Capture6-2 生きたがり
「くれぐれも、変な動きするなよーミカヅキ」
「誰にいってんの? てか、変な動きしてんのは有栖の方じゃない? 学校行ってなさ過ぎて、学校アレルギーでも発症したんじゃないの?」
「ぷっ、なんだよ。学校アレルギーって」
「……もう、どうでもよくなった」
嫌味のつもりでいったのだが、ミカヅキ側が変なことをいっているヤツ認定されてしまい、ツバサが腹を抱えて笑っている姿を見て、ミカヅキは小さく舌打ちをした。
彼に貰ったウィッグは、それなりに整えることができ、サイズ感もぴったりで、あの真っ白な髪の毛が隠れるほどに綺麗にまとまった。そして、びくびくしながらも、ツバサの通う、天ヶ丘高校に潜入ができた。話は通してあるといわれたとおり、教職員らに変な目で見られることなく、校内に入り込むことができた。全校生徒は多い方で、全員の顔を覚えているわけがないよな、と納得しつつも、いつかバレるのではないかと、ミカヅキは心配でならなかった。「心配しょー」とまた笑われ、腹の虫が治まらないまま、廊下を歩けば、ツバサにそっちじゃないと、首根っこを捕まれた。
「痛い! 他に、教え方があるだろ」
「悪ぃ、悪ぃ。口より先に手、出ちまうタイプで」
「……で、どっちに行けばいいの?」
「情報によると、その女子生徒……ああ、患者は、二年生の女子生徒で、保健室通いだって」
「はあ……で、保健室行けばいいの?」
「そうそう。授業とか受けるみたいな、潜入じゃなくて、つまんないかもだけど、そこはまあごめんしてくれ」
「別に、謝らなくてもいいし。てか、僕、授業受けに来たわけじゃないんだけど」
「つっても、つっても! 授業受けたことで、自分が何歳だったーとか、記憶思い出すかもじゃん」
と、ツバサはかくかくとしたジェスチャーをしながら話した。あまりに、変なロボットのような動きをするので、笑いが込み上げてきたが、それよりも、自分との約束を忘れていなかったツバサに、ミカヅキは衝撃を覚えた。
「覚えてたんだ」
「何のこと?」
「約束。僕の記憶を取り戻す手伝いの話」
「ああ、そりゃ覚えてるだろ! 相棒になるっていう条件で出された約束。それに、俺も、今のミカヅキも好きだけど、前のミカヅキも知りたいって思ってるし。記憶が無いってのも不便だろ? 忘れるわけないって。お前との約束」
「そう……」
「てことで、保健室行くぞーぱっぱと治療して、帰る!」
「授業は」
「帰る! 制服脱ぎてえし。堅苦しいの嫌いなんだよ」
「じゃあ、≪対天使専門医師≫の制服も?」
「あれは別」
ツバサは、おやつは別腹だ、というように廊下を走り出した。予鈴が鳴り響き、上の階の方でドタバタと、教室に入っていく音が聞える。ツバサも学生のはずなのだが、”仕事”のために、学業から遠ざかっている。それが良いのか悪いのか。煙岡が任せた仕事というのなら、そもそも、煙岡がツバサのサボり癖を把握しているはずだし、許容して、≪対天使専門医師≫として生きてもいいと、その生き方を肯定しているようにも思える。
考えても仕方がないことだと、ミカヅキは、廊下を全力疾走するツバサをゆっくり歩いて追いかけた。
「遅いぞ、ミカヅキ」
「廊下は走っちゃ駄目だろ」
「優等生か!」
「優等生だったかも知れないだろ。てか、優等生いうな」
「自分で優等生っていったんじゃん。まあいいや」
保健室の前で待っていたツバサは、遅れてきたミカヅキに苦言を呈したが、それもすぐにどうでもよくなったように、保健室の扉に手をかける。横にスライドする形のドア、開けた瞬間、保健室特有の消毒液の匂いと、清潔な空間がミカヅキの鼻腔をくすぐった。奥のベッドにはカーテンがあり、中に誰かがいることが見て取れる。見た感じ、どこの学校にもありそうな保健室だった。
「おじゃましま――ふぶっ!」
「有栖!?」
一歩、保健室の中に足を踏み入れると、横から猪のように突進してきた誰かにぶつかり、ツバサは後ろによろけた。反射的に、ミカヅキはツバサを受け止め、その突進してきた人物を睨みつける。しかし、ミカヅキの目線ではそこに誰もおらず、「いてて……」と声がし、初めて下に視線を向けたとき、そのぶつかってきた人物の正体が分かった。
そしてかすかに香る、”天使”の匂いをミカヅキは嗅ぎ取り黒真珠の瞳を見開いた。
「誰……いきなりぶつかってきたのは――」
