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あやかし家政夫  作者: 琴花
幕間
32/49

令嬢先輩の苦悩2

 これまで会ってきた人たちは、小町が名家の令嬢と分かるや否やあからさまにすり寄ってきた。

 多少例外があるとするならば、男性からは下心を滲ませた視線を、女性からは嫉妬じみたそれを受けてきたが、想定の範囲内だ。


 しかし、百長ちとせはどれにも当てはまらなかった。

 初めてとられた無関心ともいえる態度に、むしろ興味が沸いて積極的に接するようになった。

 彼女に対しては、洗練された令嬢ではなく、庶民向けアパートに住むただの小町として、隣人兼先輩として接した。


 まつたけ荘では部屋に押し入り一方的におしゃべりをして酒をかたむけ、学内では昼食時にひとけのない場所を好むちとせに森の広場を案内した。

 望月の看板を背負っている以上、校内では表立って接することができない。それでも、ちとせは何も言ってこない。

 友人すら選べない社交界に、小町は嫌気がさした。それ以上に罪悪感も増していった。

 そして、先日の空也の言葉がずっと胸を苛め続ける。




 そうして月日を過ごすうち、小町はちとせの様子が変わり始めたことに気が付いた。

 環境が大きく変わる春、それが馴染めずにいる初夏、わけもなく気分が落ち込む梅雨、そしてうだるような暑さに身体がまいってしまう夏。

 季節が巡るうち、少しずつ、だが確実にちとせは体調を崩していった。

 本人は何も言わないし、気付いていないのか、いつものように過ごしている。

 むしろ、率先して学業に励んでいる。


 その学業が原因だと気づいたのは盛夏の試験明けだった。

 試験が終わると解放的な気分になりそうなものだが、ちとせは真逆だった。

 もともと感情の起伏が乏しく感じたが、輪をかけたように喜怒哀楽といった表情の変化はなくなり、かわりに思いつめたような緊張感が常に漂ってきた。


 無表情が鉄板の空也とは違う。ちとせはぶっきらぼうな物言いはするが、決して冷酷な人間ではない。

 春が終わるころ、彼女が朋子という名の学友と話しているのを見たことがあるが、普通に会話をし、笑っていた。

 けれど、夏休みが終わるころには目の下のくまが目立つようになり、髪の艶も失われてぼさぼさだった。

 服装も、もともと地味な印象を持っていたが、よれたシャツに擦れたズボンなど、もはや着られたらそれでいいという感じになった。

 血の気のない顔。なのに瞳はぎらぎらと充血している。

 真白い紙に一滴の墨が落ち、それがじわりと広がり、黒と灰色に染まっていくような感情の薄暗さを感じた。


 最初は、小町がちょっかいをかけることが原因かと思ったが、そうでもないらしい。

 昼食はいつもコンビニのおにぎりか菓子パン。

 そして、ベランダ越しに見える一晩中ついた明かり。


 理由は簡単。

 食事や睡眠時間を削って勉強しているからだ。


 いつだったか、大学の講義についていくのがやっとだとぼやいた。

 だが、本人の自己評価は低いが、ちとせは馬鹿ではない。

 むしろ、医学部生というだけでも、世間一般の同世代の中では優秀な類に当てはまる。


 実際、頭の回転はいい。他人のこころの機微に敏感で、当たり前のように、欲しい言葉をくれ、切に願った態度で接してくれる。

 見返りも求めない。というより、思ってもいないのだろう。


 友人や先輩後輩として付き合う分にはこれ以上なく最適な存在だったが、あまりの変貌ぶりに戸惑い、当たり障りのない言葉しかかけられなくなった、

 このままではちとせが倒れてしまう。

 どうすればいいのか苦悩していたところ、彼は現れた。


 ちとせに命を救われたという青年、市河万十郎。ちとせの左手の甲に印を与えた亀のあやかしだ。






 夜明けにはまだ早い闇の中、小町は喉の渇きに目を覚ました。

 部屋の隅に積まれた酒瓶を尻目に、冷蔵庫からミネラルウオーターを出して一口含む。

 カーテンを開けると、星が瞬いていた。

 それらを遮るような明るい光が隣の部屋から漏れる。


(まだ、起きているのね……)


