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石油王、転売屋を知るの巻


「なにィィっ!? 『エコキラウィッチゆんゆ・マジモフヘルレイズVer.』のフィギュアの予約ができなかっただとぉぉ!?」


「はい。『エコキラウィッチゆんゆ・マジモフヘルレイズVer.』のフィギュアの予約、失敗いたしました」


 中東、クジャール国最大の高層建築を誇るマジアチ・ヴァンダーレジデンス。

 その最上階である150階、ほどよく冷房が効いた執務室。

 ビルのオーナーでもあるドバデル・ユデンヌ・アルジャイーナIII世は、ダイヤが埋め込まれた巨大な大理石の机に身を乗り出し、クワワッと目を見開きながら言葉を継ぐ。


「ンモー! アレ超欲しかったんだよ! 半年前から言っていたのに、予約失敗とかナニやらかしてくれちゃってるワケぇ?」


 今年40になるドバデルは、自分よりも10歳下の秘書官、ラジャドにそう言い放つと、頬杖をついたまま頬を膨らます。

 ラジャドは感情の起伏を感じさせない平静な視線のまま、無言でその抗議を受け止めた。


 室内は総ガラス張りで、各所には人間の背丈を越える観賞植物も繁茂する。

 まさに『天空の神殿』という形容がふさわしいその執務室では、5分前までEU最大の経済誌が特集する「世界経済を牽引するニューリーダートップ8」についてのリモートインタビューが行われていた。

しかし現在──ムク顔のまま、机を指トントンするドバデルは、世界経済のニューリーダーというよりも、欲しかったオモチャを買ってもらえなかった駄々っ子幼児のソレと酷似していた。


「あー、もうやめやめ。完全にモチベ折れた。やる気ゼロなンだわ。ボカぁねえ、欲しかったフィギュアひとつも予約できずに、石油王とか続けられるほど人間ができてないんよ。はいやめ、もうやめ、油田も閉じますぅ」

「ドバデル様。鼻歌交じりに水道の蛇口を閉めるかのごとく、油田を閉じる旨のお気楽発言は如何なものかと。国が傾くだけでなく、中東情勢地図も書き換わってしまいますので」

 ドバデルのボヤきに対し、ラジャドは氷のごとき冷徹さでピシャリと制する。


 ド不満顔を維持したまま、ドバデルは手元のPADを操作し、一枚の画像を読み込む。

 そこには、フリル激盛りのロングスカートを身につけ、ウィンクして微笑む魔法幼女のフィギュアが映し出されていた。

 表情のみならず、指先の角度まで愛らしさを追求した作り込み。

 風の動きまで感じることができる衣装のたなびき。

 足元から湧き上がる、半透明の素材で作られた魔力の表現。

 美少女フィギュアなどに造詣が深くないものが見ても、業物であると感じ取れる逸品であった。


「はぁぁぁぁ〜。このゆんゆマジゆんゆ……尊みしかない…どうだい、ラジャドもそう思わないか?」

「…それはあなたの感想ですよね」

「薄っ! 反応薄っ! 加えて逆張りかよこの野郎! 好かん!」

 ラジャドから肯定意見を引き出せずにプリプリしていたドバデルであったが──次の瞬間、机の上に置いてあったスマホの着信ランプが明滅した。

 ドバデルはスマホを手に取るなり、先ほどまでの弛緩しきった表情から、世界経済のニューリーダー、石油大国クジャールでも指折りの石油王の顔になる。


「…私だ。…ニールス製薬の件か。…そうだ。一ヶ月以内で買収を終えろ。期日を跨ぐ事は許さん。必要なら現地にエージェントも派遣しろ。容赦はするな。うむ、強気でいけ」


 ドバデルがスマホから顔を離して通話を切った瞬間、今度はラジャドの懐から着信音が鳴る。ラジャドは発信者の名前を確かめると、それを主人へと渡す。ドバデルはいかめしい顔で、スマホを顔に近づける。


