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あやかし家政夫  作者: 琴花
第一章
3/49

食事と歯磨きはセットで

 人口数百人の小さな島に私の実家がある。

 両親は今も変わらず住み続けているので、母の手紙を持っているということは、彼は故郷の島にいたということだろうか。

 すべての島民と面識があるわけではないし、外から訪れる人もいる。彼もそのたぐいかもしれない。


 けれど、大家の松木さんと私の両親は、私の下宿先が決まった時に契約のため一度会っただけだ。他に接点はないはずなので、共通の知り合いがいるとは考えられない。

 一体彼は何者だろう。答えがこの手紙にあるのだろうか。


 カサリと音を立てて、綺麗に折りたたまれた便箋が顔をのぞかせる。

 思わず唾をのみこみ、丁寧にめくった。


『ちとせへ。生存していますか~?』

「お、お母さん……」


 達筆ながら、可愛らしい顔文字でもつきそうな言葉に、私は思わずテーブルに突っ伏した。

 一拍の後、気を取り直して続きを読む。


『この手紙を読んでいるということは、とりあえず生きてますね。

 夏休みも1週間しか帰省しなかったのでゆっくりできなかったんじゃないの?


 いくらかは自炊していると言っていたけど、実際のところ入学してから三日坊主どころか一度も調味料の蓋を開けていないんじゃないから。

 平日の朝は食パン、昼はコンビニのおにぎり、夜はスーパーの総菜だと母は予想します。

 ついでに、休日はカップラーメンか適当にあまりもので済ませたりしてね。


 学業に精を出すのはいいけれど、いつか身体を壊しそうで心配です。

 そこで、あなたの身の回りのお世話をしてもらうべく、とある人にお願いしました。


 いえ、人じゃないわね。

 なんと、あやかしです!


 少し前に、亀のあやかしの青年がちとせを訪ねてきました。

 なにやらあなたが命の恩人だとか。

 助かる命を救いたいと医学部に入学したあなたは、手始めにあやかしを助けたのね。

 母は驚きと、改めてちとせの志の高さに感動しました。


 あやかしの青年はお礼をしたいと言っていたので、あなたのお世話をお願いしました。

 これで、三食きちんと摂って家事に煩わされることなく勉強に集中できるわね。

 母は一安心です。


 ありえないだろうけど、もしかして、彼の正体に疑問を抱いている?

 なら、はっきり証明してもらいなさい。

 もちろん、時と場所を考えてよ?

 それじゃあ、彼に迷惑かけないよう頑張って!

 

 母より


 追伸

 お父さんが横であやかしとはいえ、若い男と二人きりだなんてと何やらぶつぶついっているので後で黙らせます。』



 私はテーブルを通り越して床まで突っ伏して頭を抱えた。

 母の頭がお花畑すぎる。

 結局のところ分かったのは、私が帰省から再び下宿先に戻ってから、実家に彼が訪ねてきたということ。

 自炊していないことがお見通しだったこと。  

 まともの父の現状が心配なこと。


「結局は本人に聞けってことね……」


 まあ、両親が元気そうで良かった。

 気を張っていたのか力が抜けたらお腹がすいてきた。

 ふと、醤油と出汁のいい匂いが漂ってきた。

 そっと台所の様子を窺うとなにやら独り言が聞こえた。


「この包丁……砥ぎがいがありますね」

 豆腐を切っている。

「炎にあぶられて……ふふ、苦し気な断末魔が聞こえます」

 湿気たのりが復活するパチパチという音が聞こえる。

 私はそっとリビングに戻った。




「お待たせしましたー」


 勉強机に向かって参考書を開く気にもなれず、テーブルに肘をついて手紙をいじっていると、ほどなく青年が台所から姿を現した。 

 羽織を脱いでたすき掛けしているが、やはり似合っている。

 ちなみに、羽織はハンガーにかけてクローゼットの中に吊ってある。

 そこまでする義理はなさそうだけど、さすがに見るからに高級そうな羽織りに畳み皺なんてつけられない。

 おかげで、クローゼットの中は高級羽織りに安物ジャケットの和洋折衷だ。まったく釣り合っていない。


 そして、テーブルに置かれたものを見て私は言葉を忘れた。

 プラスチック製のお盆に乗った両手に収まるほどのどんぶりと汁椀に小鉢。すべて百円均一ショップで買ったものだ。


 見慣れた食器たちには見慣れないものが盛られていた。

 黄金色の半熟卵を海苔の黒さが引き立て、隅に覗くごはんは艶やかに光っている。出汁の香るつゆに浮かぶ賽の目状の豆腐と刻みねぎ。瑞々しいきゅうりと塩昆布の付け合わせ。

 思わず喉が鳴った。


「どうかしましたか?」

 

 出された料理を目の前に硬直した私を見て、青年は少し苦笑いした。


「心配しなくても、変なものは入っていませんよ。むしろ、カップラーメンのほうが――」

「カップラーメン談義はもういいから……。それより、ここにあった材料で作ったの?」

「はい」


 手紙を読みながらも意識の半分は台所に向かっていたので、妙な事をしていないのは分かる。

 けれど……。


 玉子丼とお吸い物に付け合わせの一品。メニューだけでいえば簡素なものだが、目で見れば全く違う感想を抱く。

 卵は2、3個あった。豆腐も醤油でもかけて食べようと刻みネギと一緒に買った気がする。きゅうりはたまにマヨネーズをかけて丸かぶりしている。海苔と塩昆布はご飯のお供に残っていたはずだ。

 それらが腹の虫を脅かすほどの立派な料理になるとは思いもしなかった。


「……食べていいの?」

「勿論です。あなたのために作ったのですから」

「はあ……」


 なんだかくすぐったい。

 しかし現金なもので、おいしそうな料理を目の前にしていよいよ強く空腹を感じてきたので、私は内面はいそいそと、外面はなんとなくといったふうに居住まいを正した。


「ええと、それじゃあ……」

「あっ、待って」


 今度は一体なに?


