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あやかし家政夫  作者: 琴花
第四章
30/49

成鳥

 放課後、私は図書館にいた。三階の最奥、自然科学の棚の近くにある穴場の自習室だ。正確には部屋ではないが、その空間だけまるで切り取られたように漂う空気が違うので、部屋と呼んでいる。子供の秘密基地とはこのようなものかもしれない。


 今日の講義内容の復習に取り組んでいる私の斜め前には、この場所を教えてくれた空也先輩。

 彼は医学誌らしき雑誌を読んでいた。らしきとは、ちらりと見えた表紙は外国語だったからだ。

 外国のほうが医学が進んでいるので、日本ではまだ普及していない技術も多々ある。むろん、医学書も。

 だからといって、英語はちょっとだけ得意という程度の私には、完全英文の雑誌を熟読し理解できる能力はない。

 荒事に慣れてそうな見た目にかかわらず、物静かな雰囲気で紙をめくる手はしごくゆっくりだ。


「……ん?」


 空也先輩は顔をあげ、私をみた。

 しまった。凝視し過ぎたか。

 

「すいません。読書の邪魔してしまって」

「いや……。何か用?」

「そういうわけでは……」


 言いかけて、私はバックの中身に思い至った。

 勉強のことなら、快く教えてくれる先輩だ。

 私はためらいがちに聞いた。


「前期の試験、改めて私なりに解答してみたんですが、読んでもらってもいいですか?」


 一番点数の低かった基礎生物学だ。

 論文形式の問題が多く、赤点すれすれの結果に頭を悩ませたのは苦い思い出だ。


「――ん」


 空也先輩は読んでいた雑誌を机に置いて私に向き直った。

 いいということだろうか。

 私はバックの中からノートを取り出し、おずおずと差し出した。

 受け取った先輩がぱらりとページをめくる。

 なんていうか、目の前で読まれるのは恥ずかしい。

 けれど、文字を追う彼の表情は真剣だ。

 しばらくの後、空也先輩は顔をあげて私を見た。

 ノートを返して一言。


「――いいと思う」

「ほんとですか?」

「要点、自分なりの意見。起承転結で分かりやすく書かれている。これなら、赤どころかもっと高得点を狙える」


 思った以上のお褒めの言葉だ。

 それも、いつも極端なほど口数が少ない先輩の言葉に、私はノートを抱きしめて呟いた。


「そうですか。よかった……」


 しかし、続く言葉が浮上した気持ちに待ったをかけた。


「ただ、所々誤字脱字が目についた」

「う……」

「読み返すのも重要」

「はい……」 


 詰めは甘かったけど、数か月前とは比べ物にならない前進だ。

 言われたことを留意しておこう。

 私は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。今度、気を付けます」

「――ん」

 

 顔を上げた私を見る先輩は相変わらず無表情だが、その瞳はどこか優しい。

 ほっと息をつくと、聞きなれた声が届いた。


「空也いるー? ――って、ちとせ?」


 自習室では初めて見る小町先輩だ。

 彼女は私に目を止めると、驚きを隠せない様子で切れ長の瞳を見開いた。


 ――なに?


