Capture5ー1 真夜中の天使悶々
『――さんは、ね……普通で――ほしいな』
「――……寝苦し…………っ」
何かに圧迫されるような、苦しさに目が覚めた。目を開けば、低い天井がそこにあり、自分の身体の上に、相棒であり同居しているツバサの足が乗っている。ボロ屋に住んでいる二人は、ようやく二人分の布団を手に入れることができたが、男子高校生二人が布団を敷いて寝るには狭い部屋。折りたたみ式の机を端に避けて、壁に反り上がるぐらいぎゅうぎゅうにつめればなんとか布団が二つ分敷き詰められる部屋。寝相の悪いツバサに悩まされるのが最近の日課である。
「……夜中の二時」
時計を見れば、二時十分ほどを指しており、真夜中に目が覚めてしまったとミカヅキは、ツバサの足を蹴り飛ばしながらベランダに出る。ギィ……ガガガ、ガタン、と嫌な音を立てて開いた立て付けの悪い戸に顔をしかめつつも、床が抜けそうなベランダからは、満天の星空が見えた。
天使は眠らなくてもいい。天使になってからの記憶も曖昧で、天使になる前の記憶なんてそもそも無いのだが、明らかに人間とは違う身体のつくりをしているのが天使だった。まずは、人間の三大欲求と呼ばれる、食欲、性欲、睡眠欲全てがないに等しい。食べなくても、寝なくても生きていける。殺されない限りは不老であり、痛みを感じることもなければ、悲しい、苦しいといった負の感情を感じることもないのだ。天使とは、人間を超越した存在であり、また人間が進化した姿とも言えるのではないか。
『天使病』により、死にたかった理由も忘れ、辛かった前の自分とも縁を切ることができるなんて、もしかしたら幸せなことなのかも知れない。前の弱い自分はもういないと、新たな人生を歩むことができるのだ。見方を変えれば『天使病』とは、人々を救済するための病気なのかも知れないと。しかし、『天使病』によって天使になれる人間など限られている。また、天使になることができた人間は、運によって天使になったのか、それとも何か法則性があるのか。
「考えるだけ、無駄かも知れないけど……」
後ろで鼾をかいて寝ているツバサを見て、彼と交した約束について思い返していた。
自分の記憶を取り戻す手伝いをする、その代り、自分はツバサの相棒として力を貸す――と。
逃げることは容易だが、逃げて捕まったときのことを考えると、そう簡単に逃げるという選択肢をとることはできない。彼に捕まったのが運の尽きといっても良いだろう。
それはいいとして、本当に自分は記憶を取り戻すべきなのかとも考えていた。
(……死ぬほど辛かったこと、思い出して、僕はそれで幸せなのか?)
天使になったということは、少なくとも『死にたい』と思う何かがあったわけで、そのわけを知りたい思いつつも、そんな苦しい思い出を思い出す必要はないのではないかとも考えていた。
しかし、今の自分が好きかと言われたら、そうでもないのも事実。
真っ白い肌、真っ白い髪、そして、真っ白い羽――姿形こそ人間であれど、それは人間といえないものであり、人間を捨てた身体なのだ。
第八支部の人間に認められつつはいるものの、天使であることには変わらず、居場所がない、孤独感に苛まれることもある。天使だから、どこへ行っても、天使で、人間ではないと、差別される。分け隔てなく接してくれる人間よりも、差別の目を向ける人間の方が多いのだ。そのため、フードを外して外に出るようなことはできない。眩しいくらいの日をその身に浴びることはできず、日に当たりながらも影で生きるこの生活が果たして幸せといえるだろうか。
天使になっても、人間であったときでさえも、幸せと感じることができないのなら、天使になんてならずに死ぬことができていればよかったのだろうか。
(いや、天使の自分と、人間の自分……どっちの時が幸せだったかって、確認するためにも思い出す必要がある)
だから、自分はツバサを利用するのだ。今のところなんの手がかりもない。この調子でいって、記憶が戻る保証もない。
思い出したその後のことも考えることができていなかった。ただ目の前のことで精一杯で。
