十二
「めーーーん」
大きな掛け声とともにパーーンと小気味よい音が響いた。それに、わっと歓声が上がる。剣道の細かいルールは知らないが、これで試合終了らしい。優勝をしたのは千鶴だった。面を外し、その下から現れた凛々しい表情は、まるで男装の麗人のようで、女性の観客から黄色い歓声が上がった。下手な男性よりもよほど格好いい。
「いらしていたのですか」
観客席から彼女の姿を見つめていた恵都は聞き覚えがあるが、聞いたことがないほど丁寧な口調に思わずゾッとした。丁寧な口調で話す石崎快斗なんて想像できない。しかも、その顔にはよそ行き用の笑みが浮かべられている。はっきり言って気持ちが悪い。
思わず顔を顰めた恵都の様子に石崎の表情が凍りついた。不機嫌そうに眉を顰める石崎の方がいつもの彼らしくて落ち着く。
「何だ、その顔は?」
「丁寧な石崎さんは、気持ち悪いです」
「ひどいな、まあ、当たり前か。篠崎さん」
真剣な表情で呼ばれ、不思議そうに首を傾げた。
「何でしょうか?」
「ありがとう」
静かな声に恵都はあんぐりと口を開く。石崎のこんな真摯な声は初めて聞いた。
「篠崎さんがいなければ、千鶴はやばかったと思う。結局俺にも、師匠にも誰にも何もできなかった。ただ、見ていただけだ。あんたが何をどうしたのかはわからないが、あんただけが、千鶴を救い上げてくれた。あんたがいなければ、千鶴は今、あの場に立っていることはできなかったはずだ」
まさか、石崎がそんなことを言うとは思わなかった。石崎はカウンセリングというものを理解していなかったし、今も理解しているとは思えない。それでも、可愛い妹分のために、よくわからないものに頭を下げる程度には人間味のある人だったらしい。
「私は、何もしていません。カウンセラーは無力です。結局、話を聞くことしかできない。立ち直ったのは、彼女が強かったからです。私の、力ではありません」
カウンセリングで救える人なんて数えるほどだ。あとは、みんな自分をだましながら通ってくる。それでも、多少でも息抜きになればいいと思う。結局それしかできないのだ。
「それでも、あんたのおかげだと思っている。だから、感謝する」
恵都の言葉なんて聞いていないのだろう。本当に自分本位で嫌な男だ。二度と関わりたくない。
ため息とともに踵を返そうとした恵都の前に薄い封筒が差し出された。
「今回の依頼料だ」
何かができたとは思えない。だが、それはそれとして依頼料はもらう。そこで割り切らなければカウンセラーで食べていくことなどできない。
差し出された封筒の中身を見た恵都は思わず顔を上げた。
「あの、多くないですか?」
今まで恵都が千鶴と話したのはトータル三回だけだ。その回数でもらう値段の三倍は入っていた。いくら何でも受け取れない。これではどんなぼったくりかわかったものではない。
「あんたを疑ったお詫びと、千鶴の両親からの心づけも入っている。できればもらって欲しい」
その言葉に嫌な気持ちは感じない。本心からそう思っているのがわかって、拒否することができなかった。
「それでは、ありがたくいただいておきます。……もう、会わないことを願っています」
最後に付け足した一言は恵都の本心だった。カウンセラーである恵都と警察官の石崎が顔を合わせる機会などないに越したことはない。
今度こそ本当に石崎に背を向けた恵都はスマホで予定を確認した。この後予約が入ってしまったので長居はできない。もう、千鶴のことも石崎のことも恵都の頭にはなかった。