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あやかし家政夫  作者: 琴花
第一章
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妄想一歩手前

 気づくと茶色い瞳が目の前にあった。

 目が合うとそれは柔らかく細められる。


「おかえりなさい」

「――ただいま」


 無意識に返事をする。

 瞬くと、くらりと眩暈に襲われた。

 どこか乗り物酔いに似た不快さに目を閉じ耐えていると、ゆるゆると思考が戻ってきた。

 まだどこか夢見心地のまま、ぽつりと呟いた。


「思い出したわ……」

「よれは良かったです」


 良いのか悪いのか……。

 私はテーブルに肘をつき、額に手を当てる。

 とりあえず、生じた疑問を口にした。


「ひとつ質問――私があなたを助けたのはいつの話? 年月日で詳しく教えて」

「西暦や月日は認識していませんが、およそ十年前です」

「じゅうねんまえ……」


 額に当てた手を上にずらし、頭を抱えた。

 テーブルに突っ伏して沈み込む勢いのまま、がばっと起き上がる。

 急に動いたため再度眩暈がしたが、そんなの気にしていられない。

 

「さっき訪ねてきたとき、先日はって言ったよね。十年前は先日なの?」

「あやかしは人間に比べて時間の経過が緩やかですから」 


 あやかし、ね……。

 私は目を伏せた。


「……お子様が視えたわ。あの背伸びした大人ぶった子供、まぎれもなく小学生の私だわ……」

 

 思い出した。ゴールデンウイークが明けた最初の日曜日だ。

 みかんの花を見に散歩をしていたら、幼馴染の少年が亀を苛めて遊んでいた。

 無駄に正義感が強くて多少潔癖であった子供の私は間に入って彼を叱りつけ、棲み処であろう森の泉まで亀を送り届けたのだ。

 目の前の青年がその時の亀――?


「顔色が悪いですね。意識だけ過去に飛ばした反動でしょうか。つらいなら無理せず横になってください」

「平気。横になると逆に考え込んでしまうから。それより、あなたがあの時の亀?」

「そうです」


 私は長く深く息をはいた。

 亀が人間? 信じられない。


 ――違う。信じたい。


 けど……。


「ちとせさん……?」

「あなたが嘘をつくひとには見えない。けど、亀とあなたが同一人物だなんて信じられない。そりゃ、科学で説明できない事象があるのは理解できる。けど、どうやったら亀が人間になれるの?」


 それに、彼は見た目二十歳を少し過ぎたくらいの青年だ。十年前なら小学生か大人びていても中学生だ。あの亀は子亀には見えなかった。

 すっかり頭でっかちな人間になった私に、青年は困惑気味だ。


「思い出してくれたのは良かったですが、あくまで僕だと認めない?」

「物的証拠が欲しい」


 論理ぶり、悪魔の証明を実証しろと強要している感はある。

 返答に窮す彼を困らせたいわけじゃない。ただ、理性も感情も今しがた経験した事象に追いつかない。

 彼は信じてとしか言えないだろうに。

 私は目を閉じて額を押さえた。

 一拍置いて、ごめんと言おうとした時、静かな声が割って入った。


「分かりました」


 なにが、と問おうとして、あんぐりと口を開けた。

 青年の全身が淡く光に包まれていた。

 細かな鱗粉みたいな金色の光に瞬くのも忘れて見入っていると、光が収縮した。

 それはひとの形を失い、どんどん小さくなり、青年が着ていた着物が重力に従いぱさりと落ちる。

 ほどなく、光が収まった。

 

