Capture4ー4 ご褒美はデート一回
「――っと、末期患者とか、嫌な思い出しかねえんだけど」
「……この間のことだろう。そんな、死線をくぐり抜けてきたみたいな言い方するな」
「つっても、あれは、胸くそ悪かったじゃねえか」
無事精神世界に潜り込めたツバサとミカヅキ、そしてネガウ。ツバサは、この間の六人の精神世界が繋がっていたあの日のことを思い出した。『天使病』末期の患者は、飲食もろくにできず、天使化に耐えれるか耐えられないかで生死が決まってくる。また、末期までくると治したところで、現実的な復帰が困難となり、動かない身体で生きているくらいなら、死にたい、とまた『天使病』を再発する負の循環。いいたくはないが、末期の患者を治すことは、治せはすれど、その後再発する確率が高いため、見て見ぬフリをするのが一番なのだ。
とはいえ、ツバサはそんな死にたがり『天使病』患者に生きて欲しいと願う人間のヒーローになりたいため、どんな状況であれ、進行であれ、『天使病』の患者を治療すること、天使を殺す事は辞めなかった。
「無駄口叩いていないで、さっさと治療するわよ」
「そうだな、ネガウのいうとおり。んでも、今回は、一人の精神だし、この間みたいにてこずりはしないだろうから、ネガウは高みの見物でも――」
「馬鹿なの? なんのために、二組も≪対天使専門医師≫が派遣されていると思ってるのよ」
「ええっと、ね、ネガウさん?」
「……前もいったけど、私、貴方の事嫌いなの。馬鹿みたいな夢……私達≪対天使専門医師≫はヒーローなんかじゃないわ」
と、ネガウは吐き捨て、ツバサを拒絶する。
さすがのツバサもその言葉は刺さったのか、伸した腕を引っ込めた。夢を馬鹿にされたことに怒るのかと思い、ミカヅキはそっとツバサに駆け寄る。
「有栖」
「……頑張って、かっこいいところ見せたら、俺に惚れるかもだし、ミカヅキ頑張るぞ!」
「馬鹿でよかった……はあ。でも、今のは僕、気にくわない。謝れよ、白兎」
「何故?」
ミカヅキは、ネガウの言動が気に食わなかったのかツバサに謝罪するようにいう。しかし、いわれた本人なのにツバサは、何故謝られなければいけないのかと首を傾げる。
ネガウは、≪心強≫によって生み出した氷のようなレイピアをミカヅキに振るうと、その剣先を彼の顎に向ける。
「……人の夢を馬鹿にするのはよくないと思うけど。それに、≪対天使専門医師≫って、仲間同士だろ」
「仲間……ね。確かに、貴方は仲間かも知れない。でも、そっちの馬鹿は違うわ」
「違うって、何がだよ。俺も仲間だろ?」
さすがに、自分のことをいわれているとツバサは口を挟むが、今度はツバサの方にレイピアの先が向けられる。
「仲間じゃないわ。私、馬鹿と、弱い人間、嫌いなの」
「……俺、弱くねえし。馬鹿でもない」
「……」
「――ともかく、まあ、俺のことはいいとして、末期患者だろ? 早く治療しなきゃいけないみたいだし、とっととやろうぜ! ネガウも、俺も≪対天使専門医師≫なんだからさ」
と、ツバサは、コロッと表情を変えてそう言うと、ミカヅキに手を伸ばした。≪合体≫をと、彼に促すが、ミカヅキは、ふとネガウの方を見た。彼女のオパールの目は鋭く、冷たい。
しかし、もっと謎なのは、ツバサの方だった。
(こいつ……何も感じないのか?)
