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父さんは、死んでなかった。  作者: 細川あずみ
3/7

~因縁~

 12月中旬、日中は暖かく、気温が17℃まで上がったのに対し、夜は1℃まで下がった日があった。神川は愛純奈の家に呼ばれ、愛純奈と省吾と三人で飲み会をした。手土産にKALDIの生ハムと、恵比寿ビール、タンカレーのジンを持っていった。愛純奈が台所でサラダを盛り付けている間、神川はリビングに並ぶ写真立てを見ていた。


「これは…?」一枚の家族写真らしきものを覗く神川。

「あぁ、これは愛純奈の家族と俺が、山口県の萩に行った時のやつ。俺の誕生日に連れてってもらったんよなぁ」

 省吾が懐かしそうに答えた。愛純奈、龍哉、俊彦、愛実、そして省吾が浴衣姿でピースサインをして、笑顔で写っている。省吾が5年生の時なので、愛純奈は2年生、龍哉は幼稚園の年長の時だ。並んだ省吾と龍哉の肩を俊彦が抱き、愛実は愛純奈を後ろからハグした状態で、俊彦にもたれかかっている。仲の良い5人家族の写真のようだ。


「本田、この家族の一員じゃなぁ。兄弟に見える。仲良さそう」

 省吾は嬉しそうに微笑む。

「あぁ。小さい頃からずっと仲良くさしてもらってて。特にこの、お父さんにはホンマに世話になった。本当の父親みたいに、よぅしてもらったんよ」

 省吾は笑顔の俊彦を指差した。優しそうな人だ、と神川は思った。省吾から、家庭環境については聞いている。

「愛純奈さんの…お父さん…」


 神川は、記憶の棚から何かを引きずり出そうとした。この人、知っているような気がするのだが…。いつだったか、どこかで会ったような…。

「もう…20年経った」省吾が口を開く。

「ん?」神川は省吾を見た。省吾と並ぶと、目線が10センチほど下がる。

「お父さんが亡くなってから」

 省吾は、写真の中の「お父さん」を見つめながら答えた。

「あぁ…そう言えばこないだ、愛純奈さんも言いよったな。中学生の時に亡くなったって」

「うん…突然じゃった…」

 省吾は息を大きく吐きながら、ジーンズの両ポケットに手を突っ込んだ。


「事故か、何かで?」

 愛純奈には聞こえていないと分かっているのだが、神川は少し声のトーンを落として聞いた。

「バイク事故で入院して…幸い軽いケガで済んだけぇ、回復は順調やったけど…もうすぐ退院って時に、急に…」

「そうやったんか…」神川は、チラッと振り返って愛純奈を見た。

「愛純奈は…俊彦さんが亡くなってから、しばらく塞ぎ込んどったけど…急に『法医学者になる』とか言い出して。それから、ホンットになっちまうんだから、もうすげぇとしか言いようがないわな」

「お父さんの死がきっかけで?」

「そう。決めたらとことんやるタイプなんよな。すげぇわ」

 そう言って、愛純奈の居る台所へ向かった。


 神川は、何か引っかかっていた。思い出せそうな気がするのだが、ハッキリ掴めない。眉間に皺を寄せつつ、写真を眺めてヒントを探す。さっきの省吾の発言が、どうしても気になる。この「お父さん」、どこかで…。そう言えば、本田は「お父さん」の名前をこう言っていたな…。


「俊彦…俊彦…」神川は一人呟いた。

 どこかで聞いたような気がする。「俊彦」という名前そのものではなく、写真の中のこの「人物」に会ったような、知っているような気がする。

「山田…俊彦…?」


 突然、脳の奥深くに尖った針が突き刺さって、闇に葬ったハズの記憶が鮮明に蘇ってきた。心拍が急激に上がり、息が苦しい。背筋が凍るとはこのことで、鳥肌も立っている。省吾と愛純奈は台所に居るので、こちらの異変には気付いていないようだ。


 大変なことになった、と神川は一人で焦った。一刻も早く、愛純奈さんに知らせなければ。いや、だがどうやって知らせる?そもそも、事実を知ったらきっと混乱するし、知ったところでどうすることも出来ない。だが…愛純奈さんは事実を知りたいだろう。そのために法医学者になったというくらいだから、知りたいに違いない。

「あの日」のことを全て知っている神川は、数秒で様々なことを考えた。愛純奈を守るためには、「あの日」の事実を伝えなければならない。だが…。


 神川はゆっくりと振り返り、省吾と笑い合う愛純奈を見た。あの笑顔を、消したくはない。黙っているべきか。それとも、「あの日のことを、全て話します」と、伝えるべきなのだろうかー。