「な、なに……?」


 何が起こったのか分からないが、人ひとり消えたのは確かだ。

 床に重なり合う着物が揺れたと思ったら、一匹の亀が姿を現した。


『これで、満足してくれましたか?』


 空気を震わせてではなく、頭に直接声が流れ込んできた。

 私は頭の中が真っ白になり言葉も失った。瞬きも忘れて、亀を凝視する。


『ちとせさん?』

「…………亀だ」


 ぽつりと呟く。意識の隅に残った金色の瞳。そして甲羅の傷。まぎれもなく、あの時の亀だ。

 私は呆然とその生き物を見る。

 真っ白な思考の中、お互いを見やる。


 ――あ、瞬きした。


 かくんと首を傾げる動作をされ、私は苦笑した。

 説明できずとも決定的な状況証拠を突き付けられると、私はもう白旗を振るしかない。

 あやかしなどという不可思議なものは存在しないという、凝り固まった思考が崩れ去る。

 そうだ。世の中には絶対なんてない。ひとが亀に変化しないとなぜ言い切れる。

 開き直ると、なぜか清々しい気持ちになった。 


「――ふふ、面白い」

『え?』

「分かったわ。あなたが十年前の亀だと信じる」

『ちとせさん――!』 


 嬉し気に名前を呼ばれても、まだ正直違和感しか感じない。

 けれど、今にも小躍りしそうな亀を見ると顔が緩んだ。


「悪いけど、姿戻ってくれないかな。頭に直接声が響くのはちょっと慣れない」


 というより、時間旅行したばかりの身では眩暈がひどくなりそうだ。今も少し頭痛をお迎えしている。

 果たしてすぐに人の姿に戻ると思いきや、亀はしばし沈黙した。


「どうしたの?」

『……いえ。命令なら』

「え?」


 命令というよりお願いだけど。 

 言う前に、亀が再度光を帯び、拡大する。

 淡い金の光は人の姿になると少しずつ薄れて――。


「――え」


 現状、体調が良好とはいえない私は、頭の回転が鈍っていたようで、至極当たり前のことに気付かなかった。

 床に散らばる衣服。そこから這い出てきた亀。

 人の姿に戻ると――。


「最近の人間の女性は大胆なんですね」


 裸でした。




 声にならない悲鳴をあげて、青年を洗面所兼脱衣所に放り込んで。 


「……すいません。肝が据わっているなと思いました」

「いえ、こちらこそ、考えが至らず申し訳ないです……」


 お互い謝りっぱなしだ。 

 何か言わないと、意外と豊かな想像力が思わぬ力を発揮してくれる。

 着物を着ていたから分からなかった、しなやかな肢体。いや、肉体。いや、身体。

 はい、完全混乱中です。


「――ちとせさん?」

「っ、はいっ?」


 少し太めの眉を困った風に下げて、茶色い瞳が気づかわしげに揺れている。

 シャープな顎のラインに形の良い唇。くっきりと浮き出た喉仏。

 じゃなくて!

 医学の教科書には裸体図など普通に載ってるのに、なぜ動揺してしまうのか。すぐ隣に皮膚を一枚めくった内側の臓器や筋肉などが描写されているから? やはりプライベートであるか否かは大きい。

 そういえば、人の姿だと内蔵はどうなっているのだろう。人の食事は必要としないといっていたけど、そうしたらどうやって栄養を摂るのだろう。人間ドックに入れて徹底的に検査してみたい。 


「大丈夫ですか? やっぱり横になっていたほうが……」

「平気! 平気だからっ」


 横になると想像が妄想に変わりそう……。

 斜め上に走っていた思考を正常運転に戻す。 

 人の姿に戻った時座った状態だったので、幸いにも下半身は着物がまとわりついていた。不幸にもあられもない姿に見えた。

 そういえば、母からの手紙には、証明してもらうには時と場所を考えろって書かれていたっけ……。

 すごく納得した。


「けど、見た目成長してないというか、亀の姿は変わってないよね。十年前なら子亀だったんじゃ?」

「先ほど、人間より時間の経過が緩やかと言ったように、あやかしは長寿なんです。十年くらいでは見た目は変わりませんよ」


 それは長寿の次元を超えている気がする……。

 常識という壁を叩いて壊して踏み砕いた存在に、私は「そうですか」と答えるしかなかった。 


「でも、どうして今になってお礼に? あやかしには短い時間かもしれないけど、人間にとっては決してそうではないと認識していなかった?」

「いえ、負傷していたので、休息に費やしました。目が覚めると十年経っていました」


 なんというか、スケールが大きすぎて、もう突っ込めない。

 とりあえず、亀を苛めた陽太少年を正座させて数時間叱り飛ばしたい。




 話疲れたのでお茶を飲む。今度は冷蔵庫から出したての冷たい麦茶だ。

 私だけ飲むのもどうかと思ったので一応聞くと、純粋な水なら飲むとのこと。

 ミネラルウォーターは常備してないので、水道水に氷を落としたものを出した。

 水道水を直に飲める現代日本の浄水機能は世界トップクラスだから、大丈夫だ。多分。


「そもそも、どうして棲み処の泉から人里まで出てきたの?」

「人里というか日の光を浴びに行ったんです。森の中は十分日差しが届かないので甲羅干しできなくて」

「そのあたりは普通なのね……」

「まあ、それ以外もありますが。……ああ、この水は思ったより飲みやすいですね。やはり、泉の水と比べると若干劣りますが」

「そりゃ、完全な天然水と比べたらだめよ」


 水杜島の水は隠れた名水だ。あちらこちらから澄んだ水が湧き出る。

 森の泉は水源にはなっていないが、湧き出る水は島民が飲む水と同じものだろう。

 ちなみに、島の外に出て最初に思ったのは水の味の違いだった。

 下手をすると、島の水は市販のミネラルウォーターより美味しいかもしれない。

 