ツバサのメンタルが異常であると、ミカヅキは彼を見るが、曇りない青空のような瞳が、ミカヅキに向けられる。ツバサ自身が傷ついていないのならそれでもいい、とミカヅキは思うことにしようとしたが、自分だったら耐えられないな、と視線を落とす。
「どうした? ミカヅキ」
声をかけられ、我に返ったようにミカヅキはツバサの手を握りつつも、少し戸惑いの表情を見せツバサに問うた。
「アンタ、なんも感じないわけ?」
「なんもって、何?」
「……いや、なんでもない。≪合体≫――!」
「よーし、やるぞ!」
ミカヅキの言葉が響くと同時に、彼の姿はあの大きな剣となり、ツバサは、素振りを一、二とした後、辺りを見渡した。今回の精神世界は、暗いながらも、その上が天井であるということが分かる、赤と白が交互に並ぶオセロ盤のような空間で、目の前には、自分たちの何倍もある丸い机が置かれていた。まるで、自分たちが小人になったようなそんな空間に、ツバサは思わず「小人になったみてえ!」とはしゃぐ。
「さーてと、どっからでもかかってこい、天使!」
剣を構え、どこからでもどうぞと、ツバサが声を上げると、先の見えない闇から、大きな白い物体がこちらに向かって突進していた。
「うわっ……ってか、でかくね!? 天使!?」
『多分、僕たちが小さくなっているんだと思う。さっき、小人みたいだっていっただろ』
「ほんと、精神世界って何でもありだな。まあ、図体がでかいだけで、ただの天使! 楽勝!」
突進してくる天使に、ツバサは剣を横に振り切る。が、しかし――パシンと剣で切れた音はするものの、傷一つついていない。
「かってえ」
「……ただの天使よ。驚くことはないわ」
と、ツバサをヒュンと跳び越え、ネガウはそのレイピアを振るう。彼女が一振りすれば、レイピアの先から、氷の刃のようなものが形成され、迫り来る、三メートルほどの天使にそれらが突き刺さる。天使は、悲鳴一つあげず、その羽を散らし消えていく。
「すっげえ……やっぱ、強いんだな。ネガウは」
「これくらい、当然でしょ」
「俺も、格好いいところ見せたい! やるぞ、ミカヅキ!」
と、ツバサは剣を上段に構えると、再び向かってきた天使に向かい、それを振り下ろす。大きな音が空間を震わせると同時に、また天使が悲鳴もなく消えていく。ツバサのテンションもこれであがったのか、目をキラキラとさせ剣を振り続ける。先ほどは、堅いと思っていたが、天使の羽を狙うのではなく、衣類に包まれていない肌の部分に狙いを定めて、その場所に剣を振り下ろしていく。
「まあまあね」
ネガウの辛辣な言葉も、天使を切り刻みながらいうものだから、もはや嫌みにしか聞こえないが、ツバサには効いていないらしい。というよりかは、それだけ戦いに熱中しているのだろう。
「俺も! 負けてらんねえ!」
自分たちよりも大きい天使を切り裂き、突き刺し倒していく。しかし、さすがは末期患者というだけあってか、天使の数は尋常じゃなかった。切っても、突き刺しても無限に増殖してくる。早く宿主を見つけ、それに寄生するがごとくまとわりつく天使を倒さなければならないと。
暗がりの中、天使の羽が舞う。そんな中、ツバサは一際大きな天使に狙いを定めると剣を振り下ろす。白い肉は引き裂かれ、消えていく。しかし、これも核となる天使ではなかった。
「一体、何処にいるんだよ……」
「さっきの、大きな机の上……かしら」
「んでも、何も音しなかったぞ?」
「息を潜めているんでしょう。見つからないように。そして、高みの見物……考えられないことじゃないでしょ?」
「ネガウがいうならそうかも!」
ツバサは、根拠のない言葉を吐いて天使を突き刺した。天使の数は一向に減ることはなく、次から次へと襲い掛かってくる。数が多すぎて対処しきれないでいると、大きな机の方から羽音がしたのが聞えた。ネガウとツバサがそちらの方に視線をやると、そこには先ほどよりも大きな天使がいた。羽も一回り大きく、触手のように手を伸ばすと、机の上から、それをビタンと、もの凄い勢いで叩き付けてきた。