 俺は、とにかく気持ちを落ち着かせて、本田達と飲み会を楽しんだ。思い切って、本田に愛純奈さんのプライベートを聞いてみた。それは無論、男性、つまり恋人の有無だ。出来れば、愛純奈さんと二人で会う機会を持ちたかった。どこか、誰も居ない場所で、二人っきりで話せるような機会が欲しかった。それは、「あの日」のことを打ち明けるのと、単純に愛純奈さんと二人になりたいのと両方だ。


 37にもなって、こんな気持ちを覚えるとは思わなかった。過去に交際した女性は数人居るが、全てがいわゆる「肩書き」に興味を持ったつまらん輩だった。俺のことを、心底愛してくれた女性は居なかった。獣医であること、親が名医であること、医者だからきっと金持ちだ…そういったバックボーンや、単なる世間が作り上げたイメージに興味を持ち近付いてくる奴に、ろくなのは居ない。初めは尊敬の眼差しを向けてきたクセに、後々になって本性を現すのが女という生き物なのだ、と学んだ。


 高校生の時に3年近く付き合った彼女は、純粋に俺のことを好きで居てくれた。俺も彼女が好きだった。俺は獣医の道、彼女は絵本作家の道へ進むことを決め、高校卒業と同時に別れた。今もたまに思い出す。あの頃は、良かったなと。そう言えば、何年か前に高校の同窓会に行った時、久々に話した。彼女は結婚していて、子供が二人居た。聞けば、20歳で結婚したらしい。しかも絵本作家にはならず、夫の会社を手伝っていて、今は事務をしていると聞いて拍子抜けした。女性とは、みんなそういうモンなのか。過去に付き合った相手のことなんか、すっかり忘れてしまうのか。


 大人になると、学生の時のような、純な恋愛は出来ないと思っていた。だけど、愛純奈さんと出会って、その思いは即消した。こんなにステキな人が目の前に現れるなんて、人生捨てたモンじゃないなと思った。正直言うと、本田の存在は大きいのだが、どうやら愛純奈さんのことを特別には想っていないようだ。「ただの幼なじみ」と言っているし、愛純奈さん自身もそう思っているように見える。なら、俺がアプローチしたって構わないハズだ。運良く恋人関係になれたなら、それはそれで時間を共有して楽しみたい。レストランで初めて会った日から、頭の中は愛純奈さんでいっぱいだ。素晴らしい人に出会わせてくれたと、今回ばかりは長谷川に感謝だな。


 俺は、愛純奈さんをアイツから守りたい。幼なじみの本田に任せるのではなく、俺がそばに居ることで、それを叶えたかった。もしかしたら、命を狙われているかもしれないのだから。




 神川が愛純奈と初めて会った次の日。気分良く午前中の診察を終えた神川は、タブレットでゲームをしながら休憩時間を過ごしていた。他のスタッフはいない。受付の莉花は、午後からの出勤だ。神川は時折、前日の楽しかった時間を思い出してはニヤけていると、来客があった。


「どうも」と、その70歳近い男性は挨拶をしてきた。黒いスーツ、紺色のネクタイ、コートも靴も黒で、全身どこもかしこもアルマーニだ。コートのポケットに手を突っ込んで立っているその出で立ちは、まさにヤクザだった。声を聞いてピンと来たが、顔を見て確信した。もう20年近く会っていなかったハズなのに、一瞬で記憶が蘇り、吐き気を催した。口を押さえて立ち上がり、右、左と後ずさりをした。椅子と机が邪魔をして、それ以上後ろへは逃げられなかった。


「いっ…いしっ…」

「おぉ~。覚えとったんか。そう。石森よ」

「石森っ…」

 心拍が上がる。顔がこわばる。脳内の奥底に沈めた「あの日」の記憶が、ハッキリと浮かんできた。本来なら「石森先生」と呼ばなければ失礼に当たるのだが、この時の神川には、そこまで考えられる余地は毛頭残っていなかった。

