Capture1-1 少年と天使
曇天の空の下。普通の学生であればお昼ご飯の後の五限目の授業で睡魔と戦っている時間帯。人の少ない公園のベンチにて成人を迎えていない男が二人、手錠に繋がれ座っていた。
「それで、僕をどうするつもりだ。この手錠、アンタにまで繋ぐ必要はなかっただろ」
「えー、お前に繋いでも、お前逃げるじゃん。その羽で」
赤髪の少年・有栖ツバサは、手錠を見つめ唸っている天使の少年に唇を尖らせて反論した。天使の少年の容姿は、一言でいえば絵画のように、美しい。真っ白な肌、真っ白な髪……しかしそれを除けば、そこら辺にいる高校生と何の変わりもない平凡な顔立ちだ。その背中の羽さえなければ、髪を白く染めた男子高校生といわれても信じてしまうくらいには幼い顔をしている。
ツバサと向かい合うように腰を曲げ、座っている少年は不服そうに口をへの字にするとベンチから立ちあがったが、すぐに着席した。手錠はガッチリとはめられていて、それを外し逃げられそうにないことを悟ったからだ。収縮性のある玩具のような手錠なのに、外れないと天使の少年は小さく舌打ちをする。
「……アンタ、金ないの?」
「え、何? いきなり、どーいう質問?」
「金がないから、僕を捕まえた……って。天使を狩っているっていった。天使が金になるって話し聞いたことない」
少年はどうにか言いくるめて、手錠を外して貰えるよう会話を試みるが、ツバサは聞く耳も持たないようで、首を横に振ってやれやれといわんばかりにため息をついた。
「お前、まだ天使になって日が浅いだろ」
「……」
「天使初心者」
「天使初心者ってなんだ。でも、確かに……」
少年は、過去を思い出そうとするが、ノイズがかかったように、頭痛がし、思い出すことができなかった。自分がどこで生れたのか、誰なのか。そんなことを気にする様子もなく、ツバサは話を続ける。
「まーどうでもいいけど。お前の生い立ちとかさ。んで、天使は高く売れるらしいぜ? その生態? について、詳しく解剖して調べたいっていう学者もいるみたいだしさあ」
「人身売買だろう、それ」
「天使に法律とか適用されねえの。たとえ、元が人間だったとしても」
少年は、信じられない、と声を張ったがツバサの表情は真剣で冗談を言っているようなものではなかった。
人間の売買は、法律上禁止されているが、天使を売買してはいけないという法律はなく、天使には人間と同じような法律が適用されない。そもそも、天使という存在が世に現われてからまだ十三年しか経っておらず、その生態も何も詳しいことは分かっていないからだ。
「その元人間を、売買するっていうのか」
「そう、なるよな?」
「なんで疑問系なんだ。人の心は――」
「天使にも人の心ってあるんだな。んー、まあ、何? 天使に対する法律ってやつも、今後作られるかもだけどさ。ほら、今出馬してる政治家も? 天使に対して熱く語ってるみたいじゃん。当選して欲しくねーけど」
「……」
「天使は、さらなる天使を産む……そうじゃなくても、天使は人を殺すんだから、世のため人の為には駆除するのが一番だろう」
と、ツバサは天使の少年にきつい言葉を投げた。少年は何も言い返す事が出来ず、奥歯を噛み締め俯く。
「お前だって、死にたいって思って『天使病』にかかって、天使になったわけだろ? 同じ、死にたがりを増やすなよ」
「僕は、自分が死にたいって思った理由を思い出せない」
少年はポツリとそういうと、自分は他の天使とは違うとツバサを見た。
天使――それは、この世界において未知なる存在であり、特徴として、白い肌、白い髪の毛、真っ白な羽をはやしていることがあげられる。絵本から出てきたような神秘的な姿に、はじめ見たときは皆心を奪われたことだろう。しかし、この世界の天使は、人々に神の意思や、祝福を与える存在ではなく、人間を安楽死に導く存在として恐れられている。
