Capture6-3 大海に潜む天使
「ちゃっちゃと、やりますか」
「――だな」
「おう、やる気じゃん。ミカヅキ、珍しい~」
「今回の患者が『死にたがり』じゃないからだ。あんだけ、生きたいって願ってる人間が、『天使病』で死ぬのは可哀相だろ」
「だな! てか、ほんと、『天使病』ってわけ分かんねえ病気だよな」
「……多分、進化してるんじゃない? これは、僕の憶測だけど『天使病』……天使ウイルスは進化している。人が何気なく口にする『死にたい』っていうその言葉だけでも反応するくらいに」
「それって、めっちゃ凶暴ってことじゃん。やべえ」
「そうだよ。やばい……このことは、早めに≪対天使専門医師≫、支部に報告した方がいいと思う」
「つっても、憶測だけじゃな……」
「でも、実際そうでしょ。僕じゃ、きっと話聞いてもらえないから。有栖が言って」
「けど、今の説明俺一人でできないし。ミカヅキの憶測? だろ?」
「……天使の僕じゃ信用ならないから」
と、ミカヅキはいうと、こぶしを震わせながら下を向いた。そこで、いくら察しの悪いツバサとは言え、相棒のそんな顔を見て、何も気づかないわけもなく、ミカヅキの背中をバシンと叩いた。羽の付け根を思いっきり叩かれたことで、痛みが体全体を駆け巡り、ミカヅキは、おい、とツバサの方を見る。
「んじゃ、二人で行こうぜ。俺だけじゃ、不安だし。それに、ミカヅキは、『天使病』患者を治療して、役に立ってんじゃん。そんな、謙遜しなくていいって。それにさ! 俺は、ミカヅキのこと信じてるから安心しろ」
「…………考えとく」
「そうしてくれ。てか、今回の精神世界、なんだこれ……海?」
ツバサは遠くを見るように、舌を見下ろした。ミカヅキもそれにつられるようにして、ツバサの見る方へと視線をやる。
そこには、海が広がっていた。曇天の空に、荒れ狂う大海原。自分たちがたっている場所は、崖の上で、下ではザパン、ザパンと波が岩に打ち付けられ跳ねていた。空も、海も、どちらも鉛色であり、下を見れば身が縮こまるほど岩が突き出している。高さ的にも落ちたら命がないのは一発で理解できる。
「海塚先輩だから、海なのか?」
「そういうのじゃないと思う。初めは、『天使病』の症状の状態の表れだと思っていたけど、さっきの人は、三四週間って言ってたし……名前とか、そういうの関係ないと思うけど」
「わかんないことだらけだな。まあ、いいや。俺たちのやることは決まってるわけだし」
と、ツバサはミカヅキに手を差し伸べた。
海塚は、意識が覚醒している状態だったため、一度眠ってもらうことにした。意識が覚醒した状態でも精神世界にもぐれるのか、一度試してみたが≪接続≫はできず、眠りについてもらうことで疑似的に、『天使病』と同じ状態に持っていき、その手順を踏んでようやく≪接続≫することが出来た。治療にあたり、眠ってもらうことを伝えると、年頃の少女である海塚に「眠ってある間に何かしたら、通報するから」とくぎを刺され、それからまたいろいろ言い争って、精神世界に潜り込むことが出来た。
ミカヅキは≪合体≫の合図だと、彼の手を取り、静かに≪合体≫と口にすると、いつものように、あの光り輝く大剣へと変化した。
「さーて、どこからでもかかってこいや」
威勢よくツバサが叫び、剣を構えると、海の向こうから、白い鳥のような大群――否、天使が群を成してやってきた。
「大群とか、もう慣れてんだよ」