ツバサとネガウは、それを両側にとんで避けたが、その瞬間、床に亀裂が入り、着地したネガウの床が崩れた。
「……っ」
「――ネガウッ!」
床の崩壊は一瞬だった。ネガウも、まさか床が崩れるなど思ってもいなかったようで、反応が遅れ、終わりの見えない谷底へ落ちかけたとき――パシン、とツバサが、ネガウの手を掴む。
「ギリギリセーフ!」
「……あ、貴方」
冷や汗を垂らしながらツバサはふっと息を漏らす。それから、ニッと白い歯を見せて笑うツバサに、ネガウは数度瞬きをした。以前、ぷらーんと彼に捕まれている状態なのだが、彼の頑固たる意思を示すように、彼はネガウの小さくて、陶器のような手を離さなかった。
「どう、して?」
「何が?」
ツバサがネガウの質問に答えると、彼女は彼が何も理解してないことを気づき、首をふった。そして、口を開いてこう言うのだ。
「……どうして助けたの。私は貴方を馬鹿にしたのよ」
「だからなんだってんだよ。ネガウが、ピンチなら助けるだろ? それがヒーローだし。それにほら俺強いから!」
「意味分からないわ。私は、嫌味を言って……」
「嫌味だったのか!?」
「本当に馬鹿なの……はあ、でも、ありがとう」
呆れたようにいうネガウに、ツバサは目を丸くした。礼なんて言われるとは思ってなかったのだろう。そんなツバサに、彼女は少し照れたように視線を逸らした。そして、その隙をついてなのか天使が二人に向かって突進してきたため、ツバサは慌ててネガウの腕を引くと自分の方に引き寄せて剣を構えた。
しかし、ツバサが反応する前に、シュン! と大きな音が空間に響くと同時に、天使の羽が崩れ落ちていくのが見えた。それはまるで雪のようで、キラキラと輝く白い結晶となって。
「ネガウ!」
「借りはこれで返したわ。早く治療しましょう」
「お、おう! ミカヅキもやれるよな!」
『いいけど、どうするの? あの天使、上から降りてきそうにないけど』
と、ミカヅキは、二人に上を見るようにいった。ツバサとネガウは同じタイミングで、大きな机の上に居座る天使を見た。確かに、あそこから、攻撃すれば、自分は安全圏で、こちらを狙うことが出来る。それでは、一方的に攻撃を喰らうばかりで、あの天使に攻撃を当てることはできない。その上、天使のように、自由自在に空を飛べるわけでもないので、あの机の上にのぼるのは困難だろうと。
さて、どうする? と悩んでいれば、ツバサがひらめいたというように顔を上げた。
「んじゃあさ、あのさっきの触手みたいな攻撃? あれ利用すればよくね!?」
「どう利用するのよ」
「ネガウの、その≪心強≫! レイピア? を使って、あの触手を凍らせる。んで、その凍った触手を坂代わりにのぼれば良いって話よ」
「……確かに、やってみなければ分からないけれど、できない話じゃないわね。でも、どうするの? あの天使はきっと強いわよ」
「それなら大丈夫だ。だって、俺とミカヅキは強いからな」
『どこから、その自信……』
「そう、だったら任せるわ。貴方が、自分のことを強いと豪語するのなら、それを私に見せてちょうだい」
「まっかせろ。なあ、なあ、ネガウ。じゃあ、倒せたら俺とデート一回でどう?」
ツバサは、調子に乗ったようにネガウに詰め寄る。ネガウは、背後からくる天使の気配を感じつつ、この馬鹿が、何か言わないと退かないことを悟ったため、肩に掛かっていた髪を払いのけてレイピアを握る。
「――いいわ。一分以内で倒せたら、デートしてあげる」
「がってん。ミカヅキ、いいとこ見せるぞ」
『アンタ、僕がいないと何にもできないくせに』
「だからだよ! それに、治療しなきゃ、ここから戻りたくても、戻れねえだろ? ≪対天使専門医師≫として。んじゃあ、まあ、頑張るか!」