「――そういえば大家さんと知り合いなのね」


 まさか共通の知り合いとは思わなかった。それも、人情味あるとはいえ、大家として常識人の松木さんは、結構彼を信頼している感じだった。


 ……常識人だよね?


 すっかり忘れていたが、見た目跪き見上げる青年とそれを見下ろす私という、誤解を生みだしかねない現場を目撃した人だ。かなり興奮していたし、近隣の奥様方に話のタネ提供とか……。

 ないと信じるが、とりあえず後でお宅訪問しないと。多分、電話では埒が明かない。

 私の言葉に、青年は「ああ」と笑った。


「大家さんとは今朝知り合いました。ちとせさんのことを案じてくださる良い方ですね」

「今朝?」


 いや、案じてくれるのはありがたいけど、なぜ朝っぱらに知り合うのだ。

 そして、玄関でのごたごたがあったとはいえ、数時間で私と彼の関係を誤解するのも疑問に残る。


「ちとせさんの部屋に伺うには早すぎる時間についてしまって、周囲の探索をしていたら声をかけられました」

「それ、不審者一歩手前……」


 早すぎるって何時だろう。まだパジャマを着ている時間くらい?

 ちなみに、朝食は母の推察どおり食パンでした。牛乳を切らしていたのでお供は麦茶。

 私の身体の水分は麦茶でできています。冬はほうじ茶。

 なんて冗談は置いといて。


「不審者じゃないですよ。新聞配達の方にもきちんと挨拶しました」

「早すぎっ!」


 この辺りは近所付き合いが豊富な地域のようで、近隣住民は顔見知りが多い。

 そんな中、早朝から知らない人がうろついていたら気にもなるだろう。

 しかし、大家さんも早起きだ。


「ちとせさんに恩があって訪ねてきたと話したら感激されました。あなたのお母様から連絡があったようで、すぐ信じてくれましたよ」


 母よ。行動がはやすぎるぞ。


「そして、大家さんのお宅でスーパーの特売日やゴミの分別を習っていたら時間が過ぎて、気付いたら正午過ぎていました」


 主婦の会話をしていたと。

 私はこめかみを揉んだ。もはや、頭痛の原因は過去に意識を飛ばしたからではない。

 なんだか外堀が埋められている気がする。


「……とりあえず状況は理解した。あなたは私が十年前に助けた亀の化身で、傷が癒えた十年後の今、恩返しにやってきたと」

「概ねそのとおりです」


 確かに、両親に心配をかけている自覚はある。大家さんも世話焼きで優しい。

 ――けれど。

 私は手の甲に浮かぶ黒と金の印を見た。


「――また意識を過去に飛ばすことは可能なの?」


 青年は瞬きすると、「無理でしょうね」と首を振った。


「先ほどの過去視は忘れていた記憶を呼び起こすもので、印は閉じられた記憶の扉の鍵といった役割でしょうか。思い出し、開け放たれた扉は再び施錠されない限り印は鍵としての役割を果たさない。――もう、忘れないでしょう?」

「あれだけ強烈な体験をすればね……」


 なんで忘れていたのだろうと不思議なほど奇妙な体験だったけど、当時の私からすれば日常の一コマだったのだろう。

 幼馴染と喧嘩して、自然と仲直りしながら一緒に歩いた平和な一日。

 私は大きく息を吐いた。


「色々と納得した。けど――」


 私は意識して語気を強めた。


「……あの時、亀を助けたのは偶然の成り行きで、そのことであなたが感謝をしたり責任を負うことはないの。お礼ならさっきのお昼ご飯で十分」


 私は麦茶を飲み干すと、携帯電話と財布をポーチに入れて立ち上がった。


「ちとせさん?」

「――だから、島に戻ってくれて構わないから」


 コップを流しに置いて、そのまま外の扉に向かう。

 

「ちょっと外の風に当たってくる。鍵は持ってるから開けたままでいいよ」


 背に刺さる視線を振り切るように太陽の光を浴びた。



 

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