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あやかし家政夫  作者: 琴花
第二章
9/49

昨日のそれから1 スーパーパニック

 森の広場を抜けて講義棟に向かって足早に歩く。

 左肩に教材の入ったトートバッグ、右手に軽くなったランチバッグを握る。


 ――まったく、小町先輩ったら。


 隣の部屋の住人にして、一番のご近所さん。

 優美な見た目の名家の令嬢という、島で暮らしていたら一生出会うことはないであろう、雲の上の存在。

 そのはずなのに……。

 その実、竹を割ったような性格で、私がアパートに越してすぐ何かと構われ、いつの間にか一番近しい友人であり知人になった。

 まあ、そう言おうものなら、呼び捨てにしろとか敬語を使うなとか言われるのは目に見えているので、思うままで告げることはしないけど。

 けれど、直球すぎる発言は控えて欲しい。

 小町先輩のからかいの言葉に、昨日の出来事が思い起こされた。




   ☆   ☆   ☆




 昨日、アパートに戻ってから、亀のあやかしである万十郎とスーパーに行った。

 九月下旬だが、残暑の厳しさからかまだ夏野菜がそこそこ安価で出回っていて、オクラやトマトの他、野菜の代表格であるじゃがいも、玉ねぎ、にんじんなど多くの食材を買い物カゴに入れた。


「ちとせさんは夕飯なにがいいですか?」


 重そうなカゴを涼しい顔で持つ彼に聞かれて、私は顎に手を当てて、ううんと唸った。


「なんでもいいっていうのは一番面倒な答えだよね。万十郎の得意なものでいいんだけど」 

「食べられないものはありますか?」

「別に好き嫌いはないよ。ああ、だけど……」

「なにかあります?」

「料理には使わないから平気だろうけど、抹茶が苦手かな」


 子供のころ、興味本位で抹茶を飲んで、あまりの苦さに戻した経験がある。

 今は大丈夫かもしれないが、その時の味を引きずってあれから抹茶と名のつくものは口にしていない。


「どうしたの?」

「――いえ」


 万十郎が口を閉じ視線をさまよわせた。

 もしかして、抹茶の料理でも考えていたのだろうか。

 気を取り直したように、彼は問うた。


「では、肉と魚どっちがいいですか?」

「うーん、お肉かな」

「それでは、生姜焼きでもしましょうか。シソを添えると彩りも栄養も良くなりますね」


 そういって、豚肉とショウガ、シソをカゴに追加した。


「そんなにたくさん買っても食べきれないよ」

「朝食やお弁当の分を考えるとちょうどいいくらいかと」

「お弁当?」

「作りますよ。戸棚に弁当箱がありましたよね。薄桃色の」

「……それらしいのがあった気がする」


 私も当初は作ろうとしたのだ。結局、封を開けることすらしなかったが。

 スーパーが珍しいのか、カゴを持ちながら興味深そうにあたりを見回す彼をぼんやり見る。


 ――ほんとうに私の世話をするのかな。


 たった一度の、それも当人は忘れていた縁で。


 けど、いつまで?

 それに、大家さんには別の部屋は用意できないという。ならば、同室になるということ?


 私は頭を振った。

 ここで考えても埒が明かない。

 詳しい話はアパートに戻ってからしよう。


 ふと、一画が目についた。

 お中元の解体ギフトコーナーだ。

 素麺や油、コーヒーなど有名メーカーの商品がお手軽価格で売られている。

 ふらりと立ち寄ってひとつ手に取った。

 水まんじゅうだ。

 春はいちご大福、夏は水まんじゅう、秋は月見団子、冬は黒豆大福。

 それは手作りであったり近所のスーパーで買ったり色々だったけど、実家暮らしの高校卒業まで四季折々旬の和菓子を食べた。


 ――今年は、いちごが出回る時季は受験や引っ越しで慌ただしくて、夏休みの帰省でも食べ損ねたな。


「ちとせさん?」

「まんじゅう……食べたいな」


 去年は、たまには違ったのもいいでしょうという母の一声で、こしあんを包んだ蒸しまんじゅうを家族で手作りして食べた。

 スーパーで安価で売られている割に作るのは手間だったけど、湯気が立つ出来立てのまんじゅうは独特の甘い香りが非常に美味だった。

 大家さん家でケーキをごちそうになったばかりなのに、食い意地がはっている。

 けれど、食欲は生理的欲求だから仕方ない……なんて、一食抜くのも当たり前だったのは棚に置いて、自己弁護する。

 そして、隣が静かなことに気付いた。


「――どうしたの?」


 なんだか彼の顔色が悪かった。

 調子でも悪いのだろうか。やはり無理をさせている?


「――を、食べたい……?」

「え」


 何を言っているのか、よく分からなかった。

 聞き返そうと万十郎を見るも、彼はどこか青ざめた表情で私を見た。


「……ちとせさんの願いなら何でも叶えたいですが、それだけはご容赦下さい」

「え?」

 

 困り果てた様子で謝られた。

 硬い声が続く。


「人間はすっぽんを食すると聞きました。特に鍋が好物だと。――厳密にはすっぽんではありませんが、確かに精がつくでしょう。しかし……」

 

 なにがどうしてすっぽん??

