Capture5ー2 天使協会
「ヤベぇ、寒い。風邪引いたかも知んねえ」
「馬鹿は風邪引かないっていうだろ……」
「――って、なんで、ミカヅキ今目、逸らしたんだよ!? さては、お前から移したんだろ!」
「違う。天使は病気にならない……ならない!」
昨日、ベランダに残したまま、布団も掛けずに寝てしまったことをミカヅキは後悔した。クシュン、と隣で何度も何度もくしゃみをされるので、ツバサがいわなくとも風邪だと分かった。馬鹿は風邪引かない、と思っていたので、馬鹿じゃなくてアホなのかも知れない、と失礼なことを思いつつも、黒衣をはためかせながら、第八支部の白い廊下を横になって歩く。半分は自分のせいかもしれないので、と罪悪感があり、ツバサと目が合わせられない状況だった。
ウィーンと、目の前の扉が開き、B会議室の中に居た牡丹がいち早く二人に気づくと駆け寄ってきた。
「おはよう。有栖くん、ミカヅキ」
「……おはよ、牡丹………」
「くしゅんぅ、お、おは、くしゅん! おはよう、牡丹!」
「何や? 有栖くん風邪ひいたん?」
「んー、まあ、そんな感じ! でも、元気だから心配すんな!」
「し、心配やけどなあ……」
元気元気、とわざとらしく腕を上げ下げして見せるツバサに、牡丹は不安げな表情を浮かべる。
「私にはうさないでね」
「ネガウもおはよう! そうだな、ネガウにうつしたら、申し訳ねえから……今日は、距離おくつもり!」
「……アンタ、うつらないだろ。風邪」
「有栖くん、マスクいる? いつも持ち歩いてるから、はい。これ、大きさあわんかったらごめん」
「おう、ありがとな! 牡丹!」
「どーいたしまして」
ツバサは、マスクをもらい、ティッシュで鼻をズビッと啜る。
今日、ここに呼ばれた理由は他でもない、特別講習のためだ。
「揃っているかしら? じゃあ、席について」
と、会議室に入ってきたのは、帽子で、いつものように、美しい髪を揺らし、タイトスカートから見える太ももの白さが眩しい。これで、三十代とかいうんだから、本当にスタイルがいいと、ミカヅキは思いながら席に着く。
特別講習という言葉に、ツバサは何が話されるのか、全く想像がついていないようで、くしゃみをしながらも、ミカヅキの隣に座る。しかし、座学かも知れないと思った途端、あからさまに落ち込んで、牡丹からもらったマスクをいじくりながらつまらなそうに机に頬杖をつく。
「本日、四人に集まって貰ったのは他でもない『天使協会』の動きが活発化しているからよ」
「『天使協会』?」
聞き慣れない単語に、ツバサとミカヅキは同じ方向に頭を傾ける。ネガウと、牡丹についてはある程度情報を知っているようで、深刻そうなかおをしていた。
「その、天使協会ってのはなんなんだよ……ですか!」
挙手をして、ツバサは帽子に尋ねた。帽子は、事前に持ってきていたパンフレットを四人に配った。パンフレットには、天使協会と大きく書かれており、活動内容などが細かく書かれていた。一種の勧誘パンフレットのようだ。
「宗教みたいな……?」
「まあ、そんな感じね。天使協会は、天使を信仰するために作られた団体なの。元々は、天使教という名前の宗教だったのだけど、それが形を変えて、協会……になったものね」
「へぇー……俺、全然知らなかったんだけど、ミカヅキ知ってたか?」
「ううん、初耳。知りもしないよ」
パンフレットを見ながらツバサは隣で頷いたミカヅキを一度見てからまたパンフレットに目を移す。確かに、そのパンフレットに書かれていることが胡散臭いような、宗教じみたものを感じる。
「それで、なんでこの協会がヤバいんですか?」
「それは、勿論、『天使病』の患者や、天使を信仰して、世の中を変えようとしているからよ」
「ぐ、具体的には……?」
と、ミカヅキが、それでは不十分だと挙手をする。
「協会、とは名ばかりの宗教団体……として、今回は話すわね。天使協会の、トップが……噂によると、天使らしいのよ」
「え……?」
「それも、ミカヅキくんと同じ『自我持ち』。まあ、当たり前よね。自我のない天使が、アレコレ何かできるわけじゃないんだから。まあ、これは噂で、確定ではないわ」
「いやいや、でも、『自我持ち』なら」
ツバサは、あり得ない、というように身を乗り出すが、むせ込んでしまう。
ミカヅキも、天使協会の話は興味深くも、その団体が何をしようとしているのかさっぱりで、早く話を聞きたくて仕方がなかった。
「落ち着きなさい。この団体の恐ろしいところは、その『自我持ち』の天使を筆頭に、人類を進化……天使にさせることが目的なのよ」
「はあ!? 馬鹿げてる!」
「まあ、それが、普通の感覚よ。有栖くん――現状、『天使病』にかかった患者が、天使化によって天使になれる可能性は極めて低いわ。それに、天使になったとしても、なった元人間が全て『自我持ち』として生まれ変わるわけでもない。けれど、天使協会は、その天使化を100%にしようとしているの」
「つまり、全人類天使化計画ってことか……」
ミカヅキが静かに呟くと、牡丹は「何でそんなことするんやろうね……」と小さく口にした。
ミカヅキからしてみれば、真夜中に考えていた事そのもので、タイムリーな話題だった。
天使とは、人類の進化……あるいは、人類が新たなステージにたった姿といえるだろう。そして、天使は苦しみもない、幸せな存在として一部ではいわれている。実際に、苦しみから解放され、人間のように労働をすることもなく、義務教育を受けるでもない。自由な存在だ。縛りの多い世の中から解放されたいと願う人間が、その天使協会を支持し、入るのだろう。