尻餅をついた少女は顔を上げた。くすんだ金色の髪を一つにくくっているが、その金髪は色素が薄く、光の当たりようによっては白に見えた。また、セーラー服の下に小豆色のジャージをはいているなんとも不格好な姿であり、ミカヅキを睨み付けた。
「いったー。何? 今、俺、猪にぶつかられたの?」
「誰が猪だよ! アンタがぶつかってきたんでしょーが。赤髪ー!」
パンパンと、服についた汚れを払う少女。そして、ギャンギャンとツバサを指さしわめき散らかした。
ツバサも、それに負けじと反論しようとしたため、また、ややこしくなると、ミカヅキはサッと前に出て一言いった。
「……アンタ、『天使病』患者だろ」
すると、少女は落ち着きを取り戻し、ハッとミカヅキの方を見た。茶色い瞳は揺れていて、口元に手を当てる。
「もしかして、≪対天使専門医師≫?」
と、少女はわななくようにいうと、一歩、二歩と下がった。
ツバサもそこでようやく、彼女が今日の目的である、『天使病』患者だと気づき、落ち着きを取り戻した。そして、ポケットから、≪対天使専門医師≫の免許証を見せ、保健室に入ると、扉を閉めた。
「そう、俺たち≪対天使専門医師≫。有栖ツバサっていうんだ。よろしく、えーっと、海塚涙さん? 先輩?」
「……確かに、≪対天使専門医師≫って書いてあるけど。でも、アンタ達学生でしょ?」
「この免許証は偽物じゃない。それに、学生でも、素質があれば≪対天使専門医師≫になれる……本当に、『天使病』患者なのに、意識があるんだな」
正体を名乗り、少女――海塚涙に納得して貰い、ツバサとミカヅキは事なきを得た。変質者とか、これ以上疑われたら……と思っていたのだが、案外すんなりと受け入れて貰えた。免許証はやはり、肌に離さず持っているのが正解だと、改めてこの免許証の重要性に気づいた。あの黒衣を纏っていなくとも、免許証さえあれば、身分を証明できると。
しかし、にわかには信じられないが、本当に意識のある『天使病』の患者が存在していたとは――と、ミカヅキは、海塚を上から下まで見ると、ふむ、と一人納得したように頷いた。何がトリガーなのか見ただけでは全く分からず、注視してみれば、彼女の背中から羽が生えていることに気がついた。まだ、小さな羽が両側から。『天使病』の初期段階だから意識があるのか。いや、それも考えられないと、一人分析する。
そんなミカヅキをよそに、ツバサは海塚に椅子に座って貰い、教員がいないことを不思議がっていた。
「ああ、先生なら今席外してる。アタシがいるから大丈夫だーって。信頼されてるのかも」
と、海塚は自傷気味に笑うと、まわる椅子をくるくると回しながら、話半分にツバサとミカヅキを交互に見る。
「ねえ、そっちの黒いの、さっきからアタシのこと見すぎ。何? 惚れちゃった?」
「……馬鹿しかいないのか。違う。アンタが、珍しいから見てただけだ。『天使病』の患者は、感染した当初から、深い眠りにつく。意識が覚醒している時間がだんだんと減っていき、そのまま眠るように死ぬ病だ。けど、アンタは違う」
「へえ、詳しいんだね。まあ、そりゃそっか。≪対天使専門医師≫なんだもん。なんでも知ってるよね」
「『天使病』は分からない事が多い。アンタも、イレギュラーだ」
ミカヅキは、海塚の言葉を一蹴りし、強くそう言うと、海塚はピタリと止って「アタシだって、なりたくてなったんじゃないよ」とポツリと零した。
「海塚さん……先輩は、いつから『天使病』を発症したんですか?」
「んー三、四週間前くらいから?」
海塚は、ヘラヘラと笑ったようにいったが、ツバサとミカヅキは顔を見合わせた。かなり進行が進んでいるのではないか。また、『天使病』の患者というのは、自分が発症してから何日だと数えていないことが多く、また、発見されてから気づく、というケースもあるため、これは予想内のこと。しかし、三四週間経っているというのに、この状態。意識があり、会話もできる。倒れる予兆もない。やはり、異分子だ、と、先に第八支部の人間が海塚を見つけることができてよかったと、そう実感する。
「さ、三四週間……あの、言いにくかったらいいんすけど、なんで『天使病』にかかったかって、分かります?」
「えー多分、恋人に振られたから?」
「恋人に……」
「馬鹿にしてる感じ?」
「いいや、してません。してません……」
「てか、先輩って。アンタも、ここの学校の生徒? 見慣れないけど」
「学校行ってないからな」
「おい、ミカヅキ!」
「だよねー。そんだけ、赤い髪してたら、一回見たら忘れないもん。染めてんの?」
