Capture6-1 潜入調査
例年より早く咲いた桜の花は散り、青々とした葉が生い茂り、日差しは強くなり始めた頃。
立て付けの悪い、今にも壊れそうなボロアパートに、いつものように元気のいい怒鳴り声が響いていた。
「なんで! 僕まで学校に行かなくちゃならないんだ!」
「だから、仕事だって」
「てか、よくそれで進級できたよな! なんか、コネでも使ったのか!」
「いーや、俺もよく分かんねえけど、補充参加したら進級できたっぽくって。俺今日から新二年生」
「頭、小学生で止ってるけどな……じゃなくて、仕事!」
「そ、仕事。俺一人じゃ無理だろ? だから、ミカヅキもって」
「なんで学校に潜入なんか……」
「なんか、いつもと違うらしいんだよな。その、『天使病』の患者?」
休学といい、進級も危ういといっていたくせに、三月の補充一週間いっただけで、ツバサの進級は確定した。そして、四月――新学期が始まり、早二週間過ぎたのだが、進級できたのにもかかわらず学校に行っていないツバサはある日いきなり、「学校に行くぞ。ミカヅキも一緒だ」といいだしたのだ。そもそも、学校に勉強をしに行かないのなら、辞めればいいのに、とミカヅキは思うのだが、ツバサも学校に行かせてもらっている立場上、簡単に辞めたいといえないのだろう。
(……学費、煙岡さんが払ってるんだっけ。あの怖い人……有栖にだけ優しい)
思い出されるは恐怖の記憶。
第八支部・支部長の煙岡は、天使絶対殺すマンのごとく、ミカヅキのことを嫌っていた。だが、ツバサに対しての態度は、珠埜や他の職員と比べ優しく、まるで子供を見守る父親のような優しい顔を見せていた。それに気づいたのは、ここ最近だが、ツバサも煙岡に対しては少し甘えているような言動をし、憧れながらも、父親のように慕っているのかも知れないと思った。義家族、という言葉が似合うようなその関係に、ミカヅキは少し寒気を感じつつも、そんなツバサを大事に思って、勉学に本腰を入れていないツバサに投資し続ける度量の大きさには感心するしかなかった。高校は義務教育の場ではない。学びたいものが学ぶ場である。しかし、近年では、高校入学、卒業……大学進学までを視野に入れ勉学に励むのが子供の姿となってきた。勿論、家庭環境や金銭の問題で、いけないものもいる。だが子供への投資、貯蓄は長い目を見て溜められる。金だけを食いつぶすような人間に、金を投資する義務は親にはない。まして、血の繋がらないツバサに、煙岡がお金を投資し続ける意味がミカヅキにはあまり理解できなかった。自分だったら、学校に行かないツバサとは縁を切るだろうし、お金も恵まないだろう。煙岡は、ツバサの全てではないが、殆どを許容していた。それは、ツバサがただ可哀相な人間だから、情が湧いたから……なんていう理由では到底説明がつかないほどに。
「で、なんだっけ……『天使病』の患者が、学校に? 『天使病』にかかった人間は、寝たきりになる。その人間は、学校で寝泊まりしてるっていいたいの?」
「んーそれがよく分かんなくて。なんかな、『天使病』と思われる症状はあるけど、意識が覚醒してるっぽくて」
「は?」
「ほら、『天使病』特有の、天使化! それは、進行してるけど、意識が覚醒している……確かに、寝たきりが多いみたいって話だけど、会話できるときがあるって」
「つまり、『天使病』を煩いながら、意識があるって事……それって、天使化が成功する前兆なんじゃ……」
「そう! だから、調べて治療してこいって! ほらほら、天使協会の動きも活発になってるっていってたし、天使になりそうな人間を誘拐しているとかもいってたから、早めにって」
「だからって何で僕が……」
だったら、もっと手慣れている珠埜や、煙岡自身が行けばいいのではないかと、ツバサを見る。だが、こうして、ツバサたちに頼んできたということはそれなりの理由があるのだろう。
「普通、『天使病』になったってあんま知られたくないじゃん。その、女子高校生? だし。『天使病』にかかったイコール、死にたいっていう願望持ち、自殺願望者。≪対天使専門医師≫が全面的に動くと、学校中に広まっちまうだろ? 『天使病』を促進させるんじゃないかって」
「ああ……確かに、珠埜先輩や、煙岡さんが動くと。それも、患者は学校にいるからって。有栖の学校?」
「そう。だから俺が! 俺ン所じゃなかったら、ネガウとか、牡丹だったかも知れねえけど。今回は――って。ことで、一人じゃ無理だから、ついてきてくれよ」
「はあ……まあ、理由が理由じゃ仕方ない……かも」
ミカヅキは渋々といった感じだったが、頷いた。
もしかしたら、その特異な『天使病』患者が、自分が天使になった原因と何か繋がりがあるかも知れない。見ておいて損はないだろうと、考えたというのもあってだ。それに、自分自身、姿形は高校生な為、学校に行くことで、何か思い出せることがあるのではないかと思ったのだ。望みは薄いが、それでも――
「よし、じゃあ決まりだな! 俺の、制服だけどいい?」
「……いいけど、僕、アンタより少し背、高いけど」
「大丈夫、大丈夫。俺、大きくなるって思って大きいのかったから」
