運命の悪魔
目の前には恐怖に凍りつくほどの恐ろしい光景が広がっていた。
「なっ…!?」
突然の景色の変わりように思考が追いつかず激しく混乱する。オレを不幸な現状から救い出してくれるかもしれない金色に輝く宝箱。それにまさに今、手を掛けようとしていた所だったというのに。
なのに、金色の宝箱は消えうせ、今オレの目の前に広がっているのは『酸鼻を極めた』という表現以外は当てはまらないような惨状が広がっている。
天井や壁に張り付き血の糸を垂らす臓物。血と臓物の中身の混じり合った咽かえるような酷い臭い。何かの動く気配にふと足元に目をやれば、湯気を立ててる心臓だけが青いダンジョンの石の床に転がったまま、『ぴくぴく』と痙攣していた。
「ハァ…ハァッ…ハァッ…!なん…なんだ、これ!?」
緊張で息があがり呼吸が辛い。
探索者の物と思われる武器や装備品が壊れて床に散乱している。しかしそのいずれもがベッタリと赤い血に汚れている。そして壁際へと目を向ければ、ゴミのように吹き溜まっているのは恐らく人間の死体。でも何人この部屋にいたのか全員がミンチでは数えようもない。
いったいなにをどうすればこんなにも凄惨な状態になるのか、全く想像もつかない。
「ハッ!?まさかモンスターハウス!」
モンスターハウス。転移罠や落とし穴などで大量にモンスターのいる部屋に放り込まれるダンジョントラップ。そうだ、オレはそうネットで見た。だとするとオレは宝箱のあった小部屋から、まんまとその罠にはまりこの部屋に飛ばされてしまったのか。
そう理解が追いつくと、慌てて腰を落とし盾と剣を構え直した。
息を殺し、周囲を警戒して注意深く観察する。天井は剣や槍を振るうにも十分な高さがある。そして30畳ほどの広さの石造りの部屋。オレのいる位置から奥行は6の幅4くらいで見渡せ、室内には等間隔に6本の細い角ばった石柱が立ち並んでいる。
だがそこに立っている人の姿も、モンスターの影も一切みられない。モンスターと探索者が戦い、そのどちらもが倒れて相打ちになったのだろうか。
(いや…なにかいる!)
『ぴちゃん…ぴちゃん』と天井や壁から床にしたたり落ちる血の音に紛れ、なにかが『ずるずる』と石の床を這いずるような音が聞こえた。確かに音のしたと思った先に視線を向けると、何かがこちらからの視線をさけようと、石柱の影に隠れていくのが見えた。
(なんだ?どんなモンスターが隠れている!?)
足音を殺し、こちらも石柱を盾にしながら音の源へとゆっくりと近づいていく。それでも石の床は血でベッタリと濡れていて、足を床から離す時には『にちゃっ』と嫌な音を立てた。
石柱の影からそっと首を伸ばし覗き込むと、ソイツはいた。袈裟がけに斬られたのか頭と肩だけになっている。だがソイツは生きていた。オレの視線に気が付き、ソイツが振り返る。
赤黒い肌に鷲鼻、耳の先は細く尖り、つるりと禿げ上がった頭部には2本の湾曲した黒い角が生え後頭部に向け伸びている。下顎も失っており、その口からはだらしなくだらりと千切れかけた舌が垂れさがっていた。残った右肩も肘から先を失い、ソイツはもうただ這いずる事しかできないようだった。
しかしそんなソイツの黄色い眼と視線が交わった瞬間、オレは全身の細胞が悲鳴を上げたかのような酷い悪寒と戦慄を味わった。
(ア…悪魔だ!コイツ!悪魔だッ!!)
