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あやかし家政夫  作者: 琴花
第三章
16/49

アパートの名前は高級食材

 カーテンの隙間から朝日が零れ出る。

 私は目をこすってしばらく身じろぎしたあと、欠伸ひとつ、むっくりと身体を起こした。


「あ、おはようございます」

「おはよ……」


 いち早く私の起床を感知して、キッチンから顔を出した万十郎に夢うつつの中挨拶をし、大きく伸びをする。

 洗面所で顔を洗って鏡を見る。所々はねた髪を手櫛で直し、手早く着替える。

 一杯の水を飲んで、軽く全身をほぐすと、青菜を洗っている万十郎に声をかけた。 


「散歩行ってくるね」

「行ってらっしゃい」


 扉を開けて柔らかな日差しを浴びる。

 今日も一日が始まった。



 



 木々がちらほら色づき始める十月下旬、時折吹く風は涼しいというより少し冷たく、確実に秋の深まりを肌で感じる。

 私は、早朝の日課として公園までの往復散歩を取り入れた。いつもより三十分早く起きてのちょっとした目覚めの時間だ。

 自主的に身体を動かすことがなかったので多少息切れがするが、風景を楽しみながら自分のペースで歩き、折り返し地点の公園で休憩もはさむのでつらくはない。それに、身体を動かしたほうが朝の勉強の効率がいいので、一か月経った今もこうして続いている。


 ……まあ、集中力が途切れ、空腹を感じたときの朝食が美味しいのもあるけれど。


 万十郎がやってきてひと月。

 最初はどうなるかと思ったが、平穏そのものだ。

 就寝時に亀の姿を変化するといっても、それは私の目がいかないドアの向こう側なので見ることはないし、金色の瞳を妖しく光らせて豹変することもない。夜中に様子を窺うこともしないためか、朝起きたら同じベッドにいたということもない。ないないづくしで、なんだか彼がただの人間の青年に思えてしまうくらいだ。


 そして、見事な家政夫ぶりには舌を巻くばかりだった。

 味はもちろん、栄養バランスもいいご飯に掃除の行き届いた部屋、清潔な衣類と非の打ち所がない衣食住を提供してもらっている。

 時折ふと、私ばかりこんなによくしてもらっていいのかなと我に返ったように思うが、楽し気に家事にいそしむ万十郎を見ると何も言えず、こうして恩返しという名の施しを受けている。






「あんた、まつたけ荘のやつか?」

「――え?」


 行きは白んだ空が徐々に青くなる帰り道、背後から声をかけられ振り向くと、若い男がいた。

 見覚えのない顔だ。

 ちなみに、まつたけ荘というのは私が下宿しているアパートの名前だ。


「あなたは?」

「聞いているのは俺だ。あそこに望月小町が住んでるだろ。望月姉弟の姉の」


 私は眉間に皺を寄せた。

 いきなりなんだ。

 平凡な顔立ちだが、よくみたら頬が赤く酒臭い。飲んで朝帰りといったところか。


「――知りません。知っていても見ず知らずの人に教える義理はありません」

「なんだとっ」


 きっぱり断言するも、酔っ払いには気を荒立たせるだけで逆効果だったようだ。

 つかみかかろうとする男を振りほどき、退散するも、何事か喚き散らしながら追ってくる。

 朝っぱらからうるさい。せっかくいい天気で散歩していたのに台無しだ。


「おいっ」


 腕を掴まれそうになってさすがにひるんだ。

 その時、水音がしたと思ったら、次の瞬間には男がびしょ濡れになっていた。


「大丈夫? 百長さん」


 緑の蔦絡まる塀を挟んで大家さんが立っていた。いつの間にか、アパートそばの大家さんの家まで戻ってきていたらしい。

 庭木に水をやっていたのだろう、手にはホースが伸びたシャワーを持っている。それで、男に水をかけたのようだ。


「松木さん。大丈夫です」

「良かった。――そこの男、あたしが預かっているお嬢さんに変な真似するんじゃないよ!」

「なんだよ、このばばあ!」


 大家さんがシャワーの取っ手を握ったと思ったら、男に向かって再度水が放たれた。霧ではなく、水鉄砲みたいなそれには男も慌てふためいた。

 

「だれがばばあだって?」


 笑顔で迫る大家さんもなかなか怖い。


「ちっ」


 男は身をひるがえすとそのまま逃げるように去った。


「大丈夫? 濡れなかった?」

「はい。ありがとうございます」


 男が振り払った水滴で少し湿った程度だ。


「それは良かった。しかし、朝っぱらから災難だったね」

「いえ。おかげさまで助かりました。あの男の人、小町先輩を捜していたようですが」

「望月さんを? ――面倒なことにならないといいけど」

「松木さん?」


 大家さんは一瞬不穏な表情をさせたが、すぐにふくよかな顔に苦笑いを浮かべた。


「まあ、何の用か知らないけど、望月さん目当てなら一方通行だろうね。有名人も大変だ」

「本当ですね……」

 

