Capture2-4 戦場
「――よっし、今回は、気を失わずに入れたぞ。やっぱ、数こなしたら、慣れてくるもんなんだなー」
「……はあ、ほんと脳天気。まだ、二回目だし……状況把握ができていないんだな」
「つか、マージでお前がいなくて、俺傷ついたんだからな。ちは兄の役にも立てないし、伊鶴さんにも役立たずって言われたし」
「事実だろ」
「だとしても、お前が――!」
精神世界に入り込むことに成功したが、ここ数日、鬱憤がたまっていたこともあり、ツバサはミカヅキに心ない言葉をかけてしまう。それに傷つくミカヅキではなかったが、それよりも、目の前に広がる、荒野をみて、事態は深刻だ、とツバサの方を見る。
この間の美しい黄金草原のような世界ではなく、いかにも終末といった、暗雲立ちこめる、冷たい荒野。そこには、生き物おろか、植物さえも息をしていないような、砂と岩だけで構成されているような冷たく悲しい世界が広がっている。
「てか、ちは兄どこにいんの?」
「あの眼鏡、≪誘導隊員≫なら、強制帰還させればいいのに……なんで、僕たちが」
「ミカヅキ? ――ッ、おわっ」
顔を覗き込もうと、腰を曲げると、ドカン、と何かが隕石のように落下した。凄まじい砂埃を立て、焦げたような臭いをさせるそれは、人だった。
「げほ……ごほ……ちは、ちは兄!?」
「~~つぅー、って有栖か!? 何で、ここに!? 少年も」
「……」
「ちは兄、ボロボロじゃん。天使、は……?」
落ちてきたのは、黒衣に身を包んだ珠埜だった。しかし、羽織っていた黒衣は脱ぎ捨て腰に巻き、動きやすいタンクトップと、黒ブーツというラフな姿になっており、露出している部分の肌からは血が流れていた。
プッ、と口にたまった血を吐き出し、珠埜は手に握っていた漆黒の剣を杖代わりに立ち上がると、頭を掻いた。
「応援要請必要だなあって、思ってたけど。んーこりゃ、新人には、無理な仕事場だな」
「なんで、珠埜は……≪誘導隊員≫に現実世界に戻して貰えてないの? 無理でしょ。アンタが、どれだけ実戦をつんででも、この量を一人で――」
「先輩……な? 口の利き方には気をつけろー。まあ、戻して貰えないってよりかは、オレが戻りたくねえって拒否してんだよ。目の前に『天使病』で苦しむヤツが居たら助ける。それが、俺の≪対天使専門医師≫としてのあり方だ」
「……アンタも、ヒーロー気取り」
ミカヅキはそう吐き捨てつつも、目のまでボロ雑巾のようになった知り合いを無視できるほど、非情ではなかった。珠埜の背中にまわると、彼の傷ついた背中に手を当てた。
「み、ミカヅキ何するんだ?」
「治癒だよ。天使は、癒やしの力を持ってるから……」
そういうと、ミカヅキは大きく羽を広げ、珠埜を包むように羽をかぶせた。すると、見る見るうちに珠埜の傷が癒えていった。ゲームの回復魔法のような、緑色のエフェクトが珠埜を包み、付着した返り血さえもぬぐい取っていく。一通り、癒やしきると、ミカヅキは「柄にもない」と呟き珠埜から離れた。
珠埜は、黒いグローブをはめた手を何度か握った後、ミカヅキの方を見る。宵色の瞳は、天の川のようにきらめていた。
「凄ぇな。新人、こんなこともできるんだな」
「天使だし、これくらいは。てか、新人って、僕は、まだ≪対天使専門医師≫になるって決めたわけじゃ――」
ミカヅキが反論しようとすれば、珠埜はそれを遮るように剣を構え直す。珠埜の漆黒の剣は、天使の白を受けてもグレーにならないほど黒く、光を反射していないものだった。
「新人二人を守りながら戦うってのは、さすがのオレも酷なもんで。有栖、この治療が上手くいったら煙岡さんに伝えてやるよ。だから、試験合格のために力貸してくれるな?」
「あ、ああ、はい!」
