Capture6-4 初めての感謝
「――お、起きて、起きない、まって、救急車呼んだ方がいい感じ? って、うわああ!?」
上から降ってきた少女の声で目が覚める。自分たちの上に乗っかっていた影がふらりと移動したことで、まぶしい光が目に飛び込んでき、思わず顔をしかめてしまう。
「おー戻った、戻った」
「だから、戻ってなかったらまずいだろ」
「……ふ、二人とも起きた。よかった……アタシ、てっきり死んだかと」
目をこすりながら、固まった腰や肩をひねり、コキコキと、骨を鳴らしながらツバサは手の感覚が戻るまで何度も開いて、閉じてと繰り返していた。ミカヅキは、死んだかと思った、など不謹慎なことをいわれ、海塚を睨みつけつつも、ツバサの楽観的な態度に、安心感を覚えていた。
「海塚先輩、もう、身体大丈夫なんすか」
「えー? うん! うん! おかげで! なんか、パッと目覚めてね。起きたら、背中に生えてた羽が全部抜け落ちてたのよ。起きたら見せたげよーって思ったんだけど、消えちゃって」
と、先ほどまで『天使病』を患っていた人間とは思えないほど明るく、海塚は自身の背中を見せた。『天使病』により生えてきた羽は確かにそこにはなく、羽が生えていたであろうと頃に二つの切り傷のようなものが残っていた。すでに皮膚は縫われたように戻っており、古傷のようになっている。
「あんまみないでーさすがに、初対面の男子に、背中見せるってあれだから」
「あ……はい」
「『天使病』治ると、羽が抜ける……なあ。ミカヅキが、天使じゃなくなったら、そうなるってことか?」
「知らない。まず、治療が成功したことに喜べよ。全く……」
羽は、普通の服を突き破る。海塚も例にならって、羽が生えていたところの布はびりびりになっていた。これじゃあ、いくら衣服があっても足りない、とミカヅキも自分自身の羽を少し動かしてみる。≪対天使専門医師≫の服は、羽にストレスがかからないが、普通の服は違うため、かなり学ランの下の羽が窮屈な思いをしている。ツバサ同様、早く脱ぎたいと若干のストレスを抱えている。
何はともあれ、海塚の『天使病』は完治した様で、ツバサもミカヅキも顔を見合わせ、そして、互いに手を合わせた。パチン、と勢い余るくらいの音を響かせ、ハイタッチをすると、海津がぷっと笑った。
「仲いいじゃん」
「仲いいって、別に、僕たちは……」
「はじめあった時、仲悪いのかなーって思ってたけど、そうじゃないんだね。いやーほんと、助かったよ。ありがとう」
「軽い……」
「まあまあ、ミカヅキ! 俺たちは、俺たちのやるべきことやったんだしいいじゃん! 海塚先輩も」
「ええと、ありがとう。有栖くん、とミカヅキくん?」
と、改めて、海塚は二人に頭を下げた。
「おう! ≪対天使専門医師≫として当然のことをしたまでっすよ!」
料金は前払い制なので、すでにお金は払っている。給料が入り次第、またファミレスでも行こうな、とツバサに背中を叩かれ、痛いとミカヅキは抗議の声を上げる。それから、ガラガラと保健室の扉が開き、白衣を着た先生が入ってくる。事情を一通り説明し、ツバサたちは、お礼の言葉を貰うと、学校から帰ることになった。仕事が終わったこともあり、学校にいる必要がなくなったのだ。ただ、帰り際、ツバサに関しては、学校に来るように、と言われ、なあなあと返事を返して、逃げるように学校を飛び出した。
「……初めてだったな」
「んー何が?」
「……『天使病』の患者にお礼言われたの」
「確かに!」
「確かにって……ほんと、馬鹿なやつ」
「馬鹿ってまたいったな!? んでも、確かに、初めての経験だったかもな」
帰り道、近所の公園によりながら、ミカヅキがこぼした言葉に、ツバサは反応した。