冷たい言葉をかけられても、夢を諦めろといわれてもめげないツバサは、自分とは違う。そこに惹かれつつもあった、羨ましくもあった。そんなふうに生きることができたら幸せなんだろう。しかし、彼も彼で壮絶な人生を送ってきている。何が違うのか。
自分とは何が違うのか、何がかけているのか。
ミカヅキにとっては、ツバサのようにいきられる人間が羨ましかった。そんなふうに生きることができたのなら、人間誰しも、そんなふうに生きられたのなら――
「んー……朝?」
「夜だ、馬鹿有栖」
「んーんー、なんでミカヅキは起きてんの?」
「アンタのせいだ」
寝ぼけ眼を擦りながら、こちらを向くツバサに、ミカヅキは呆れつつも半笑いで返す。窓を開けていたことにより、夜風が入り、出ていた腹が冷えておきでもしたのだろう。ツバサは「なんだ夜かよー」とぶつくさ言いながらも、這うようにして、ベランダにまで出てくる。二人の体重が乗れば、ベランダの床はギィ、と悲鳴を上げるようになる。
「おい、落ちる」
「大丈夫、大丈夫……落ちたら、ミカヅキが羽で助けてくれるだろ?」
「そんな、持ち上げられるような筋力……僕にはないんだけど?」
「でも、助けてくれるだろ?」
と、ツバサは、ミカヅキによれかかった。重い、なんて感じながら、どこからそんな安堵がわき出てくるのか分からなかった。信頼されているんだろうなということは分かるが、ツバサの人を信じやすい性格は、いつか彼自身を苦しめることになるのではないかと思った。
ここ、二階から落ちても、当たり所が悪くなければ死なない。だから、イタズラで彼をここから突き落とすことだってできるのに、眠気でうとうとしている無防備なツバサを落とすことも簡単にできた。勿論、それを実行には移さないのだが、彼の人を信じやすい性格というのは、彼の首を絞めることにいずれなるだろうと、ミカヅキは思った。
人は簡単に嘘をつく。それは天使も同じだ――
「でー……デート……」
「夢の中で、白兎とデートでもしてるのか……?」
彼が取り付けた、ネガウとのデート。そのデートは、三日後であり、日が近付くにつれて「デート、デート」と口にする回数が増え、困っていた所だった。本当に、付合っているわけでも、付合うわけでもないのに、はしゃげるものだと、呆れてしまう。単純な馬鹿、単細胞生物なんだろう。
正直、あのネガウを、ツバサが好きになるとは思わなかった。自分のタイプではないし、また似たような性格から、少し同族嫌悪感すら抱いているので、ネガウとツバサが引っ付くという未来を、ミカヅキは煩わしく思っていた。そんなことないだろうが、人間は、いつどんなときに人に惚れるか分からないため、油断はならない。別に、祝福できないわけではないが、牡丹でもいいだろう……と思ってしまうのだ。
「単純だよな、アンタ……本当に。微笑ましい」
小学生みたいな恋。でも、それが微笑ましくも思う。純粋で、一目惚れって、真っ直ぐに走って。そんな恋愛ができたらいいと思う。まあ、追いかけている時間の方が楽しいのは事実なのだが。
夜風でそよそよと揺れた、鮮血の髪は少し湿っていて、汗を掻いていたということがすぐに分かった。いつものツンツンとした主張の強い髪ではなく、今はしっとりとしていて、ミカヅキは思わず撫でてしまう。触り心地は、猫の毛に似ていて、動物を寝かしつけているようにも感じた。
すぴー、んごー……と鼾をかくツバサの顔は幸せそうで涎が垂れている。
「馬鹿面」
さて、どうやって、この馬鹿をベランダから室内に戻そうか……と、ミカヅキは最大の難関に直面し、一度立ち上がって、ツバサを蹴っ飛ばす――が、今回はごろんと寝転がることがなかったため、「んが!?」と、痛そうに悲鳴に似た声を発したツバサに肩が跳ねる。結局、ベランダに半分からだが出たツバサを室内に戻すことはできず、ミカヅキは、ツバサをまたいで部屋の中に戻る。
「まあ、馬鹿は風邪引かないし……」
また腹だして寝てる、と思いながらも、ミカヅキは再び布団に入って、人間のまねごと……瞳を閉じた。