ツバサは再び、剣を握り込み、ミカヅキは仕方ないと言った感じに意識を集中させる。
後ろからとんできた天使の攻撃は、ネガウが全て弾き、目の前の机から繰り出された白い触手のような、植物の根のようなものが、両側からとんでくる。先ほどと同じように、両側に避け、ネガウが、その一本にレイピアを突き立てる。
「≪氷結≫――ッ!」
ピキ――と、ネガウの声と共に、レイピアが突き刺されたところから氷が広がっていく。上にいる天使がどんな表情をしているか分からないが、その氷はみるみるうちに触手を固まらせ、その上にツバサは乗っかる。ファサッ、と靡く黒衣と、右腕に巻かれた赤いリボンが揺れる。
「んじゃ、いってきます――!」
凍りついた触手の上を、ツバサは駆け上がり、天使の待ち構える机に飛び乗る。そこにいたのは、奇形の天使で、天使の羽は生えていたが、その身体は、透明な硝子瓶の中に入っており、そこから出たくてもでれない、たこつぼのような状態になっていた。大きさは、この間の天使よりも小さいが、五メートルほどは推定でもあると思われる。そして、降りてこなかったのではなく、降りれなかったという表現が正しいようなその天使にツバサは嫌悪感を抱きつつも、剣を片手に距離をつめようとしたが、その瞬間、横から現れた白い触手に身体を捉えられ、大きな机の上に叩き付けられる。その衝撃は計り知れず、声にならない声が漏れるが、どうにか体を起こすことは出来た。
「いってえ……てか、思った以上に早ぇよ。動き」
『一分内で倒すんじゃなかったの?』
「――っ、そうだよ! 倒せるし、今のは様子見。こっから、挽回よ!」
ツバサは、にっと笑ってミカヅキに話しかける。そして、その場から駆け出すと、まずは触手から切り落としていく。どんな仕組みなのか、どれだけきっても切ってもすぐに再生してしまうが、ツバサはその再生するスピードよりも早く天使の身体に剣を振り下ろす。すると再生のスピードも遅くなり、ツバサはあっという間に、距離をつめることができた。そして、動こうにも、そこから動けないという天使の特性を理解し、背後に回り込むと、床を蹴って飛躍し、天使の顔面めがけて、剣を振り下ろした。
「やあああああああああああッ!」
頭頂部から真っ二つに切り裂かれ、その傷からゆっくりと天使の身体は光の粒に変わっていく。
血がついているわけではないが、ツバサはブンと横に剣を振り、剣を鞘に戻すような仕草をとる。だが、その瞬間ミカヅキとの≪合体≫が解けたのか、彼は人間の形になり、ツバサの横に降り立った。天使の羽がふわりと舞い、ツバサの頭に落ちる。
「――やったぜ! ネガウ」
「確かに、一分以内だったわね。貴方の馬鹿加減をなめていたわ」
「白兎に同感。それは言えてる」
無事に戦いを終えたツバサは、ガッツポーズをするが、ミカヅキはそれを馬鹿だな、と傍観するだけだった。机の下にいたネガウも、ツバサの純粋な笑顔を見て、馬鹿だな、と思いながらも賞賛の拍手を送っていた。
「うおっ……!?」
「天使を倒した。だから、精神世界の崩壊が始まったんだ。帰還、だね。治療完了」
「はーまだ、慣れねえなあ。こっちでもちゃんと感覚あるからよ。現実と精神世界の区別がつかなくなるっつうか」
「……ここは、夢の世界だ。現実世界で、あんな動きできないだろ?」
「確かに!」
と、ツバサは、ミカヅキの言葉に応える。
末期患者の治療は完了し、精神世界の崩壊が始まる。先ほどとの亀裂とは違い、地面が揺れながら、その赤と黒の床が、崩れていく。しかし、底の見え無い暗闇ではなく、眩しい光がしたから差し込んできた。ゆっくりとその世界が溶けていくような感覚に飲まれながら、三人は現実世界に帰還する。
死にたがりの『天使病』患者に見せていた、夢の世界は、そうして崩壊をむかえた。