 小町先輩は見目の良さや家柄からファンも多いが、校内では人を寄せ付けない雰囲気を放っていて、ごく近しい友人を除いて、ほとんどはただ黙して想うだけだ。

 けれど、一方的な思いで絡んでくる輩もいる。

 先ほども酒の勢いもあって迫ってきたのだろう。同じアパートに住んでいるだけで絡んでくるなんて質が悪い。


「とにかく、百長さんが無事でよかったわ」

「松木さんこそ、見事な撃退法でした」


 お互い苦笑した。

 やっと緊張がとけた気がする。


「なんだか、この時間の百長さんもすっかり見慣れちゃったわね」

「まだひと月ですけどね」

「毎日見てたら、もう半年くらい経ってる感じがしたわ。ということは、市河君が来て一か月なのね。どう? 仲良くやってる?」

「まあ、ほどほどに」 


 曖昧な笑みを返す。生活面では頼り切っているが、特に意見の隔たりやこれといった衝突はない。


「さっきみたいなこともあるし、朝の散歩もだけど、登下校も一緒のほうがいいかもしれないわねえ」

「さすがにそこまでしてもらうわけにはいきませんよ」

「ひと月見た様子、彼なら喜んでお供しそうだけど」


 お供って……。けど、頼めば当たり前のように付き添ってくれそうだ。容易に想像できてしまうあたり乾いた笑みしか出ない。忠犬ならぬ忠亀か。

 私は首を振った。


「今の男の人も懲りたでしょうし、一人で平気です」

「そう? なら、望月さんと一緒に登校すれば? ちょっと騒ぎになっちゃうかもしれないけど、身の安全のほうが大事よ」

「そんな、大袈裟ですよ」


 苦笑いしたが、大家さんは真剣な目をしていた。


「なにかあってからでは遅いからね。一応、望月さんにも連絡しておくわ」

「え」

「百長さんも散歩は切り上げて準備しなさいね」

「あ、ちょっと――」


 ふくよかな身体ながら意外と俊敏な大家さんは、「じゃあ」と家の中に戻っていった。

 手を宙に伸ばしたまま停止した私は、一拍の後深々と息をつき、アパートに帰宅した。






「ただいま」

「おかえりなさい」


 明るく温かな部屋に、知らず息をつく。

 出迎えた万十郎は、私を見て首を傾げた。


「何かありましたか? 髪が湿ってます」


 頭に手を当てると、若干湿っていた。細かいところに気が付く青年だ。


「うん。まあ、ちょっとね」

「何事もないならいいんですけど」


 酔っ払いに絡まれたとか言ったら、心配性の彼は本当についてきそうだ。

 言葉を濁すが、追及してくることなく、心の中で安堵する。


「とりあえず、ドライヤーで乾かしてきてください」

「平気だよ。このくらい放っておいたら乾くから」

「風邪をひかれたら困るので」


 お母さんモードに突入した万十郎に歯向かう気にはならず、私はそそくさと洗面所に行ってドライヤーを手に取った。

 洗面台に備え付けられた鏡を見ながら髪にブラシを通し、乾かしがてら寝ぐせも直す。

 そういえば、常駐だったニキビが気にならない程度に小さくなっている。クマも若干薄くなっているし、肌のターンオーバーが進んで、肌荒れが改善されたのだろうか。

 美容より勉強に重きを置いているが、秋が深まるこの時季、いつもなら感じる冷えもあまり気にならないし、顔面偏差値が上昇したのは素直に嬉しい。まあ、後者は平均以下からすれすれ平均までといった程度だけど。

 やはり、規則正しい生活を送ることは重要だ。

 身に染みて思いながらリビングに戻ると、机に向かった。


 それからしばらくは静かな時間が流れた。

 参考書のページをめくる音、包丁のリズミカルな音、遠くからは人の声。

 ふと我に返った時、空腹を刺激するいい匂いが漂っていた。

 うんと伸びをして凝り固まった筋肉をほぐしていると、申し合わせたように万十郎がキッチンから姿を現した。


 白いご飯と具たくさん味噌汁、青菜の即席漬け。それが二セット。

 朝と晩は一緒に食事をとるのが日課になっていた。

 配膳を手伝い、共に席につく。


「いただきます」


 多くの具が混じりあい相乗効果でうま味が増した味噌汁。艶々の白いご飯。シャキシャキの漬物。幸せなため息が漏れる。


「相変わらず美味しい……」

「そう言っていただけると嬉しいです。けれど、あやかしの僕がこうして人間の食事をとっているのは今でも不思議な気分です」

「……嫌?」

「いえ。栄養にはなりませんが、なんというか、ちょっとだけ満たされる気がします」

「……私も、一人で食べるより二人で食べるほうが好き」


 実家では家族でテーブルを囲んでのにぎやかな食事だった。けれど、一人暮らしを始めたら、静寂の中咀嚼する音だけが響いた。

 今思えば、偏食に至ったのはひとりテーブルで食べるのが嫌だったからの気がする。

 だから、テーブルできちんとした食事を摂らず、菓子パン片手に机に向かっていたのかもしれない。


 ……私って、甘ったれの子供だなあ。


 なんだか、万十郎に見られるのが恥ずかしくて、私は汁椀に口をつけて赤くなった顔を隠した。

 


 

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