 凝視されて、思わず身じろぎする。


「どうも……」

「ああ、ごめんなさい。まさかこの場所に人がいるとは思わなかったから。――今朝方ぶりね、ちとせ」

「……どうも」


 意識して隅に押しやっていた玄関先での記憶が鮮明に思い出されるとともに、なぜか万十郎と小町先輩の寄り添う姿が脳裏に追加される。

 なぜだろう。胸の内がもやもやする。


「ちとせはここで何してたの?」

「何って……」


 私は手に持ったノートを見て、参考書を置いた机に視線を向ける。


「勉強、ですけど」


 図書館ですることといったら、調べものか勉強だろう。

 困惑気味に答えた私に、小町先輩は「それはそうね」と笑った。

 そして、空也先輩ににやりと笑いかける。


「まさか空也がこの場所に通すなんて。姉さん、びっくりだわ」

「別に……」


 何か不都合でもあったのだろうか。

 以前、好奇な視線や悪意の言葉に苛まれた私を見かねて、空也先輩はこの場所を教えてくれた。

 けれど、事件が一件落着した今は、私に対する周囲の反応も以前と変わらないものになったため、この部屋に居続ける理由はない。

 テスト期間でもないので、図書館自体は割と閑散としている。

 なんとなくこの部屋を利用し続けたけど、図書館を利用する他の学生のように普通に空いた席を使えばい。

 今度からはそうしよう。

 空也先輩に目を向けると、彼は無表情に小町先輩に問いかけていた。


「それで、何の用?」

「ああ――」


 空也先輩の問いに、小町先輩はちらりと私に視線を向ける。

 どうやら、あまり人には聞かせたくない話のようだ。


「じゃあ、私帰りますね」

「ええ。――いえ、ちょっと待って」

「はい?」


 荷物を整理する私に、小町先輩は待ったをかけた。


「そう時間はかからないから、一緒に帰りましょう」

「え……」

「館内で待っててくれる?」


 にっこり笑う小町先輩に私は眉を寄せた。

 問いかけではなく、確認だ。

 正直、一人で帰りたいけど、理由がなんなとなく一緒に居づらいからというだけでは断ることは無理そうだ。

 私は頷いた。


「……一階で新聞を読んでます」






 地方新聞をめくる。

 地元紙はすでに読んだので、他の地域のだ。

 これは東北の地方紙。良く知る都市から、地元民しか知らないであろう地名まで細やかなニュースが書かれていた。

 どうやら初雪が降ったようで、除雪車が試運転をしたらしい。

 今朝テレビでみた天気予報では、沖縄は夏日だったので、改めて日本の南北の長さを感じる。

 そうして、新聞をめくっていると、後ろから声がかかった。


「お待たせ。なに読んでたの?」

「地方紙です」


 全国紙から専門の新聞まで揃っているので、一見すると分からない。

 後ろから覗き込んだ小町先輩に見やすいよう、少し頭をずらす。


「東北の新聞か。各地方出身の学生が多いのもあるだろうけど、地方紙が揃ってるのはなかなか粋な試みよね。けど、ちとせの出身は瀬戸内海の水杜島よね」

「私の地元紙はすでに読んだので」

 

 そうして振り向いて、居たのが小町先輩ひとりだったことに首をかしげる。


「……空也先輩は?」

「空也にはちょっと用事を頼んだの」


 なら、帰りは小町先輩とふたりか。より目立つ三人とどちらだったがマシか悩むところだ。

 なんて、何気に失礼なことを思った。

 そして、帰宅するべく新聞をもとの場所に戻そうとしたとき、内心首を傾げた。


 ――私、小町先輩に出身地言ったことあったっけ?






 空は澄みきった青で、西に浮かぶ雲は色づく間際の楓の葉に似た朱色。

 熟れた果実のような太陽に、思いのほか図書室で長居したのだと知る。

 私はそっと隣を歩く小町先輩を盗み見た。

 相変わらず顔面偏差値天井越え。

 通りすがる人は振り返り、二度見する美しさだ。

 一緒に歩く私も視線を浴びるようで、思わず身を縮こませる。けれど、いっときの悪意に満ちた視線はないのでその辺は安心だ。


「相変わらず先輩は存在感抜群ですね」

「今日は面倒なお付き合いは終わったし、これでも多少は抑えてるのよ」


 これで多少ですか……。

 思わず遠い目をする私に、小町先輩は笑った。


「このくらいで委縮するようじゃ、社交界に出られないわよ」

「まったく出るつもりも必要もないので問題ありません」

「残念。ぜひとも空也の隣にいて欲しかったのに」


 冗談か本気か分からない笑みを浮かべる。

 それからは、静かに歩を進めた。

 いつもは鬱陶しいくらいちょっかいをかけてくる先輩にしては珍しい。

 思い当たる節は、図書館での一幕。空也先輩となにか話があったようだけど、私は部外者なので聞くことはできない。

 けれど――。

 