これまで『天使病』の患者を何人か治療してきたが、精神世界で、自我を保っている患者には、治療しないで、このまま楽に死なせて、と言われ、ネガウたちとの初任務では、救えなかったことに、治療を依頼した人間にも怒鳴られ、自分たちがやっていることは無意味なのではないかと思うときもあった。しかし、今回『天使病』患者である、海塚に治療したことで「ありがとう」と感謝の言葉を言われた。海塚が生きたいと願っていたからというのもあるが、ツバサたちからしてみれば、初めての経験だった。
≪対天使専門医師≫という職業は、広くは知られていなくて、場合によっては”死”が付きまとう仕事だ。しかし、外から見れば、何をしているのかも、本当に治療しているのかも分からない。だからこそ、何もしていないのに、命を奪われたと嘆く人もいるだろう。歓迎されない職業であり、褒められた職業じゃないのかもしれない。最も、自殺願望者を、現実に引き戻すという仕事であり、その自殺願望者を生かしました、後は知りませんというような仕事だ。だからこそ、ありがたがられない。依頼側からも、治療される側からも歓迎されず、何のために命を張って治療するのか。無意味に意味を求めても仕方ないのかもしれない。そう何度だって思う。経験の多い≪対天使専門医師≫になってくると、その経験は一度や二度じゃないだろう。
でも、今回のように感謝されることもあるのだと、改めてミカヅキは思った。ツバサ自身、自分がすべきことをした、自分が正しいと思ったことを実行した、ヒーローとして――というところが基準になっているため、感謝の言葉はそれほど重要じゃないのかもしれない。だが、ミカヅキにとっては、無意味かもしれないこの仕事に、意味を見いだせた初めての瞬間だった。
ツバサの言うように、『生きたい』と願うもののヒーローになれた、そんな瞬間だ。
「あの、さ――」
「何だよ、ミカヅキ。トイレならあっちだぞ?」
「そうじゃなくて。さっきも……さっきも言ったかもだけど、アンタ、僕の事助けてくれただろ?」
「たす……ああ、精神世界での? 相棒だし。それに、目の前で死にそうな人間がいたら助けるもんだろ? それも、別に、お前が死にたいと思ってあそこに飛び込んだわけじゃねえし。俺の不注意で、海に落ちたようなものだから」
と、珍しくツバサは申し訳なさそうに言った。
ギコギコと漕いでいるブランコを止め、策の外側にいるミカヅキを見た。青い瞳に、少し影が出来ていて、ミカヅキはその瞳をのぞき込む。不安が、その瞳や、顔からにじみ出ていて、いつも馬鹿元気なツバサが見せたことがない、珍しい表情。
「俺、もっと、ミカヅキに感謝しなくちゃなって思ってんだよ」
「僕に? 何で?」
「お前がいっつもいうみたいに、俺は一人じゃなんもできない。精神世界に入り込むことも、戦うことも。文字通り、二人で一人? みたいな、関係じゃん。だからこそ、お前の事もっとしっかり見てなきゃって思ったんだよ。ほら、俺って周りが見えてないじゃん。それに比べて、ミカヅキは、周りが見えてるっつうか、大人っぽくて。俺にない部分持ってて」
「……言ってるけど、僕だって、精神世界に入れるだけで、アンタと≪合体≫しなくちゃ、何もできないわけだけど?」
≪合体≫とは、文字通り、対象の人間と合体することであり、かみ砕けば、対象者の一部となる。天使は、天使を攻撃できないルールがあるため、ミカヅキ自身、天使に直接攻撃が出来ない。だが、≪合体≫することで、ツバサの一部となり、天使に攻撃をすることが出来るようになるのだ。また、精神世界では、天使にも痛覚が存在するため、剣となったミカヅキにも、それなりにダメージは入るのだ。
ミカヅキも、一人では何もできない。ツバサと同じなのだ。
だからこそ、互いに互いを必要としている。必要になる。
「別に、あれで死んだとか思わなかったけどさ。でも、ミカヅキが死んだらーとか思ったら、怖くなったんだよ。なんか、俺の中の一部がポロっと抜け出た感じ?」