憧れの人に、頼られた喜びから、ツバサのコバルトブルーの瞳も輝き、威勢だけはいい返事を返す。それに、ミカヅキは呆れつつも、無意識にツバサに手が伸びていた。
「ミカヅキもやる気だな!」
「アンタといっしょにするな。目の前で人が死ぬのは嫌だからな」
「俺もどーかん。じゃあ、一緒に頑張ろうぜ。俺たち、二回目の仕事だ」
ツバサは、ミカヅキの手を取る。≪合体≫という二人の声と共に、ミカヅキの身体は発光し、あの白く美しい大剣へと変化する。
「それが、アリスの言ってた≪合体≫か? 天使って、やっぱりよく分かんない生き物だよな」
「これで、俺も戦える。ちは兄!」
「頼もしいな、弟。んじゃあ、さっさと片付けますか」
珠埜も剣を構え、崖を滑り降りる。それに続き、ツバサも飛び降りてみるが、思った以上に傾斜があり、足が震えていた。だが、どうにか、地上へと降り立ち、暗雲立ちこめる、荒野を見渡した。すると、遠くの方から、白い雲のような何かが押し寄せてくる。それが、全て天使だと分かるまでに時間はかからなかった。
その数は、確かに尋常じゃなく、白い物体と思えるほどの上空から、ツバサ達のいる地上へと降りてくる。
それを見た、珠埜はぎりっと歯を噛みしめると、走りだした。そのまま地面を蹴り上げると、迫りくる天使の群れに突っ込む。ミカヅキが変化した大剣と似た、その黒色の大剣を振り回し、目の前に降り立った天使の羽をそぎ落とし地面にたたきつける。そしてすぐさまその場から離れれば、レイピアを振りかぶる天使たちが降ってくるが、見事な斬撃で、それらを一掃した。目にもとまらぬ早さで、白い塊のように見える天使を裁いていく姿は、さすがベテランの≪救護隊員≫という感じで、精神世界の身体の扱い方にも慣れており、無駄のない行為にツバサはつい見とれてしまった。
「あれが、ちは兄の戦闘……」
『見てる場合じゃないと思うけど』
珠埜の戦闘力と度胸に魅入る暇もなく、ミカヅキの声が頭の中に響いたかと思うと、大量の白い塊が目の前に降り注いでいた。とっさに避けようとするが時すでに遅く。逃げる前に視界に広がった無数の羽で視界が覆われた。前も後ろも分からず混乱していれば、遠くから光が瞬く。
『前! バリア!』
ミカヅキの声に反応して、咄嗟に腕を前に出せば、光の膜のようなもので視界が覆われる。カキンッ、と金属音が響いたかと思えば、目と鼻の先に天使の剣が迫っていた。だが、ミカヅキのアシストにより、バリアを形成できたらしく、それが天使の攻撃を受け止めているようだった。
「うわ、何んだこれ」
『何でもいいだろ。ほんっと……アンタは』
「有栖、よそ見するな!」
遠くの方から、珠埜の声が響き、ツバサは、ミカヅキを握っている方の腕を振りかざし、バリアで受け止めた天使の身体を蹴散らす。
天使は、霧散すると消えていくが、確実に数匹ずつがツバサとミカヅキの元へ舞い降りていく。その度に、天使の攻撃をバリアで受け止め続けるため、ジリ貧状態だった。
『守ってばっかじゃ駄目だろ。このヘタレ!』
「つっても、お前片手に、バリアして、切って、守ってしねえと、こっちも危ないだろ!」
『精神世界はっ! その人間の気持ち次第で、どうにだってできるんだよ。攻撃は、切るだけじゃない。イメージしろ、どんな攻撃をしたいか』
「はあ!? 何、それ、皆死ねっていったら死ぬとか!?」
『んなの、使えるわけないだろ! アンタが今できる、精一杯のイメージ。理想の≪救護隊員≫象でも抱いて、どうにかしろ!』
と、ミカヅキは無茶ぶりをいう。キーンと、頭に響いたそれに、ツバサは額を抑えつつも、精神世界での自分の姿を想像する。現実とは明らかに違う、身体能力、飛躍……視界に入ってくる情報量も明らかに多い。それを、ツバサなりにどう処理するか。
(考えろ……ちは兄みたいに、煙岡さんみたいに……ヒーロー象を描け!)