「なぜっ…ここに…」やっと声が出せたが、かすれていた。

「おいおい。同期の息子くんの様子を見に来たんじゃが。迷惑じゃったんかのぅ?最近、うまくいっとるらしいがぁ」

 石森はニヤニヤしながら、オッケーサインを反対に向け、「カネ」を表した。一通り室内を見回し、頷いた。

「今日はなぁ、いい知らせがあってのぅ」

「…」

 神川は、石森の言葉を待った。

「これよぉ」

 そう言って石森は、テーブルの上に乱暴に雑誌を置いた。医療系雑誌で、医師や看護師などが主に読むものだ。その特集で、ある女性法医学者がフューチャーされていた。「未来を担う女性法医学者に期待」と大きく書かれ、にこやかな笑顔の写真がある。その女性とは、昨日神川が会ったばかりの、愛純奈だった。


「これは…?」動揺を隠しつつ、石森を見た。

「あぁ、この美人さんなぁ、山田愛純奈さん言うてぇ、広島じゃ有~名な、法医学者さんなんよぉ」

 神川は、石森が何を言いたいのか分からず、黙った。

「山田、愛純奈さんはなぁ…」

 石森は、何かを期待した表情で、じわじわと近付いて来て続けた。

「法医学者…死因究明学の、プロですわ」

「…だから…?」

「あの世で、さぞかし喜んどることじゃろうのぅ…こんなふうに雑誌に取り上げてもろうて。いやぁ~、素晴らしい」天井を見上げ、嬉しそうに頷いた。

 石森は、神川を真っ直ぐに見ながら続けた。

「人はみな、役割があるんよ。人の死は、誰かの生きる糧となる。動物も、そうじゃろう?」

「何が…言いたいっ…?」

 神川は、石森を殴りたい衝動を抑えるのに必死だった。

「人は、み~んな、死ぬってことよ」

 そう言って石森は、フッと笑って背中を向け、雑誌をテーブルの上に残したまま、神川の前から去った。あっという間だったような、長かったような、とにかく地獄の時間だった。神川は、やっとまともに呼吸が出来たが、しばらく意味が理解出来ず、その場に立ち尽くした。愛純奈と石森、どう関係があるのか…雑誌の中で笑う愛純奈をじっと見つめて考えてみても、全く分からなかった。午後の診療があるので、残りの休憩時間は横になって休むことにした。途中まで食べていたロースカツサンドイッチはもう、口に入らない。とにかく喉が渇いたので、冷蔵庫から飲みかけのペットボトルの水を出し、一気に飲み干した。




 この再会の日を思い出すだけでも、神川はしんどくなる。頭痛がする。生きていれば、会いたくないヤツにも出会うのだが、石森だけは本当に、二度と会いたくなかった。


 あの日、動物病院に来た時の石森は、20年前と同じ目をしていた。愛純奈の家で家族写真を見て、「山田俊彦」という名前を聞いた時、石森の記憶も蘇った。あの時の…あの亡くなった患者は…愛純奈の父だったのか。あの患者の娘が今、法医学者として生きる愛純奈なのか…。


 神川は、混乱したと同時に、愛純奈のことを石森から守らなければと考えた。しかし、まだ会ったばかりで、愛純奈のことをよく知らない。恋人でもないのに、「あなたを守ります」なんて言ったところで、怪しまれて引かれてしまうのがオチだ。


 そんな中、大学のキャンパスで愛純奈と再会した。運命だと思った。これは、「お前が石森から愛純奈を守れ」という、俊彦からのメッセージなのか。もしかしたら、本当に「運命の人」なのかもしれない。そんなことは、今までに一度たりとも信じたことはなかったのだが、初めて会った日の感覚を思い出すと、それだけで神川は、あたたかな気持ちになれた。


 ダメ元で、愛純奈の24日の予定を聞いてみたが、やはり断られた。当然だ。会ってまだ3回だし、しかも本田省吾という幼なじみの存在がある。イヴの夜に家に来てくださいというのは、さすがに時期尚早だったなと神川は反省した。


 そしてその、「イヴの夜」をこうして一人で迎えている。愛純奈ではなく、石森のことばかり考えている自分に、いい加減嫌気が差してきた。しかし神川は、出来るだけ早く石森の存在を、愛純奈に知らせたかった。



 石森は現役時代救急医で、医者としての腕は優秀だ。神川の父とは大学の同期で、一時期同じ病院で働いていた。20年前当時は、次期院長は石森か神川父か、といった噂が立っていたほど、周りはよく二人を比べていた。

 20年近くもの間、石森という存在自体、神川の脳内から消していた。今は何をやっているのかググると、大田山病院名誉院長という肩書きとなっていた。大田山病院は、1990年設立の、広島で1番大きな個人病院だ。脳神経外科を中心に、様々な科がある。確か、石森が院長になったというのは風の噂で耳にしたが、それからまた地位を上げたのだなと、興味もない人間のことを調べて、時間を無駄にしてため息が出た。


