八
赤ずきんちゃんは三時間ほどで帰ってきた。正確にはもう少し早く帰ってきたようだったが、恵都がしばらく気がつなかったのだ。印刷した紙を赤ずきんちゃんの前に差し出すと、真剣な表情でその紙を見た。その表情からはその絵が気に入ったのか、それとも気に入らなかったのかわからない。今回描いたワンピースは、いつもの赤よりも若干薄いサーモンピンクを基調としたデザインで、森のイラストがワンポイントとして描かれている。以前描いたのは花のイラストだったが今回は木々だ。スカートの裾に木が並び、所々に鳥がとまり、間に描かれた花々の周りを蝶がふわふわと舞っている。そんなイラストだ。
これを描くために色々なイラストを下絵にしているが、その面影はもうない、気がする。もしあったとしてもこれを販売するわけではなく、赤ずきんちゃんが着るだけであれば見ることができるのは使徒の関係者だけなので問題はないだろう。
「かっわいーー。これもらっていいの?」
「赤ずきんちゃんをイメージしてるから、着たところ見せてね」
「もちろん! 早速作ってもらうわ」
「誰が作ってるんだっけ?」
「ウェンディだよ。私が作るとイメージ通りにならないんだよね。会ったことないんだっけ?」
神の使いというと魔法で何でもパパッと作れるかと思えばどうやらそうではないらしく、全て手作業らしい。人よりもよほどアナログだ。ただ、彼らが作ったものには人の心を落ち着けリラックスさせる効果があるらしく、このグリムサポートの仕事場には彼らが作った家具が使われている。そのデザインは全て恵都がしている。恵都がデザインしたもの、何を参考にしても問題はないが、恵都が自分で描いたもの以外は絶対に作ってくれない。全てを彼らが賄うと人が持つにはまずいものとなるらしい。すぎたる力は毒にしかならない、ということなのだろう。それと、彼らに何かを頼むには、見返りを提供する必要がある。その見返りは大抵が恵都が描いたデザイン画だった。恵都にその才能はないのでそんなモノで対価になるのかいささか疑問ではある。だが、それを喜んでくれる彼らの存在が恵都にとって心の支えにもなっているのだ。
「ウェンディって、ピーターパンの?」
「そう、物語上ではピーターのお母さんみたいなものだから、そういうの得意なんだよね。実際にはピーターのお母さんやってはいないけど。早速作ってもらったら見せるね」
「楽しみにしてる。で、何かわかったの?」
「お杉の方、だよね。確かにいたよ。ただ、そこまで目立っていたわけじゃないから、人の史実には残っていないだろうね。名前がある程度じゃないかな? だから恵都が調べても出てこなかったんだと思うよ」
「でも、赤ずきんちゃんなら何かわかったんだよね」
「それでも、多くはないよ。お杉の方は道場を経営している父親のもとに生まれた女性で、実力はかなりのものだったみたい。父親が男なら……と嘆くほどにね。ただ、実際には女性でかなりの美人。狙っていた人も多くて、危ない目にも何度もあっていたみたいだけど、それだけの実力者だから大抵返り討ちにしていたんだよね。それで、美人だけどなかなか縁談が纏まらなかったみたい。その噂を聞いた豊臣秀次が面白半分で見に行って気に入って半ば無理やり妾にしてるの。元農民とはいえ、当時は天下人。逆らえるはずがないよね。でも、その時に剣術を捨てたくないと言ったお杉の方の要望に応えて、表立ってでなければ、続けても構わないと告げて、実際に屋敷内の奥に道場を建設、配下の武将に時折打ち合いをさせていたみたいだけど。まあ、相手は主人の奥方。本気で打ち合うことはできなかったみたいだけどね。それが、未練だったんだろうね。それで、剣術に傾倒している実力者の女性でもある矢吹千鶴と波長があっちゃったんだと思うよ。乗っ取るつもりはなくて、ただ、スポンジのように吸収していく千鶴の様子が楽しくて、ついつい色々と教えているうちに、近づきすぎたんじゃないかな」
「たまに体が乗っ取られたようになったのって」
「私は様子を見てはいないから、推測することしかできないけど、多分近づきすぎたせいで、気がついたらって感じだろうね。初めはね。でも、肉体を得る悦びの本能に理性が負けた。それからはたびたび体を借りていた。返せばいいや、という風にしか考えていなかっただろうし、体を借りたせいで、どんな不都合が起きるのか、それも考えていなかったんだと思うよ。そもそも、普通の幽霊にそんな知識ないだろうし。あと、体を借りている間、お杉の方の強い思いも矢吹千鶴に流れ込んでいたから本気で体を返して、と思うこともできなかったんじゃないかな。アレは、前世から強いけど優しいヤツだったから」
前世という言葉にどきりとする。人は誰しも前世というものを持っているらしい。恵都にはわからないそれが、赤ずきんちゃんたちにはわかるのだろう。
「前世?」
「知りたい?」
