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あやかし家政夫  作者: 琴花
幕間
31/49

令嬢先輩の苦悩1

 隣を歩く百長ちとせに、望月小町は内心ため息をついた。

 ぼんやりと空を見上げる姿は、幼子のように無防備だ。

 小町は隣室に入居した当時のちとせを思い出す。




 温かな陽光が室内にも降り注ぐ三月の末、小町の部屋のインターホンが鳴った。

 真っ先に浮かんだのは大家さんだが、彼女は連続して押す癖があるし、ドアを開けずとも騒がしい雰囲気で分かる。

 だが、今は一度鳴っただけで静かなものだ。


 他の下宿人は小町とは一歩引いた立場で、用もないのに訪れることはしない。なにかあっても、大家さんを通す。

 双子の弟の空也は、ようやく確保した小町の避難先ともいえるまつたけ荘に表立って訪れることはない。


 なら誰だと、利用価値がありすぎる小町は警戒を滲ませる。

 居留守を使うことも考えたが、息をひそめても雰囲気で在室が分かるとは、宅配業者の言だ。

 たとえ訪問相手がいろんな意味で面倒な存在でも、大人の男性にも膝をつかない腕っぷしの強さと大人社会で培ってきた話術でどうにかできるだろう。むしろ、純粋に用があるのなら出ないわけにはいかない。

 そこまで考えて、小町は玄関先のドアに向かって声をかけた。


「……どちらさま?」

「隣の部屋に越してきた百長です」


 若い女性の声だった。

 

(そういえば、何日か前に大家さんから隣の部屋が埋まったと連絡があったわね)


 思わず脱力するも、百長という名前を大家さん経由ではなく、どこか別のところで聞いたような気がする。あれは、確か……。

 開錠し、ドアを開けると、はたしてそこには十代後半の大人の女性と呼ぶにはまだ幼さの残る一人の少女がいた。

 毛玉のついたトレーナーに色落ちしたジーンズ、土で汚れたスニーカーという、小町には無縁の服装だ。

 小町の視線に、少女はゆっくりと顔をあげた。


「隣に越してきた百長です。よろしくお願いします」


 まったくよろしくされるつもりはないとばかりの見事な棒読みだった。

 そして手に持った紙袋を無造作に差し出した。

 小町は目を丸くした。


「地元で作ったみかんを加工したマーマレードのバターケーキです」


 思わず受け取ったそれは、包装紙の上からでもほのかに柑橘とバターの香りがした。

 しかし、驚いたのはそこではない。差し出された少女の手に視えたそれは。


(この子……。ああ、そうか。水杜島の)


「では」

「百長さん」


 そのまま背を向けて去ろうとする少女を呼び止めた。

 望月の名を背負う小町は、これまで周囲の目を気にしながら慎重に行動してきた。

 けれど、まだ何かといわんばかりに振り向く彼女に、ちょっとした悪戯心が働いた。


「ありがとう。私は望月小町よ。どうぞよろしくね」


 まつたけ荘は望月医科大学に通う訳あり生徒の下宿先だ。ちとせが小町が望月家の令嬢だと知らなくても、大学に通うようになればおのずと知れる。

 小町は、名ばかりの学友に向き合ったときのように、洗練された名家の令嬢として優雅に微笑んだ。

 不躾にならない程度に目を合わせ、僅かに白い歯を覗かる。頭を傾ける角度、指先まで意識した神経。さらと長い髪の一束が肩を滑り落ちる。

 すべて計算ずくの行動だ。

 これで誰もが望月家の関係者だと気づき、性別問わず赤面し、我に返って慌てた様子を見せる。


 ――だが、彼女は違った。


「はあ……」


 僅かの間のあと、どうでもよさそうに呟き、「片付けがあるのでこれで」と軽く会釈をして今度は迷わず背を向けた。

 隣の部屋のドアが開閉する音を聞いて、小町は我に返った。

 衝撃だった。






 翌朝、両手に大きな荷物をぶら下げて歩く小町は、目的地に昨日挨拶を交わしたばかりの入居者の後姿をみてどきりとした。

 正直、今の姿は見られたくない。

 どこか行ってほしい。けれど、彼女はいかにもな部屋着姿なので、行くといってもアパートの部屋に戻るだけだろう。来た道を引き返すのでどのみち鉢合わせする。

 握り直した持ち手に、中の荷物がぶつかる甲高い音がした。

 振り返るちとせと目が合った。

 小町は内心ためいきをついて、にっこり微笑んだ。


「おはよう」

「おはようございます――」


 ぼんやりと眠そうな言葉が途切れた。


「それは?」


 彼女の視線の先には小町の持つ荷物。

 小町は軽く片手をあげた。


「なにって見ての通りビンごみだけど」

 

