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あやかし家政夫  作者: 琴花
第三章
21/49

閉館時間は守りましょう

 新聞を読んでいるうちに、窓から届く明かりが茜色から淡く藍色がかってきた。

 残った人影は数えるほどで、閉館時間が近づくこの時間は少し物寂しいけど、僅かな時間であるためかどこか愛おしくも感じる。

 帰る前に少し館内を歩こう。こういう時こそ、掘り出し物な参考書が見つかるかもしれない。

 私は新聞を棚に仕舞い、ぶらぶらと歩いた。

 一階から二階、三階へと上るにつれ、人は更に少なくなり、本の匂いと静寂が館内を包んだ。


 ――そういえば、空也先輩がお勧めの場所を教えてくれたっけ


 人の目に晒されず、静かに勉強できる場所。

 帰る前に見てみよう。

 確か、自然科学の棚の裏だったはず。

 自然科学は生物学に通じるが、物理学や天文学も属するため、所蔵された本も多く棚も複数ある。


「地球科学に、科学哲学……難しい」


 何かしら医学に通じているのだろうけど、分厚い背表紙が並ぶだけで威圧感がある。

 少しずつ移動しながら収納された本を眺めると、少し変わった一角があった。

 

「生態学?」


 自然科学と通じるところもあるが、これでは広義にすぎるような気がする。

 人類の生態だけでなく、各種動植物も入るからだ。

 どこか吸い寄せられるように、その自然科学の端のまた端の棚に行くと、奥に小さく開けた場所があった。


 一つの机に四つの椅子。それが二セット。ただでさえ利用者の少ない上階のうえ、貸出自体も少ないのかひっそりと隅っこに位置する生態学の棚。そこから見えるとなりの空間は、他の場所からは死角になっていて、館内をよく知らなければ見過ごしそうだ。図書館をよく利用する私も、この辺りの本はまだ必要としたことはないので初めて知った。


 外の光が入らない奥まった場所のうえ、館内の明かりも少し遠く感じるこの場所は、確かに昼間でも人が来る気配が少なそうだ。


 そんな穴場な空間に、一人のひとがいた。 


 ――空也先輩?


 頬杖をついて目を閉じている。眠っているのか、ピクリとも動かない。

 淡い光に照らされた横顔はさすが整っていて、睫毛も長くはねた黒髪もしっとりと艶めいて見える。見た目こそ硬派だけど、やはり姉弟だ。雰囲気が似ている。


 ぼんやり見惚れていると、チャイムが鳴った。

 閉館十分前を知らせる音に、私は途惑った。

 静かに寝入っているのに起こすのは忍びない。

 けれど、閉館時間を過ぎてまで居座る度胸も必要もないし、ルールは守らなければならない。それは空也先輩もだ。

 私はそっと先輩に声をかけた。


「先輩」

「…………ん」


 低い声でぽつりと呟くが、それ以上反応がない。

 私は空也先輩の肩を揺らした。


「起きてください。そろそろ閉館時間ですよ」

「…………ん?」 


 瞼が震えて、ゆっくりと黒い瞳が姿を現した。

 何度か瞬きをして、私を見る。


「……はよ」

「えっと、おはようございます……?」


 昼間も同じ会話を交わした。

 もっとも、立場は逆転しているけど。

 いや、そんなことより。


「今は夕方ですよ。それに、もう閉館時間が近づいています」

「ん……」


 ふああ、と欠伸をして空也先輩は立ち上がった。

 そして、ごく自然な様子で私の隣を歩く。知り合いなのだからなにもおかしなことではないが、少し戸惑ってしまう。できることなら、今日はもう望月姉弟と関わりたくなかった。

 とはいえ、空也先輩に非はないのだから何も言えず、なんとなく足早に帰路についた。


 図書館を出ると茜色は僅かに残る程度で、すぐそばに夕闇が迫ってきていた。

 講義も終わり人影もほとんどない。人目を気にせずにすみそうで内心安堵する。

 校門を出てすぐの立派なマンションに空也先輩は住んでいるが、当の本人はなぜか素通りした。


「あの?」

「送る」


 ただ一言。当然とばかりに発せられた言葉にぽかんとした。

 一瞬置いて理解し、慌てて首を振る。


「いえ。お構いなく。私は――」

「送る」


 通いなれた道だ。薄暗くなってきたとはいえ、学生のほか、帰宅途中の会社員など通りにはまだ人もいる。わざわざ送ってもらう程ではない。

 なのに、再度言い切られた。


 いったいどうしたんだろう。

 表情の変化が乏しいので何を考えているのか分からない。

 通り過ぎるひとが振り返る。やはり姉弟だけあり、目を引く容貌だ。

 隣を歩く私はますますいたたまれない。


 そんな私の心が聞こえたのか、少し離れてくれた。近すぎず遠すぎず、互いの声は聞こえる距離だ。

 やがて、空也先輩はぽつりと呟いた。


「話、聞いた」

「――え」


 何のことだろう。

 戸惑って何度も瞬きすると、空也先輩が眉を寄せた。

 衆目を浴びると分かって一緒に登校したこと? 

 それとも、私のことを話題にしたこと?