「――愚痴くらいは聞きますから」

「え?」

「鬱憤を吐き出すだけでも楽になります。……とはいえ、庶民には理解できない内容なら聞き流すしかできないのであしからず」

「ちとせ……」


 普段おちゃらけているようで、実際には公私混同しない先輩は、家名を背負う校内で私とともにいるのは、ひと気のない森の広場での昼食時のみ。それも時折だ。

 一緒に登校は先日の一件のみで、こうして連れ立って下校するのは初めてだ。

 それを、わざわざ待たせてまで一緒に帰宅するのは訳ありなのだろう。

 そう思い告げた言葉だけど、小町先輩は僅かに目を見開いたかと思えば、ころころと笑う。

 そして、静かに微笑んだ。


「ありがとう。けど、これ以上誑し込んだら駄目よ。……無自覚って恐ろしいわ」

「――は?」


 なにか意味不明な言葉が聞こえた。いや、言葉の意味は分かるが、つながらない。

 

「とりあえず、今のところ吐き出す愚痴はないから安心して」

「はあ……」

「思うところといえば、そうね……」


 小町先輩は指先を口元に当て、私を横目で見やる。


「市河君って、思った以上に情熱的なのね」

「――え」


 いきなりの話題転換に思考が止まった。


 ――情熱的? 


 浮かぶのは穏やかな笑み。私の身を案じて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、時折、お前は私の母親かと言いたくなるほど口うるくもあるけれど、感情が大きくぶれることは見たことがない。

 それこそ、情熱的という言葉と彼はまったくつながらない。

 まさかと目を丸くする私に、小町先輩は切れ長の瞳を細め、空を仰いだ。


「ひとって色々よ。クールかと思えば情熱的だったりもする。その逆も。月の満ち欠けと同じ、その時々で見た目と印象って変わるもの。私や空也、あなた、そして市河君も、生きるものすべてに当てはまるわ」


 小町先輩につられて仰いだ空には、太陽を追うように細い三日月が白く浮かんでいる。あと数時間もすれば夜空に爪を立てる冷たい青色になり、数日もすれば夜道を照らす優しい黄色になる。

 

