Capture3-1 試験合格を祝して
「――そんじゃあ、ツバサとミカヅキの≪対天使専門医師≫試験合格を記念してカンパーイ」
「カンパーイ!」
「乾杯……」
乾杯の挨拶は、珠埜が、そして、ツバサとミカヅキはオレンジジュースの入った紙コップを掲げる。
ツバサが住む、ボロアパートにて、試験合格を祝して、珠埜がコンビニで欲しいものを買ってくれ、家で祝賀会を開くことになった。そこはファミレスではないのかと、ミカヅキは突っ込んだが、ツバサが「天使だってバレたら面倒だろ? フード被りながらこそこそ食べるとか、ヤベえヤツじゃん」といったことで、コンビニで好きなものを好きなだけ、というパーティーに変わった。
反対の意見は全くなく、どちらかといえば祝って貰えるなら何でも、とミカヅキも若干喜びに頬を緩ませていた。未成年である二人は、オレンジジュースだが、珠埜は、二十四歳のためお酒が飲めると、缶ビールらしきものをぐいっと煽る。
「ちは兄、それビール?」
「ノンアル、ノンアル。さすがに、可愛い弟分の前で酔っ払ったら格好悪いだろ?」
と、ひらひらと手を振り、缶に記載されていたノンアルコールの文字を指さした。相変わらず、よくできた人だな、とミカヅキは感心しつつオレンジジュースをちょびちょびと飲む。天使は、飲食をしなくても生きられる。だが、こうして甘いジュースを口にしたことで、舌が甘味に反応し、敏感にその甘さと酸味を脳に伝えていく。
「甘……」
ミカヅキはぼそりと呟きつつ、じゃれ合っている二人に視線を向ける。
「ツバサ、おめでとうな」
「ありがとーございます! ちは兄のおかげ!」
「よーしよし。一緒に働けるのが楽しみだなあ」
珠埜の激励に、ツバサはぺこりと頭を下げて礼をいう。そして、すぐに顔を上げて笑顔を見せるのだった。いい大人に恵まれ、囲まれて育ったのだのだろう。馬鹿だが、愛嬌があり、人懐っこいツバサはそれはもう、可愛がられたに違いない。容易に想像がつく、とあの顔面凶器の煙岡をミカヅキは脳裏に思い浮かべながら思う。ツバサにとっては、煙岡も優しい人間の一人であり、頼れる大人なのだろう。しかし、それはツバサにとってだけであり、あの人が全ての人間に優しく、甘いわけがない。今回の試験内容だって、クリアできないものではなかった。それが証拠だろうと。
ツバサほど邪気なく笑う人はそうそういないだろうと、ミカヅキは、何だか自分とは違う存在だ、と紙コップの縁をなぞる。
「ミカヅキもお疲れー! いやあ、ほんと、あの時は助かった。改めて、お礼」
と、ミカヅキに手を差し出す珠埜。
珠埜も、はじめこそミカヅキを天使だと敵視し、殺意を向けていたが、≪対天使専門医師≫としての活躍、そして、あの戦場での治癒に感謝し、完全に警戒をほどいていた。天使という大多数に関しては、まだその怒りや憎しみを捨て着れていないのだろうが”ミカヅキ”という一個人に対し、考えを改めたのだろう。
ミカヅキは、それでも自身が天使であり、彼らが憎悪を向ける存在だと、拭いきれず、差し出された手に対して、とるべきか、とらないべきか、と悩んでいた。しかし、珠埜の屈託のない笑顔を見て、何処かの誰かさんと同じだな、と手を伸ばす。
「……お、お役にたててよかったです」
と、ミカヅキは差し出された手のひらに手を乗せ握手する。珠埜とは性格も容姿も真反対だが、これが本来の正しい対応なのだろうなと感じながら。
「ツバサは、本当にいい相棒を持ったなあ。まあ、明日から大変だと思うが、頑張るんだぞ」
「ああ、明日って、仮免の……」
「まずは、≪対天使専門医師≫という仕事についてのおさらいっていうか、有栖からしてみれば、一から学び直しだな」
「俺、勉強嫌い何だけどな」
「……話し聞いてないけど、それ僕も?」
ミカヅキは、またあの第八支部に行くのか、と肩を落とす。
もうここまで来てしまったら、ツバサと相棒になれません、≪対天使専門医師≫になれませんと言い出しづらく、いったらどうなるか分からないため、受け入れるしかなかった。それに、逃げても、記憶を失っている自分には行く場所、帰る場所すらないだろうと。だったら、仕方なく、ツバサと相棒になり≪対天使専門医師≫として、衣食住が安定した生活を手に入れ、記憶を取り戻す手伝いをして貰った方がいいのではないかと考えた。それでも、この馬鹿と相棒なんて死んでも嫌だが、とツバサを見る。
