Capture2-5 帰還
セットした、時計のアラームで目が覚めるような気分で、ツバサはゆっくりとその瞳を開いた。
目の前に広がっているのは、青白く光る、あの研究施設。目の前には、横たわりながらも、何かを話そうとしている元『天使病』の患者の姿が見えた。白い肌は、血色が戻りつつあるものの、アルビノ患者のように白く、色素を失った唇もシワだらけで、母音すらも認識できないほど擦れかすれで何か口にしているようだった。しかし、その瞳からは、六人とも涙を流しており、苦痛に顔を歪めているようにも見えた。
「お帰り、有栖」
「……っ、ちは兄!」
よっ、と目の前に現われた現実の珠埜に、ツバサは我に返り、改めて現実世界に戻ってきたんだと実感した。珠埜は、精神世界にいたときとは違い、しっかりと黒衣を身に纏い、その背中には漆黒の剣など背負っていなかった。
「――有栖」
「ミカヅキ……っ、ちゃんと、戻ってこれたんだな、俺たち」
「何? 戻ってこれないかもとか心配してたわけ?」
「いーやじゃなくてさあ、今までにない戦いだっただろ? ちは兄いなかったら、俺たち負けてたかも知れないなあって思ってさ」
「……はあ、負けてたかもじゃなくて、負けてたと思うけど。それに、危なくなったら、強制的に帰還させるつもりだったらかいいけど」
「俺、そういうことまだちゃんと分かってなくて」
と、ツバサは頭を掻く。
立ち上がろうと、足に力をい入れてみたが、その瞬間ズキンと頭痛が走り、目の前にいたミカヅキに倒れ込むような形で、しゃがみこんでしまった。ミカヅキはツバサを受け止めるが、そのまま一緒に床に座り込む形になる。
「っ……いってぇ……」
「おい!」
「悪ぃ、悪ぃ……何か、くらくらーってきて」
「……」
「それは、精神世界に長くいすぎた影響だな。ほら、有栖、ミカヅキ。立てるか?」
珠埜は心配そうに顔を覗き込んでくると、ツバサとミカヅキに手を差し伸べてきたのでその手を取り立ち上がる。しかし、立ち上がった瞬間から頭痛は酷くなり始め、頭を押さえながら何とか耐えて見せる。ミカヅキは、そんなツバサをみつつ、自分にまで手を差し伸べてくれた珠埜に浅くお辞儀をする。珠埜は、にこりと笑うと、重症なツバサの肩を抱いた。
「ちは兄は、大丈夫なの?」
「んー、心配してくれてんのか? だいじょぶ、だいじょぶ。オレは、ベテラン≪対天使専門医師≫だぜ?」
「そうだった。ありがと、ちは兄。それで、どうするの。この研究所?」
「千颯先輩、煙岡さんと連絡つきました。手配してくれるようです」
「そーか。あんがとな、伊鶴」
研究所の奥の方から出てきたのは、珠埜の相棒≪誘導隊員≫の伊鶴だった。手に持っていたスマホを、ポケットに突っ込むと、ツバサとミカヅキを交互に見、ピクリと眉を動かした。
「じゃー、後は、こっちでどうにかすっから、未成年諸君は、家に帰ってねんねしな!」
「は、はあ!? 千颯先輩は、まだ精神世界から戻ってきたばっかりなのに、僕も残ります。貴方の相棒ですから」
「伊鶴には、無理言って学校抜けてきて貰ったんだ。それも、テスト期間中だったんだろ? 帰って勉強しろ。学生の本分だろ?」
まさか自分も帰れなどいわれると思っていなかった伊鶴は、反論したが、珠埜の言葉を聞いて頷くことしかできなかった。
ツバサとミカヅキも、顔を見合わせ、俺たちも? と珠埜を見る。珠埜は、ニッと笑って、親指を立てた。家への帰り方は分かるが、これから、珠埜は残って何をするのか。大方、かの病院での事情徴収と『天使病』の患者を違法に研究に使用した経緯や、六人の精神世界を繋げた方法について詳しく聞くのだろう。それは、≪対天使専門医師≫の仕事に含まれていないが、第八支部の職員として、職務外のことも手伝うつもりなのだろう。珠埜とて、精神世界から帰ってきたばかりだというのに、何の外傷もなく振る舞っている姿を見て、ツバサはやはり、自分とは違う、と落ち込みつつも、憧れを抱く。目指すべき姿。憧れと一緒に治療に関われたこと、頼られたことは、一生忘れないだろう。
「ミカヅキ、帰るぞ」
「……あのボロ屋、やだ」
「んなこといったって。俺たちは、正式な職員じゃねえし、一応未成年じゃん? 寮に住まわせて貰えないし」