 いったい何時寝ているのだろうというくらい、隣の部屋から照明が落ちることはない。

 小町にとってちとせは、少し変わった人間だけど、基本、勉強熱心な努力家という印象だ。

 しかし、前期日程が終わったあたりから、様子が変わった。

 試験から解放されて浮ついた気持ちの多い学生の中、ちとせはどことなく硬い表情で落ち込んだ様子だった。

 試験の結果が芳しくなかったのだろうと容易に想像がついたが、入学して最初の試験だ。勉強熱心なちとせだから、これからいくらでも巻き返しが付く。

 頼まれたら勉強の面倒を見よう。講義する教授によって教える方向性も変わるだろうし、女性が苦手な空也も、ちとせになら時間を割いてくれるだろう。


 ――頼られるのも悪くない。


 そう、軽く考えていたのが間違いだった。

 



 ちとせは、もともと真面目な勉強家だったが、その日から輪をかけたように勤勉となった。

 夏休みでも開放されている図書館に毎日通い、閉館時間まで入り浸り。帰宅後も、蒸し暑い夏、窓を開けていても、テレビの音が聞こえてきた試しはない。

 なくとなく心配になって、一度部屋に押し掛けた時、乱雑に詰めあげられた参考書に目を丸くした。それに、なんだか埃っぽく、キッチンもほとんど利用された形跡がない。

 これはちょっと異常だと感じてきた。


 それは、盆に帰省した後も変わらなかった。

 まつたけ荘に戻った後も、思いつめたように唇を引き結び、図書館と部屋の往復を繰り返す日々。

 衣食住の保証された実家に戻って、僅かに血色がよくなった肌は、あっという間に白く戻った。

 たまりかねて、釘をさしたことがある。


「このままでは、倒れちゃうわよ」


 頬はこけ、髪に艶はなくなり唇はかさついている。もともと小柄だったけど、ひとまわり小さく見えるほど痩せてみえた。

 いつ健康を損なうか分からない。むしろ、すでにどこかおかしくなっているのかもしれない。

 なのに。


「平気です」


 全然平気に見えないから言ったのだけど、ちとせは自身の変貌ぶりにまったく気付いていないらしい。

 濃いクマを作ったどこか淀んだ瞳で一瞥されると、何も言えなかった。

 空也も心配そうに様子を聞いてくるが、実際に倒れるか、体調不良を自覚しないとどうしようもないので、黙って首を振った。


 そして、今夜も隣の明かりが漏れ出るのをため息とともに見守るだけ。

 その時、こちらに向かって立つ人影が見えた。

 小町は目を細め、あっと口を開いた。

 そして、ベランダから飛び出しそうになるのをこらえ、カーディガンを羽織ると玄関口にまわって外に出た。

 小町の勘違いではなければ、彼は――。


「一人暮らしの女性の部屋を覗き見るなんて感心しないわね」


 内心の動揺を隠し、挑むように告げる。

 振り向いた青年は静かに笑んでいた。


「それは失礼しました。やっとたどり着いたので感慨にふけっていました」


 そして、再び明かりのついた部屋を見る。


「これで恩返しができます」


 青年の、夜陰でも分かる星月よりきらめく瞳で、予想が確信に変わる。


「あなたは――」

「こんばんは、いや、おはようございますかな? 市河万十郎です」




 初めて会った市河万十郎は、柔らかな茶色の髪と瞳をした少し垂れ目の青年で、穏やかそうな印象を受けた。

 実際、物腰は丁寧で口調もゆったりとしている。

 だが、見た目だけの存在ではないのは、水杜島から訪れた市河姓を名乗っていることで、人間社会にはみえない裏の事情を知る小町には分かる。

 青年は目礼する。


「初めまして、ですよね。望月家のお嬢さん」

「ええ。望月小町よ」


(あっち専門は空也だけど……)


