Capture4ー5 理解されない職業でも
意識は、すぐに覚醒した。
「――んー今回も、ちゃんと戻ってこれた。てか、肩いてえ」
「当たり前だろ、僕がちゃんとこっちに帰してあげてるんだから。少しは感謝して欲しい」
「いつも、助かってるって、ミカヅキーお礼にハグでもしてやろうか?」
「いらない」
帰ってきて早々、相棒の顔を見て安堵したツバサに抱きしめられそうになり、ミカヅキはそれらを避ける。同じく、帰還したネガウと、現実世界で待っていてくれた牡丹にも、治療完了を報告しようと立ち上がるツバサだったが、部屋の中に漂う、悲壮の空気に違和感を覚えた。
辺りを見渡せば、その場に泣き崩れている飲伏の姿があった。
「牡丹」
「あ、ああ、おかえりやね。お疲れ様。有栖くん」
「これって……――っ、あ」
と、ツバサは牡丹に聞く前に、気がついた。ベッドに横たわっている、治療したはずの患者がまだ目覚めていないことを。そして、目覚めないことを瞬時に悟った。
辺り一面に落ちている羽は、そのものの命が散ったことを示しているようで、ミカヅキも、傷つかないはずの心を引っかかれたような気持ちになる。予想していた、最悪の事態が起きてしまったということだ。
「なんで――、なんで息子は死んだんですか! 治療してくれるって、治してくれるっていったじゃないですか」
そう叫んだのは、飲伏で、彼女の瞳からは、溢れんばかりの涙が流れており、顔に線を引いているようだった。目元も赤く、泣きじゃくっていたことを物語っている。
治療は完了したが、完了した直後か、直前か、身体の方が限界をむかえてしまったらしい。
『天使病』は、病気が進行するごとに身体が天使のようになっていく奇病であり、最後は天使になるという不思議な病気だ。しかし、天使になれる人間はごく僅かであり、痛覚が切られ、夢の世界――精神世界では幸せな夢を見ている患者の本体・身体は天使化に耐えられず、朽ちてしまうというのが一般的だ。末期患者ということもあり、天使化に耐えられるならまだしも、その低い確率を引き当てることなど、よっぽどの運もちかあるいは――であり、病気を治療できても、病気によって負った身体への負荷は消えることなく、その身体に残る。
今回の患者はまさにそれで、治療はできたものの、身体が活動限界を迎え朽ちてしまった――死んでしまったのだ。
人の死を目の当たりにし、ツバサは、先ほどの治療が無駄だったのか、と一瞬思い、助けられなかった無念さと、いたたまれなさで言葉を失った。助けられるものだと思っていたが故に、こんな結果になってしまい、どうしていいのか分からなくなったのだ。それはミカヅキも、牡丹も一緒で、牡丹に関しては、その場に倒れ込んで、泣いていた。彼女は、患者が死ぬ瞬間を、その脈が止る瞬間をその目と、身体で感じ取ってしまっていたのだろう。誰だって、人が目の前で死んだら、牡丹のようになるのが普通だ。目の前の死を受け入れられない。
「――治療は滞りなく、完了しました」
突如聞こえてきた声に、ツバサは振り返る。その言葉を発したのはネガウで、いつもと変わらない冷たい表情で、責務は果たしたと、前を向いていた。
その発言に驚いた飲伏は顔を上げ、涙で濡れる瞳をネガウに向ける。しかし、そんな視線をものともせず、ネガウはさらに続けた。
「息子さんの病気は、完治しました。しかし、『天使病』は進行すればするほど、身体に負担がかかり、危険な状態に陥ります。私たちができることは、『天使病』のウイルスを除去することだけです」
「……それが何なんですか?」
「我々に依頼された内容は、その病気の治療であって、息子さんの命を救うという依頼内容ではありませんでしたから。我々がやった事は治療です。貴方の息子の命の灯火は消えてしまいましたが、我々は最善を尽くし――」
「そんなこと聞いてないわよ!」
と、ネガウの事務的な言葉に、飲伏は激昴し、今にも、彼女に殴りかかりそうな勢いで立ち上がり、胸ぐらをつかもうとしたが、ネガウは全く動じなかった。
ネガウの言い分はもっともだが、目の前で息子を失った母親に言う言葉ではないだろうと、ミカヅキは思った。自分もそんなことを言われた深く傷つくだろうと。しかし、ネガウは≪対天使専門医師≫としての責務は果たしたと、仕事はしたと、ただ結果を伝えているだけ。≪対天使専門医師≫は、『天使病』を治療する医師であるが、その後のメンタルケア、病気によって傷ついた身体の回復のリハビリなどは行わない。医者がみな、一から十までやってくれるわけがないのだ。その専門で、最善を尽くし、また違う専門の医者がその患者を生かすために奮闘する。医者は神さまでもなんでもない、人間だ。≪対天使専門医師≫も人間なのだ。
