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あやかし家政夫  作者: 琴花
第一章
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恐るべきカップラーメン

 下宿先アパートの一室。リビングのテーブルに肘をついてぼんやりと宙を見つめる。


 勉強机とベッド、真ん中にテーブルが置かれたリビングに、玄関の壁を伝って左の裏側にあるキッチン。右側にはトイレと洗面所、そしてお風呂場。

 すっかり見慣れたアパートの一室は学生向けにしては好物件で気に入っている。


 普段は時間さえあれば机にかじりつくのに、何をするでもなく手元の封筒をいじる。

 静寂が嫌でつけたテレビが雑音に聞こえる。

 住んで半年経った今は、少しずつ空気が私に馴染んだ感じで、実家と同じくらいくつろいで、実家よりもプライベート感が増した場所になった。

 なのに、気もそぞろで落ち着かない。


 原因は分かっている。視線の先にいる青年だ。

 亀のあやかしと名乗った彼は包丁を握り締めていた。




  ☆   ☆   ☆




 三十分ほど前。


「緊急事態とはいえ、下履きを脱ぎ捨てるなど礼儀にかけることをしました」 


 そう言って、自称亀のあやかし、名を万十郎と名乗る青年は玄関先で膝をつき草履を並べなおした。

 同時に、無意識に散らかしていた私の靴も丁寧に並べる。


 私はというと、無駄に女子力の高い彼に引いた。

 声をかけることも身体を動かすこともできず口を半開きにして放心した。


「そうだ、ちとせさん――」

「百長さんっ」


 振り向き呼ぶ声がもうひとつの声と重なる。

 開いたままのドアから一人の女性が姿を見せた。


「松木さん」


 大家の松木さんだ。

 ふくよかな身体の松木さんは、走ってきたのか息を切らせて私を呼んだ。


「さっきからずっとドアが開きっぱなしだったから、何かあったのかと――」


 そのまま言葉が途切れた。

 松木さんは、丸い小さな目をこれ以上ないほど大きく見開いて私を見た。

 正確には、私と彼を。


 ――傍目には、床に跪き私を見上げる青年とそれを見下ろす私という、完全なる誤解を生みだすこの状況を。


「あらあらまあまあまあ」


 少女のように頬を紅潮させる松木さんに、一拍置いて我に返った私は慌てて口を開く。


「あの、これは――」

「分かってるわよ。良かったわねぇ」


 何が分かってるのか。何が良かったのか。

 頭の中が真っ白になって言い繕うこともできない。

 その時、空気が動いた。青年が立ち上がり、松木さんに向かって会釈した。


「どうも。おかげさまで、ちとせさんと再会することができました」  

「ほんと、良かったわねぇ」


 私は目を見張った。

 大家さんと自称亀まさかの顔見知り。

 しかも親し気。


「今日からこちらでお世話になります。よろしくお願いします」

「うんうん。若い女の子の一人暮らしなのに無防備で心配だったけど、これでもう安心ね」


 いや、ちょっと待て。なにが安心なのか!?

 私の分からないところで意気投合する二人を呆然と見つめる。

 

 そもそも、このアパートは大学の下宿先として利用されているので、若い女性の一人暮らしは私以外にもいる。

 特に、隣の部屋の住人なんて誰もが目を引く美女なのに。


「はい。先ほども火の元が不用心でひやりとさせられました」

「あらあらまあまあ、本当に気を付けて頂戴」


 松木さんに軽く叱りつけるような表情をされて、私は首をすくめた。

 そして、爆弾が落とされる。


「これからは僕が側にいますので」

「そうね。良かったわね。百長さん、彼氏と仲良くね」


 意義申し上げる!


「あのっ」

 

 慌てて立ち上がった私の目の前で、にこやかな笑顔とともに無情にもドアが閉められる。

 そして、ふくよかな身体からは考えられないくらい軽快な足音がドア越しに聞こえ、やがて遠くなった。

 脳裏に浮かぶのは、松木さんの少女のように赤らめた頬と驚きと期待に輝く瞳。

 その時の私と青年の立ち位置。


 ちょっと待て。あの人は何かとんでもない勘違いをしている。

 後を追おうと一歩踏み出し、「ちとせさん」と名前が呼ばれた。

 振り返ると、どこか困惑した表情で私を見ていた。

 

「先ほど台所にお邪魔したとき、少し気になるものを見つけたので確認してくれませんか」


 そのまま私の返事を待たず奥に入る後姿に、焦燥が募る。

 当たり前のように踏み入れられて、なんだか自分の居場所を奪われた感覚に陥る。

 ドアを見つめ部屋の奥を振り返り、再びドアを見て――。


 ――松木さんには、後で訂正しに行けば大丈夫!