こんなのオレみたいなただの探索者が相手をできるモンスターじゃない。
国防軍や国で雇っている探索者でだって死人が出る。海外ではコイツのような悪魔のせいで多数の死者が出たというネットニュースも観たばかりだ。震えで足に力が入らず、思わずその場にへたり込みそうになる。そんな激しい恐怖を感じながらも、なんとかよたよたと後退りオレは逃げ道を探した。
だが、無情にも逃げ道はなかった。
壁面に張り付く臓物を避けながら壁を調べる。壁を叩き出口を必死に探す。でも何も見つからない。気ばかり焦って、足が血糊で滑り何度も転びそうになる。自分が飛ばされた直後の位置にも戻ってみた。が、当然それで転移が発動する事もなかった。そうしているうちに、オレはモンスターハウスは中にいるモンスターを全滅させなければ出口の現れないということを思い出した。
そんな風にオレが焦りながら壁を調べている間、どうやら悪魔のほうもオレから逃げれるようにしていたようだ。こうまで時間があるのにも関わらず、悪魔からの攻撃は一度もなかった。外見からも見てとれるようにあの酷いダメージだ。さしもの悪魔もいまや手も足も出ないといった所なのかもしれない。
オレがこうして気が狂わずにいられるのも、あのミンチになった探索者たちが悪魔をあそこまで追い詰めていてくれたからだ。オレは近くに落ちていた折れた剣に向かい、感謝の念で頭を下げた。なら、ここから脱出するのには、オレがあの悪魔に止めを刺すほかないということか。
足元に落ちている亡くなった探索者たちの武器は、どれもオレの使っている武器よりかなり上等なもの。だがそれでも折られたり破損をしている。オレの持つただの鉄の剣で大丈夫か。一応これも鋼鉄ではあるが『もしかしたら特殊な武器でないと悪魔は傷つけられないのでは?』と不安が過ぎる。
でも落ちている武器も特別な素材という訳ではない。それであそこまで傷つけられたのなら、オレの片手剣でだってイけるはずだ。意を決し、覚悟を決める。カラカラに乾いた喉で、止めを刺すべくオレは悪魔へと向かった。
オレは息を潜めて移動すると、床を這う悪魔に一息で飛びかかれる所まで距離を詰め一気に傷ついた悪魔に襲い掛かった。
逆手に持った片手剣を振り上げ、左手を添えて悪魔の頭目掛け突きたてる。
『ザグゥッ!!』
(刺さった!)
剣先はみごと悪魔のこめかみを捉えた。手に伝わってくる嫌な感触、だが確かな手ごたえ。刀身が深々と悪魔のこめかみを貫きめり込んでいく。勝った。勝利を確信した。だがその次の瞬間、悪魔の目が怪しく銀色に光ったのだった。
悪魔に剣を突きたてたままの姿勢で、オレは衝撃に固まる。
オレを睨む悪魔の目から放たれた銀色の光線のせいだ。上半身の筋肉がまるで麻痺したように痺れて動かない。視線だけを下に向け状態を確認すると、身に着けていた硬い樹脂製プロテクターにぽっかりと穴が空いていた。
(なんだ?今…悪魔の眼が光ったせいか…?)
するとそこからなにかがずるりと零れ落ちる。そしてそれは床の上で『ベチャリ』と爆ぜ、酸っぱい匂いをあたりに撒き散らした。石の床に零れ落ちたのは、オレの胃袋だった。
腹に穴が空き、普段外気に触れることのない細胞が空気に晒される。熱い。いや、冷たい。やけに腹部をひんやりと感じる。こんな大怪我を負えば、間違いなくもんどりうって苦痛にのた打ち回るはず。だけど銀色の光線で撃ち抜かれた時に、背骨も一緒にやられたらしい。オレには腹部の痛みどころか下半身の感覚がまるでない。ただ、腹が異様にスースーとうすら寒く感じるだけだ。
音もなく赤い血が足元の石の床へと広がっていく。
血の気が引いていくのを感じながら呆然とした表情で見下ろすオレを見て、こめかみに剣の刺さったままの悪魔は、その目に愉悦の表情を浮かべた。
(ああ…いつもこうだ。ちょっと良い事があったと思ったらすぐダメになる。オレの人生はいつもこんなぬか喜びばかり…。ダンジョン探索の仲間が出来たと思えばダメになる。野良に参加できたと思えばいい様にこき使われる!自分で募集を掛ければ今度は裁判沙汰になる始末だ!挙句はひとりモンスターハウスでお陀仏かよ!!)