その数は百を超えているだろう。それを、ミカヅキの大剣で片っ端から切り伏せてゆく。斬られた天使はその場で消滅したが、それは残った群れも同じことであり、また新たに生まれた新たな天使が襲ってくるという流れだった。相変わらず、切っても切っても湧き出てくる天使に苛立ちを感じつつ、天使の目的が、ツバサ本体ではないことに、ミカヅキは気が付き始めた。
『有栖』
「何だよ。今集中してんだけど!?」
『天使の目的、アンタを、ここから落とすことだ』
「ここって、どこ?」
『崖! 落ちたらヤバいってさっき言ってただろ。天使だって、脳がないわけじゃない! 落ちる前に、大本の天使捜せ!』
「つっても、どこ、に――!?」
と、ツバサが言った瞬間、天使の攻撃が、地面をえぐり取る。すると、地面には瞬く間に亀裂が生じ、ツバサの体がぐらりと傾いた。
捕まるものなど何もなく、剣をその場に刺したがそれさ意味もなさず崖が崩れ落ちた。崖の先に追い詰められていることもあり、逃げ場などなかった。
「やっべ……!」
ぱらぱらと崩れた崖ともに、ツバサも真っ逆さまに落ちていく。波の音がすぐ近くまで聞こえ、あの突き出た岩々が間近に迫る。あんなものに当たればくし刺しになる。しかし、ツバサは重力に逆らうことはできず、その場で身をよじることもできなかった。
『――≪合体≫解除! 有栖!』
ミカヅキが叫ぶと同時に、彼は元の姿へと戻り、ツバサに手を伸ばす。しかし、その手はツバサの手を掴むことなく、空を切った。
「……チッ」
「ミカヅキ!」
「大丈夫だから、手、伸ばしとけ! 馬鹿有栖!」
一度は外したが、さらに手を伸ばし、その指先がツバサの指に触れる。そして、次の瞬間、パシン、とミカヅキの手はツバサの手を掴んだ。
「ギリギリ……セーフ」
「俺、重くない? 大丈夫そう?」
「そんなこと心配している場合か――って、上!」
ギリギリのところで、手を掴むことが出来たものの、そのまま上に戻ろうと顔を上げれば、崩れた崖の上から、天使がこちらに向かって降りてきた。
「……くっそ!」
ミカヅキは再び≪合体≫をしようと叫ぼうとしたが、このまま≪合体≫すれば、ツバサは下に落ちることになる。それでは、ここまで助けた意味がない。だが、≪合体≫しなければ、彼に武器はなく、二人とも天使の攻撃を食らって死ぬだろう。
迷っている暇などなかったが、どの選択肢をとればいいかミカヅキには分からなかった。すると、剣を振りかざしやってきた天使は、一斉に、羽を広げ、大きく羽を開くと、そのままブンと羽を動かし、風圧を起こした。その風圧により、ミカヅキとツバサは吹き飛ばされ、海の中に打ち付けられる。
「……がっ、ぐ……うっ」
跳ね飛ばされた痛みと、身体にまとわりつく水。重くなった身体はうまく動かすことが出来ず、濡れた羽が上に上がるのを妨害してくるようだった。ミカヅキは自分が泳ぐことが出来ないことに気づき、藻掻いては見るが、やはり上に上がるどころか、下に落ちていくような感覚を覚えた。がぼごぼ……と、口から酸素が抜けていき、水を飲みこみそうになり必死に耐えた。
「あり……す……」
ミカヅキは手を伸ばすが、ツバサの指先が触れることはない。そればかりか、光を失い、自分が今どこにいるか、その指の先さえも確認できなかった。
死が間近にある―――そう感じ、全身の体温が奪われていくようだった。
一度、死にたいと思った身ではあるが、本当に死にたいと思ったのだろうか。だって、こんなにも死は苦しくて、辛くて、怖い――
「ミカヅキ!」
「……あり、す……?」
「そーだよ。手、伸ばせ!」
「んで……息、できてんの……」
相棒の声が聞こえた。遠くに。水の膜が、ツバサの声をくぐもらせる。あたりには光が見えない。けれど、声のする方に手を伸ばしてみる。すると、ツンと指先に何かが触れた。すると、そのままグイッと何かが腕を引っ張り、瞬間、ザパンと水の中かから、海の上に引き上げられた。