 小町は、望月家の令嬢としてでも、まつたけ荘の小町としてでもない、もうひとつの顔で青年を見て告げた。


「あの子の左手の甲に印はあなたね」 


 彼は微笑んだ。




 それから、小町と万十郎は、互いの情報の不備を補った。

 ともに、それぞれが知らない間のちとせについてだ。

 そして、空が白み始めるころ、万十郎は事情を話しに大家さん宅に訪問することになった。

 事情とは、昔、命を救ってくれた恩返しをしたい。

 要は、同居して身の回りの世話をしたいということだ。


 若い男がほとんど初対面の女性の家に上がり込むのはどう考えても非常識だろう。

 けれど、それがするりと通るだろうと予想できたのは、大家さん含め、まつたけ荘の住民はどこか常識に欠ける存在だからだ。

 唯一、当事者ながら、事態の蚊帳の外に置かれている、一応常識人のちとせとはひと悶着あるだろうが、そこは彼の手腕に期待しよう。

 重要なのは、文句を言いつつゴミ出しを手伝ったくれた、越してきたばかりのころのちとせに戻ればいいのだから。




 結局、その日は、小町は大学に用があり、どうなることかと研究室でヤキモキした。

 十年も前の出来事を持ち出して突如訪れた存在など、ただでさえ張り詰めた様子のちとせは強固に反対し、最悪、警察沙汰になるかとも思った。

 けれど、結果的に万十郎はちとせの部屋に住みこむようになった。

 

 どのような攻防の末か、大家さんは了承し、ちとせ自身も納得したのだから小町に口を挟む権利はない。

 後になって知ったことだが、彼を送り出したのはちとせの両親らしい。これ以上ない、強力な後ろ盾だ。

 こうして、ほぼ初対面の間柄での同居生活という、なんとも奇妙な関係が出来上がった。




 初めこそ、慣れない同居生活に苦心していたようだが、次第にちとせは変わっていった。

 紙のように白かった顔色には血色が差し、ぼさぼさだった髪も櫛を通したように艶が増した。

 汗やほこりっぽい服も太陽の匂いがし、目の下のくまも消え去った。

 栄養と休息がとれているのだ。


 危うく淀んだ瞳など嘘のように、恥ずかしそうに彩り豊かな手作り弁当を開けるちとせに、小町は苦笑ともに複雑な思いを抱いた。

 そこまで献身的にされて同じ部屋で寝起きしてただの同居人とは普通は思えない。

 それに、これまで心を砕いてきた小町には成しえなかったことを、突然現れた万十郎はあっさり成し遂げたのもどこか納得がいかない。


 釈然としない気持ちを綺麗に隠しながらも、普通が通用しないのが百長ちとせである。

 受け答えがそっけなく見えて、実は空也並みに聞き上手で、空気を読むのがうまい。

 笑顔で茶化す小町を見る瞳は、その下にある感情など簡単に見破ってしまいそうだ。

 

 だが、それが恋愛面になると一気に期待値が下がる。

 色恋話は話題にも上らず、小町から発してもそうと気付かず真顔で受け流す。

 そもそも、愛だ恋だにうつつを抜かす暇があるなら、参考書でも読んでいる真面目ぶりだ。

 恋愛という言葉は知っていても、自身に関わることはないとはなから決めつけている。

 だからか、万十郎との関係を少しちゃかしてみると、見事に「普通に良い人」だと返ってきた。

 苦笑が爆笑になったと同時に、鬱屈した思いも吹き飛んだ。


 ――弟よ、想い人もライバルも一筋縄ではいかない相手だぞ。


 伝えると、双子の弟はたいめきひとつ遠い目をした。

 なぜか小町に向かっての視線に感じたが気のせいにする。

 