 荷物はビンごみ。目的地はゴミ置き場。

 ごみ捨ては日常の朝の光景だ。

 ただ、それは一般人の感覚で、深窓の令嬢がゴミ出しなど、名家に連なる学友たちは考えもしないだろう。

 見られて恥ずかしいものではない。けれど、見られたくなかったということは、小町は無意志に令嬢の仮面を被っていたことになる。

 内心の動揺を微塵も表に出さず、小町はゴミ置き場に手際よくビンごみを並べていった。

 ちとせが呆然と呟いた。


「だからカゴがたくさんあったんですね……」


 ビンをそのまま捨てるのは割れたりして危険なので、仕切りのある専用の容器に移し替えることになっている。


「手伝います」


 言うなり、ちとせは小町のとなりにしゃがみこみ、同じように空き瓶を片付けた。


「こんなにたくさん、重かったでしょう」

「私、力持ちなの。このくらい平気よ」


 昨日小町のもとに挨拶に訪れたときはそっけなかったのに、今朝はいやに親切だ。

 なにか下心があるのだろうか。

 小町は仮面の笑みを意識する。


「そうなんですか? けど、これでは肩や腕を痛めて――」


 言葉が途切れた。


「これ、もしかして全部お酒ですか」

「そうね」 

「これだけの量、まさか一人で飲んだわけじゃないですよね」

 

 空瓶のほぼすべてが酒だ。

 小町は、両手に一杯ぶら下げていた日本全国を網羅してそうな地酒の空の瓶を一瞥し、視線をあげると、ちとせが眉を寄せていた。 


「昨日ごみの廃棄日について確認しましたが、ビンごみは隔週でした。前回捨てるのを忘れたとしても、これでは数が多すぎます。もしひとりで飲んだのなら、早急にアルコール依存症の検査をするべきです」  

 

 真剣な表情。

 初めて視線が交錯した気がする。

 小町は手を止め、唇の端を上げた。


「お生憎様、一緒に飲んでくれるお友達なんていないわ」


 ドレスアップして、宝石のようなカクテルを飲む友人ならいるけどね、と付け加える。

 徳利で焼酎を飲みかわすような存在などいるわけがない。


「検査しましょう! いや、まずは大家さんに相談? とにかく、このままでは駄目です。健康を害します」


 ちとせは慌てた様子で手早く残りの空瓶を移し終えると、小町の手首をつかんだ。

 慌てぶりに小町は目を丸くするも、つかまれた手ををやんわりと外す。


「平気よ。私、お酒に強いから」


 事実なのだが、ちとせはくるりと振り返ると、据わった瞳で一言。


「駄目です」


 もう一度つかむと、そのまま引きずるように、ちとせは小町を大家さんの家に連行した。

 あまりに真剣な態度に、小町は反応を返せず、されるがままだった。

 幸いというか、あいにくというか、大家さんは留守だったので、「今度、きちんと検査受けてください」と頼み口調で命令されたのち、解放してもらった。


(本当に、昨日とはずいぶん違うわね)


 衝撃の次は困惑だった。






 入学式に在校生代表として小町は祝辞を述べた。

 羨望のまなざしで聞き入る新入生が大多数をしめるなか、ちとせはこちらを見ているようでどこか遠くをみていた。


 そして、新年度になり、通学するようになったが、校内では小町はちとせと接触することはなかった。

 というより、できなかった。

 愚かしい慣習とも呼べるが、家柄により友人が決められていたので、地方出身の一般人であるちとせと会話などできようものではなかった。


 とはいえ、まったく顔を合わせることはなかった。

 ふとした偶然で横を通り過ぎるとき、言葉のひとつをかけることは不可能ではなかった。

 けれど、こちらから話しかければあの子は誰だと注目を浴び、一般人だと分かると「下々の者とお付き合いなんて」と政敵から言われるだろう。

 さらに、ちとせに対しては、小町との接点を得るために面倒を負わせたり、他の学生からの風当たりが強くなることも容易に想像できた。


 だから澄ました顔で取り巻きという壁を隔ててすれ違った。

 軽蔑しただろうとそっとちとせの顔を盗み見ると、小町だと分かっているのになんでもないように歩いていた。


(いったい、なんなのあの子……)


 庶民向けアパートの下宿人にして酒飲み。しかし、大学では優雅に振る舞うお嬢様。

 そんな小町の二面性を知りながら、何の感情も持たない後輩。

 しかし、完全な無関心かと思いきや、健康には気遣う。

 困惑は深まった。

 