「ぷはっ」
ミカヅキはせき込むが、肺に空気が一気に入ってきたせいか、その場で気を失いそうになっていた。それを何とか堪え、目を覚ませば、自身の天使の羽を被り濡れているのが分かるほどにぐっしょりと水気を吸っており、その傍らで、心配そうに顔をのぞき込むツバサの顔があった。
「死ぬな。ミカヅキ」
「死んで、ない……」
「死にかけ。ほら、手かしてやるから立ち上がれ」
ツバサはミカヅキの手を取りながら立ち上がると、ツバサは安心したようにつぶれた笑みを向けた。不細工だな、なんて思いながらも、その安堵の笑みが自分に向けられていることに、ひどく胸が締め付けられた。天使であっても、精神世界……及び、現実世界でも死ぬときは死ぬ。いな、自殺はできなくとも、他殺はあり得るのだ。死の恐怖を克服したと、天使は言い難い。いや、『自我持ち』の天使は――だ。
「ありがと」
「てか、マジビビったよな……まさか、海に落とされるなんて」
「先に注意しただろ」
「あと、ミカヅキが泳げないってのも初めて知った」
「羽があるからだ。それに、いきなり落とされたらみんなパニックになるだろ。泳げないわけじゃない」
「どうだか……って、とりあえず、主の天使見つけて倒さなきゃ、海塚先輩に顔向けできないし、やろうぜ」
「ああ……」
やろうぜ、と言われても、先ほど海に投げ出されたせいか、天使を察知する力が落ちているようで、ミカヅキはあたりを見わたし、天使の位置を把握しようと全力を注いだ。自分たちが現在いるのは、あの崖の下の空洞になっているところ、洞窟で、明かりがないため、ほの暗く、海の水が入ってきているのか、水の音がこだましていた。精神世界に終わりはなく、大海原の向こう側から現れたということは、もしかしたら、海の真ん中に主となる天使がいるのかもしれない。そうなると、面倒だな、と感じつつ、ふと、洞窟の外に顔を出してみる。すると、先ほど出っ張っていた槍のような岩の上に、白い物体が乗っかっていた。
「あれは……」
白い物体、いや天使はミカヅキと、ツバサに気づいていないようで、優雅に羽を休めていた。しかし、羽とその色白さ、男女ともに見分けのつかぬ顔と認識できるのっぺらぼう――だが、その足は、人間の二本足ではなく、人魚のような、ヒレとうろこのある足だった。
「有栖、あいつ……」
「十中八九、あれが今回の主だろうな。人魚みたいな身体しやがって。天使じゃねえじゃん」
ツバサのいうとおり、天使のようで、天使ではない見た目をしている。しかし、あれがほかの天使とは違う、異様の形であることで、今回の主――ボスであることを二人は感じ取った。羽とヒレを持つ天使。もし、海にでも潜り込まれたら倒すのが面倒だぞ、とミカヅキは顔をこわばらせつつ、どうにか不意打ちで攻撃を仕掛ける方法はないかと考えていた。
「正面突破」
「はあ!? 正面突破って、馬鹿だろ!? 気づかれて、海に潜られたら……」
「そもそも、今気づいていない時点で、不意打ち確定じゃん。一発で決めれば大丈夫」
「……」
「俺は、ミカヅキを信じてるぜ。お前の切れ味……シンクロ率も高くなってきたって、褒められたじゃん? 大丈夫、一発で決められる」
「僕だよりみたいに……はあ、でも、確かに……一発で決められるなら」
と、無謀であれど、それが一番しっくりくると、ミカヅキはツバサの考えに同意する。チャンスは一度きり。あの天使がほかにどんな攻撃を使ってくるか分からない以上、一発で仕留めなければ後がないと思う。しかし、距離を詰めるにあたり、海の上を走ることになるが……