 ちとせに対し、小町は妹のように、万十郎は命の恩人として想ううち、仲間意識が芽生えたのは自然の成り行きだろう。

 時に雑談に花を咲かせた。

 まつたけ荘の門前で立ち話をしていると、帰宅するちとせが目に入った。

 彼女も小町に気づいたのか、苦笑したように頬を緩める。と、一瞬にして困惑顔になった。

 なにかと思えば、その視線の先は万十郎。

 ちょうど死角に入っていた彼が目に入った瞬間、二人楽しそうに雑談している姿に戸惑いの感情が漏れ出たのだろう。

 ひよこが成鳥するのは案外早いかも……。微笑ましくもどこか複雑に思っている早晩、事件が起こった。

 小町にとって因縁の相手ともいうべき存在が姿を現したのだ。

 親の失職で居場所をなくしたことで、自暴自棄となって傷害事件を起こし、結果退学した男。

 古瀬がちとせの前に現れた時、嫌な予感がした。


 小町がまつたけ荘に下宿しているのは極秘だ。

 学友はもちろん、近所の住民も、小町はただの美人な学生さんで通っている。

 見目を変えることはできなくても意識すれば雰囲気をがらりと変えることはできるし、望月という姓自体もそう珍しいものではない。

 しかし、近くに望月大学があることを考えると、やはり大家さんの人望が大きい。

 それこそ見た目噂好きの典型的な中年女性である松木さんだがは、下宿人に対してのプライバシー保護は絶対順守で、公私混同は決してしない。

 まあ、その下宿人はみな同等に扱うからこそ、ちとせの不調に察しながらも彼女だけ特別扱いすることができなかったのだけど。


 とにかく、庶民向けアパートに小町がいると察知し周囲をうろつく古瀬に、ひと騒動起こると覚悟した。

 けれど、ちとせは巻き込まない。


 ――そう思ったのに。


 今でも思い出されるのは、ナイフを向ける歪んだ古瀬の顔と、怯えて固まるちとせ。

 身体が動いたのは無意識だった。

 大の男でも対等に渡り合える腕っぷしの強さの小町なら、たとえナイフを持とうと古瀬を撃退することはできただろう。

 しかし、刃物を光らせ突進する男から庇うようにちとせに抱き着いた。

 居合わせた男性たちが止めてくれたが、それがなければ小町は重症を負っていただろう。


 こびりつく蔑んだ声。

 大切な後輩を巻き込んで弟に気を使われて、やっと小町は自覚した。

 ケーキを持参したとき、空也が放った言葉。


 ――小町は無意識に悲劇のヒロインを演じているんじゃないのか


 そうだ。例え無意識だとしても、小町は自身の不幸に酔っていた。

 小町の預かり知らぬ場所で啖呵を切って庇ってくれたちとせ。建前ばかりの耳ざわりの良い言葉と態度に名ばかりの学友囲まれるなか、真意を問うてきた空也。

 目を向ければ、少しでも心を開けば理解者がいる。本当はこんなに恵まれているのに。

 古瀬が、それこそ本音ともとれる暴言を吐いて襲ってきたことで、小町は自身と向き合うことができた。


 ――望月家の令嬢も、庶民向けアパートのちょっとした酒飲みのただの学生も、どちらも私。


 すとんと胸に落ちた。

 理解者がいてくれるならいい。本家に戻って望まれる令嬢で生きよう。

 そう思って口にしたが、結果的にちとせの言葉で空也までまつたけ荘にやってくるという斜め上の方向に話がまとまってしまった。

 それに安堵する自分も。


 ――やっぱり、私は自分に甘い。


 けど、まあいいかと。傷害未遂事件を伴ったその場は一応の決着をつけた。

 ……一応だ。

 小町には背筋の凍る余談があった。






「次はありませんよ」


 ちとせが登校してすぐ、万十郎は小町を呼び出した。

 デートのお誘いなんて軽く冗談を言ったものの、そんなわけがない。

 普段よりも青白い顔に、抑揚のない声。


「今回はあなたが身をもって庇おうとしたので赦します。けれど、またあなたがらみで彼女が巻き込まれることがあれば」


 つい先ほどまで、ちとせの傍で穏やかに笑っていたのに、その名残などまったく感じられない。

 金色の瞳に、本能が恐怖を訴えた。


「あなたを殺します」


 あやかしはごく当たり前の事実を述べるように淡々と告げた。




次話から新章です。

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