「地毛なんで」
途中で口を挟んだミカヅキを怒鳴りつけつつ、話を戻す。それを見てか、海塚はゲラゲラと笑っていた。見た目はチャラそうだし、陽キャ……ギャルっぽさも感じる。ミカヅキは苦手なタイプだな、と思いながら、ツバサの話に口を挟まないよう背筋のを伸す。
「それで、話戻すんすけど、恋人にフラれて……」
「そー、一年の頃から付合ってたんだけどさ。フラれちゃって……結構好きだったんだよ、アタシ。だから、その時『死にたいー!』って思っちゃって。そしたら、次の日から、背中に痛み感じるなって、で、ほかっといたら羽が生えてきて。染めた、金髪も、なんか白っぽくなってきてさ。これ、ヤバいあれじゃない? 『天使病』かもって」
「それで、治療を? 保健室にいるのは、『天使病』を煩ってるから?」
「えーっと、それは、恋人が同じクラスで気まずいから? 後、頑張って学校行こーって、教室はいったら、その恋人新しい恋人作ってた感じで……もしかしたら、浮気されて、別れを切り出されたのかもって……そう思ったら辛くて。でも、アタシ、あんま学校来てないから、大学進学考えたら、これ以上休めないかなって」
と、そこまで話すと、海塚の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
話を聞いている感じ、恋人にフラれたから死にたいと思った。そして、『天使病』にかかった、という単純ないたってシンプルな流れなのだが、海塚にとってそれが「死にたい」ほど辛いことだったのだろう。けれど、今はそこまでではない。涙を流している物の、それは過去の事だと割り切っているようにも思えた。ならば、『天使病』は完治するのではないかと。その人間から「死にたい」気持ちがなくなれば――
「アンタ、今も『死にたい』って思ってんの?」
「分かんないよ。今、行きたい大学見つけちゃって、そこに行きたいのに、『天使病』かかって、余命? ほら、『天使病』って、タイムリミットあるじゃん。いけないって、辛くって。アタシ、死にたくないよ!? まだ、JKでいたいし、やりたいこととか、一杯ある。新しい恋見つけて、忘れようとか色々考えてる! でも、『天使病』が!」
そう叫び、堪えられなくなったのか、海塚は顔を塞いだ。
生きたいと願っているのに、『天使病』が死へと誘う。過去に、『天使病』にかかった患者が、これほど生きたいと願ったことはあっただろうか。ミカヅキからしてみれば、普通の願いであり、ミカヅキの尺度ではそんな理由で死にたいと願ったのか、なのだが、それは口にできない。海塚なりの辛さがあったのだろう。しかし、彼女の性格を見るに、そんな「死にたい」という気持ちは一瞬で、よくある、つい口にしてしまった言葉だったのではないだろうか。
けれど、そのつい口にしてしまった「死にたい」という言葉に、天使は引き寄せられた。
本当は生きたいと願っている人間を、天使は殺そうとしているのだ。
(……『天使病』は不治の病。でも、それは、患者自ら克服できないものだから……患者は、『死にたい』と願って、その思いを抱えたまま死んでいくから。けど、今回は違う……)
何かが違う。違和感。
もしかすると、天使ウイルスというものは、日々進化しているのかも知れない。何気ない『死にたい』という言葉にさえ反応して、同じ死にたがりだと、ウイルスを感染させる。この事実を、≪対天使専門医師≫がどこまで把握しているのか。
(帰ったら、話してみても良いかもしれない。最も、僕の話を聞いてくれる人がいるかどうか……)
「海塚先輩は、生きたいんですよね」
「そう……生きたいよ。死にたいなんて、あんなの、一瞬だけだったよ。もう、元恋人の連絡先も消したし、写真も消した! 未練ない! アタシ、生きたいの!」
海塚は、ぐちゃぐちゃになった顔を上げて、ツバサに縋るように抱き付いた。ツバサはそんな海塚の背中を撫でて「大丈夫」と、ヒーローが泣いている子供を安心させるような言葉を一言放つ。
「俺たちが、海塚先輩を助けます。だから、泣かないでください」
やっぱり、ヒーロー――ツバサのその自信と責任を兼ね備えた笑顔に、ミカヅキはいい意味の呆れを抱きつつ、海塚の方を見た。
自分も、この生きたがりを生かすためにできることをしようと、目を伏せる。
大丈夫、自分たちはやり遂げてみせる。≪対天使専門医師≫だから。
そう誓い、ツバサとミカヅキは手を取った。