「有栖、イメージできる?」
「なんの?」
「……天使まで距離がある、一発で決めるにしても、そこまでどうやって行くかが問題。海の上、走るようなイメージ。僕は初めから≪合体≫しているから、さっきみたいに、羽で移動はできない。だから、アンタがあそこまで走る」
「海の上? 忍者みたいだな」
「できる?」
「できる、できる! それ、めっちゃかっこいい!」
「基準……まあ、やってよね。じゃなきゃ、一発で決められない」
「りょーかい、相棒!」
≪合体≫――と、ミカヅキは、ツバサの手を握る。ツバサは海水で濡れた髪をかき上げ「よし」と、気持ちを切り替え前を向く。距離は、二十五mほど。全力で走って、距離を詰める。そのイメージを固まらせる。ザパン、ザパン……と遠くに聞こえる波の音。ツバサは、足に力を籠め、一気に加速した。洞窟を抜ければ、鈍い光が視界を遮る。しかし、足を止めることなく加速すれば、地面から離れた瞬間、いや、地面と離れたのにかかわらず、水の上に見えない板があるように、平行に走ることが出来た。そして、水の上で、タンッと跳ねる。そのまま水面を駆けるように進みながら速度を上げていき、天使が乗る岩の上へと跳躍した。
天使は、そこでようやくツバサの姿を認識し、天高く手を振り上げる。すると、人魚の天使の後ろ側から、大きな波が押し寄せ、ものすごい勢いでこちらに向かってくる。また、先ほどまで姿を消していた天使の群れも、一斉にツバサに襲い掛かる。しかし、ツバサの方が一歩速く、その場にたどり着き、人魚の天使が飛び立つまもなく、振り上げた剣を振り下ろす。
「おらあああああああっ!」
ザンッ、とあたりに水が派手に飛び散り、天使の上半身と下半身を分裂する。しかし、致命傷には至らなかったのか、両手を振り上げ、押し寄せる津波がさらに高さを増した。だが、津波が到着するよりも先に、ミカヅキの剣は弧を描いて天使の首を落とし、その勢いで天使の残骸を蹴り飛ばして距離を取った。
ツバサは、人魚の天使が座っていた岩に着地し「ふう……」と一息つき、剣を横にふるう。血がついているわけでもないそれは、天使を切ったことでよりいっそ美しく、白い刀身をさらに輝かせていた。
「一応、倒せたんだよな」
押し寄せていた津波は、その場でシャボン玉のようにはじけ、雨のようにツバサと≪合体≫を解いたミカヅキに降り注ぐ。鉛色だと思っていた空も、海も、晴れていき、その青を彼らの目に焼き付けた。
「きれいだな」
ツバサは、腰に手を当て大海を見てつぶやいた。ミカヅキは、果てしなく続く、その大海原を見て、精神世界は、天使ウイルスによって汚染されていなければ、元はきれいな状態なのではないかと目を細める。そんなミカヅキの肩をぐっとツバサは抱くと、ふっと笑って顔を覗き込んだ。
「今年の夏、海いかね?」
「いきなりだな。別にいいけど……アンタが行きたいなら」
「はいはい、素直じゃなーい。本物の海、見に行こうな。精神世界じゃなくて……きっと、もっときれいだと思うからさ」
と、ツバサはニッと白い歯を見せて笑った。治療を済ませた彼の顔はとてもすがすがしく、見開いた目は、空と海の境界線のような青色をしていた。
新しい約束、予定が出来たな、とミカヅキは眉をハの字に曲げて笑う。
二人の身体は、精神世界の崩壊により、光に包まれ、現実世界へと帰還を余儀なくされた。意識が途切れるその瞬間まで、ミカヅキは、果てしなく続く大海原を見て、いつか現実でも、と脳裏に、青く澄んだ海を想像し瞳を閉じた。




