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あやかし家政夫  作者: 琴花
第六章
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新月の邂逅

 雪将軍と一戦交え、万十郎は思いのほか霊力を消耗した。

 霊力の豊富な食べ物を摂取してもすぐには回復しそうにない。

 そもそも人型を維持するだけでも霊力は減っていく。

 再び稼働する門の管理に、長年共に暮らし管理のイロハを知り尽くした世話役を代理として据え、万十郎は数十年ぶりに亀の姿になって眠った。

 寝床は、霊力の濃い薬草を煮出し泉の水で薄めた水薬。内外から効率よく霊力を吸収でき、現世の医院でも利用される治療法である。

 そうして身体を休めた万十郎だが、ちょっとした冬眠状態に陥ったようで、目が覚めると数年が経過していた。

 

 目覚めた万十郎にもたらされたのは、甲国が落ちたこと。国王は討たれ、他の皇族は軒並み霊力を封じる枷をつけられ国を追われ、首を挿げ替えるため一人のこされた脆弱な皇子が新たな王となったらしい。

 一報を聞いても、万十郎は驚くほど心が凪いでいた。むしろ、約束通り辺境に手だしされなかったことに安堵した。

 これからどうなるかと不安がる辺境の民も、元来平穏を愛し変化を厭う亀のあやかし。辺境を荒らさないという約束が守られていることに徐々に落ち着きを取り戻し、日常に戻っていった。長寿のあやかしほど感情の起伏が少ないことも良い方向につながったかもしれない。




 日が傾く日没間近、万十郎は森にいた。この時間にしかとれない山菜を探してだ。緑が濃く、夕顔が可憐な白い花を咲かせている。何年経っても清らかな空気は変わらず、万十郎は霊力に満ちたそれを胸いっぱいに吸い込んだ。

 泉への道を避けて歩くのには理由があった。


 冬眠から目覚めて以降、消えない胸の熱は乾きとなり万十郎を苛んだ。どれだけ霊力の豊富な食物を食べても満腹になることはなく、いくら身体を休めても乾きは癒えない。

 気分転換のつもりで森を散策すると、無意識に泉に行き、やがて水面に映る少女の姿を目にして非常に驚いた。

 万十郎と同じ背丈にまで成長した少女は、幼い頃の面影が綺麗さっぱり消え去っていた。

 こけた頬にかさついた唇。落ちくぼんだ瞳は異常な輝きを帯びていて、何か悪いモノに憑りつかれたのではないかとすら思えた。

 ふらふらと歩く姿に思わず手を伸ばし、指先が冷たい水に浸かる。

 彼女はここにはいない。門をくぐり現世に渡っても同じ姿の彼女がいるとは限らない。

 近くて遠い存在だ。

 そう思うと、もう黄昏時に来ることはできなくなった。


 どのような状態であれ、もう一度彼女の姿を目にすると、やっと取り戻した平穏が壊れそうな気がしてならなかった。そして、一度灯った胸の熱は消えることのないまま、手に負えないほど大きくなりそうで怖かった。 


(泉に人影が映っても、それがあの少女であるとは限らないのに)