「ねえ。変わった子でしょう?」


 大学にほど近い、富裕層を親とする学生向け高級マンションの一室。

 その最上階の一室で、小町は双子の弟である空也とテーブルを挟んで向かい合っていた。

 今のは、近況……といっても、息継ぎも忘れるほどの長話の締めくくりの言葉だ。

 対する空也は、テーブルの上に置かれたケーキを丁寧にフォークで切り分け口元に運んで最後にぽつりと一言。


「……これ、うまいな」


 話を聞いていなかったような口ぶりだが、そうではないことは小町には分かる。

 かしましい女性を苦手とする弟だから、興味がなかったりそもそも内容のない話なら、実の姉であろうととうに追い出されている。

 とはいえ、聞き上手なのは確かで、堅気に見えない見た目と裏腹に、食器の音もたてずに甘いケーキを口にする弟に、小町は微笑した。


「引っ越しの手土産ですって。水杜島のオレンジで作ったマーマレードのバターケーキ。私ひとりでは食べきれないし、これなら、栄養の吸収の悪いあなたの胃袋も満足するのではないかしら」

「ん」

「それで、あの子……百長ちとせね。私が大学で知らぬふりをしても気にした様子はないし、アパートで醜態を晒してもやっぱりどうでもいいといった感じで。いいえ、むしろ身体を気遣われて……。あんな子初めてで、これからどう接すればいいのやら……」


 姉と違い、やはり見た目にそぐわず酒を苦手とする空也は、小町経由でまつたけ荘の大家さんから譲り受けたハーブティーでケーキを喉に流し込み、一言。


「さあ」

「空也っ!」


 ひとが真剣に悩んでいるのに。

 柳眉を逆立てると、思いのほか真剣な瞳に出会った。


「小町はどうしたい?」

「どうって……」

「名家の令嬢。庶民向けアパートに下宿する酒が好きなただの大学生。どちらの小町も受け入れる人間は貴重だと思う」

「……分かってるわよ。けど、どうしろっていうの」

「どうもしなければ変わらない」


 あくまで冷静な声音に、段々と苛立ちがわく。

 生まれながらに与えられた使命を投げ出すことはできない。

 なら、現状を貫くしかないのに。

 唇を噛みしめるが、空也は小町のこころをさぐるように同じ色の瞳をのぞき込む。

 

「どうかしたいから、こうして俺に話しに来たんじゃないのか」

「それは……」

「小町が与えられた役目は分かってる。俺にも俺の役目があるから。けど、小町は過剰に気にし過ぎじゃないか」

「そんな……」

「それに――」

 

 空也は言いよどむが、一度唇を引き結んだあと、ためらいがちに口を開いた。


「……小町は無意識に悲劇のヒロインを演じているんじゃないのか」


 小町は頭を殴られた衝撃がした。






「――それじゃ、今日は帰るわね」

「ん」


 玄関先まで見送ってくれた弟だが、僅かに視線が揺らいでいた。


「空也?」

「ん……。さっきは言い過ぎたと思って」


 本当に優しい弟だ。

 小町は微笑する。


「いいえ。むしろ、私自身について考えるきっかけになったわ」

「ん……」


 言い切ったため、空也の雰囲気が若干和らいだ。

 しかし、まだ何か言いたいことがあるようで口を開けたり閉じたりしている。

 なんとも珍しい光景だ。


「どうしたの?」

「……おいしかったと」

「え?」

「ケーキ」


 一瞬ののち、小町は破顔した。

 ケーキが要因であろうと、他人に興味を示すなんてそうそうない。特に、若い女性には。


「なら、本人に伝えなさい」

「ん……?」

「お礼は直接会って伝えたほうが相手も喜ぶわよ」


 コミュニケーション能力に欠ける空也は首を傾げるが、普段無口といえそうなほど口数が少ない弟がこれでも饒舌になっているのだ。ちなみに、先ほどの姉弟の会話は真剣な内容だったため例外だ。

 それに――。


「ふうん……」


(――笑った?)


 ぽつりと呟く声に目をやると、弟の瞳が柔らかく細められていた。 

 表情の変化が乏しく、ロボットかとたまに思ってしまうが、生者の証である瞬く瞳に宿る光は、小町が初めて見に目にするものだった。


「今度あってみる?」

「……そう、だな」


 そうして、校内でもひと気がない時間と場所を見計らって、及び腰のちとせを引きずって弟と対面させたのはまもなくのことだった。

 見た目堅気に思えない空也だが、根は優しい好青年だ。

 彼は、挨拶そこそこ、解放されるなり脱兎のごとく逃げ出したちとせの背中を黙して見送った。

 その瞳は、やはり柔らかく細められている。


(これは、もしかしたら……)


 年頃の女性らしく、妄想に浸りかけていると、白けた視線が返ってきた。慌てて、こほんと咳払い。


「彼女、変わってるでしょ」

「ん」


 そして一言。


「やっぱり、彼女は小町にいい影響を与えそうだ」

「え?」

「それに、面白い」


 小町は目を瞠った。

 無表情が鉄板の弟の唇の端が僅かに上がっている。


「水杜島の百長ちとせ。……印を与えられた人間」


 ――ほんとうに興味深い。

 

 


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