ダンジョンで起きた出来事というのは話題の的で、オレの関わったあの事件もネットで結構大きく騒がれていた。そして事実が歪曲され『オレが女の子をたぶらかす為に吊り橋効果を狙ってわざとゴブリンに襲わせた』だとか、『そもそも女の子をダンジョン内で強姦し、その濡れ衣をゴブリンに着せる為に計画された犯行だった』とか、まことしやかに書き込まれていた。
見かねた元パーティーメンバーだった友人がオレに教えてくれたが、何処で調べたのかオレの個人情報までがネットに上げられていたらしい。
(はは…死ぬ間際に見るにしては、なんとも酷い走馬灯だ。ああ、もう目が霞んで視界も暗くなってきた…これで…オレは死ぬのか…)
なんとも締まらない人生の最後に、自嘲の笑みすら浮かばない。
貧血を起こした身体が硬直したままフラフラと揺れる。そしてついに辛うじて身体を支えていた剣が倒れ、オレもそのまま横に崩れ落ちた。霞む視界には、悪魔が『しわしわ』と干からび、土塊に変わっていくのが見えた。どうやら倒れた弾みで、剣が悪魔に最後の止めを刺したらしい。
本当なら、激怒してもし足りないような人生の最後。
これがオレの最後か。それでもどこか冷めたような感じなのは、怒る為の血も足りないせいか。いや、違うな。オレは自分だけがこんな不幸な目に遭った訳ではない。それが心のどこかで嬉しいんだ。
たしかに悔しい気持ちはある。当然だ。でも自分よりもはるかに強く、それこそこちらの勝手な妄想だが、周囲から羨望の眼差しで見られていたような屈強な探索者たちでさえ、悪魔相手ではミンチにされてしまったのだ。オレより凄い連中でもダメだったのなら、まぁ諦めがつくというもの。
(とはいえ…今の生に未練はたっぷりと残っている…)
石の床に倒れ、モノクロになった視界で探索者たちの死骸に目を向ける。だがそれも遂に適わなくなった。暗くて、寒い。映画などで死にゆく者がそう呟くのは良く観たシーンだったが、自分がそれを体験するとは。
遂に目も真っ暗で何も見えなくなった。思考も酷く鈍い。
もう何もできない。これでオレの人生は終わる。ならせめて最後に、このダンジョンに来た目的だったレベルが上がったのかを確認をして、今生の別れとしよう。
そう思い、オレはスキル【ステータス】を使った。
(レベル32…ハハ…すごいな。あの悪魔の止めなんて横殴りもいいとこなのに、レベル15から一気に32とは。ミンチになったあの探索者たちがもし生きていたら、きっと袋にされていたな。
しかし…今際っていうのは、案外時間があるもんだ…。
…まぁそうか。死の間際の走馬灯ってのは、今までの人生を一瞬で視るってことなんだろうから。脳がもう最後に、ダメージなど関係なしに超高速回転でもしているのかもなぁ…)
そんな風に死を身近に感じながら変化したステータスをつらつらと確認していくと、如何した訳かスキルを取得していることに気が付いた。
(【悪魔化】?なんだこれ…スキルなんて初めてだ。これを使えばオレも悪魔にでもなれるというのだろうか。でも…なんで取得できた?ああ!あの糞ハゲ悪魔に止めを刺したからか。確かモンスターキルでのスキルの取得は、もの凄くレアだったはず…)
と、そこで突然身体がでたらめに暴れはじめた。
痙攣。自分の意志に関係なく手足が『ビタビタ』と石の床をはげしく叩く。死の徴候が迫り、オレはもはや寸刻も考える暇もないと知った。
使おうかどうしようかと悩んでいたオレは、最後にはもうどうとでもなれとばかりに【悪魔化】のスキルを視えない腕で抱締めるようにして、その発動を強く念じた。
(【悪魔化】ッ!!)
そして遂に力尽き、意識は暗い闇の底に落ちていった。
お読みいただきありがとうございます。作者はいろいろと気になるお年頃です。よろしければご感想やリクエスト、ファンタジー考察へのツッコミをお寄せください。楽しみにしていますのでよろしくお願いします。