ヒーローといえば、かっこよく剣を振るい、悪を倒すものだ。この前見た特撮番組の主人公は、赤をベースにしたカッコイイコスチュームを身にまとい、ソード型の武器を振りかざしていた。あんなふうに……自分もなれるのか? なれないのかもしれないが、とりあえずイメージだけでもしてみる。
精神世界は、現実世界と勝手が違う。イメージと心の持ちようでどこまでも強くなれる。
「――ッ!?」
そう思えば、ミカヅキの言う通りに身体は勝手に動いていた。現実世界できていた黒いパーカーは、≪対天使専門医師≫の正装、黒衣に変わり、風と共に黒がはためく。右腕には、赤いリボンが巻かれており、ツバサの鮮血のような髪色とマッチしていた。
明らかに先ほどとは、身のこなしが違う。地面を蹴り、飛び跳ねれば、この間よりも高く、自身をとぐろのように取り囲んでいた天使達よりも高く飛び上がる。上空から見ても、天使の数は数えきれず、飛行機から見た雲の様子と同様、白い物体がふよふよと蠢いている。
「おりゃあああッ――!!」
飛び上がったツバサは、そのまま身体を回転させ、剣を振りかざす。すると、巨大な光の刃が天使達に襲いかかった。剣は円を描くように振るわれ、雷のように、閃光が、天使達の身体を焼き尽くしていく。そうして、周りを取り囲んでいた、天使の大群は、羽だけを残し、パラパラとピースのように光の粒子となって消えていった。視界が開ければ、荒野に着地をしたツバサも姿が見える。ミカヅキは軽く安堵の息を漏らすと、口を開く。
「服、変わった……?」
『……やればできるじゃん』
「……っ、お前のおかげだな、相棒」
『別に、僕は――』
「お二人さん、ナイスプレイ。だが、でっけぇの残ってるから、そっち片付けるぞー」
余韻に浸っていれば、ツバサの背中をトンとおし、その隣を珠埜が駆ける。
顔を上げたその先には巨大な光の翼をもつ天使がいて、それは徐々に大きくなりつつあった。その威圧感に怯みそうになるが、ツバサもミカヅキを握りなおし、走る。先ほどよりは緊張しないからだろうか、足取りが軽いと感じていると、目の前に矢のようなものが飛んできた。
「まだ、湧いてくんのかよッ!」
『なんか終末って感じする』
「んなこと言ってる場合かって!」
無限に増殖する天使に翻弄されながらも、珠埜の背中を追えば、その大きな天使の全貌が明らかになる。天使は、地面から生えているようで、その下半身は埋まっている。しかし、上半身だけでも、十階建てのビルを優に超すくらい大きく。背中には巨大な白い羽を生やし、後ろには神々しい光を放っていた。
「あれが、今回の……でかすぎんだろ」
『六人の重症患者の精神世界の中心だ……そりゃ、規模も違うだろう』
「……」
『怖い? 怖じ気づいた?』
「いーや、いや。興奮! あんなのと、やりあえるのかなってさ」
『馬鹿だな』
前回同様、巨体とはいえ、男女どちらとも取れる、顔と認識だけはできる天使が立ちふさがる。
ツバサは、ごくりと息をのむと、その天使に剣をむけた。すると、その大きな身体から想像もつかないほど俊敏に、その腕を振り下ろし、ツバサと珠埜に襲い掛かる。ツバサは慌てて避けるが、間一髪で避けきれたところ、その後に起こった衝撃波により吹き飛ばされる。
しかし、珠埜は、その天使の腕の上に飛び乗り、そのまま駆け上がると、天使の左腕を漆黒の剣一振りで切り落とした。
「やっぱ、レベチじゃん……ちは兄」
だが、巨大天使のなぎ払うような一撃をその身に受けると珠埜も吹き飛ぶ。そのままゴロゴロと転がり、岩壁にぶつかって止まるまで転がると、血を吐き捨てて再度武器を構えた。
ツバサはミカヅキを構えながら、珠埜に駆けよれば手を貸そうとするが、その手を払われる。
ツバサは、珠埜のその行動に驚きつつも、平気平気とヘラヘラと笑う珠埜に何も声をかけられなかった。珠埜でも苦戦する治療……戦場。そこに、自分がいることが場違いなのではないかと。しかし、珠埜だけに任せるわけにもいかず、援護を頼むと言われたからには、死力を尽くそうと、ツバサも剣を構え直す。
