Capture4ー3 仕事、そして現実
「遅いわ。十分の遅刻」
「ごめんやね、ネガウちゃん」
「ネガウ! 今日も可愛いな!」
指定された場所、アパートの前には既に黒衣に身を包んだネガウがいた。彼女は左手につけた銀色の時計を見ると、走ってきた三人を睨み付け、呆れたようにため息をついた。ミカヅキは、特に悪びれもなく謝ることもせず、ツバサに関しては遅刻しているのに褒めだす始末だ。
ツバサを一睨みし、ネガウは軽く首を振った後、牡丹に視線を動かした。すると、先ほどまで険しい顔をしていた彼女はすぐさま笑顔になる。それは愛想笑いなのかもしれないが、コロコロと変わる表情や表情を出す様は見ていて飽きないものがある。そんな彼女の人懐こさが気に入ったのかネガウは小さく笑みをこぼした。
「牡丹はいいわ。どうせ、この男二人が寝坊でもしたんでしょう」
「はあ!?」
「いーや、寝坊はしてないね。さすがに、ネガウが一緒って知ってて、寝坊なんてするわけないだろう?」
「……アンタ、そもそも予定忘れてたくせに」
ツバサは、ネガウにいい印象を残したいらしいが、全て空まわっており、改めて彼の精神年齢の低さを目の当たりにし、頭が痛くなる。もう少しマシな相棒ならよかったのにと。
挨拶もそこそこに今日、担当する患者の元へ向かうと、ネガウを先頭にアパートの階段を上る。
「有栖くん、ミカヅキくん、頑張ろうね!」
「おう! ネガウに格好いいところ見せるからな!」
「……ネガウ、ネガウって煩い」
階段を上がる途中、意気込みを聞かれたツバサはやはり、脳内ネガウに侵食されているようで、彼女に格好いいところを魅せることが最優先になっているらしい。牡丹は、そんなツバサの真っ直ぐさに感心しつつも、一人先を行くネガウを寂しそうに見つめていた。彼女のつぶらな、赤い瞳は、相棒でありながらも距離がある彼女を見て自分の弱さに絶望しているようだった。
「……牡丹」
「何? ミカヅキくん」
「……気負わなくてもいいと思う。てか≪誘導隊員≫がいないと、≪救護隊員≫は精神世界から戻れなくなるし。ちゃんと、牡丹は役割果たしてると思う、と、思う」
「へへ、うち、もしかして励まされてる? ありがとう、ミカヅキくん」
「別に」
アパートは、三階建てて、階段を上ると遠くの方に大学が見えた。大学のひとり暮らしというのは、大抵下宿か、大学がオススメするアパート、マンションに入居するという学生が多い。ただ、今は講義時間なのか、誰ともすれ違うことなく、ツバサたちは、ネガウの後に続き階段を上ると三階まで上がると一番端の部屋の前で立ち止まった。
「――ここ」
「ピンポンならしていいか?」
「だから、子供か!」
誰がどう行動を起こしてもいいのだが、ツバサは、目の前にある玄関チャイムのボタンは自分がおすとはりきり、人差し指で押した。
ピンポーン、と典型的なチャイムの音が響き、室内からは物音が聞こえない。それどころか物音一つなく、その場にいた誰もが無音の状態が一分は続いたように感じた。ツバサがもう一度、鳴らそうとボタンに手を置いたとき、ドアノブに手がかかりゆっくりと扉が開かれる。出てきたのは、五十代前半の女性で、四人の姿を見ると少し驚いたように目を丸くしたが、喪服のような黒衣を見て納得したように、チェーンを外した。
「あ! あ! あの!」
「はあ……≪対天使専門医師≫・≪救護隊員≫の白兎願羽です。先日、治療を予約してくださった飲伏瓶子さんですよね」
威勢だけはいいが、全く会話もできないツバサを押しのけるようにし、ネガウは前に出ると依頼人である女性に免許証を見せる。女性・飲伏瓶子は確かに、とネガウたちが≪対天使専門医師≫であることを認め、部屋へとあげる。飲伏は、息子を直して欲しいと第八支部に依頼――治療をお願いしていたそうで、今日は≪対天使専門医師≫がくるのを待っていたと。
「息子を、よろしくお願いします」
と、通された部屋は、大学生が一人で住むには少し大きな部屋で、間取りは1LDK。キッチンにダイニングテーブルとカウンターチェア。そして寝室には大きなベッドが一つとシンプルな内装で、そのベッドの上には死んだように眠る男性の姿があった。
「マジか……」
「あの日の、患者と、一緒……」
部屋に入った瞬間、その羽の量に四人は驚いた。ベッドで眠る男性は、既に肌は白く、髪の毛も真っ白に変色していた。天使化の進行がかなり進んでいるとみられ、ツバサとミカヅキに関してはこの間、病院の地下で見た末期患者とその様子が重なり顔を見合わせた。この間の患者六人は、『天使病』を再発し、結局助けられなかったと珠埜が後から教えてくれた。あれだけ頑張って、治療という戦闘を繰り広げたというのに、結局は助けられなかった。その無力さと、無意味だったのでは? という念が今でも残っており、目の前に横たわる患者を見て、また同じことを繰り返すのではないかと、ゾッとする。