「なに? ロケット運用権の調整が難航しているだと? ならば有人宇宙船プロジェクトをまるごと買え。宇宙開発関連のプール金も回せば釣りがくるだろう。速やかに契約を結んでおけ」


 ドバデルは怜悧な口調で電話の向こうの部下にそう命じると、厳格な表情のまま通話を終える。そして再び──弛緩しきった40おっさんの顔へと戻った。

「…で、なんの話してたんだっけ?」

「もう痴呆が始まっているのですか。『エコキラウィッチゆんゆ・マジモフヘルレイズVer.』のフィギュアが尊いとかいう話でしょう」

「おお、そうだったそうだった」


 ドバデルが「神アニメ」として仰ぐ『エコキラウィッチゆんゆ』は、クジャール国から遠く離れた極東の地、日本で放映されているアニメーション作品である。

 ドバデルは30を過ぎるまで、クジャール国の名門、アルジャイーナ家の跡取りとして、厳格な英才教育に紐づく経済学、帝王学を叩き込まれて育ってきた。

 父が急逝しアルジャイーナ家の全資産を継いだドバデルは、その才覚を発揮。世界経済のニューリーダーとして、クジャール国の王族を凌ぐほどの存在感を持つに至っていた。


 だが、兄弟もおらず伴侶を娶ることもなく、ドバデルはある意味「孤独」であった。私生活においても、経済界との顔つなぎのために高級車を次々と購入したり、投資目的で美術品などを収集していたが、これといった趣味のない人生を歩んでいたのだ。


 しかし──転機は不意に訪れた。たまたま訪れた映像コンテンツマーケットのイベント会場。その片隅で流れていた日本製の女児向けアニメに、ドバデルは釘付けになった。

 日本では日曜の朝に放送されているというその作品は、人知を越える力を得た少女たちが、仲間と力を合わせ、身の回りの大切な人々を、そして世界を救っていくという内容であった。


 流れていた話は、最終回手前のクライマックスシーン。倒れていく仲間たちの意思を継ぎ、主人公の女の子がボロボロになりながらも歩を進める。大切な人々を守るため、ただそのために命と勇気を振り絞るその姿に、ドバデルは落雷を受けたような感銘を受けた。

 そして…話が終わりエンディングテーマが流れるころには、ドバデルは人目もはばかることなく、その場で大声をあげて号泣していたのだ。

 

 その日から、ドバデルの人生は変わった。クジャールの石油王、世界経済のニューリーダーとして華やかな道を歩んでいたにもかかわらず、それまでのドバデルの世界には「色彩」がなかったのだ。

 だが、その女児向けアニメを入り口にして、ドバデルはそれまで馴染みがなかった日本のアニメに傾倒。日本から新旧取り混ぜたアニメ作品を取り寄せ、仕事と寝る時間以外はアニメ鑑賞に没頭する毎日がはじまった。そこから、ドバデルの世界は鮮やかに色づいていったのだ。


 昼は石油王。夜はガチ系アニオタと化し、寝落ちするまで作品をガン見。政界や経済界のセレブたちが集う華やかなパーティーに出るよりも、豪邸の地下にしつらえた四畳半の部屋で、ブランケットにくるまってアニメを見ている瞬間こそが、ドバデルにとっては「生」を実感できたのだ。


 ドバデルがアニメと出会った一年後には、オイルマネーにモノを言わせ、クジャール国には世界有数のアニメチャンネルが開設。国民にもアニメーションが浸透しはじめる。

 表向きは「クールジャパンカルチャーに理解のある経済界のニューリーダー」と目されていたが、なんのことはない。無尽蔵に金を使える重度のアニオタが、アクセルベタ踏みで欲望のままに振舞っているだけだったのだ。


 そして現在の関心は日本製のゲームやフィギュア、プラモデルにも広がり、ドバデルのタタミ敷き四畳半は業の深いグッズとポスターで埋め尽くされるに至っていた。ちなみになぜ四畳半の部屋なのかというと、「日本人と同じ環境でアニメを楽しめたらなァ」と漏らしたドバデルの言葉に反応したラジャドが用意したという経緯があった。


