。
男たちが何者か、牡丹には予想がつかなかったが、聞こえてきた『殺傷』などと物騒な単語を拾い上げ、牡丹は全身の血がひいていくのを感じた。そして、思考回路が止まりそうな頭が、妙にさえ、男たちの正体が『天使協会』に属するものではないかと一つの答えを導き出した。帽子からもらった資料に、天使協会のものは――という項目があり、その容姿と合致する。最近ではその天使協会の、行動班なるものが、強硬手段に出ているとも。だが、自分たちが気を付けるべきは、名を名乗る天使だけじゃないのかと。
握っている手も、身体も……全身が震えていた。ここから逃げなければ殺される。そう分かっているのだが、動くことが出来なかった。
(なんや、こいつら……うちらの事、害虫みたいに……)
向けられる視線は冷たく、自分たちの命を何とも思っていないような鋭い目に、牡丹は震えが止まらなかった。しかし、手を離せば、ネガウは二度と現実世界に戻っては来れない。ここで、手をはなすのは、いけないと、恐怖に震えながらも、男たちを睨みつける。
(守らんと……どうにかして)
狙いは、自分だけだと察し、牡丹は自分さえ……と、最悪、ネガウが助かればいいと頭を回転させる。しかし、両手がふさがって居れ宇状況、戦うのは現実的じゃない。どうするべきか、頭が正常に動かなくなっている中、牡丹は考える。
「とっとと、始末して帰るぞ。≪救護隊員≫が返ってくる前に」
「……ああ」
「な……っ!」
男の一人が懐から取り出したのは、サイレンサー付きの銃。その銃口はまっすぐ、牡丹の額に突き付けられた。
「恨むなら、≪対天使専門医師≫になった自分を恨みな。天使は、殺すべきじゃない。天使は、人類が新たなステージに上がるために必要な存在……人間を苦しみから解放し、導いてくれる存在だ」
「ちゃう。天使になれるのは、ごく少数や。それに、天使になりたいなんて言う人間は少ないはずや。みんながみんな、死にたいなんて思ってへん!」
現状、天使になれるのは『天使病』を患った人間のごく少数。ミカヅキは、特殊な例だが、みんながみんな天使になれるわけではなかった。また、天使になれずに死んでいくものだって多い。そういう人たちを、そうして死んでいく人たちを減らし、生きてほしいと願う人の笑顔と心を守るが、≪対天使専門医師≫だ。
牡丹は、そう反発し、男を睨みつける。そして、ブンと首を横に振って、銃口から頭をそらすが、その瞬間、引かれた引き金によって、ピュンと、牡丹の胸が貫かれる。
「――っ!」
「チッ……外した」
「弾が無駄だ。どうせ、助からない。そのままにしてろ」
と、男はそういって背を向けると、もう一人もそれに倣うように銃をしまう。牡丹は貫かれた胸の痛みに悶え、その場に倒れこみ、涙をボロボロとこぼした。
「う……ううっ……」
撃たれて初めて、痛みがやってきたが、それ以上に恐怖で涙が止まらなかった。どうして殺されなくてはいけないのか。何もしていないのに、どうしてこんな目に遭っているのか分からず、悔しくて悲しくて、早く楽になりたくて仕方がない。このまま死んでいたらきっとネガウを悲しませてしまうのだろう。
カチャンと、扉が閉まる音が遠くで聞こえた。
男が去った後、何とか意識を保っていた牡丹は、縋るように、ベッドに体だけ倒れこみ、息を切らしながら、患者の方を見る。
「ごめんな、患者さん……恨まんといて。治せへんかったかもやけど、うちにとって、大事なんは、ネガウちゃん……やから」
謝罪。それから、動かすのもやっとな頭を左に向けて、ネガウの方を見る。意識を失い、目を閉じているその姿も、彫刻のように美しい。やっぱり、自分なんかが隣にいるのは合わない、不釣り合いだ、と牡丹は笑う。そうして、握っていた手に最後力を入れ、開かない口を何とか動かす。
自分が死ねば、≪救護隊員≫であるネガウはこちらに帰ってこれない。ならば、命が尽きる前に、ネガウだけでも帰さなければと思ったのだ。あの男たちは、牡丹を殺せば、ネガウがかえってこれなくなると言った。牡丹が、死亡すれば、それは叶う。だが、死亡する前に、≪強制帰還≫させることができたら、話は別だ。
「帰ってきて、ネガウちゃん……≪強制帰還≫」
重たい瞼。口にするのもやっとなそれを言い終え、牡丹ははらりと涙をこぼし、握っていた手を離した。彼女の黒衣から、カツン……と、あの牡蠣のキーホルダーが落ち、その場に寂しく転がった。