しかし、≪対天使専門医師≫の仕事を理解できていない人間は十三年経った今でも多く存在し、精神世界に入り込み治療するという不明瞭なその治療方法に疑念を抱く人も多いだろう。見えないのだから、分からない。本当に治療したのかもすら。
だからこそ、目の前で命が尽きた、それは≪対天使専門医師≫のせいだといわれても仕方がないと。そしてまた、治療は完了したといえど、命を救えなかったのは事実である。それは、紛れもなく、ツバサや、ここにいる四人の≪対天使専門医師≫に責任がのしかかる。
「必ず治すっていってくれたじゃない。なのに、なんで息子は死ななきゃいけなかったの!」
「ですから、『天使病』がかなり進行して――ッ!?」
パシン、と乾いた音が響く。
ネガウと、手を挙げた飲伏の間に挟まったのはツバサだった。ネガウも、叩かれる覚悟はできていたが、何でツバサが? と、自分の代わりに叩かれた彼を見る。
しかし、飲伏は、息子よりも年が下の子供を叩いたという罪悪感よりも、息子を失った悲しみの方が大きく、ツバサを睨み付けた。
「ごめんなさい――としか、いえないです。俺が、不甲斐ないばかりに」
「は、は、はあ!? 貴方なの? 息子を助けられなかったのは?」
「俺です。間に合わなかった……こんな結果になってしまい、申し訳ないと思っています。でも、俺たちは、最善を尽くしました。≪対天使専門医師≫して、息子さんの病気を治しました。けれど、間に合わなかった」
「間に合わなかったじゃないのよ!」
「――だったら、貴方は、もっと早く息子さんの気持ちに気づいてあげるべきだった。『死にたい』っておもっちまうような、ことが起きる前に、息子と連絡を取り合うべきだった」
と、いつものツバサからでは考えられない言葉を口にし、自分たち、ではなく、自分に責任がある、というように飲伏にいった。責任を自分一人で抱え込もうとしたのだ。これには、ミカヅキもネガウも驚き、彼に視線を向けるが、真っ直ぐと、何かを信じ前を向いているツバサに何を言っても、きっと届かないと悟り、唇を噛んだ。
「出ていって! もう、出ていって! ≪対天使専門医師≫なんて、『天使病』を治せる人達なんて……信じなければよかった……もう、何も信じられないわ。今すぐ出ていってちょうだい!」
飲伏はそう怒鳴りつけると、冷たくなってしまった息子に駆け寄ると周りを気にせず泣いてしまった。ツバサは、その間振返らなかったが、ただ一言「帰ろう」と口に、背中を向けたまま歩き出した。そんなツバサを見、三人は重い足取りで部屋を出た。
アパートが遠ざかっていくのを感じながら、先を歩くツバサに誰一人として声をかけられなかった。ツバサも何も話さなかったし、相棒であるミカヅキですら、話しかけられるような雰囲気ではなかった。しかし、赤信号で引っかかったタイミングで、ネガウが、ツバサに声をかける。
「なんで」
「ん? どうした、ネガウ」
振返ったツバサはいつも通りの様子で、ネガウに話しかけられて嬉しそうだった。さっきの真剣な表情で飲伏に話しかけていたツバサとは、別人に見えてしまうくらいに、幼い彼の姿がそこにある。いや、強がっているだけなのかも知れない、とネガウは、黒衣の袖をギュッと握った。
「なんで、あんなこといったの」
「あんなことって?」
「『俺だ。間に合わなかった……こんな結果になってしまい』って。あれは、貴方のせいじゃないでしょ。誰のせいでもないわ。それにあの患者は……」
と、ネガウがツバサに言う。しかし、彼はその続きの言葉を遮り、笑った。それはいつもと変わらない笑顔だったが、どこか悲しそうで、痛々しくも見えた。
ネガウも危惧していた。例え、治療が完了しても、末期患者が天使化に耐えられず、死んでしまうという可能性を。そして、その最悪の事態が起きてしまったことを……ネガウですら、申し訳なさで一杯になっていたというのに。自分のせいだと、責めそうになった所を、ツバサが全部自分のせいだと、ネガウを庇った。
「――まあ、救えなかったのは事実だし。俺も、その要因になってるんじゃないかって、思ったら、俺の責任でもあるよなあって」