 とりあえず、愛純奈の連絡先を知ることが出来ただけでもラッキーだ、と神川は思った。省吾が居るせいで頻繁には会えそうもないが、時々LINEするぐらいならいいだろう。大学で講義がある日をさりげなく聞けば、その日に会いに行くことだって出来る。動物病院のことは、長谷川に任せればいい。


 一番良い方法は、ずっと一緒に居ることだ。石森から守るというのを口実に、出来るだけ二人で会う。神川は病院関連の人脈があるので、石森の情報も得られやすい。確実な方法で石森から愛純奈を守りたいと考えていたし、そこだけは省吾に勝っている、と思った。


「結局俺は、何をしたいんだ…」と、大きくため息をつくと、LINEのお知らせ音が部屋に響いた。省吾からだった。



 30分後、神川と省吾は酒を飲んでいた。さっきまで余計なことをぼんやりと考えていたのと同じ部屋とは思えないほどに、温度が上がっている。


「俺ら、アラフォーのオッサン二人でさ、イヴの夜になんしよんじゃろね」

「本田が連絡して来たクセに」

「神川が来ていいって言うけぇ、こうやってわざわざつまみを持って、俺が来てやったんだろ~?」

 省吾はまるで、子供に説明するように、一つ一つつまみを取り上げながら言った。

「ハイハイ、ありがとうございますね~」


 仕事を終えた省吾は、神川に連絡をした。愛純奈には「仕事で遅くなる」と言ってしまった手前、すぐに帰るのも忍びないと考えたのだ。どうせ一人で飲んでも楽しくないので、男二人でも我慢するかと、神川は省吾を迎え入れたという訳だ。

「このワイン、マジでうめぇな。なぁなぁ、獣医ってぶっちゃけ儲かんの?」

「直球じゃな…」

「回りくどく言ったってしゃーねぇじゃん」

「確かに」

 神川は、中区のタワーマンションに独り暮らしだ。医者や弁護士など、いわゆる「先生」と呼ばれる人が住むと噂のタワマンだが、実際にはそこまで「先生」ばかりではない。大企業にでも勤めていれば、サラリーマンでも住むことは出来るほどの家賃だ。上層階には、大手企業の経営者、名の知れた医師、弁護士など蒼々たるメンバーが住んでいて、神川とは違った世界の空気感を醸し出している。


 神川自身は、自ら「儲かっている」とは言わないが、広島の中区のタワマンに住めるだけの金があることは確かである。

「まぁ…厳しい時期もあったけどな…今は、お陰様で」

 獣医の友人からもらった高級ワインを、チラリと見た。

「自分で会社とか病院作るって、すげぇな。俺は、ずっと会社員しか経験ねーから。カメラの仕事も、今の俺にフリーでなんてムリ。師匠が作った事務所に居られるおかげで、仕事があるからさ…」

「会社で給料もらえるってのも、すげぇことよ」

「そうじゃな」

 二人は黙って、ワインを飲んだ。


「今日…」省吾が切り出す。「愛純奈と…会う予定だったんじゃろ?」

「いや、断られた。さすがにイヴの夜は、ダメだったわ」

 神川は、爽やかに笑った。

「俺は、会って来い、えぇモン食わしてもらえって言うたんで」

「ははっ。俺はそんな、高級料理とか詳しくないんよな」

「愛純奈は居酒屋が好きだな。いっつも餃子二人前食うし、いっつもジントニックだし。あと、パスタとかピザとかも好きだな。放っとくと、アイツマジでぶち食うんだよ。じゃけぇ、ヤロー何人かで食ったぐらいの会計になる」