 結局私はきびすを返し、壁の向こうに消えた高い背を追った。




 キッチン奥のコンロに、先ほどまで湯気をたてていたやかんが静かに乗っている。

 このせいで現在の妙な事態に招いたと思えば憎らしいが、そもそも火の不始末をした私が原因だ。

 そして、奇妙な闖入者は調理台の上に置かれたものを見ていた。


「これです」

「……ん?」


 難しい顔をしてそれを見る青年に私は首を傾げた。

 なにが気になるのか。困惑の表情の先にある、それは――。


「カップラーメン?」

 

 お湯を注いで三分待てば出来上がりの、どの家庭にもあるお馴染みのインスタント食品だ。

 それがどうしたのだろう。特に異物混入騒ぎなど起こっていないし、商品回収もないはずだ。

 なのに。


「カップラーメン……!」


 私の言葉に、青年は目を見開き、雷が走ったかのように叫んだ。

 容器を握り締めた手が細かく震えている。

 

「カップラーメン……。聞いたことがあります。一度食べると癖になり、続けて食べると中毒になり、最後はそれなしでは生きていけない体になる恐ろしい食べ物……!」


 この自称亀、メーカーが聞いたら卒倒しそうなことを言いだした!


「ちとせさんはこんな寿命を縮めるようなものを食べていたんですか?」


 クレーマーも真っ青な言葉を続ける。


「ただでさえ、人間は栄養を摂取しないと簡単に命を落としてしまう脆弱な生き物なのに……。こんな危険なものを……」


 もう訴えられても文句は言えない。

 私に向けられた茶色の瞳が気づかわしげに揺れる。


「先ほどもこれを食べようとして湯を沸かしていたんでしょう? 本当に今まで無事でよかったです」


 すごくしみじみと言われた。

 いや、そちらこそよくそれだけ大袈裟な反応ができるなと遠い目をしながら思った。


「というわけで、これから昼食ですね? お任せください!」

「はいっ?」


 確かに、昼食代わりにカップラーメンを食べようとして湯を沸かしていたところに青年が現れた。

 だからといって何がお任せか。


「これから身の回りのお世話をさせていただくと言ったでしょう? 早速お役目が回ってきて、俄然やる気が出るというものです。簡単に野垂れ死んだりされないように、これからはしっかり栄養を摂っていただきます。どうぞ、くつろいでお待ちください」


 くつろげるか!

 戸棚を漁り始めた青年の姿に、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。

 それこそ私のプライベート空間に侵入して、なにがお役目だ。私はそんなもの頼んでいない。

 私はできうる限り低い声を出した。


「もういいから出て行って」

 

 私の空間に入らないで。邪魔をしないで欲しい。

 正直、昼食なんてどうでもいい。カップラーメンでも、他のものでも、一食くらいよく抜いている。

 ただ、机に向かって勉強していて、集中力が途切れた時間がお昼時だっただけ。

 適当に何かお腹に入れようと思っただけだ。


「ちとせさん」

「初対面なのに馴れ馴れしく呼ばないでください。大家さんの知り合いだかなんだか知らないけど、これ以上わけのわからないこと言ってまとわりつくなら警察呼びます」


 今度こそ携帯電話を取りにリビングに向かった私の背に、再度声が届いた。


「――百長さん」


 習い始めの外国語のように言いにくそうに苗字で呼ばれ、訝し気に振り向くと、思いのほか真摯な瞳があった。


「百長さん、落ち着いてください」


 真面目な表情でゆっくりと紡がれる言葉は、程よく低く柔らかで、悔しいが耳に心地良い。


「大家さんから聞きました。あなたは学業に没頭するあまり他のことに目を背けがちになると。そして、いつか倒れてしまうのではないかと心配しておられました。確かに学生の本分は勉強でしょう。けれど、身体を壊しては元も子もありません。僕のことを覚えていないのなら後できちんと説明します。ただ、今はどうかあなたの居場所に立ち入る許可をください。きちんと食事をして、それから話をして、それでも納得がいかないなら退去します。だから――」


 青年は深々と頭を下げた。


「今だけはあなたの空間に立ち入らせてください」


 何とはなしにふわりと揺れる茶色い髪を見る。なぜ彼はこんなにも必死に頭を下げているのだろう。

 亀だとかあやかしだとかふざけたことをぬかす輩はすぐにでも退去願いたい。命の恩人だなんて知らない。

 私は勉強したいのだ。


 ……けれど。ああ、もう。


「――どうせ昼食を作るとかいっても、ここには何もないんだから」


 手に取った携帯電話を再びテーブルに置いた。


「実際確認すればわかるだろうけど、私はほとんど自炊しないので、ここにはろくな食材がないからね」


 私の言葉に、彼はゆっくりと顔を上げ破顔した。


「それこそ、腕のみせどころです」


 私はため息をひとつついて、少しの時間でも参考書に目を通そうと勉強机に向かった。


「――そうだ」


 思い出したように声がかけられ振り向くと、青年が袂から何かを取り出していた。


「あなたのお母様から預かってきました」


 差し出されたものを見て目を見開いた。

 青い小花の散った涼やかも可愛らしい封筒だ。

 表に『ちとせへ』とある。見間違いようもない、母の字だ。


 お母さんと知り合い?

 いや、まさか。この夏に帰省したときは特に変わりはなかった。


 とりもなおさず、机の引き出しからはさみを取り出して開封すると、テーブルに座り、中の便箋を取り出す。

 視界の隅に、小さく笑んで台所へと入る青年の姿があった。

 



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