 万十郎は自嘲の笑みを浮かべた。

 門は他国にもあるため、現世のあやかしが訪れることも格段に減り、万十郎は早すぎる余生を満喫した。


 つもりだったのに。


「この霊力は――」


 夏とは思えない冷えた空気が流れ込み、森に招かれざるあやかしがやってきたことを知った。

 万十郎は思い切り顔をしかめた。冷たく肌に刺さるような霊力は、忘れようはずもない。雪将軍の異名を持つ青年の姿が浮かぶ。

 だからといって放置することは考えられず、すぐさま闖入者のもとに向かう。

 やがて、百年前と変わらぬ姿で彼はいた。

 万十郎を目にとどめると、ゆったりと笑った。


「久しぶりだ」

「何の用です」

「ちょっと門に用があってな」


 万十郎は内心の動揺を悟らせまいと、言葉少なく言い切る。


「異界に渡るには許可が必要です」

「斗国王陛下の遣いだからな、勿論持っている」


 渡された通行証には確かに斗国の金印が押されていた。

 万十郎は冷静さを意識しながら問いかけた。


「現世に何の用です」

「内密の用だ」

「管理者にも明かさないのは規則違反です」

「意外と頭が固いな。――俺が甲国を落としたことを恨んでいるのか」


 万十郎は沈黙した。

 風が吹き葉擦れの音がする。

 白夜は万十郎に目を向けた。


「まさか知らなかったと」

「いえ。想像はつきました」


 むしろ、納得した。

 皇都を落とすものなど他に考えられない。


「仇が目の前にいるのに冷静だな」

「思うところはないので」


 万十郎は淡々と告げる。


「僕は名ばかりの皇族。血のつながり程、不確かな縁などありませんから」

「忌み子というのは本当だったのだな」


 ただ事実を確認するだけの声音。

 万十郎は眉ひとつ動かない。


「貴殿のような強者が多く居るかと思ったが、みな脆弱だった」

「そうですか」

「玉座に座る傀儡の王は貴殿の双子の兄だぞ」


 肩が一瞬動いた。微かな動揺に白夜は満足げに笑った。


「他の皇族の中でも、彼が一番弱かった。だから生かして玉座に座らせよと言いつかった。湿地帯の多い甲国は、斗国に多い兎のあやかしには住みにくいうえ、こちらとしても、自力で再建するには長い年月のかかる、荒れただけの国などいらないからな」

「……そうですか」


 争いとはそういうものだ。高い霊力を用いて天変地異を起こすあやかしなら特に被害は甚大となる。

 あやかしはそれを知っているから、諍いが起こっても大規模に発展することはまずない。互いに妥協点を見つける。

 ただ、今回はそうならなかっただけだ。


「貴殿が強いのは、彼の力を吸い取って生まれたからか」

「そんなの知るわけがない」

「確かに。成程、貴殿は冷酷というより、守るものとそれ以外の線引きがはっきりしているのだな。今、この地を凍土にせしめたらどうなることやら」


 嘯く白夜に、万十郎はまさに凍土もかくやという視線を向けた。

 