 最初はあまりの狭さに「え? ここトイレの個室?」と首をひねり便座を探してしまったドバデルであった。しかし、「日本の多くの若者はこのような空間でアニメを視聴している模様です」とラジャドに吹き込まれ、「そうなん? んじゃこの部屋でアニメ観ればもっと理解が深まるカンジ?」と勝手に思い込み、以来、この部屋が魂の聖地と化していたのだ。

 

 現在ドバデルがご執心の『エコキラウィッチゆんゆ』は魔法の力を得た少女が、「魔法はズルいからダメです!」と、なぜか魔法に頼らずに腕力で事件を解決していく──という謎コンセプトの女児アニメであった。

 メインターゲットの女児先輩たちにはさほど響いていないとの噂もあったが、大きいお友達の琴線には触れまくり、ある意味カルト的な人気が出ていた「通」好みのタイトルであった。


「…ゆんゆストたちが注目していた今回のフィギュア……神回である第7話【湾岸臨界! 百万匹の猿を漁船に載せろ☆】で登場したコスチュームを再現したマジモフヘルレイズver.……買わない理由はゼロだよゼーロー! それを予約失敗するなんてさ! この無能! アホ! 無駄美形!」

「…そうですかわかりました。無能の私は今日限りでおいとまさせていただきます。これ、辞表です」

「うそ! 冗談です! 石油王ジョークだよ君ィ! …っていうか、なんでいつも君は辞表を懐に入れて持ち歩いているワケ?」

「ならばドバデル様も、いつ辞表を叩きつけられてもおかしくない言動をお控えになることです」


 ラジャドは表情ひとつ変えることなくそう言うと、中東の民族衣装、トーブの懐へと辞表を戻した。

 5年前から秘書官となったラジャドは、ドバデルの重度のアニメ趣味を正確に把握している数少ない理解者(?)である。

 アルジャイーナ財閥旗下の関連会社の業績実態を管理し、経済人としてのドバデルを支えるのみならず、どこから仕入れるのか、日本の新作アニメやゲーム、サブカルチャーに関する情報を逐次伝えるのが、ラジャドのもっぱらの役目であった。

 オタ沼に眉間まで使っているドバデルも舌を巻くほどに、ラジャドはその手の情報に精通していた。だが本人が言うには『業務の一環ゆえお伝えしているだけです。私にその手の趣味はございません』とのことであった。


「くっそ〜。考えれば考えるほど悔しいじゃんよ! なんとかならんのかねチミぃ!」

「なりませんね。どうしてもと言うのなら…オークションサイトか、転売屋から買うしかありませんが」

「ン…? オークションサイトはわかるが、その…テン・バイヤーというのは何かね。十人の売人? 日本には特殊な販売権を持った商人がいるのか?」

 ドバデルのその質問に、ラジャドは表情を変えることなく応じる。


「英語で言うところのScalp。自分で所有、使用する目的でなく、最初から高値で売り飛ばすために商品を購入する人間。それが転売屋です」

「ふむ。安く買って高値で売る。商売の大原則に従っている者たちだな」

「確かに表面上だけ見ればそうなりますが、彼らの振る舞いには大きな問題がございます」


 そこでラジャドは言葉を区切ると、ほんの少し、眼光を鋭くする。

 

「例を挙げましょう。ドバデル様、砂漠を一日さまよい…水の一滴も飲まず、カラカラに乾いた状況を想像してみてください」

「う、うむ…」

 ドバデルは実際に幼少時、父親とともに砂漠を移動していた際に、乗っていたラクダから落ちたことに気づかれず、灼熱の砂の海に半日放置されて死にかけたことがある。その時の記憶は未だにトラウマ…鮮明に自分の中に残っており、想像するのは容易であった。快適に保たれている室温にもかかわらず、自然に首筋に汗が滲む。