「本田、嬉しそうに話すよな」

「んっ?」

「愛純奈さんの話。なんか…羨ましいわ」

 神川は、少し寂しそうな表情をした後、省吾が買って来たサーモンのマリネを一口食べた。


「神川…」

「本田、今日は、何か話があったんじゃないのか?」

「…」図星だ。真っ直ぐ神川を見ることが出来ず、省吾は窓の向こうに見える、広島の夜景に目を向けた。

「話してくれ。愛純奈さんのことだろ?」

「…あぁ…」

「だよな」神川は、ソファの背もたれに体を委ねて続けた。

「当たり前だ。急にこんな男が、自分の大切な人に近付いて来たら、どういうつもりなんだって思うよな」

 省吾はソファに座り直し、神川を真正面から見て言った。

「すまん…神川がイイヤツだってことは知っとるけど、なんか、あの日から様子が変じゃないかって気になってさ」

「あの日?」

「あぁ、こないだ家に来たろ?あの写真見た後から、何となく神川の様子がおかしい気がしてさ…」

 神川は、大きくため息をつき、両膝を軽くぽん、と叩いた。

「さすが、人を観察するプロじゃな。あれか?いつも言っとる、目を見れば分かるってやつ」

 神川は自分の右目を、右手の人差し指で示した後、省吾を指差して言った。

「神川…」省吾は少し笑った。

「そうだな…本田にも、ちゃんと言わんといけん、とは思う。けど、俺はまず、愛純奈さんに事実を伝えたい。本田は、愛純奈さんの口から、聞いて欲しい」

「…何のことだ?」

 神川は、少し迷った。どこをどう話せばいいのだろうか。かいつまんで話すと、訳が分からなくなってしまう。省吾にも、事実を知る権利があることは分かっている。だが、神川の中で、「一番は愛純奈に話す」と決めていた。


 神川が黙っていると、省吾が口を開いた。

「愛純奈のお父さん…俊彦さんが関係あるのか?」

「…」

「20年前、俊彦さんは亡くなった。それ以外に、何の事実がある?」

 神川を真っ直ぐ見つめる省吾。今度は、神川の方が目を逸らす。口の中が乾いてきたが、もうワイングラスの中は空だ。

「本田に言えるのは…愛純奈さんが危険だということだ」

「愛純奈がっ…?」

「本田は…愛純奈さんを守り切れるか?」

「…?」省吾は理解に苦しんだ。神川は、何を聞きたいのだろうか。「どうしても…話せないのか…?」

 神川は黙った。数秒、いや数十秒経ったか。

「すまない」視線を下げる神川。

「20年前、俊彦さんが亡くなったことと、愛純奈が危ないってことが関係してるのか」

「あぁ…」


 省吾は考えていた。神川から無理矢理話を聞き出すことも出来る。が、それは避けたかった。愛純奈と付き合いが長いのは、断然省吾の方だ。だが、それは別に偉いことでも何でもないと知っている。だからと言って、神川に愛純奈を渡す気などさらさらない。いや、ただの幼なじみだから、そもそも渡すも何もないのだが、神川がいくら愛純奈を好きだからって、「はいどうぞ、お幸せに」とはいかない。


「俺は…愛純奈のことを大切に想ってる。今までも、これからも」

「あぁ、知ってる」

「神川は…神川だったら…愛純奈を守れるのか?」

「…守りたいって、思ってる」

「それは、俊彦さんのことと関係なく、か?」

 神川は、一瞬黙った。俊彦の死と、石森。そして愛純奈。もしも石森が現れなかったら、ここまで愛純奈を守ろうとしただろうか?ただ「ステキな人だな」と、遠くから見ているだけでも良かったかもしれない。


 神川は、決心した。一度だけ、静かに深呼吸をした。

「20年前、山田俊彦さんはバイク事故で入院した。経過は順調だった。退院まであと少しのある夜、看護師が夜間の巡回で、山田さんが呼吸をしていない、つまり既に亡くなっていると気が付いた」

 省吾は神川を見つめ、話の続きを待った。

「基礎疾患はなく、まだ40代で若かった。夜間の巡回でも、いつものように眠っていた。が、数時間後に突然亡くなった。まるで眠っているようだった。苦しまずに、死んだ」

 省吾は、喉がカラカラになっていた。脈が上がるのを感じた。

「俺は、あの日のことを全て知ってる。事実を、知ってる」

「事実…?」

 神川は、はぁーっとため息をついた。

「本田に話せるのは、ここまでだ」

「どういう…ことだ…?」

「すまん…俺からは、ここまでだ」

 二人を静かな空気が包んだ。

「悪い、本田。明日のオペのことで調べ物がある。今日はもう…」

「あっ…あぁ…急に、悪かったな」

「いや、話せて良かった…ありがとな」

 神川は、爽やかな表情だった。そしてすぐ、不安げな表情に変わった。

「また…会えるか?」

「当たり前だろ?この部屋、また来させてもらうわ。金持ちな気分になれるしな」

 そう言って、省吾はソファから立ち上がった。

「なんだよ、それ」

 フッと笑いながら、神川も立った。つられて省吾も笑った。

「じゃぁな」

「あ、下まで送るわ」

「いいよ。さみぃし、ここで」

「ん。じゃ」

「メリークリスマス」

「ははっ…メリークリスマス」

 二人は笑顔で別れた。

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