「冗談だ」


 肩をすくめると、「さて」と彼は泉の方向に目をやった。


「門はあちらかな」


 万十郎の警戒度が急上昇した。

 白夜の言動を逐一見逃さないように、慎重に問いかけた。


「もう一度聞きます。現世に何の用です」

「……君主の孫娘が思い病を患い、治療には人間の精気が必要と言われた。それで、良さげなモノを見繕って連れてくるように申し付かった」


 沈黙。

 万十郎は強く言い切った。


「それは許されざることだ」

「進言したが、辺境を見逃したことを付けこまれた」


 万十郎は言葉につまった。

 白夜は視線を戻すと、淡々と告げた。


「確かに現世の人間を拐かすのは禁止されているが、なぜなのか俺には分からん。あれは我らに似て非なる脆弱な動物だぞ」


 万十郎は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 考え方が根本的に違う。


「駄目です」


 思わず声を荒げると、白夜は目を丸くしたが、やがて得心がいったように頷いた。


「なぜ? ……ああ、門も守るべき辺境の一部であるからか。だが、異界まで懐に入れていればキリがないぞ」


 現世はただ門の行きつく先。特別な場所として認識しているわけでもなく。

 なのに、言い返せない。


 懐に……。

 思いつくのはひとつだけ。

 いつの間にか水面に映っただけの少女を守るべき存在と認識していたのか。

 万十郎は、茜と薄青が混ざった空を見た。


「――どのみち、今門は現れていません。引き返すしか」

「今宵は新月だ。日が落ちれば渡れるはず。もう間もなくだろう」


 白夜も同様に顔をあげる。


「俺としても、従妹の命は惜しいのでな。通行証もあるし、通らせてもらう」


 言うや、氷混じりの強風を万十郎に吹き付け、思わず顔面をかばううちに、疾風のように走り去った。

 一拍置いて、万十郎も慌てて後を追う。

 白夜は兎のあやかしのため、足の速さは亀のあやかしの万十郎より速い。

 万十郎は舌打ちする。

 彼なら、先ほどの冷風で万十郎を傷つけることもできただろうが、そうはしなかった。

 対立しても約束を守るあたりは律儀だが、それはそれ。

 現世に渡らせるわけにはいかない。


 泉にたどり着いたとき、まだ水面に門は出てきていなかった。

 安堵するが、橋の先端、泉の中央に立った白夜は水面を見ていた。


「これは、現世の光景か」


 そんな呟きが聞こえて意識がそちらに向かう。

 遠ざけていた黄昏の水面。現世の光景。胸を焼く少女。

 白夜を止めることも忘れて、現世を映す水面を見た。


 外見的な年齢は万十郎と同じくらいであろう、少女から大人の女性に変わりつつある彼女がいた。

 痩せぎすの体は若干肉がついたように思える。顔色も以前ほどは悪くないとは思うが、向こうは夜なのか暗く、水面を通していることもありよくわからない。

 ただ、彼女の表情は硬く強張り、瞳が零れ落ちそうなくらい見開かれていた。


 万十郎が瞬きする間に、きらりと光るものが見えた。

 鋭く尖ったそれが刃物だと分かったのはすぐ。

 誰が握っているのか分からないが、骨ばった手は男だろう。血管を浮かせて柄を強く握り締め、その切っ先が向かうのは万十郎が意識してやまない彼女。

 男が突撃し、切っ先が吸い込まれるように彼女に向かい――。


「やめろっ!」


 万十郎は叫んだ。

 自分の声だと気付かないほど荒々しい声だった。

 思わず伸ばした手は水面を揺らし、波紋とともに彼女が揺らぐ。

 手のひらに残ったのはただの水。

 片膝をついた万十郎は濡れた手を震わせた。

 横に立つ白夜の視線を感じる。


「おい――」


 白夜の声は途切れた。

 地の底から鳴り響くような音がした。

 カタカタと地面が揺れ、水面が揺れ、やがて水底から圧倒的な質量がせり上がってきた。

 黒塗りの石造り。両側の柱には細かな装飾が施され、上層には模様のような呪文のような見たこともない文字が彫られている。

 異界へと繋がる門だ。


 空からは茜色が完全に消え去り、濃くなりつつある群青が広がっていた。

 いち早く我に返った白夜は、命じられた通り門を通ろうとする。

 門に囲われた内側は、渦を巻いたように揺らめき、視界が不明瞭だが、顎を引いて一歩踏み出そうとする。


「行かさない」


 万十郎が白夜の着物の袖をつかんだ。

 二対の瞳に火花が散った時、門の内側から光が漏れた。

 誰かが界を渡ってきたのだ。

 やがて渦から出てきた人物に万十郎は目を瞠った。


「君は――」


 あの少女だった。

 初めて目にした時よりもまだ幼い少女は、突然の界渡りに呆然と目を見開いている。

 万十郎も何か言葉を発しようとして、口を開閉する。

 震える手がゆっくり少女に伸びたとき、後方から氷点下の声音が届いた。


女の子(めのこ)か。男の子(おのこ)であれば現世に行く手間が省けたのだがな」


 とっさの判断だった。


「危ないっ!」

 

 少女を抱きすくめたと同時に、背中に焼け付く痛みが走った。


「なにをっ」


 白夜の驚く声が聞こえるも、万十郎の意識はすべて腕の中の少女にあった。

 小さくて柔らかな命。

 けれど、万十郎にとっては、これ以上なく大きな存在。

 そっと腕を緩めて少女の顔色を窺う。


「怪我はない?」


 問いかけると、少女は大きな瞳を零れんばかりに見開いて微かに頷いた。

 

「良かった」

 

 そっと息をつく。 

 時折、幽世に迷い込む人間がいる。そうなれば、万十郎のような現世と関わりのあるものに出会わない限り、あやかしを恐れて身を隠して生きていかなければいけない。穏健なものが多いとはいえ、人間にとってあやかしという生き物自体が脅威なのだ。


 幸いだった。

 迷い込んだ瞬間に出会った少女も。

 焦がれてやまない少女と出会えた万十郎も。

 あれだけ恐れていた邂逅も、こうして果たすと必然だったと穏やかに受け入れられる。

 万十郎は少女の頭を優しく撫でると、身体を反転させ、門に向けさせた。


「大好きな人達を思い浮かべながら走りなさい。そうすればすぐ戻れるから」


 諭すも、少女は戸惑ったように動かない。

 あまり時間をかけると、様子見をしている白夜がまた動き出すかもしれない。

 背に焼け付く痛みを覚えながら、冷や汗をかいていると、少女が顔をこちらに向けた。


「お兄ちゃんは……?」


 掠れるような声が届いて、万十郎に顔に笑みが浮かんだ。

 いい子だ。

 まだ年端も行かない子供だ。泣き叫んで恐慌に陥っても不思議ではない。

 なのに、目に涙をためながらも、こちらを案じている。

 

「僕は大丈夫だから、行きなさい」


 そして、白夜にも聞こえないように、小さな耳に囁く。


「僕の名前は――」 


 万十郎の顔を見ようと少女が振り向くも、そのまま背を押した。

 戸惑いながら小さな足が一歩踏み出す。躊躇したのは一瞬、少女は門に向かって走り出した。

 門の内側が揺らめくと、その姿は溶けて消えた。

 僅かな余韻を残し、万十郎は瞳を閉じると、力強く立ち上がった。


「というわけで、この先は行き止まりです」




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