「……あの……ああ、うち≪対天使専門医師≫・≪誘導隊員≫の牡丹いろはっていいます。その、息子さんは、いつから『天使病』に?」
牡丹がそうきくと、飲伏は「電話でも話したんですが、いつ頃からかはっきりしなくて」と、頬に手を当て困ったようにいった。
「息子は、大学二年生なんです。ああ、ええっと、留年して二年生二回目で。大学をサボっていたらしくて、単位が足りなくて。それで、少し前に夫と喧嘩したみたいで。それから、連絡を取っていなかったんです。でも、久しぶりに会いたくて。夫も、心を入れ替えるなら大学卒業までのお金は出すからって……それで、先週会いに行ったら『天使病』に」
「……そう、やったんですか」
牡丹は、母親の話を聞いてさらに震えた。牡丹は、末期の患者を見たことがなかったが、この患者がもう残り少ない命と察していた。
『天使病』が十三週間後、もしくはもっと早い段階で進行する病気だと知っているから、一週間放置して生きていたのが奇跡ともいえるだろう。今は一刻を争う事態。早く治療にかからなければ、この末期患者を救うことはできないだろう。
飲伏はそれをあまり理解していないようで「治せますよね」と四人を見る。四人は、互いに顔を見合わせるが、ここまで来ると治せる、治せない以外の問題も浮上するな、と深刻そうに俯いた。しかし、受けた依頼であるからには、結果がどうあれ治療はしなければならない。
「分かりました。最善を尽くします」
そう言ったのは、ネガウで、牡丹に指示を出すと、サッと患者の手を取った。そうして、牡丹に手を伸ばす。いち早く動いた、彼女たちに押されるように、ツバサとミカヅキも、患者の側に寄り、手を繋ぐ。
「「≪接続≫――」」
四人の声が響き、ツバサ、ミカヅキ、ネガウの意識は精神世界へと入り込む。現実世界に残された牡丹は、近寄ってきた飲伏に話しかけられる。
「どう、なったの? その三人は」
「ええっと、息子……さん? の、精神世界にはいったんや、です。≪対天使専門医師≫は『天使病』の患者の精神に入り込むことで、治療するんや、です。うちは、その現実世界と、精神世界を繋ぐ役割を持ってて、やね……」
「そうなの。貴方たち、まだ学生?」
「は、はい。そう、やね」
牡丹は、手を離さないことだけを注意し、飲伏の話に耳を傾ける。この間の、トライアルで、初めて精神世界で戦う相棒の姿を見ることができた。自分が想像していたより過酷で。本当の治療現場というのはもっと過酷なんだろうと、改めて、精神世界で戦う相棒の姿に牡丹は感動と同時に恐怖を覚えた。学生の≪対天使専門医師≫は多くはない。特に、中学生、高校生の≪対天使専門医師≫の数なんて少ない。そんなまだ未成年の彼らは、自分ではみることができない治療現場で、天使と戦っているんだと、牡丹はその自分だけ外野にいるような感覚に、無力さを感じていた。
しかし、≪誘導隊員≫も大事な仕事であり、彼らが精神世界で受ける攻撃を多少なりとも受けている。また、精神世界から無事戻ってくるためには≪誘導隊員≫の存在は不可欠だ。自分が必要とされているのは分かっていつつも、安全圏にいる、ということが牡丹にとっては、情けない気持ちで一杯だった。
「息子は、大丈夫かしら」
「大丈夫やと思います。ネガウちゃん……≪対天使専門医師≫の≪救護隊員≫は強いんで」
牡丹は、不安げな飲伏を安心させるために笑う。実際、末期患者の精神世界がどうなっているかは分からない。危険だと思えば、いつでもネガウを帰還させるつもりではいる。
『天使病』ついて、詳しく知る人は少ないだろう。安楽死病や、天使になる病気、としか知らない人の方が多い。だからこそ、どう治すか、また、自分の息子がかかるなんて、と飲伏は思ったはずだ。治療法、治療する側も危険だということを飲伏はきっと知らない。
「まあ、よく分からないけれど……お金も払ってるんだし、治してもらわなきゃね」
「そう、ですね……」
息子を心配しつつも、飲伏は、治療費のことを考えていた。治療費は、前払いであり、既に振り込まれている。もし、失敗でもすればきっと――
(ううん、大丈夫や。三人とも強いし、きっと!)
牡丹は、横で眠っているネガウの方を見る。眠っていても、美しい彼女に、劣等感を感じつつも、彼女の手を握るその手に力を込めた。自分ができることはこれだけかも知れない。でも、これだけをやり遂げようと、牡丹は、ネガウの横で眠るツバサとミカヅキにも応援を送った。
「頑張ってや、三人とも。ここで、まっとるで」