「そう。まあ、ミカヅキは、他にもちょーっと身体検査とか色々あると思うけど、ごめんしてくれよな。『自我持ち』は、久しぶりだし、天使についてまだまだ知らねえことばっかだから、研究したいんだとよ」
「……死なない程度に」
「大丈夫だって。第八支部の職員はみーんな、優しいからな。有栖もそう思うだろ?」
「ちは兄のいうとおりだって。大丈夫、大丈夫」
「アンタが言うと、本当に信用ならなくなるからやめろ」
珠埜は、ハッハッハッ! と大口をあけながら笑い、ツバサはミカヅキの背中をポンポンと叩いた。陰キャのミカヅキからしてみれば、地獄絵図だ、と頬を引きつらせる。
「解剖とかして、殺す事はさすがにないと思うぜ。ただでさえ≪対天使専門医師≫っていうのは少ないし、第八支部にはオレ含めて、今三組しかいないからな」
「三組……?」
「ああ、≪対天使専門医師≫ってのは、≪救護隊員≫、≪誘導隊員≫二人一組で数えるからな。単位は、組。んで、オレと伊鶴。煙岡さんと帽子さん。松扉と針ヶ谷の三組」
「ふーん」
ミカヅキは、自分で聞きつつも、興味ないな、と切り捨てる。知らない名前ばかり出てきたが、ツバサは指を折って数え、確かに三組だ、と顔を上げる。
三組というのが多いのか少ないのか理解できなかったが、ツバサはそれは理解できたようで数え終わった後に、後ろの座布団に倒れ込み、「やっぱり、少ないよなー」と口にした。
「だって、≪対天使専門医師≫って二百組しかいねえんだろ? で、日本には≪対天使専門医師≫の支部が十三支部。ふりわけたら、十五組はいるはずなのに」
「有栖よくしってんなあ。そう! 第八支部は常に人手不足。でも、お前らの同期……じゃないけどさ、第八支部に移ってくれるっていう≪対天使専門医師≫が一組いるらしくて。それも、女性の≪救護隊員≫と≪誘導隊員≫らしいぜ。お前らと同い年くらいのヤツら」
「マッジで!?」
こそりと、珠埜がツバサに耳打ちすれば、今時の男子高校生でもしないような驚き具合で、テンション高く飛び跳ねる。
女性の≪対天使専門医師≫は珍しいのか、とミカヅキは冷静に分析しているところに、興奮した様子で、ツバサがミカヅキの肩を組む。
「何、痛い」
「俺たちの同期、女の子だって!」
「聞いた」
「可愛いこだといいよな!」
「興味ない」
ツバサは、ミカヅキを揺すりながら女の子いいなー! いいなー! と騒ぐが、ミカヅキは全く興味がない様子で揺さぶられる。その二人のじゃれ合いを見て珠埜は笑いつつも、スマホを取り出し、ちょっと出てくるわ、と外に出ていってしまった。珠埜がいたから、ツバサの事をあしらえていたが、二人きりとなると、どうせ絡まれると、ミカヅキはツバサの方を見る。ツバサは、まだ女の子! と叫んでいて、男子高校生ではなく、これはもう小学生なのでは? という目に映った。
「そういえば、お前さ、なんか思い出したこととかないの?」
「思い出したこと?」
「だーかーらー、ほら、記憶が何とか。天使になる前の記憶のこと」
「何も思い出してない。そんなすぐに思い出せるものだと思う?」
「いや、分かんないけどさ」
「分かんないなら、あれこれ言うな」
「でも、思い出したいんだろ? ちゃんと手伝ってやるから、そう肩落とすなって」
肩をぽんぽんと叩き、気にするなよ、とツバサは笑った。何を言っても無駄だと悟ったミカヅキは、ため息を零した。
「…………記憶を取り戻すって約束して、相棒になったんだ。それくらいして貰わないと困る」
「ガッテン!」
ツバサは敬礼のポーズを取り、ミカヅキに約束する。
約束は、本当に果たされるのだろうかと、ミカヅキはツバサを見る。不安だからではない。正直、一ミリたりとも期待していないため、その言葉を信用する気もない。馬鹿だから、すぐに忘れるかもしれないなと、内心鼻で笑った。けれど、馬鹿だからこそ、最後まで粘ってしつこく付きまとうんだろうな、という想像も容易にできてしまい、ボロアパートから見える、一等星をミカヅキは見上げ、残ったオレンジジュースを飲み干した。
「――約束、だからな」