「……だから、誰の責任でもないわよ」
「それに、ネガウが叩かれそうだったから庇ったっていうのがいっちばん大きい!」
ツバサはそういうと、頬をかいた。あれは、ツバサなりのかっこつけだったのだろうか。
ネガウは、それでも、ツバサのいっていることが信じられず、自分が叩かれるはずだったのに、と彼の赤くなった左頬を見た。
「俺たちはやることをやった。でも、救えなかったのも事実。≪対天使専門医師≫っていう職業は、必ずしも賞賛される仕事じゃないって分かってる……っつか、この間、ミカヅキと初めて治療にいったとき思ったから。別に、そこまで俺は傷ついてない。助けられなかったのは、まあ、残念っつうか、もっと早く天使を倒していればなっとは思ったけどな」
「末期患者だったんだから、仕方ないじゃない」
「そーとも、いえないけどな。それに、さっきも依頼人にいっちまったけど、『天使病』は自分で治せない対処しようがない病気。一種の精神疾患みたいなもんだし。周りの人間が気にしてあげることが一番だなあって。ほら、何かいってただろ? 息子と連絡とってなくってって。大学生だから、もう子供じゃないからーとか、色々言い訳できるけどさ。でも、母親として子供を思ってるんなら、過保護だって思われても、連絡を取るべきだろう。そしたら、もしかしたら『天使病』にかからなかったのかも知れねえし」
ツバサは自分の過去を思い出しながら呟く。あまり覚えていない、朧気な記憶。
『天使病』に感染する人間は弱いと言われるが、その弱い人間を創り出しているのは周りの環境なのだ。『天使病』は人間の優しさによって、かからないそんな病気であり、優しさで溢れた世界だったら、流行らない心の病。しかし、そんなことが実現するはずもなく、簡単に『死にたい』と口にして死んでいく。他人は所詮他人だと……そう、目をそらすのだ。
≪対天使専門医師≫は、『天使病』にかかる前の人間をどうこうできない。できるのは、『天使病』にかかった患者の治療だけ――
「有栖」
「なんだ? ミカヅキ」
「……アンタは、ヒーローだな」
ミカヅキは、ツバサの目の前までくると、トンと、彼の胸に拳をぶつけた。ツバサは、ん? と首を傾げたが、ミカヅキはゆっくりと顔を上げると、白い瞳孔が揺れる黒い瞳で彼を見た。ツバサは話が通じない馬鹿だと思っていた。けれど、成長もするし、彼なりに考えているし、と少しは見直したのだ。先ほどの、あの言葉。ツバサは≪対天使専門医師≫としてのあり方をよく理解していると。
『天使病』の患者には救わないでと嫌われ、患者に生きて欲しいと願う人に助けられなければ≪対天使専門医師≫なんてと嫌われ。ヒーローを目指すツバサからしたら、酷な話で、どれだけ、いいことをしたとしても、それはされた側にとっていいことではないことが大半で。それでも、ツバサの中にあるヒーロー像が揺れ動くことはなかった。
それまで黙っていた牡丹も、涙を拭きながら、少し距離ができていたその距離を縮め、ツバサに「ありがとう」と一言いった。
「うち、すっごく怖かった。目の前で人が死んだことも、助けられなかったことも。でもね、うち、有栖くんの行動みて改めて、≪対天使専門医師≫として、自分にできることやってみようっておもったんよ。だから、ありがとう」
「なんか、よく分かんねえけど。三人とも、俺のこと誉めてくれてる?」
と、ツバサは嬉しそうにはにかむ。重荷も、重みも何も感じていないらしい。
そんなツバサに、ツバサはツバサだな、と呆れつつ、青信号になった横断歩道に、ツバサをおいて駆け出す三人。
「あー、ネガウー! さっき言ってた、デート一回。守れよ!」
反応が遅れつつも、三人を追いかけるツバサ。その言葉を聞いて、牡丹が、ネガウに「デートって何の話なん?」と聞くと、ネガウは、顔を逸らして「なんでもないわ」と答える。しかし、ミカヅキが精神世界のことを暴露したことにより、牡丹は、待ち合わせに遅れながらもツバサがネガウに惚れているという話を聞いたことを思いだした。
「ネガウちゃん」
「な、何? 牡丹」
「有栖くんとのデート絶対いきや! うち、応援してるで!」
「な、なんでそうなるのよ……応援って」
「デートの話、聞かせてや。楽しみやね」
「別に、楽しみじゃないわよ」
オパールの瞳が少し泳ぐ。相棒に微笑まれ、ネガウは少し恥ずかしそうにしながら、少し早足で横断歩道を渡りきった。