だがしかし、その全人類天使化計画には一つ欠点がある。
「でも、『天使病』って、死にたいってヤツがかかる病気だろ? その団体に属してるヤツら皆死にたいって思ってんのか?」
「いい指摘ね、有栖くん。全員が死にたいわけじゃない。勿論、現状『天使病』は、自殺願望のある人間がかかる病気とされているわ。ただ、その……ミカヅキくんの言葉を借りるのなら『全人類天使化計画』という思想を推している一部の人間が、『天使病』について調べ、どんな人間でも天使になれるようにと、研究を進めているそうよ」
「はた迷惑な!」
話を聞く限り、可笑しな連中ということだけが分かった。
全人類天使化計画――苦しみからの解放。それが果たして、皆が臨むことなのか。こういった、団体は思想の強い人間の集まりだ。それを押しつけようとしている。
しかし、こうして≪対天使専門医師≫に話がまわってきたということは、その頭の可笑しい層の割合が多くなってきたということなのだろう。
「そんで、俺たちはどうすればいいわけ? その天使協会のヤツらぶっ倒せばいいわけ?」
「そんなこと簡単にはできないわ。それに、一人二人の話じゃ無いもの。今は、信者も増えていて、その勢力は増している。元が宗教団体だってことも、その要因の一つね。それで、どの支部にも話はするようにといわれているけれど、≪対天使専門医師≫として注意すべきは、人間ではなく、その天使協会を形作っている天使よ」
「天使……」
「『自我持ち』の……」
「ええ。天使になると、人間だった頃の記憶を忘れるというのは知っていると思うけれど、その中で珍しい『自我持ち』。その『自我持ち』が自ら天使の名前を名乗り、天使協会を支えているの。現在天使の名を名乗る、天使協会の天使は六体……」
帽子はそこまでいうと、部屋の灯を消し、モニターの電源を入れる。モニターには、名前が映し出される。まるで、階級順位並べられているようだった。
「――レミエル、サリエル、ミカエル、ラファエル、ウリエル……そして、セラフィムの六体」
「体? 人じゃなくて?」
「天使は、人間と違う……だから、体って数えているのよ。今のところ確認されているのは、この六体だけど、表舞台に出てきていないだけで、他にも名を名乗る天使がいる可能性があるから十分に気をつけること」
「気をつけるって、現実世界であったとしても、天使は現実世界では何も出来ないだろ?」
と、ツバサは口を挟む。現実世界の天使は、温厚で殺人行為を行えない。
ツバサの察しの悪さに、ミカヅキの隣に座っていたネガウが呆れ気味に付け加える。
「――精神世界に、現われるようになった……っていうことでしょ? だから、気をつけなさいって」
「……ああ、そうか。天使は、精神世界に入り込むことができるから。それも、その名を名乗ってるっていう天使は、自由に、精神世界を渡り歩ける、とか……あってますか、帽子さん」
「白兎さんと、ミカヅキくんのいう通りよ。この間、第一支部の≪対天使専門医師≫が、名を名乗る天使に殺されたわ」
帽子はそう静かに告げ、名を名乗る天使の恐ろしさを四人に伝えた。
天使は温厚だ――しかし、それは、現実世界ではの話であり、精神世界では。そして、その天使は、自らの力を行使できる『自我持ち』。自分たちの思想と相反する≪対天使専門医師≫を自らの手で殺しに来ていると言うことなのだろう。≪対天使専門医師≫が狙われるという日も近いと。帽子はそういいたいのだろう。
「つっても、その、名を名乗る天使? ってヤツの、特徴とか、なんもわかんねえのに、気をつけようがねえじゃん」
「確かに、名前しか挙がってきていないわ。けれど、明らかに違うと分かるはずよ」
「……凄い、ざっくり」
四人とも、あまりの情報の少なさに肩を落とす。帽子も、仕方ないじゃない、と咳払いをし、今手元にある情報だけ四人の持つ端末、スマホに転送した。それに目を通すようにといわれ、帽子は解散を命じる。
「『天使病』の研究が進んでいないわけじゃないわ。医師であり、現研究職についている鳥谷峯挑夢も、研究を進めているらしいから」
「……っ」
「鳥谷峯挑夢って誰だ?」
「ええっとやね、『天使病』を初めて発見した人やね。確か……ネガウちゃんどうしたん?」
「い、いいえ……なんでもないわ」
「まあ、十三年も何も分からないってことは無いと思うし……天使の僕からしていうのもあれだけど、人間の、科学の力って侮れないからね」
ミカヅキはそう言いながら、会議室を出て行く帽子の背中を見守った。
「有栖くん、もう帰るん?」
「んー、うつしちゃ悪いって思ったから。あと、三日後のデートまでに治さなきゃって、今必死なんだよ」
「たしかに。ネガウちゃんとのデート楽しみにしてたもんね」
「二人して、デート、デートいわないで。ただのお出かけよ。それに、そこの馬鹿がデートのプランを考えているとでも?」
と、白い肌を染めてネガウがツバサを指さす。それも確かに、と牡丹は頷き、ミカヅキに関しては、そうだろ、とさらに深く頷いていた。
「ネガウが楽しんでくれるよう頑張る、じゃ!」
「逃げたな」
「逃げたんね」
「逃げたわね」
都合が悪くなったかのように部屋を出ていくツバサを見送りながら、三人は、深いため息をついた。
先ほどの緊張した講習が嘘のように、三人は顔を見合わせ、フッと小さく吹き出すように笑い、会議室の電気を消し、部屋を後にした。




