新しいダンジョン
【日常】
ただいまの時刻は午前8時。
世間は忙しい平日だが、休みが不定期なオレはいつもより遅めに設定した目覚ましの音で目を覚ました。顔を洗い簡単な朝食を用意し、最近拾って飼い始めた二匹の子猫にも餌を与える。
子猫たちが夢中で餌をパクつく姿に愛らしさを覚えながら朝食を終え、服を着替えて昨晩入念に準備した荷物を手にアパートの玄関を開ける。そう、オレはこれからダンジョンに行くのだ。
「それじゃあお前達、大人しくいい子で待ってろよ」
満腹した表情で顔を洗う子猫たちにそう声をかけ玄関の扉を閉めた。そして自宅近くのバス停で9時20分丁度にきたバスに乗り、近くの駅まで向かう。
少し大きめの荷物を持ってバスに乗り込むオレに、バスの運転手の目元が少しだけ険しくなったように見えた。だが料金を払うのと同時に『ダンジョン免許証』を提示すると、運転手は何事も言わずにバスを発車させる。
『ダンジョン免許証』とはダンジョン入場免許証のこと。免許の取得には5日ほどかかり、丁度自動車免許取得の為の合宿に似ている。ダンジョン免許センターに通い、講義と実技の授業を受けるのだ。
ラッシュの時間は過ぎているので車内の乗客はまばら。だから空いている席に難なく座ることが出来た。座ると同時にホッと息を吐く。混雑している時間だったらきっと文句のひとつも言われたことだろう。
脇に置いた嵩張っている黒のボストンバックの中には、ダンジョン内で使用する盾やプロテクター、それにリュックに纏めた道具類が入っている。だがバスの運転手の目元が険しくなったのは、もうひとつの荷物が原因だ。
それは赤い樹脂製の細長いケース。
肉厚の樹脂で頑丈に作られているうえに、しっかりと鍵をかけられるようになっている。このなかにはダンジョンで使用する為の、本物の武器が入っているからだ。刃渡り90センチにもなる肉厚の片手剣と、全長30センチのナイフ。ダンジョンで使う武器を持ち歩く際には指定のケースに入れて、しっかりと鍵をかけ持ち運ぶようにと、ダンジョン法できちんと定められているのだ。
ダンジョンが突如世界中に発生してから5年。
はじめこそ世界の終りだなんだと大騒ぎになったが、現在に至るまで恐れられていたダンジョンから大量にモンスターが溢れ出す現象。『大氾濫』、いわゆるモンスタースタンピードはない。
しかしダンジョン内にいるモンスターから獲れる魔石に様々な活用法が発見されると、ダンジョンは有益な資源鉱山としての価値が高まり、世界は国を挙げてのダンジョン特需に沸いた。
この国もその例外に洩れずだ。
かつ歴史的にも八百万の神々を崇めながら様々な宗教を受け入れてきた世界でも特異な寛容性を持つ民族。またアニメーションなどにみられる独自の文化を生み出した特性からも、ダンジョン出現を歓迎し、それを自分達の生活に溶け込ませることなど造作もなくやってのけ、こうして現在に至るのだった。
難易度が高く、非常に危険とされたダンジョンは国が立ち入りを禁止。比較的難易度が低く、かつ資源採掘価値の見込まれたダンジョンは、国の厳重な管理下のもとで民間にもひろく開放された。
そうなると企業のなかにダンジョンを探索する部署が立ち上がったり、新たな発見をする度にその企業の株価が高騰するなどといった現象が株式市場で幾度となく見受けられた。
またそんな企業とは別に、一般人の間でもダンジョン探索は大いに流行った。
ストレス社会の憂さの発散場所として。はたまたドロップ品目当ての小遣い稼ぎの場所として。5年余りの間にダンジョンは多くの人々にとって非常に身近なものとなりつつあった。
その理由は、ダンジョンでモンスターと戦い戦闘経験値を積むと、その当人に様々な恩恵があることが広く知られるようになった為だ。身体能力の向上はもとより、視力が回復したり外見的年齢が若返ったりと。それだけでも十二分に凄いのに、ダンジョンでは様々なスキルというものが手に入ったのだ。
まずダンジョンに入った人間には、【ステータス】というスキルが自動的に付与される。これにより、呼び出したステータスで病気や怪我といった自身の状態をつぶさに把握できるようになるのだ。
そして宝物としてのスキルオーブや、繰り返すことによる戦闘での習熟。また時には倒したモンスターから直接スキルを手にすることができた。そんなスキルの一番人気は、やはりというべきか魔法だ。嘘のような本当の話、ひとが夢物語のように魔法が使えるようになるのだ。