「想像できない?」

「はい……」


 知らずため息がもれた。

 つまり、万十郎は小町先輩にはそういう面を見せているのだろう。

 私には知らない顔。


 ――なんだか寂しい。


 そして、苦しい。

 やっぱり、小町先輩と万十郎は――。


「お付き合い、してるんですね」


 ぽろりと零れた言葉は、思った以上に私の胸にささった。


「――え?」

「今朝、デートのお誘いしてたでしょう」

「デート? ――ああ、そうね。そう言ったわね」


 お互い黙りこくって、夕方の喧騒がどこか遠く感じる。

 沈黙を破ったのは小町先輩だった。


「ちとせにとって市河君は今も家政夫?」

「――え?」

「前に聞いたわよね。ちとせにとって彼がどういう立ち位置か」

「ああ――」


 万十郎がやってきてまもなくのこと。大学で昼食中に聞かれた言葉。

 あやかしだから苗字がないと言われたので名前呼びしていたが、事情を知らない先輩にからかわれた。

 釈明しようとしたところ、ではどういう立ち位置か聞かれ、とっさに出た言葉が家政夫。


 今は――。


 あれから二か月経った。

 悪い人――あやかしではない。だからといって、無条件に信頼できるかといえばそうともいえない。

 共に過ごすうちに感じてきた。彼が何を考えているのか、穏やかな微笑みに隠され、そのうちが見通せない。


 ――違う。


 分からないのは自分の気持ちだ。

 私はうつむいた。

 小町先輩と万十郎が寄り添う姿を想像すると目の奥が痛くなる。

 ただの同居人の家政夫なら、こんな苦しい感情は持たない。

 分からないけど分かりかける、そんな矛盾した思いを私は持て余した。

 梅雨のようなじめじめとした気持ちで、近いような遠いような帰り道を歩いていると、隣を歩く足音がとまった。


「――え?」


 呟き声に振り返ると、小町先輩がどこか戸惑った様子で私を見ていた。


「いや、まさか――」

「先輩?」


 いつもなら、小町と名前も付けろと言われるところが、彼女はぱくぱくと口を開閉させている。


「もしかして、私が市河君と付け合っていると本気で思っているの?」

「……だからそう訊ねたでしょう」

「そんなわけないでしょう」


 小町先輩の大仰なため息に、私は目を見開いた。


「けど、万十郎からデートの誘いが……」


 今朝のことだからまだしていなのかもしれない。

 けれど、情熱的と言っていた。

 以前から親しそうにしていた。

 思考が堂々巡りで、そろそろカビでも生えそうだ。


「市河君は私に話をしたいといったので、私がデートのお誘いと聞いたの」

「同じことでは……?」

「違うわよ。……まったく。冗談だってなんでわからないの?」

「……は?」


 ――冗談?

 呆ける私に、小町先輩はどこかあきれた様子で息をついた。

 

「私はちとせをからかうのが好きで、それはちとせも分かってるはず。今までそつなく流されてきたのだから」


 面と向かって言うのもどうかと思うが、まあ事実だ。


「なのに、どうして市河君のこととなると真に受けてしまうの?」

「だって情熱的って……」


 私には知らない顔。

 けれど、小町先輩は知っている顔。


「そうね。けど、それはただ一人に対してのこと。……私にとってはとても怖い男よ」

「……怖い?」


 それは誰の事だろう。

 いや、話の流れで万十郎だと分かるが、いつも穏やかな笑みを絶やさない彼とは無縁の言葉にしか思えない。

 ひとつだけ例外があるとすれば、あやかしの本性をあらわしたとき。

 あの金色の瞳で見つめられると、目が離せなくて、思考が白く塗りつぶされ……取り込まれてしまいそうで、怖い。


 ――『いただきます』


 私は立ち止まった。

 なにか、かすめた。


 いただきます。初めてアパートに泊まった夜、寝ぼけた万十郎があわや私に襲い掛かろうとしたとき放った言葉だ。金色の瞳。人外の美しさ。覚えている。

 けれど、それだけ? ……その時だけ?


 私は知らず手を握り締める。


 身を折る痛み。

 滲む冷や汗。

 今は、ぽかぽかと温かい身体。痛みはない。


 ――「死んでしまいそうで怖い……」


 怯えたような声。


「ちとせ?」


 我に返った。

 小町先輩は戸惑った様子で私を見ている。


「どうしたの?」

「――いえ」


 今、何か思い出そうとした。

 おかしいくらいに楽な身体。

 そして、今朝の万十郎の不調。


 それは――。

 思わず唇に手がいく。

 万十郎は何かをしたのだ。

 人間には考えられない、あやかしの力で。私に。


「急に冷えてきたし、無理しちゃだめよ」

「分かってます」


 どこか上の空の答えだけど勘弁してほしい。

 小町先輩は肩をすくめた。


「とりあえず、私と市河君はちとせが危惧する関係じゃないから安心しなさい。確かに昨日一緒にいたけど、色っぽさなど欠片もなかったわ」

「危惧? 色っぽさ……?」


 あやかしの片鱗を見せた万十郎は、ぞっとするほど美しい。それこそ、身の危険を感じるほど。

 最近では穏やかなままの彼でも、ふとした瞬間に目で追う。

 小町先輩を見ると、彼女はどこか疲れたように言った。


「……そろそろひよこも見飽きたわ」


 私は瞬きをした。

 こころの中の梅雨がいっときの晴れ間をみせる。


 ――もしかしたら、意外と早く成鳥するかもしれないですよ。




少し短いですが、4章終了です。お付き合いくださりありがとうございました。

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