面白そうな、まるでおもちゃでも見ているかのような表情でこちらを見てくる赤ずきんに慌てて首を振る。好奇心は何も産まない。お杉の方のことは知っておいた方が今後の千鶴のカウンセリングを行う上でいいかもしれないが、千鶴の前世は違う。今を生きている以上、前世を知る必要も、意味もない。
まるで泥のように眠っていた千鶴が、パチリ、と目を開いた。ずっと夢の中にいるようで、体が重かったのが嘘のように軽くなっている。頭もスッキリしていた。
「千鶴? 起きたのか?」
ホッとしたように表情を和らげた快斗に不思議な気分になった。なぜ快斗がここにいるのか、もしかしたら千鶴はかなり長いこと眠っていたのかもしれないが、今の千鶴にとってはそんなことはどうでもいい。それよりも快斗に頼みたいことがあった。
「うん。ねえ、快兄、あの人に会いたい」
「あの人?」
「快兄が一緒にいた、篠崎恵都さん」
その言葉に驚いたように目を瞬いた快斗の表情が不思議そうなモノに変わる。
「覚えているのか? というか名前……」
「うん、昨日? だよね、多分。屋上で会った。もう一度会いたい、話したい。あの人だけが、私の話を、聞いてくれる、わかって、くれる」
まるでいまだ夢の中にいるかのような千鶴の言葉に快斗の表情が曇る。今の千鶴が快斗の目には今まで以上に危うく映った。
「わかった、今度連れてくる」
「ありがとう」
快斗の表情が曇っていることに、千鶴は全く気づかなかった。
「千鶴に会ったのか?」
訪ねてくるなり開口一番に告げられた言葉に恵都の顔が曇る。厳しい表情を浮かべている石崎は勝手に恵都が千鶴と会ったことを面白く思っていないように見えた。
カリカリしているであろう石崎に恵都は、木製のシンプルなカップに入れた茶を差し出した。エンファント作のティーカップは、クライアントと話す時によく出している。魔法のような効果はないが多少は落ち着きを取り戻すだろう。
「会うつもりはなかったのですけど、下見に行った時に屋上で声をかけられたので」
正確には、恵都から声をかけたのだが、それを今言うと火に油を注ぐことになるだろう。
石崎は苦々しげに顔を顰めたまま茶を飲んで、軽く息をついた。どうやら、怒鳴りつけたいのを何とか抑えつけようとしているらしい。本当にわかりやすい男だと思う。こんな具合で狡猾な犯人と渡り合えるのか不安になるが、そんなこと恵都が気にすることではない。
「千鶴と何を話した?」
「捜査令状でも出されない限り、クライアントとの話を話すつもりはありません」
「依頼したのは、俺だ」
「関係ありません。たとえ依頼者であっても、親であっても、絶対に話しません」
「千鶴がアンタに会いたがっている。だけど、千鶴のやつ、まるであんたに依存しているようだ。なぜ、カウンセリングしたのに悪化している!」
その言葉にぽかんと目を見張る。目の前の男の言っていることがわからない。
「は?」
「効果がないカウンセリングなど、何の意味がある!」
「石崎さん、カウンセリングを魔法か何かと勘違いしていません? 一回会っただけで浮上するはずがないじゃないですか」
「何を、言い訳は」
「クライアントの中にはカウンセラーに依存してしまう人もいます。前を向くことができずに、ぱっと見悪化して見える人もいます。でも、そういう人と時間をかけて話をして、少しでも心の奥底にあるものを晴らしていきます。一生私たちと関わっていかなければならない人もいます。そういう人たちが、少しでも楽しく、心穏やかに過ごせるように手助けをするのが私たちカウンセラーの仕事です。一回話しただけで浮上して全て解決するなら、そもそもカウンセラーなんていらないじゃないですか。私を信じられない、と言うのであればこの依頼はなしにしていただいて構いません。二度と私から彼女に会いには行きません。お引き取りください」
恵都を睨みつけるようにして出て行った石崎がどういう選択をするのかはわからない。だが、この先は恵都ではなく彼らが決めるべきなのだ。
「いいの?」
黄色い服を着たエンファントが首を傾げた。
「いいの、とは?」
「あの状態で放り出すのは、心配じゃない?」
いなかったはずだが、状況を把握はしているらしい。もう、そんな不思議を考えるのはやめた。
「心配だけど、関わるな、と言われたら何もできないよ。私は友達じゃないし、これは仕事だから、ね。あ、でも、一つ聞きたいんだけど、アクセサリーのイラストを私が描いて、みんなに作ってもらったのを人にあげても問題はない?」
「? 関わらないんじゃないの?」
「私からはね。でも、名刺渡してるし、来るんじゃないかな、あの子」
「ふーん。恵都がその子のためを考えて、一人のためだけに描いたものなら大丈夫だよ」
「わかった、描いてみる」
弱い雰囲気の千鶴、写真の中のキリッとした千鶴、両方の顔を思い浮かべる。彼女にはどんなものが似合うだろう。少しだけ、楽しくなってきた。