「何それ……でも、確かに、死ぬのは怖い……僕が言っていいことか分かんないけど」
「だよな! 死ぬの、怖いよな! 慣れてきたからって、確実に”死”を回避できるわけじゃないんだし、互いに気を使っていかないとなーって思って。第一支部の≪対天使専門医師≫が殺されたって話も聞いて、他人事じゃないなって。天使協会の話も、だから、よりいっそ――って!」
まとめるのが困難だったのか、ツバサは途中できると、ブンと大きく振りかぶって、ブランコから飛び降りた。黄色い策を超え、ミカヅキの横に降り立つと、足が痛い、と顔を歪め、その後、ミカヅキの方を振り返ってまた、太陽のようなまぶしい笑顔を向ける。
天使も死ぬときは死ぬ。そして、人間もまた同じで――
「アンタも死ぬの怖い?」
「怖いに決まってんだろ!」
「何で?」
「何でってそりゃ、痛いから? あと、怖い?」
「痛い、怖い……そう。普通は、それが普通」
「何だよ、今の質問」
「別に、なんでもない。死ぬのが怖いけど、アンタは自分が目指すヒーローになるために、≪対天使専門医師≫を続けるんだろ?」
「もちろん!」
「即答だな」
目の前に”死”がちらつく世界で、相棒は生きるという。死ぬのが怖いというのなら、逃げるという選択肢もきっとあるのだろう。学生なんだから、学業に専念すればいいと。しかし、有栖ツバサという人間は、それをしない、それを選ばない。普通の選択肢が用意されている中でも、彼はそれを選ばないというのだ。普通なら、死ぬのが怖いというのなら、それを避けて通るだろうに。
死を恐れないのが、ヒーローだというのだろうか。
即答した、ツバサに、相変わらずだな、と思いながら、自身が感じた”死”に少しだけ体が震えていることに気が付いた。天使は、そういった負の感情を抱かないはずなのに。天使から人間に戻ろうとしている前兆なのだろうか。それとも、天使としてもう一段階上位の存在になる前触れか。
どちらにしても、人間の感じる感覚を持っている自分は、本当の意味で新人類――天使になったわけではないのだろうと、言い聞かせる。
(死にたいと思って、天使になったのに、死にたくないって震えてるって……めちゃくちゃ、おかしい話じゃん)
一周回って人間だ。それを、ツバサにいったらなんて返されるだろうか。それも、恐ろしくて聞けなかった。ただ、隣で笑う、相棒と、相棒として生きることを選んだ今、引き返すことは困難らしい。
「……さっきの話、覚えてる?」
「『天使病』が進化した話? 一緒に行くってやつ?」
「それもだけど、海」
「海?」
「――連れてってくれるんだろ? 今年」
「なんだ、お前。やっぱり、楽しみにしてんじゃん」
と、再び肩をぐっと組まれる。痛みなんて感じないはずなのに、のしかかった体重に、身体が悲鳴を上げた気がした。
「楽しみじゃない。アンタ、馬鹿だから忘れていないか確認しただけ」
「覚えてる、覚えてる。お前の記憶取り戻すっていう約束と合わせて!」
「その調子でよろしく。つ……ツバサ」
ミカヅキは、ツバサ、と言ってすぐに顔をそらした。誤魔化せたつもりだったが、こういうときだけ聞こえるのか、ツバサは「今名前!」と目を輝かせた。
「俺の事、ツバサっていった!」
「……だめ、なのかよ。別に…………有栖でも」
「いーや、ツバサ! ツバサでいい! 初めて、名前読んでもらったんだけど俺!」
「はいはい、暑苦しいから離れろ」
「な、もう一回!」
と、ツバサは、上機嫌にミカヅキにせがむ。だが、ミカヅキは調子にのらせたことと、柄にもないことをしたと、顔が熱くなり「言わない」と言って、ツバサの腕の中から抜け出した。まてーと、後ろから元気のいい馬鹿な声が聞こえたため、そそくさと公園の出口に向かう。
きっと、世の中の高校生ってこんなふうに馬鹿するんだろうな、とミカヅキは、思い出せない自分の過去に思いを馳せ、公園の外へと一歩先に飛び出した。