 今日一日を振り返ると、思い当たることが多すぎて、なにを指して言っているのか分からない。


「朝」

「朝?」

「暴漢に」

「暴漢?」

「襲われそうになったと」

「襲われ……? ああ……」

 

 オウム返しに聞き返したが、ようやく得心した。

 すっかり過去の出来事に思えるが、今朝起きたことだ。

 私は苦笑して事の次第を説明する。


「そんな大袈裟なことじゃないです。大家さんが追い払ってくれましたし」

「でも、事実だろう……?」

「それは、そうですが」


 立ち止まって振り返る空也先輩の眉間には一本の皺。

 納得していないようだ。


「暴漢は小町を捜してあんたに声をかけた」

「それで責任を感じて、こうして付き添ってくれるんですか」

「ん」

「なら、小町先輩のほうが危険では? やり口はちょっと乱暴でしたが、それは酔っていたからだろうし、私はただ声をかけられただけです」

「小町なら平気だ」

「平気?」

「あれは大の男だろうが平然と叩きのめせる」

「――え」

「だが、あんたは普通の女の子だろう」


 空也先輩は当然といった風に答えた。

 荒事になれてない面で言えば、まあそうだけど。普通の女の子とか言われると、なんとなくこしょばゆい。

 そして、小町先輩、弟に断言されるなんて、どれだけ肉体派なんだ。


 私は思考を巡らせた。

 閉館間際まで図書館にいた空也先輩。その場所は、静かに勉強したいと言った私に、昼休みに勧めたところだ。

 自惚れかもしれないけど……。


「放課後、私を待っていてくれたんですか……?」

「ん? ……違う」

 

 そうですか。違いましたか。

 私は羞恥に悶えた。

 今すぐ目の前から消え去りたい。発言を取り消せるものならそうしたい。


「すいません。今言ったことはなかったことにしてください」

「なぜ」


 なぜって……。それを言えと!?

 私は赤くなって口ごもると、空也先輩が呟いた。


「違う。……が、違わない」

「――はい?」


 意味が分からない。


「あの場所は、俺もよく利用する」

「はあ」


 勧めた本人が利用するのは当然と言えば当然だ。

 人目につきにくい場所だから、勉強する以外にも、先輩にまとわりつく女子学生たちからの避難場所にもなりそうだ。


「今日も閉館時間までいるつもりだった」

「それは……勉強熱心なんですね」

「人が少ない時間のほうが動きやすい」

 

 ほんと、人気者は大変だ。


「ただ、静かすぎるマンションの部屋より、多少人の気配がするところのほうが居心地はいい」


 私も、静寂のなかより少し雑音があるほうが勉強に集中できる。

 考えてみれば、万十郎が家事をする音を聞きながらのほうが効率がいいかもしれない。

 いつの間にか、あやかしの青年がいるのが普通になっている。今も、部屋で夕食を支度をしてくれているのだろうか。


「だから、あんたが来たならまつたけ荘まで送ろうと思った」

「そうですか……」


 来たなら来たで送る。来なかったらそれはそれで構わない。

 けど、昼休みに放課後は図書館に行くと言ったのだ。来る確率が高いのは分かるはず。 

 なんというか、過保護だ。

 ただの知り合い程度なら、今朝酔っ払いに絡まれたことを言っても、見舞いの言葉を告げられる程度だ。

 なのに、こうして送ってくれている。

 若干あまのじゃくが入っている気もするが、優しい先輩だ。


「えっと、ありがとうございます。……望月先輩」


 そうして見上げた空也先輩の眉間には、なぜか一本皺が増えていた。


「戻った」

「え?」

「昼は名前で呼んだのに」

「昼……」


 空也先輩と会ったといったら昼休みのこと?

 彼とは面と向かっては苗字で呼ぶけど、望月姓の先輩は二人いるため、脳内では名前呼びをしている。

 けど、それが漏れ出てしまった?

 そうだ。懐かしい夢を見た直後だったから、目が覚めて空也先輩がいたのに驚いて呼んでしまった。


「すいません。以後気を付けます」

「違う」

「――え?」

「俺にも名前呼びで」


 思わぬ要求に、私は目を丸くした。

 けれど、同性の小町先輩ならともかく、異性の空也先輩を名前呼びするのは気が引ける。

 というか、そんなことすれば周囲の視線が怖い。特に彼を慕う女の子たちの。

 そんな私の戸惑いなど知らず、空也先輩は続ける。


「小町は名前呼びで俺は苗字」

「う……」

「理不尽だ」

「うう……」


 彼の眉間の皺が深くなり、私の眉毛もどんどん下がる。

 若干非難めいた視線に耐えられず、結局、私は条件付き白旗を上げた。 


「……誰もいないところなら」 

「ん?」

「呼び方ひとつで一方的に悪意を持たれたくないので」


 ちょっと一緒にいただけで悪口を言われたり嫉妬めいた視線を感じるのだ。


「そこは譲れません」

「……ん」


 了解したということだろうか。

 空也先輩は前に向き直って歩き出した。一拍遅れて私も続く。

 後は無言で足を進めた。

 富裕層向けのマンションを過ぎ、徐々に一戸建て住宅が現れ始める。マッチ箱が並んだような住宅街を通り抜け、次の角を曲がるとまつたけ荘だ。

 

「あの」

「ん?」

「送ってくれてありがとうございました。……空也先輩」

「……ん」


 振り返った空也先輩の眉間の皺はきれいになくなっていた。


 





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