「てかさ、ずっと気になってたんだけどアンタ、何歳? 学生じゃないの?」
珠埜に挨拶をして、その場を去ろうとしたツバサの後を追いかけ、ミカヅキは質問を投げかけた。
ツバサは、先を行く伊鶴を追いかけるようにして歩いたが、先にエレベーターに乗られてしまったようで、立ち止まる。カチカチと、もの凄い勢いで閉まるボタンを押していた伊鶴を見て、呆れ肩をすくめていた。
「ああ、俺? 俺、十六だよ。ミカヅキと一緒ぐらいじゃね?」
「……知らない。覚えてない」
「学校は……そのー、な、休学中?」
「なんで疑問系なんだよ」
「成績悪くて、どうせ進級できないっぽいから、だったら≪対天使専門医師≫になるべく修業を積んだ方がいいのかなーなんて思ってさ」
「だから、馬鹿なのか。いや、じゃなくても馬鹿か」
「馬鹿馬鹿いうな!」
「そういうところが、馬鹿っぽい」
ミカヅキは、ツバサが十六歳で、かつ学生で休学中という情報を得たが、自分の記憶を取り戻す手がかりには何もなりそうにないな、と目を伏せる。自分も学生だったのだろうが、どこの学校に通っていたかも、何歳で、どの学年だったかも思い出せない。ツバサと年が近いことだけは何となく分かったが、それ以上の手がかりは何もなかった。ツバサを通して、自分の記憶を取り戻せる保証はないのに、何故か気になってしまっていた。それは、相棒だからか、それとも――
「てか、あの眼鏡ウザい」
「眼鏡って? ああ、伊鶴さんのこと? あの人、潔癖症で、天使嫌いだからさあ。まあ、許してやってよ」
「アンタも嫌われてるっぱかったけど」
「俺は、ちあ兄に可愛がられているからな! 伊鶴さんは、ちは兄の相棒だし、嫉妬? してるんじゃね」
「そんなもの……なのか」
「そーそー。まあ、伊鶴さん……お兄さん亡くしてるし。天使に対する殺意、高いんじゃねえかな。他の人より……」
「まあ、≪対天使専門医師≫ならそうだろう」
「それにさ、ちは兄の二人目の相棒なんだよ。伊鶴さんのお兄さん、職務中になくなって。それで、適性のあった伊鶴さんが、ちは兄の相棒、≪誘導隊員≫引き継いだんだって」
「仕事中に? ≪誘導隊員≫なのに?」
ポーンと戻ってきたエレベーターに乗り込む二人。
1のボタンを押して、扉を閉めると、ミカヅキは話を続けるようツバサを見た。
「それが、よく分かんねえけど。≪誘導隊員≫って、≪救護隊員≫の精神世界で受けた傷を肩代わりする、痛みを半減するための役割を担ってるらしくてさ。それで――って話し聞いたけど、実際の所よく分かんねえ。何で死んだのとか、伊鶴さんも、職務中に亡くなりましたって、葬式に出たって、詳しい話聞いてないらしくて」
ツバサはそれ以上知らないと首を横に振る。そうして、ポーンと一階につき、エレベーターの外に出る。
ミカヅキは、フードを被り直しつつ、顎に手を当てた。
「殉職……≪救護隊員≫の殉職はあり得なくもないけど。≪誘導隊員≫の殉職って」
「んーまあ、俺たちはそうならないように頑張ろうぜ」
「……は?」
「だってさ、俺たち、六人の『天使病』の患者治療したわけだろ? 煙岡さんが出した試験内容クリアしたわけじゃん。これで、晴れて≪対天使専門医師≫になれるわけで」
「いやいや、倒したのは珠埜先輩だろ。アンタじゃない」
「いーや。俺たちがいなかったら、ちは兄もヤバかった」
「さっき、珠埜先輩は最強だっていってただろう。それに、アンタだって分かって……」
「いーじゃん、いーじゃん。多分合格! ほら、これからもよろしくな、相棒」
「それで、済まされると思うなよ」
差し出されていた手は、数秒後ミカヅキによってはたき落とされたが、ツバサの屈託のない笑顔に、それ以上強く出られなくなってしまった。
(まあ……いっか……)
ミカヅキは、どこか満足そうに口角を上げると、ツバサに「今笑った?」と頬を指さされ、また不機嫌そうに顔を歪めるとツバサの頬を引っ張った。
「やっぱり、アンタとはあわない。僕のこと、相棒っていうな!」
「相棒だろ、いてててー」
ツバサは、痛いと連呼しつつも、ミカヅキが確実に自分に興味を持ってくれたことを喜び、再び頬を緩めた。