 疑問符を浮かべる私に、苦悶の表情で告げてくる。


「――やはり駄目です。どうにか探してくるので、すっぽん鍋でご容赦下さい」

「いきなりどうしたの? すっぽん鍋とかいらないって!」

「では……生き血をお望みですか?」


 なんかブラックな展開が来たー!

 私は彼の胸倉をつかむ勢いで詰め寄った。


「ちょっと待って。私は鍋もいらないし生き血も飲まないから。そもそもなんですっぽん?」

「……違うのですか?」

「鍋の季節はまだ早いし、そもそもすっぽん食べたことないし、生き血とかなんのホラー映画よ」


 私は吸血鬼ではない。

 力説すると、彼は納得したのか少し安堵した表情を見せた。

 そして、今度はなぜかうっすら目元を赤らめた。


「では……あやかしの食事を所望ですか?」

「あやかしの食事? あやかしも何か食べるの?」


 確かに活動する以上エネルギー源が必要だ。人間の食べるものがあやかしにとっては嗜好品にしかならないのなら、あやかしはどんなものを食べて栄養を摂取しているのだろう。

 私は今更ながら興味がわいた。

 なのに、彼は耳まで僅かに赤くして黙っている。


「えっと。黙ってたら分からないんだけど……」

「……交わりです」

「え」

「あやかしは交わることで互いの精気を増大させ、生気として体内に吸収します」

「……それは、ええと」


 お互い沈黙した。

 じわじわと言われたことを理解するに従って、伝染するように赤くなる。

 彼は思い切ったように私を見た。


「人間があやかしを食べるのは聞いたことがありませんが、ちとせさんがお望みなら――」

「待った――!!」


 私は両手で彼の口をふさいだ。右の手のひらが唇の感触を伝えて妙にドギマギする。左手の甲には所有物を現しているかのような黒と金の印。


「違う。何を勘違いしているのか知らないけど、まったくもって違うから」


 茶色の瞳が瞬く。

 なんだこの修羅場は。私はただ買い物に来ただけというのに。

 そう、買い物――。

 我に返る。今は夕方のタイムセール。周囲は人の目にあふれかえっていた。






 好奇の視線に晒されながら超高速で会計を済ませアパートへ戻った。

 レジの人に頑張ってと言われた。もうあのスーパーにいけない……。

 知人がいなかったのがせめてもの救いか。いや、大家さんは顔が広いからどうだろう。隣人のお嬢様も意外と庶民スーパーが好きだし。


「ちとせさん?」


 無言かつ足早に帰路につくと、ようやく勘違いに気付いたらしい万十郎が私を見た。


「……何?」


 半ば据わった目で彼を見る。ぷっきらぼうな口調になるのは勘弁してほしい。

 なのに。

 玄関のドアを開けた私に、彼は至極真面目に言った。


「まずはうがい手洗いです」


 我が道を行く亀が恨めしい。

 言われた通り洗面所に向かう私も。


 エアコンをつけて一息つく間に、彼は買ったものを収納していた。本当に手際が良い。

 そして、戸棚に眠っていた急須で煎茶を淹れてくれた。

 そういえば先ほど茶葉を買っていた気がする。


「どうぞ」

「……ありがと」


 一口含むとほどよい渋みとすっきりと爽やかな甘みが口の中に広がる。

 私も一度淹れたことがあるのだけど、苦いばかりでお世辞にも美味しいと言えなかった。  

 飲んでいるのは私だけで、彼の前には湯呑がない。


「あなたは飲まないの?」

「手を加えた飲み物より、自然のままの水のほうが好きですね」

「そういえば純粋な水しか飲まないと言っていたっけ。水も嗜好品?」

「いえ、水と大気に満ちる霊力があやかしの力の源です。あやかしの世界であれば、果実や野菜にも霊力が含まれているので、時には人間と同じように料理をしますが、人間の世界の野菜や果物にはほとんど含まれていないので、豊富な霊力の含まれる水杜島の水は貴重ですね」

「霊力ってよく分からないけど、それって大丈夫なの? 栄養失調になったりしない?」

「亀のあやかしは丈夫なので、問題ないです」

「そういう問題なの……?」


 どうにも納得できないが、あやかしの身体のことなど知りようがない。

 万十郎は穏やかに笑うばかりで追及することも躊躇われる。


「なら……」


 言いかけて口をつぐんだ。

 あやかしの食事というスーパーでの言葉は何だったのか。

 視線で問うても、彼は首を傾げる。

 あやかしは空気というものを読めないのか。

 しぶしぶ私は小さな声で聞いた

 