「先に手洗いです」


 ……実の母よりお母さんみたいだ。




 丁寧に手を洗って着席する。上目遣いに様子を窺うと青年は微笑して頷いた。

 なんだかしつけられているような……気のせいだろう。


「……いただきます」

「どうぞ」


 箸を手に持つ。ちなみに箸置きなんて上等なものはないので、ナプキン代わりにティッシュを畳んで置いているあたり芸が細かい。


 椀を手に取った。味わう前からなんとも美味しそうな匂いがする。

 一口含み、ほうっとため息をついた。


 かつおの香りが口腔に広がり、後から醬油の引き締まったうま味がやってくる。

 そういえばヤッコ用にかつお節を買ってたっけ。化学調味料を使っていない本物の出汁なんてどれくらいぶりだろう。実家でも手軽にそちらを使っていたのに。つるつるとした豆腐の舌触りとネギの青味が合う。


 続いて丼を手にする。半熟玉子の黄金色は見るだけで美味しそうだ。たれの染みた艶々のご飯とふわとろ玉子に海苔をからめて口にする。


 ……玉子丼ってこんなに優しい味だっけ。 


 たれの染みたご飯と半熟玉子の甘さがすごく合う。後から磯の香りが広がり混じりあい調和する。

 今まで丼ものに海苔は使ったことなかったけれど、磯の風味侮れない。

 そしてきゅうりと塩昆布の和え物は、口の中に残った甘辛さをさっぱりとリセットしてくれる絶好の箸休めだ。歯ごたえも良い。


 後はもう無言で食べた。

 玉子丼を掻き込んですまし汁を啜ってキュウリを齧り、私ってこんなにお腹すいていたっけというくらい無心に食べた。 

 遠慮とか周囲の気配りとか忘れた。

 

 我に返ると、青年がそれはそれは穏やかな微笑みを湛えていた。

 いたたまれない……!

 いつの間にか完食しているからなおさらだ。

 私は手に持った箸を下ろして呟いた。


「ごちそうさまでした……」

「お口に合ったようで良かったです」


 湯呑を渡されながら、安堵をにじませた声で言われたが、私は俯いた。

 途端に、青年の瞳は不安げに揺れた。


「あれ? やっぱりどこか変でした?」

 

 一心不乱にむさぼるように食べて意地汚いとか浅ましいとか、見下すような態度や嘲りはかけらも感じられず、ただ案じる視線を受けた。

 

「そうじゃない。ただ……」


 湯呑の中は熱い麦茶だった。彼なら急須でも使いそうだが、あいにく茶葉がない。

 私が食べていた間、一度台所に戻り冷蔵庫を開閉する音やガスを点火する音が聞こえたので、そこにあった麦茶を温めなおしたのだろう。

 今も残暑が厳しい分、冷たい麦茶が美味しいが、こういう食べ終えてほっと一息つくときは温かい飲み物が良い。

 こんな細かな心配りが実に憎たらしい。

 

 ――なんだかたった一食で胃袋を支配された気分だ。


 成り行きとはいえ見知らぬ男性を部屋にあげ、手料理をふるまってもらうなんて我ながらどうかしている。

 今となっては説得力に欠けるが、これまでの経緯を考えて警戒はしている。

 簡単に心を開いたりしない。


 ……けど。


 いつだったか、料理は作り手の心が現れると聞いたことがある。

 濃い味付けのインスタントや総菜になれた私からすれば、素材の味が感じられる丁寧に作られた料理は身体に沁みた。……その他の部分にも。

 私は蚊の鳴くように呟いた。


「……美味しかった」


 上目づかいに見上げると、嬉しそうな微笑みがあった。


「作った側からすれば最高の賛辞です」




 しばらくの後、食器が乗った盆を手に青年が立ち上がった。

 

「それではこれらは下げますね」

「待って、洗い物くらいするから」


 さすがに上げ膳据え膳は気が引ける。

 しかし、彼は首を振った。


「あなたの身の回りのお世話が僕のすべきことだから」  

「それって最初に言ってた私が命の恩人って話だよね。そのお礼にお世話だっけ。けど、本当に覚えがないんだけど」

「……忘れられているのは少し寂しいですが、食事も召し上がっていただけたことですし、きちんと説明します。ただ、長くなりそうなので先に洗い物をすませます。放置しておくと汚れが落ちにくくなるので」


 伏し目がちに悲しげに言われても知らないものは知らない。

 そして、洗い物に関しては細かい。確かに、乾燥してこびりついたご飯粒とか本当に取れない。


「だから私が洗うって」

「じゃあ、こうしましょう」


 名案が思いついたとばかりに青年は瞳を輝かせた。


「洗い物は僕でもあなたでもできる。それなら、あなたはあなたしかできないことをしてください」

「それって?」

「食後の歯磨きです」


 つかの間の沈黙。


「……はい?」

「口の健康は全身に及ぶとも言いますからね。歯磨きは大切ですよ。学校に行っている平日の昼間は仕方ないにしても、ここで食べるときはしっかり磨いてもらわないと。それとも……」


 青年は私の顔を覗き込み微笑んだ。


「僕が磨いて差し上げましょうか?」


 結構です!!



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