「ドバデル様がようやくたどり着いたオアシス。そこには井戸水があり、1杯1ドルで売られていました。ちなみに、ドバデル様の懐には10ドルございます」

「うぐぐぐ…もう喉カラカラで死にそうだ! 10ドル全部使って10杯の水を飲む!」

「しかし、ドバデル様がオアシスにたどり着く前に、私が井戸の水を全部買い占めてしまいます。まあ、私は別に喉が乾いていないので、水を飲むつもりはありませんが」

「オゥーイ! なんだよそのクズムーブは!? 鬼! 悪魔! 無駄美形!」

「…話を続けても?」

「…どうぞ」

「干からびて死にそうなドバデル様は、私に水を売ってくれと懇願します。ですが私は、当初の金額の1杯1ドルではなく、1杯10ドルで売ることをドバデル様に伝えます」

「オッフ。それじゃ1杯しか水を飲めんじゃろ! そんなんで乾きが癒えるか!」

 想像力豊かなドバデルは、大理石の机を両手でバンと叩き、立ち上がって抗議する。


「そもそも最初は井戸の主が1ドルで売っていたものだろう!? それをお前は喉も乾いていないのに買い占めて、10倍の値段で売りつけるとはどういうことだ! 人の心がないんですかーッ!」

「ですが、井戸の持ち主からすべての水を買ったのは私です。それを私がいくらで売ろうが勝手でしょう」

「く、くくくぅ〜! 足元を見やがってぇぇぇ! 井戸の主は1杯1ドルが適正だと思って値付けしてたんやろがい! お前はワシから水を買う機会を奪っておるのだぞ!」

「嫌なら買わなくていいんですよ。別の旅人に売りますから。ドバデル様はどうぞ、次のオアシスに行ってください」


 あまりの理不尽な言い草に、眉間に三重四重のクソ深いシワを刻んでいたドバデルだが、そこまで聞いてハッと我に返る。

「…はっ! いかんいかん、ついフルダイブ妄想に入ってたは」

 ドバデルは軽く息を吐くと、再び北欧製の石油王チェアに身を沈める。

「さきほどドバデル様がおっしゃった通り、他人から『買う機会』を故意に奪うもの。値段を釣り上げる目的で物品を買い集める人間。それがいわゆる「転売屋」です」

「ムムぅ……確かにさっきは、商業の原則に基づいているとかしたり顔で言ったが…とんでもない所業だなオイ。吐き気を催すような邪悪を地でいっとる」

「おそらくですが、ドバデル様が所望されている例のフィギュアは──一般のファンにはほとんど行き渡らず、その吐き気を催すような邪悪な連中に買い占められている模様です。日本国内で運用されている、この個人売買サイトを御覧ください」


 ラジャドが手元でPADを操作すると、執務室の大型モニターに「メロカリ」なる個人売買サイトが表示される。そしてラジャドが品名検索をかけると──そこにズラリと並んでいたのは、定価の数倍の値付けがされた『エコキラウィッチゆんゆ・マジモフヘルレイズVer.』のサムネイルだった。


「な、な、な……なんじゃいこれはーッ!?」


     ※            ※

 

 ドバデルの悲鳴が響いた執務室から、だいたいざっくりと東に1万キロ。

 新宿にほど近いワンルームマンションの一室。薄暗い室内には、6枚のマルチディプレイモニターの光が浮かんでいた。


 その中の一枚──Twitterの画面に並んでいたのは『エコキラウィッチゆんゆ・マジモフヘルレイズVer.』のフィギュアの予約に間に合わなかった、もしくは抽選漏れしたことに対する怨嗟の声であった。

 タイムラインに次々と流れてくる恨み節を見ながら、男はその口元に笑みを浮かべる。


「…こいつら頭わりーな、マジ救えねぇ〜。ファンネルも雇わねーうえに回線弱者とか。モノ買うってレベルじゃねーぞ」



 〜つづく〜 


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