勿論、そういった魔法には確実に人を殺傷できる力がある為、魔法スキルを取得した人には国への登録の義務などの制約があるが、それを補って余りある恩恵が取得した人間には与えられた。
例えば週末だけダンジョン探索に出かけていた大学浪人生が、ひょんなことから魔法スキルを偶然手にした。すると、彼には志望大学を飛び越えて超一流の大手企業から採用のお声がかかったのだ。彼は喜んでその採用を受けた。羨ましい話だ。
またそれとは別に、国でも魔法を使える人材をひろく集めていて、高待遇で雇ってもらえるという。ま、そんなこんなを思い返しているうちにバスは駅へと到着した。今日はこれから、初めて行くダンジョンに向かうのだ。
10時10分、電車に乗り目的の場所に着いた。
ここは通称『亜人ダンジョン』。大きな公園のなかに出現したダンジョンで、その名の通り亜人系のモンスターが多く現れるダンジョンだ。まずはダンジョン脇に建てられたダンジョン管理事務所に行き、入場手続きを行う。
ダンジョン入場申請書に、住所氏名年齢などを記入し指定額の収入印紙を購入してそれを貼りつける。そしてそれとダンジョン入場免許証を合わせて受付窓口で提出すれば、入場チケットが受け取れる。
手続きがなんだか自動車運転免許の更新みたいだが、これはダンジョンが突然現れた時に色々対応した部署が、国土交通省だった為らしい。
受付が済むとダンジョン管理事務所の隣に併設されている探索者向けロッカールームへと向かう。ここで、街中で同じ格好をしていればおまわりさんが飛んでくるような格好に着替える訳だ。
防刃性に優れた探索者スーツと呼ばれる作業着に似た服に着替え、そのうえに硬質プラスチック製のプロテククターを身に着ける。オレの防具は、ある人気メーカーが出した『シルバーレギオン』という。もう2年も型落ちになるが、非常にモノが良く、展示見切り品をさらに店員に強請って負けさせて買ったものだ。それでも¥16万円もした。
武器は片刃の片手剣、肉厚でまず折れることはない。それに予備のナイフ。どちらも腹の部分をぴかぴかに磨き上げ、鏡面加工に仕上げてある。
探索者によって武器を光らせるか、目立たない様に汚しを入れるかは好みの別れる所。でもオレは剣の腹を鏡代わりにして、曲がり角の先や部屋の中などを覗く動作がいかにも通っぽくて好きだった。そんな実益と見栄えも兼ね、オレは武器をぴかぴかに維持していた。
それらを身に着けると、水や簡単な食料、それに医療パックを入れたリュックを背中に背負い、小型の円形盾も持ってロッカールームを後にする。
ダンジョン入り口の列に並びワクワクしながら待っていると、いよいよオレの順番が回ってきた。ダンジョン前の鋼鉄製ゲートにいる係員に、管理事務所でもらった入場チケットを渡す。
「キミ…ひとりかい?十分気を付けてあまり奥まで行かない様に」
管理事務所のスタッフと一目で解るポロシャツを着た中年の男性が、チケットを受け取りながらオレにそう言った。
「わかりました。ここは初なので気を付けます」
そう答え軽く会釈をしながらオレはゲートを抜けダンジョンへの入り口に入る。チラリと、ダンジョンの入り口の周囲で楽しげに閑談する野良パーティーの募集をしている人達を尻目に。
ダンジョンに入ると一瞬で喧騒は消え去り、冷たい空気に身が引き締まる。そう、解っている。ダンジョンは危険だ。独りでなんて探索するものではない。
それでも、今日もオレは独りでダンジョンに潜る。
オレだってダンジョン探索をハナから独りでやろうと思っていたわけではない。だが社会人で、休みも不定期なオレと組んでくれるメンバーがいなかったのだ。それでも当初はパーティーを組んでいたのだが、休みが合わなければ自分だけが参加できない回数が増え、その分メンバーに負担がかかる。
そして上手く休みが合ってオレも参加できたとしても、1人増えたぐらいでは探索できるダンジョンの深さがそう変わるものでもない。結果、全体での実入りが減ってメンバーは渋面を作ることになった。オレが参加できない間に、穴埋めに入った新規メンバーとでうまく回っていれば、それはなおさらのことだろう。