「スーパーで言ったあやかしの食事ってどういう意味……?」


 彼は瞬くと困った様子で笑った。


「通常は料理したものを食せばいいんですが、それで足りない場合ですね」

「というと?」

「何らかの理由で極端に霊力が衰えたとき交わります。まあ、人間でいう栄養食のようなものでしょうか」


 微妙な例えだが、なんとなく理解した。

 そして、彼はどこか言いにくそうに続けた。


「ちとせさんは栄養不足の状態が長期間続いていたので、僕を欲したのかと」

「突拍子すぎ! そもそも、どうして私が万十郎を、その、食べたいとか思ったの?」

「ちとせさんがそう言ったからですよ」

「え……?」


 そんなこと言ったっけ。

 そんなホラーなセクハラ発言はした覚えがない。

 首を傾げると、彼は言った。


「僕を食べたいと言っていたでしょう」

「私が?」


 万十郎を食べたいとか、そんなこと言うわけ――。

 言いかけて、はたと口をつぐむ。


「まんじゅう……?」


 スーパーでの出来事を思い出す。

 ギフトの解体コーナーで手に持った水まんじゅう。

 そして、その時呟いた言葉。


「――まんじゅう食べたい」


 誰にともなく呟いた言葉だから、まんじゅうではなく万十郎を食べたいと聞こえてしまったとか……?


「僕を食べたい……?」

「違―うっ!!」


 私は勢いよく首を振った。

 振りすぎて目が回った。

 息も切れ切れに言い切る。


「違うよ。饅頭よ。お饅頭!」

「饅頭――?」


 慌てた様子の私に、ようやく理解したのか万十郎は驚きを滲ませて言った。


「そう、なんですか……」


 そうして、ほっとしたようなばつが悪そうな顔をした。

 私も同じような顔をしているだろう。

 何となく気まずい沈黙が流れる。


「……勘違いするとは思わなかった。ごめん」

「いいえ。こちらこそ、お騒がせしてすいません……」


 眉尻を下げた姿が本当に申し訳なさそうで、これ以上言葉を重ねることができない。

 しかし、名前がとんでもない勘違いを生むことになるとは……。

 思わず脱力したが、ふと疑問が沸く。


「万十郎は……」

「はい?」

「っ、なんでもない」


 あやかしの食事をしたことがあるかなど聞けない。

 私は医学生であっても、異性慣れはしていないのだ。


 ――けど、彼はあやかしだから、あるのだろうな……。

 そう、十年前重症を負っていたというのだから。


 なぜか戸惑う私に、ためらいがちに声がかかる。


「ひとつ聞いていいですか?」

「――なに?」

「なぜ水まんじゅうを食べたいと思ったんですか? 菓子なら他にもたくさん陳列されてました」

「ああ……」


 そこで私は、季節毎に旬の和菓子を食べるという実家暮らしでの恒例行事を語った。


「そもそも私が水まんじゅうを持って立ち尽くしてたのがいけなかったのよね。勘違いさせてごめん」

「いえ。ちとせさんが謝ることではありません。――ちょっと待ってください」


 そういうと、万十郎は立ち上がり台所に消えていった。

 戻ってくると長細い箱を手にしていた。


「それは……」

「ここに来る道中買ってきました」


 包装紙は近所の少し名の知れた和菓子店のものだった。

 そういえば、彼はここに来た時、トランクケースの他に紙袋も持っていた気がする。

 ちなみに、トランクケースの中は長期外泊前提の大荷物だった。


「本当は島でちとせさんのお母様が手作りの菓子を僕に持たせたかったようですが、ここに来るまでに海を渡るうえ、辿り着くまで時間がかかるので傷んでしまうとお断りしました。そこで――」

「代わりに何か買ってくるよう、お母さんに頼まれたの?」


 聞きながら、違うと思った。

 なぜなら、彼が持つ和菓子は抹茶ようかんだったから。

 私が抹茶を苦手と知る家族は、彼に手土産を頼むときそのことを伝えるだろう。

 実際、彼は首を振った。


「いえ。ご両親は良さげなものを作って郵送すると言っていました。なので、僕はその土地でしか食べられない旬のものをと。迷いましたが、道中の菓子店でおすすめのものを店の者に選んでもらいました。……けれど、抹茶が苦手だったんですね」


 私は言葉を詰まらせた。

 数日前、母から荷物を送ったと連絡があった。それで、昼の呼び鈴に宅配業者かと思い、ドアを開けたところ彼がいたのだ。

 苦しくなるくらい、私は思われている。 

 こんなことで、私こそ恩を返せるのだろうか。

 両親に、そして、助けたことなどすっかり忘れていた私に、それでも尽くそうとしてくれる目の前の優しいあやかしに。


「食べるよ。食べたい」


 私の言葉に万十郎は僅かに目を見開き、嬉しそうに微笑んだ。


「もう夕方ですし、これは夕食後のデザートにしますか」

「そうだね――」


 幼い時の経験で苦手になった抹茶。

 けれど、夕食後に食べた抹茶ようかんは、上品な甘さと僅かな渋みで、大変私の口に合った。




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