初めて、天使が発見されたのは十三年前のこと。ごくごく普通の一般人が、ある日苦しみだし、寝たきりになると、その背中から天使の羽が生え始めた。そして、徐々に肌の色や、髪の色が変わっていき、羽が広げて二メートル以上になる頃にはその人間は、見た目通り天使になってしまった。しかし、その一般人は人間だった頃の記憶を忘れ、自身の名前すらも忘れ、部屋から飛びだしていってしまったらしい。その人間の身辺調査をしたところ、生前、死にたいと何度も呟き、自殺願望を持っていた人間だったことが判明した。それから、同じような症状が世界各地で現れ始め、この奇怪な病気の病名は『天使病』と名付けられた。『天使病』は、自殺願望、死にたいと願う人間がなる病気として、若い者を中心に流行りだした。その感染源は不明で、一応ウイルスが存在していることは判明しているが、薬やリハビリによる回復は見込めないのだとか。天使になるのを待つしかない――と。
「そりゃそうだろ、『天使病』にかかったヤツは……天使化したヤツは、人間だったときの記憶を忘れるみたいだしさ。それが、お前が天使っていう証」
「……」
グーの根も出ない。ツバサのいうとおりだったからだ。
しかし、『天使病』を克服した人間が得られるものは苦痛からの解放ではなくて、自己の損失。
『天使病』にて、天使になれる人間はごく僅かで、殆どの人間は『天使病』にかかった時点で、寝たきりの植物人間になり、徐々に身体が天使化していく。だが、この天使化が進むにつれ、その変化に耐えられなかった身体は先に朽ち果ててしまうのだ。天使になれなければ、死が待っているのだ。しかしながら、『天使病』にかかった人間は、そんな苦痛を味わっているような様子もなく、ただただ安らかに眠るように死んでいくのだとか。これが、『天使病』が安楽死に導く病気として知られている一つのわけである。
「……でも、僕は違う」
「だから、何だよ」
ツバサは、少年を睨み付けた。少年は、その見幕に一瞬押されたものの、負けじとツバサに反論する。
「僕は他の天使とは違う、『自我持ち』だ。だから、見逃して欲しい」
「『自我持ち』だろうが、何だろうが、天使は天使だ。こっちも、金欠でヒーヒーいってんだよ。大人しく売られろ」
「でも、僕は、自分が天使になるほど、死にたかった理由を忘れたまま死にたくない」
と、少年は叫んだ。立ち上がった瞬間、痛いほど手錠が引っ張られ、苦痛に顔を歪める。
『天使病』にて、天使になった人間の殆どは、その習性から、死にたいと願う人間の元へ飛び、新たな仲間を増やそうとする。しかし、本当に稀に自我を持ち、自らの意思で行動ができる天使がいるのだとか。そんなの、都市伝説ほどにしか思っていなかったツバサは、疑いつつも、こうして会話ができる以上は、目の前の少年を『自我持ち』と認めるしかなかった。
天使になった人間は、死にたいと思った弱者だ――と、ツバサは考えている。その人間の弱さ、だが、その弱い人間を見捨てた周りの人間の弱さが、人間を天使に変えるのだ。
少年の必死なその姿に、ツバサは頭を掻きむしる。
「ああ、もうっ! せっかく捕まえたと思ったのに……情に訴えかけてくる天使とか聞いたことないし」
「情に訴えてない。本心だ」
「そうはいっても、『自我持ち』と分かった以上見逃すわけにはいかねえし。どうすっかなあ」
少年はその言葉に下唇を噛んだ。ツバサはその悔しそうな表情にククッと喉を鳴らす。そして、少年と距離をグッとつめる。ギシッと木の軋む音がする。そんな音がやけに大きく聞こえて、二人は互いに目を合わせる事なく俯いたまま口を閉ざした。沈黙が続いたのはほんの数十秒。それを最初に破ったのはツバサだ。
「じゃあさ、こうしようぜ。お前は、俺の相棒になるってので手を打とう」
「は?」
何を言われるのかと、構えていれば、「相棒になる」というトンチンカンな言葉に、少年は口をあんぐりと開ける。
少年が驚いた表情で固まってしまったことに対し、ツバサは全く気にも留める様子もなく目を輝かせていた。それはまるで、幼い子供が、戦隊ヒーローにでも会ったような、そんな瞳だ。