そうしてお互いになんだか気まずくなり、『誘ってもアイツはどうせ来れないよ』なんて流れでオレは組んでいたパーティーメンバーと次第に疎遠になった。でもコレは仕方のない話だ。誰が悪いという訳でもない。オレだって参加できない日には申し訳ないと思っていたし、それでメンバーを恨んでもいない。
だが、それでもダンジョンには潜りたかった。
ダンジョンで経験するスリルは、普段の生活ではなかなか味わえないモノだったし、安月給のオレにはモンスターの落とす僅かなドロップ品でも十分に有難かった。
勿論、独りでは危険なのは重々承知している。
それで一時期。入り口で屯っていた人達のように野良の探索パーティーにも参加してみたこともあった。いまはネットでなんでもできる時代だ。そういったパーティー募集のサイトにアクセスし、誰もが『○月×日10時から16時まで▽ダンジョンで狩りしませんか』等と募集を立てるのだ。
だが結果は散々だった。
誰かの立てた募集に参加してみれば、甘く優しげなのは最初だけで、いざダンジョンに入ったら後ろから罵声を浴びせられ、延々と前で肉壁をやらされた。前にモンスター、後ろに刃物を持った悪党。そこに逃げ場なんてなかった。
満身創痍になりながらその日一日をなんとか凌ぎ切るも、終了時に『キミ動き悪すぎだよ。可哀そうだから分け前はやるけどさ、使った回復剤だってタダじゃ無いんだからキミの配分減らすよ?あ、あともう募集見ても来ないでね?キミらぜんぜん実力不足だから』なんてひどい事を言われた。
その時は怒りと余りの言い草に呆れて言葉も出なかった。なにより5人で組んだ臨時パーティーのうち、募集を掛けたリーダーを含む3人はグルだったんだ。終了時にはあれこれとこちらにダメ出しをしながら、こちらにダンジョンで使う武器をチラつかせニヤついていたのだから。
野良パーティー募集にかこつけて、参加した人間を肉壁役としてこき使う。それが彼らのやり口だったのだ。オレと同じくサイトの募集で参加したもう1人男性は、装備も駄目になったオレより酷い有様で、何も言えず俯いて涙ぐんでいた。
「くそっ…!思い出したら腹が立ってきた!」
と、ダンジョンの奥へと歩を進めていると、奥から醜悪な容貌の小人が現れた。
ゴブリンだ。見た目は小学生ほどでも力は中学生くらいあるので意外に侮れない。しかし知能は原始人並みか。だが徒党を組んで行動していたりもする。ほかには猫背、野卑で粗暴な風貌という特徴もある。
オレは牙を剥いて向かってきたゴブリンに片手剣を叩きこむ。
重い鉄の片手剣がゴブリンの肩口に喰い込み、鎖骨と肋骨を断ち切りながら袈裟がけに赤黒い線を描く。グロく、気持ちの悪い感触が剣を握る手に伝わってくる。ダンジョン探索者になる第一の壁がこれだ。
モンスターは死ねば煙になって消えるが、消える瞬間までは、血肉のある存在なのだ。
目の前のゴブリンの面が、野良で参加したパーティーリーダーの顔と重なり、腹立たしかったオレは八つ当たりでもう一撃ゴブリンの顔にお見舞いした。
ゴブリンが吹き飛び、目玉を派手に飛び散らせながら光になって消える。どういう仕組みかは知らないが、そういう風にできている。戦えば血も流し、肉も骨もあるが、死ねば光か煙になって消える。
それがダンジョンのモンスターだった。
返り血なんかも綺麗に消えてなくなるが、拭いをくれて片手剣を鞘に納めると、しゃがんで今倒したゴブリンが落としたドロップ品を回収する。拾ったのは小指のさきほどの小さな魔石。これがいまや新たなクリーンエネルギーとして『風力太陽光魔石』なんて呼ばれるほどに、街を動かす大きな電気を生み出している。
(といっても、ゴブリンの魔石じゃ¥500くらいかな。いますこし値が下がって¥350くらいだったっけ。まぁ沸きが良ければ魔石だけでも自給¥8000くらいはいけるだろう。)
奥へと進み次々にゴブリンを屠っていく。
オレはレベル15。だいたいレベル6くらいあれば独りでもゴブリンは相手にできるのだから、今のオレならばぜんぜん余裕だ。左手に構えたラウンドシールドでゴブリンの持つ武器の攻撃を受け流し、ゴブリンの急所に片手剣を叩き込んでいく。ただ黙々とその作業に没頭していくだけだ。
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