「頼りにしてるぜ、相棒!」
『だから、相棒になった覚えはない』
ツバサは、切り落とされた天使の腕を踏みつけ飛躍し、巨大な天使の正面まで飛び上がる。天使は、ツバサの存在に気付き、腕を振るうがそれを交わし、その腕に剣を振り落とすガキンっと鈍い音がするも切断するには至らない。一瞬の隙をついて振り下ろされた巨大な腕の攻撃を避けきることができず地面にたたきつけられる。しかし、すぐに体制を立て直すと再び切りかかるがやはり傷一つつかないでいた。
ミカヅキはそんな光景を見てか、苦言を漏らすように口を開く。
『アンタじゃ無理だ』
「はあ、お前の切れ味が悪いからだろ!?」
『僕のせいにするな。経験の差だけじゃない……シンクロ率が僕らは低いんだ。≪合体≫しただけだし……』
「何いってるか分からねえけど、ちは兄が凄えって、ことだろ? まあ、すぐに追いつける背中じゃないって分かってても、目指したくなるだろ!」
『ほんと、アンタと喋ると疲れる』
ミカヅキは、諦めたようにそういうと、あとはツバサが何とかしろといわんばかりに黙り込んでしまった。戦闘に集中できるのはいいものの、ツバサは、何が足りなくて、珠埜と何が違うのか、その差を理解することができなかった。ツバサは、≪対天使専門医師≫になるという夢を抱いているだけで、その実、≪対天使専門医師≫の本質、その他諸々何も知らないのだ。教えて貰っていないという方が正しい。
それでも、抱いた夢は、憧れた存在は目の前にいて、自分もそれに近付きつつあるということだけは実感していた。だからこそ、剣を振るい、投げ飛ばされても、食らいつくようにして立ち上がった。
両腕を切り落とされたことにより天使は、身体を支えられなくなったのか、崩壊するように、前のめりに倒れ込んでくる。後ろで瞬いていた光源も消え失せ、かなり損傷は与えたはずだと確信する。だが、それでもまだ生きているのだろう。それを想像するだけで鳥肌が立ち、ツバサは身震いをした。これらのダメージは、自分たちが与えたものではなくほぼ全て、珠埜が一人で与えたダメージだと。
そうして、姿が見えなくなっていた珠埜は、暗雲を突き破るように、隕石のように落下しつつ、その重力を利用し、天使の巨大な身体が地面に倒れこむその瞬間、天使の脳天をその剣で突き刺した。
刹那、天使の身体が弾け、光の結晶となってその場に飛び散った。天使が埋まっていた地面にできた大きな穴は塞がっていき、辺り一面に、青い草原が広がった。雨が降りそうだった空も晴れていき、快晴がツバサや珠埜に祝福を与えるように光る。
「す、すげぇ……ッ!?」
『ほら、やっぱりな』
ツバサが驚愕の声を上げると、ミカヅキは当然だろうな、とこちらに向かってくる珠埜を見た。
これが、ベテラン――十年と≪対天使専門医師≫・≪救護隊員≫として働く珠埜の実力だと。そう、知らしめるように。
珠埜は、剣を背中にしまうと、ツバサ達の方にさらにスピードを上げて駆けてくる。そしてツバサの前で止まると、へらりと笑った。
「治療完了! お疲れ様、お二人さん」
「いや、俺は何も……」
『僕たちは何も出来てない。全部、珠埜……先輩がやった事だ』
「そうはいってもよ。少年、お前には助けられたぜ。治癒、あざっす。ミカヅキ」
と、珠埜は、剣の姿をとっているミカヅキを撫でた。すると、ミカヅキはシュンッ、と音を立てて人の形に戻り、珠埜にくしゃくしゃと頭を撫でられる。珠埜は、驚きつつも、ツバサを巻き込んで二人の頭を撫でていた。
珠埜に頭を撫でられ、ツバサは照れたようにそっぽを向く。そして、ミカヅキは何も言わずにされるがままだった。
そんな光景を見ながらも、少し冷静になったのか辺りを見渡すと精神世界の崩壊が始まったようで、三人の身体は白い光に包まれ透け始めた。
「んじゃあ、お二人さん。また現実で」
「ち、ちは兄、格好良かった!」
「おうよ」
透けて消えていくその瞬間まで、珠埜はやりきったように笑顔でツバサを見送っていた。別れではなく、また現実で会おうと、そう手を振って。