「だから、相棒! 相棒! 天使ってさ、『天使病』の患者の精神世界に入り込めるんだろ? んで、俺をその精神世界に連れて行って欲しいわけ」
「は? さっきから、何が言いたいのか、よく分からないんだけど……」
「俺、≪対天使専門医師≫の≪救護隊員≫目指しててさ。でも、相棒が見つからなくって。ほら、≪救護隊員≫って≪誘導隊員≫いないと、『天使病』の患者の精神世界には入れなくって」
「待て待て、さっきから何の話? ≪対天使専門医師≫? ≪救護隊員≫? 相棒? いったい、何の話?」
まくし立てるように話すツバサについていけず、少年は、ストップと詰め寄ってきたツバサを押し返した。
ツバサは、「何だよ、ノリ悪いなあ」とふて腐れていたが、少年は先ほどツバサが発した専門用語について整理しようと必死だった。
聞いたことがないわけではない。『天使病』に効く薬はないが、治療することをできる人間が存在していることを。その者達を≪対天使専門医師≫と呼ぶことを。
『天使病』というのがそもそも、人間の精神を侵食し、身体を蝕むという奇怪な病気である故に、『天使病』の元となるウイルスは身体の内部に存在しているのではなく、その患者の精神に潜伏しているのだ。そんな、精神、言わば精神世界に潜伏しているウイルスをどう駆除するという話であり、精神世界など、人間の心は心臓に宿るのか、脳に宿るのかという話と同じようにどこに存在するのか分からない。だが、そんな精神世界に入り込めてしまう、者達がごく僅かに存在しているのもまた事実。しかし、人数はさほど多くなく、ツバサのいうように、二人一組になって、患者を治療するという形をとっているため、『天使病』患者の増加に治療が追いついていないのだとか。また、治療であるため、金銭の問題が浮上し、それも高額な額を請求されるため、普通は『天使病』は不治の病として扱われ、かかったが最後、死が待っているとされている。
「な? いいだろ。天使でも、人間の役に立てれば殺処分されずに済むし」
「それは、どうか分からないだろう。はあ……でも、まあ、確かに、天使は人の精神世界に入り込むことはできるけど……」
「なら、決まりだな」
と、ツバサは飛び上がって、喜んだ。ツバサのいうように、天使が人間の精神世界に入り込めるというは紛れもない事実だった。天使の特権の一つといっても良いだろう。
しかし、精神世界に入り込むに当たっていくつか問題があり――
「――あの、お兄ちゃんたち、≪対天使専門医師≫なの?」
ツバサと少年が押し問答していれば、ふと可愛らしい子供の声がし、視線を下げれば、二つ結びの小学生くらいの少女が二人をじっと見つめていた。肩から提げていたショルダーバッグをギュッと掴んで、何か言いたげに黒い瞳を揺らしていた。
「違う、僕達は――」
「そー! 俺達は、≪対天使専門医師≫。もしかして、お嬢さん、『天使病』患者が近くにいたりするの? 依頼?」
「おい」
少年の制止をよそに、ツバサは少女に対し優しい笑みを浮かべた。少女は泣きそうな目をギュッと瞑り、頷いた。
「お母さんが、『天使病』にかかっちゃって。でも、お金なくって、治療して貰えなくって」
と、少女は堪えていた涙がぽろぽろと零れだし、堪えきれなくなったように、わんわんと泣き出した。ツバサは「泣くなって、大丈夫だからさ」と少女に声をかけるものの、深刻さよりも、何処か嬉しそうな表情を浮べていた。その表情に少年は気味悪さを感じつつも、自身の母親が死ぬかも知れないと、そんな恐怖に、震える少女を可哀相だと思い、同じようにしゃがみ込んだ。しかし、少女は自分と目を合わせてくれることなく、ツバサに抱き付く。自分はやはり、天使であり、『天使病』を振りまくウイルス源なのだと実感し、胸が締め付けられた。
少女が落ち着く頃には、ツバサも立ち上がり、片腕だけ背伸びをすると、少年の方を振返る。
「んじゃ、天使。さっそく、初任務だ」
そうツバサは、ニッと白い歯を見せ少年に笑いかけた。