「じゃあ、丈あまってるんじゃ」
「まあまあ、細かいことはいいって。着替えるぞー」
「都合の悪いときは、聞えなかったふりするの辞めろよ……」
分かりやすくスルーしたツバサに、呆れつつも、渡された制服に着替える。真っ黒な学ランは、≪対天使専門医師≫の制服を彷彿とさせる。
「ぴったり……」
「ミカヅキ、それ嫌味か!?」
袖を通し、ボタンを留めていると、ツバサが悔しそうな顔を浮かべながら叫んできた。
ミカヅキは、天使の羽と病的なまでに白い肌と、髪の毛を除けば高校生となんの変わりない容姿をしている。ただし、少し顔が幼く女顔。しかしながら、ツバサよりも、三四㎝身長が高く、腰が細い。そのため、ベルトでズボンを締めなければズレパンになってしまう。その姿を見ただけで、ツバサは発狂し、存在そのものが嫌味だ! とわめき散らかした。
ミカヅキにしてみれば、何も嫌味ではなく、制服がぴったりだったことに安堵し、この髪色さえどうにかできれば、学校に潜入することは可能だろと、端がひび割れた鏡を見て思う。
「僕の方が、年上だったのかもな」
「まだ成長期だし……伸びるし」
「あっそ……でも、この髪の毛どうすればいい? このままじゃ、学校行けないだろ?」
「まあ、話は通してあるし……学校側に。フードでも……あ! いいのあるぞ!」
と、ツバサは何か思い出したように、クローゼットの中を漁った。何をしているのかと前のめりになれば、ツバサは、黒いウィッグのようなものを取りだした。それは、ミカヅキがツバサと初めて会ったときに騙されたあのウィッグだ。
「げっ」
「げって。これこれ。ああ、長いから切れば使えるんじゃね? てか、確か髪の毛の長さ、校則になかったから、男子でも長髪いた気がするしなーこのまま使ってもいいぞ」
「絶対嫌だ」
「つっても、そのままじゃあれだろ? かぶれよ」
「……」
ほら、と押し付けられるように渡されたウィッグを見て、ミカヅキは口をへの字に曲げた。偽物の髪だと分かっているが、生々しくて受け入れがたかった。そう渋って見つめていれば、しびれを切らしたように、ツバサがミカヅキの頭にがぼっとウィッグを被せた。
「うわっ、いきなり何するんだ!」
「は~ん、ほ~ん。似合うじゃん。ミカヅキ女顔だし、制服、女子用のあったら……」
と、乱れた黒髪から覗くミカヅキの顔に、グッと自分の顔を近づけるツバサ。髪の毛をといて、綺麗に結べば、女性と言われても見間違うほどに美人だった。やはり、天使は美人が多いな、と感心しつつ、自分より背の高い美人か……と落胆するツバサ。
ミカヅキは、顔を覗き込まれたことで、羞恥心が沸き上がってき、ドンとツバサの胸を押した。
「誰が、アンタみたいに女装なんかするか!」
「俺が、好き勝手に女装していたようにいうなよ! あれは、仕方なくだからな!」
本当に嫌そうな顔で言われた言葉に、ミカヅキは思い出す。
あの出会いが、自分が女装泣き真似していたツバサに出会っていなければ、騙されていなければ今の生活はなかったのだと。
今になって思えば、黒歴史ではあるが、あの出会いがなかったらと考えたら、ミカヅキは、天使の本能に支配されたまま、新たな自殺願望者を『天使病』に感染させていただろうと。『自我持ち』といわれてはいるが、ツバサと出会わなければ、その自我さえもなくなっていたのではないかと。
嫌な思い出ではあるが、思い出してみれば、あれがなければ、今の自分がいない……そう考えると、悪い思い出ではなかったのではないかと、記憶を美化していた。
しかし、ツバサにとってしてみれば、未来の相棒となるヤツに、初対面で女装姿を見られたという黒歴史であり、忘れて欲しい思いででもあった。
(てか、僕より、よっぽどアンタの方が、女装に合うじゃん……)
女装の押し付け合いをしたいわけではなかったが、自分が騙されるほど、ツバサも、女顔……童顔で、整った顔をしているのだ。まあ、女性的であるかといわれたら全くそうではない。が、しかし、その丸い青い瞳や、小さな口、自分より少し身長が低いためか、可愛く見えないこともなかった。わざと、女装していたのは、か弱い、死にそうな女性を演じるためだろう。男だったら釣れないと思ったのか、なんなのか。聞き返しても、答えてはくれないだろう。
「もう、いい。これ、髪切ったら、学校行くぞ。有栖」
「なんだよ」
「これは仕事。でも、アンタは学校行った方がいい」
「なんで」
「学校って、いきたいって思っても、いけないやつもいるし、何より、行かせてくれている人間の顔、少しは思い浮かべて感謝したら?」
「なんだそれ」
別に、煙岡の事をあれこれ言うつもりはなかった。しかし、こんなツバサだからこそ、煙岡の気遣いや良心を無碍に扱うのはいけないと思った。例えそれが、自分が苦手な相手であれど、少しの同情はミカヅキは持っていた。
「ミカヅキが、学校一緒に行けたらそりゃ、楽しいんだろうけどさ」
「何かいった?」
「んや? なーんにも。早くしろよー」
「分かってる」
いつもは準備がおそいツバサに急かされ、少し腹を立たせながらも、ミカヅキは、ゴミ箱を持って鏡の前に立ち、ボサボサなウィッグにハサミの刃をむけた。




